「一原作ファンとして、大満足でした」燃えよ剣 グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
一原作ファンとして、大満足でした
映画も原作もどう解釈しようが、まったく個々人の自由です。
ただ、プロレビュアーの方のコメントの中でどうしても気になることがあったので、ひとこと書かせていただきます。
それは書き手の個人的な解釈としてではなく、かなり一般的な定説であるかのような表現がされていることです……〝読んだ人なら誰もがそう思う〟みたいに書かれているので、多くの原作未読の方に誤った先入観を与えると危惧されるからです。
(当該レビューがコメントできない設定だったので、このようなかたちとなりますこと、ご容赦ください。)
『原作を読了の方はご承知のはずだが、小説で描かれていた「男色の気配が蔓延し内部崩壊していくさま」が、映画では一切が省かれている。』
この部分を読むと、読んだ人なら誰でもそう受け取れるほど、『男色に絡む要因で、組織が崩れていく』みたいですが、私の読解力では、そのような気配は微塵も感じられませんでした。
近藤勇や土方歳三と対立、離反していく主要人物についての原作での描かれ方を私なりに要約して書くと以下の通りです(なるべく恣意性なく客観的に書いたつもりです)。
芹沢鴨…水戸脱藩浪士で神道無念流の免許皆伝者だが、異常なほどの乱暴もの。ただし、実兄が水戸徳川家の家臣で京都の公用方。そのツテで新撰組が「京都守護職会津中将御預かり浪士」という身分と資金面の援助を得た。新選組創設にあたり、なくてはならなかった人物。
しかし、芹沢一派は京の路上で町人に難癖をつけて斬り捨てたり、酒乱、狼藉甚だしかったため、組織の規律を守り、組織の保護者である会津藩からも疎まれないために粛清。
山南敬助…水戸徳川家と縁の深い北辰一刀流の出(仙台藩出身)。
水戸式の理屈っぽい尊王攘夷主義に影響されている。
一方、近藤勇や土方歳三は武州多摩、天領(幕府領)の百姓の出だが、この地は戦国以前、源平時代にさかのぼるまでの間、天下に強剛を誇った坂東武者の輩出地。ふたりにとっての士道の理想は坂東の古武士、惰弱な江戸時代の武士ではない。
この点、思想や精神性での如何ともし難い溝があった。
山南は、自然体に明るくて気の優しい沖田総司とは気が合うが、だからといって、歳三や沖田とのあいだでの嫉妬?のような感情のもつれみたいなものが描かれている箇所があるわけでもなく、私にはまったく男色の気配などは認識できませんでした。
もし、新選組をBL的発想で描いてみたらこうなる、という別の作品があって、それと勘違いされているのなら別ですが。
伊藤甲子太郎…薩長同盟を契機に歳三を排除(暗殺)し、新選組乗っ取りのうえ、倒幕の義軍を作ることを画策。
例えば、伊藤派をどうするかについての近藤と歳三の詮議の中での歳三の言葉を読んでみても、男としての根本的な思想の違いは浮かび上がるものの、男色の気配を感じ取れる部分などは私には、認識できません。
『近藤さん、あんた日本外史(頼山陽が著した武家盛衰史)の愛読者だが、歴史というものは変転していく。そのなかで、万世にかわらざるものは、その時代その時代に節義を守った男の名だ。新選組はこの際、節義の集団ということにしたい。たとえ御家門、御親藩、譜代大名、旗本八万騎が徳川家に背を向けようと弓を引こうと、新選組は裏切らぬ。』
ポスターにあるキャッチコピー。
時代を負うな。夢を追え。
生来の〝喧嘩師〟としての本分、本領を、組織を強くすることや実際の戦闘で発揮することに邁進してるうちに、時代(時流)の方が勝手に倒幕に向かってしまった。
歳三の視点に立てば、時勢に合わせて変節できる男というものが理解できないし、理解する気もない。
私はそんなふうに解釈しています。
印象的な文章の一部を紹介します。
(少しでも原作の魅力が伝わればいいのですが。)
ある激しい斬り合いのあとの場面。
『死んだのは奇妙なことにすべて一流の使い手であった。かれらは脱出しようとしても、剣がそれをゆるさなかった。剣がひとりで動いてはつぎつぎと敵を斃し、死地へ死地へとその持ち主を追い込んで行った。
(剣に生きる者は、ついには剣で死ぬ)
歳三はふと、そう思った。』
映画を見てからの感想はここからです。
あれだけの長編をよくぞここまでまとめ上げたものだと、率直に感嘆しています。そのうえで、主要人物のキャラクターもかなり原作の味わいをきちんと投影できています。
・おおらかで開けっぴろげで、頭の中の動きがとても分かりやすい愛すべきバカの近藤勇の大将っぷり。
・媚びたり、へつらったり、という邪心がまったくなく底抜けに人懐っこい沖田総司。
・小賢しさとは無縁の、逆に言えば、受け売りの耳学問でにわか攘夷主義者となった者からすれば、自分の浅はかさに気付かされてしまう故に憎しみを覚えてしまう土方歳三。
幕府側の北上していく負け戦はまるで歳三に剣と銃を存分に振るわせ、死に場所を与えるために用意されたレッドカーペットのようでした。
バラガキの筋=芹沢鴨の言うところの主君ではなく、自分が思い描く生き方に殉ずることこそ士道。
原作におけるラストの問答。
いずれへ参られる
参謀府へゆく
名はなんと申される
名か、新選組副長土方歳三
参謀府に参られるとはどういうご用件か。降伏の軍使ならば作法があるはず
降伏?
いま申したはずだ。新選組副長が参謀府に用がありとすれば、斬り込みにゆくだけよ
(余談)
因みに原作では、松前城を陥した戦いの最後、北海道へ渡る前に歳三は、斎藤一に30両の餞別を与えて帰郷させています。
歳三のおかげで、『るろうに剣心』もより面白味を増したわけです。
グレシャムの法則 さん コメントありがとうございます。
司馬さんの本は好きですが、新選組関連はあまり読んでいません。が、燃えよ剣と新選組血風録は読んでいました。燃えよ、は土方に焦点を当て、以外にも西洋式(フランス?)の軍制などを取り入れ官軍に対抗していくリアリストだが、最後まで「自分の中の武士」を追いかけた人物として描いた本だと思っています。映画にあるように仏軍事顧問団とも交流があったのでしょう。
プロのレビューを読んで、「あれ、そんなんだったっけ。原作」と私も思いましたがグレシャムさんのレビューを見て安心しました。司馬遼太郎さんの本には衆道が出てくるものもありますが、燃えよは、、。
峠が楽しみです。
myzkkさん
他の作品も熟読されておられるのですね。ありがとうございます。
プロが二人も男色と書いているので、本当に不思議です。
原作において、粛正、分裂はあっても内部崩壊はなかったと私も思います。
原作は、土方の考える〝士道〟を核に関連する人たちを浮き彫りにしていく物語だと私は捉えています。
貴重なコメントありがとうございます。
『燃えよ剣』には男色の場面はなく、『新選組血風録』の中の『前髪の惣三郎』という短編に出てきます。ただし、加納惣三郎、田代彪蔵、武田観柳斎、湯沢藤次郎という武田以外は平隊士で互いに斬り合って死に加納は沖田に切られたと読める。武田も内通の疑いで切られており、新選組の崩壊につながる事にはなっていない。プロ?、なんか勘違いしているのでしょうね。プロなのに。
グレシャムさんのレビューを読んで安心しました。原作が(男色によって内部崩壊した)という内容なのかと思ってしまう所でした。だとすると『燃えよ剣』という題名とはかけ離れていますよね。
コメント失礼します。
本作は私も大満足でした
戻ってきてくれた。ラストはそれだけで涙ものでした
それと熟読したのはだいぶ昔なので忘れている可能性もありますが私も燃えよ剣での衆道描写は記憶にありません。
美紅さん、是非ご堪能ください。
士道(定義や解釈はともかくとして)を貫く方法がシンプルな土方歳三と、大局観のない思想に染まった人たちとの対比と考えれば、それほど複雑ではないと思います。