「崇高で高潔な愛の物語」燃えよ剣 keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)
崇高で高潔な愛の物語
「京おんなは人あたりも正味も悪うおす。けど、それも男はんしだいどす。」
沖田総司が初めて吐血した時、介抱する島原の芸妓・糸里が、戯言めいて呟くこの一言が、本作の巧妙な伏線になっていたとは、最後の最後に気付かされました。
当代随一の岡田准一の殺陣は相変わらず見事で、迫力あるチャンバラを堪能でき、更にロケを多用したことが非常に効果的で、幕末の揺れ動く時代感覚、燃え盛る熱気に包まれた京洛の臨場感と炎熱感が、スクリーンを越えて溢れ寄せてきました。
また原田眞人監督の、いつものような冗長な展開ではなく、引きのカットが目まぐるしく小刻みにつながれ、パンやトラッキング、寄せズームもあまりなく、長回しもなく、細かくカットを割って、次々と画面が変わっていきます。あまりに速いテンポゆえに、観客によっては、一つ一つのシーンを見過ごしてしまうことも多かったと思います。
本作の原作は、国民的作家・司馬遼太郎の、新選組を舞台にした一種のシチュエーション・ドラマです。元来が群像劇ゆえに個性的で癖のある人物が、虚実混交して数多登場する名作であり、この長編小説を、原作に忠実に描き分け表現しようとしたために、やたらと主要な人物が多く現れながら、その人物が何者かという、主人公の土方歳三との人間関係が十分に示されないままに次々と殺され死んでいくので、観客はただ茫然と幻惑され続けます。
結果として、驚異的速さでストーリーが展開しながらも、新選組物では定番のクライマックスとなる池田屋事件が、本編の半ばを過ぎてもまだ気配すら見えないという、人物の多さに当惑しつつも、逆説的ながら間怠く感じられ、多くの観客が、現在位置と進む先が見えない眩暈感と焦燥感を催します。
その上、未来からの回想という、凝った構成にしたために時制が頻繁に行き来し、一層混乱を助長しました。
斯様にフラストレーションが鬱積して迎えたラスト15分、舞台が函館に移って物語は一変します。
それまでの土方と新選組の叙事詩、いわば敗者の美学を滔々と綴っていたのが、土方とお雪という、男と女の慈愛と情念の賛歌に置き換わります。
歴史の大きな潮流に翻弄され、過酷で残酷な運命に晒される男と女の、愛撫も交媾もない崇高で高潔な愛の物語が、そこにはありました。
滅びゆく己の運命を知りつつ、最後まで“男”を貫き通した一人の男と、己を殺し甲斐甲斐しくひたすら尽す一人の女、虚飾を全て削ぎ落した生身の男と女が函館で得た束の間の安らぎの一瞬、僅かだった一生を凝縮した、その刹那のこの上ない幸福感が画面に充溢していました。
今の時勢ではアナクロながら、男が男であった、女が女であった、その根源的な純粋な姿に、ラスト15分は体が震え涙が止まりませんでした。
現代劇ではどうしても作り物感、わざとらしさが鼻につく処であり、今や時代劇でなければリアルに観ることの出来ない陶酔の情感の世界です。
2時間半に及ぶ本作は、この15分間を描くための長い長いイントロであり、従い数多登場する人物描写は等閑でよかった、否、寧ろ意図的に記憶に留めないよう描かれたのだと思います。
土方の最期、大軍が構える敵陣へ単騎突撃していく時、彼は決して鬨の声は上げておらず、ただ愛する女(ひと)の名を叫び続け、涅槃で穏やかに結ばれている夢をみていたのでしょう。
将に、宣伝ポスターに謳われたキャッチコピー「時代を追うな、夢を追え」の通りに。