「原作とは乖離した作品」窮鼠はチーズの夢を見る 卵太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
原作とは乖離した作品
はっきり言って最低。
原作ファンによる押し付けはあまりしたくないが、原作と同じ物語として見るなら理解が浅すぎるし、原作とは別物として見るなら説明不足で意味がわからない。この映画は、少女漫画原作などにありがちな「女はこういうものが好きなんだろ」という観客への舐めた態度すら感じられず、どこに焦点を当てていいかを判断しあぐねている、監督の力量不足を感じた。これをお得意の「BLを"超えた"愛」などと表現するならば笑ってしまう。監督、脚本家、キャストが一度でも原作をしっかり読んだのか(読んだのならばなぜこんな結果になったのか)疑ってしまう内容だった。
最も違和感を感じたのは、二人の主人公・大伴と今ヶ瀬のキャラクター描写の飛躍である。大伴は他人から愛されることを最大の望みとし、だからこそ他人に流されやすく、自分の意見をはっきりと主張しない甘えた人間だ。そこにつけ込み、彼を流すために強かに振る舞いながらも、実は奥底にゲイである自分自身への後ろめたさ/自信のなさと病的なまでの大伴への恋をひた隠しにしているのが今ヶ瀬である。本作では、大伴は原作に登場しない浮気相手と何度も逢瀬を重ね(ご丁寧に乳房まで映したこのセックスシーンを削ればもっと撮れたものがあったはずだ)、仕事中に部下に対し執拗に視線を送る。「流され侍」などではなく、ただの女好きのクズである。また、今ヶ瀬に関して言えば彼の原作での強かさが消え、ただ健気に大伴に尽くす、犬のように懐いている後輩として描かれる。原作の今ヶ瀬は、断じて、萌え袖はしない。原作の大伴は、断じて、あのようなオシャレなデザイナーズマンションには住んでいない。
加えて、ストーリー展開としても大伴のクズさが際立った内容だった。原作の中で数回しかない大伴から今ヶ瀬へのアクション(音信不通になった今ヶ瀬を大伴が見つけ強引にタクシーに一緒に乗る、タチ役をする、など)がほぼカットされる、あるいは丁寧に描写されておらず、大伴が「流され侍」から今ヶ瀬という存在によって徐々に変化し、自らの意志で今ヶ瀬に向き合うという心の動きが全く伝わって来なかった。同様の問題点として、原作ではそれぞれの心の声が非常に重要であるにも関わらず、本作では心の声を一切排し(そしてそれをカバーする描写もなかったため)登場人物の心情の読み取りが困難だった。
また、女性モブへの扱いも失礼だった。原作でも何人か女性が登場するが、重要なのは夏生とたまきだろう。たまきはこの映画の中で数少ない満足できる配役だった。一方で夏生は、配役というよりも描かれ方が不服だった。文脈からある程度予想は可能だが、そもそも夏生が大伴の元カノであることは一切明言されていない。そして、夏生は大伴の元カノの中でも今ヶ瀬が「一番まともで、一番嫌い」な存在として特異だが、本作では今ヶ瀬vs夏生という対等で熾烈なライバル関係があまり出ておらず、夏生はせいぜい体のいい当て馬で終わった。夏生ほどのいい(怖い)女が勿体無い使われ方をしていた。
監督は何がしたかったのだろうか。ゲイバーに大伴を行かせ、ゲイのテンプレートのような人々の好奇の目に晒されるという原作にはないシーンをわざわざ描くことで何を伝えたかったのか本当にわからない。この二人は他のゲイとは違う、二人だけの高尚な愛情があるとでも言いたかったのだろうか。そんなものはないのに。そんなものがないからこそ、この物語は意味があるのに。
本作は、原作の印象的なシーンをパッチワークのように強引に繋げた、原作への愛も理解も情熱もないものと感じた。