「感想が何故かシャラマン論になる」マローボーン家の掟 masakingさんの映画レビュー(感想・評価)
感想が何故かシャラマン論になる
あっと驚く仕掛けが前に出過ぎない物語のお手本とは、この映画のことだろう。
物語の中心となる筋は、父親が引き起こした凄惨な過去からの逃走譚なのだが、
アメリカの美しい田舎の風景と、心に傷を負った兄妹たちの静かな日々が心に強く残る。
ことの真相はかなり悲しく、そうであって欲しくない方向へと流れるのだが、
大きな救いだったのは、アニヤ・テイラー・ジョイが演じるアリーの、ジャックに対する選択のありようだろう。
自分にとっても大切なジェーン、ビリー、サムを失うことなくジャックを生かしていこうとしたのではないだろうか。
アニヤ・テイラー・ジョイとあっと驚く仕掛けというと、どうしても思い出すのはシャラマンの「スプリット」とである。
「シックス・センス」以降シャラマンが背負った十字架とも言える大どんでん返しの効果は、
本作品においてもある程度取り入れられているあとが伺える。
それなのに、何故か「やっぱりな」とか、「ああ、あの映画の焼き直しね」と冷めた感想にならなかったのは、冒頭にも述べたとおりの映像美と物語の前面に溢れた兄妹愛ゆえではなかったか。
シャラマンが十字架を背負うきっかけとなった「シックス・センス」や「ハプニング」なども、
本来は大どんでん返しにとらわれることなく人物造形や人物同士の関係を味わいながら鑑賞できる作品だった。
シャラマンがこけた時は、あっと驚く仕掛けが空振りに終わったのだと、今までは思っていた。
しかし、違ったのだ。
シャラマンがこけたと感じた要因は、仕掛けに意識が集中してしまい、過剰な期待を掛けてしまうほどに、人物造形が説得力や共感性に欠けたり、人物同士の関係に惹き込まれる要素が足りなかったりしたからだったのだ。
と、なぜかシャラマン論で終わってしまいそうになるくらい、アニヤ・テイラージョイの存在感が素晴らしいからだろう。
サスペンスの新女王と言いたくなるくらいに、恐怖の中で怯えながらも勇気を奮い立たせる代表的な女優としての地位を確立しつつある。
あの目力は只者ではない。
そもそもは、ここ数年来注目していたジョージ・マッケイの演技がお目当てだったのだ。
マッケイ兄は、どことなく新しい時代のジョン・ハード(RIP)のポジションを感じていた。
予感は的中しそうな気がする。
名端役だったハード氏同様に、本作でもすっかりジョイ嬢に持って行かれてたもの。