「副題に含意が込められている」閉鎖病棟 それぞれの朝 andhyphenさんの映画レビュー(感想・評価)
副題に含意が込められている
原作は未読。1994年の作品であり、原作者の帚木蓬生は精神科医でもある。
映画は現代に寄せてあるそうだが、それでも2006-08年の設定である。
様々な精神障害の患者が集まる閉鎖病棟の風景。まず、看護師長の小林聡美が鍵を開けて病棟に入り、鍵を閉める描写から始まる。閉鎖性の暗示。
精神障害患者の役というのは、巧くやらないと一種の物真似芸のようになってしまう危うさを秘めている。脇を地味ながらも堅実な演技巧者で固めているのもそこが理由なのかな、と思う。ひとりひとりの個性が際立つ。個人的には駒木根隆介&大窪人衛コンビの組み合わせの尊さに感動した。坂東龍汰さんも表情が大変良かった。
死刑執行に失敗し、精神病院をたらい回しにされてきた秀丸は、死刑囚とは思えぬ程の穏やかさで登場する。そして、精神障害者の中でも回復しているように見えるが、感情の昂りに対処できず幻聴に苦しむチュウさん。義父からDVを受け母にも捨てられ、心を閉ざす由紀。行き場所のない3人が穏やかに過ごそうとしていた日々を破断するように、事件は起こる。
人生全く思うようにはいかない。傷つけられるし傷つくし、病も得ることもあるし、罪を背負うこともある。自身も負わなければならないものを抱えながら、それでも互いを思いやる3人の姿に心を揺さぶられる。
余りにも壮絶な体験をしても、必死に立ち上がる役を演じる小松菜奈の凄さにやられてしまった。彼女の法廷での語りは本当に泣いてしまった。あの言葉をあの場所で語ることの過酷さを思う。
綾野剛の平静から危うくのたうち回る描写、そして不安を抱えていても立ち上がる姿、最後に秀丸にかける言葉も素晴らしかった。
そして、笑福亭鶴瓶。なんとなしに「何を演っても笑福亭鶴瓶」になりかねないキャラの濃さを持つ彼だが、今回は喋くりの役でないのもあってか、非常に抑制の効いた演技を見せたな...と思う。ラップ巻いてダイエットした甲斐があったね...。平山秀幸監督は「鶴瓶さんは撮影のないときは完全に『家族に乾杯』になっている」と仰っていて、スイッチング能力の高さやべえなと思った。
ラストシーンが、仄かな希望を思わせる。あそこで終わらせるというのが好きだ。
惜しむ...というか凄く難しいのは、渋川清彦は「悪」として完全に自分の役割を演じきってはいるのだが、描き込みがあまりないので、とにかく悪ってだけで終わってるな、というところ。しかし、そういうキャラクターでないと立ちはだかれないのか。
あと、笑福亭鶴瓶の躊躇いのなさ。彼は絶対に自身の為した過去に葛藤と後悔を持っているはずなのに、なぜあんなにも躊躇無く行動に移れたのだろうか...?為したからこそ...?優しさ、は残酷な悲しみでもある...のだろうか。
ちなみに余談だが、死刑執行で死刑囚が蘇生する事案というのは、映画でも語られるとおり1件だけ事例がある。明治時代である。「石鐵県死刑囚蘇生事件」がそれで、原因は処刑器具の欠陥である。この作品に限らず「死刑囚が死刑執行後蘇生した」という作品は幾つかあるが、あくまでフィクションである。現代ではまず起こり得ない。というか脳への酸素の供給が止まるのであれだけ吊られていれば脳への障害は避けられない気がするのだが...まあフィクションだし、野暮な突っ込みではあろうな...。