ジョーカーのレビュー・感想・評価
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ホアキンの演技が見所
以前からNetNewsで知っててネットで騒がれてるのとかみてて、気になってたから見ようと思ってました。知り合いが先に観に行って面白いって言ってたので、じゃあ自分も観に行くと言ったので、観に行きました。 主人公のジョーカーことアーサーは精神障害を持ちピエロに扮するアルバイトをしている。 幼いころからの夢であるコメディアンになることを目指しているが、周囲との関係が上手くいかず次第に孤立していく…そして狂喜のピエロとして生まれ変わる。 この映画で新しいジョーカーのイメージを作れたと思う。ホアキンの演技力、存在感 がでかい! 特に道徳な笑う演技、あれひとつで場の雰囲気を作ってる。ホアキンの演技が凄くで面白いというのもある。 映画が終わっとき短く感じた、飽きずに二時間ちょっと見れました、これからもホアキンの演技に注目です!
美しい映画
何かを殺し捨てる度に解放されていく様の全てが美しい。遂にジョーカーが完成したときの哀しみと高揚感。 少しずつ少しずつ、皮膚に毒を擦り込まれているようで、気がついたときには全身侵されているが、しかしてその皮膚は大変美しい色をしているのだった。
ダークナイトがすごすぎる
ずーっと不気味な空気が流れててスリリングだけど、何か大きなアクションがある前の煽りの音響が要らなかったんじゃないかと思った。なんでもないところで普通にやばいことしちゃうみたいな感じの方が良かったのかもしれない。本作を見てからダークナイトを見返したけど、ヒースレジャーの凄さが改めてわかる。
大スクリーンで観る必要はなかったかなぁ
バットマンに特別思い入れもなく、アメコミ自体もそれほど好きではないけれど、それとは関係ないところで評価されているということで、鑑賞。 悲劇なのか喜劇なのか、その境目は何だろうか、とか考えていたら、ラストが来てしまいました。ジョーカーの悲哀を演じた役者の表現力はさすがでした。 観て後悔とまでは言わないけれど、ストーリーも映像描写も美しいものでもインパクトのあるものでもないので、ビッグスクリーンで鑑賞する必要はなかった、というのが正直な感想です。
狂気
ジョーカーがジョーカーに至るまでのスピンオフ。 妄想、幻想、全ては夢物語か。 ホアキンフェニックスは素晴らしいとは思いつつも、 もっとぶっ飛んだジョーカーを期待していた。 意外にも残虐性は控えめな演出。 もっとダークな雰囲気を想像していた。 怖さはあるけれど、もう少しと言う感じか。 DCシリーズのようなヒーロー物を期待していたわけではないが、 前評判から期待しすぎていたかもしれない。
笑っていいのか▪▪▪?
バットマンとかゴッサムのジョーカーだけど、あのジョーカーではない。 ジョーカーを題材とした、ジョーカーという全く新しい映画だと思う。 ▪▪▪ちなみにですが、この映画笑えるところありました? 私はバンコク在住で、タイの映画館で観賞したのですが、ところどころのシーンで周りの席の方々が笑っていました。 隣に座る欧米人なんて、後半の「鍵がしまってて開けられないで、必死に逃げようとしているシーン」で大爆笑。 これが、世界の価値観の違いというものなのでしょうか、、、、 見る人個人だけでなく、国民性によっても捉え方が違うのかと、びっくりです。 内容についてですが、序盤の母とテレビを見る彼の姿は、暖かみや優しさに溢れていました。 だからこそ、狂喜の男に変貌してしまった終盤は強く感じるものがありますね。 地下鉄の男たちの最後は因果応報とも思えますが、あぁいう人たちって結構どこにでもいますよね。 渋谷のハロウィーンとか成人式の若者をちょっと連想しちゃいました。 人って組むと、どうしても意気がっちゃうもので▪▪▪ そんなことをいろいろ考えさせてくれる、とても面白い映画でした。
善良な市民とは
狂演。迫力すごい。映画賞は好きだよねこういう、キャラに飲み込まれたような演者を高評価するの。皮肉じゃなく。私もそうだし。 キャラっていう言葉出したけど、確かにコミックのキャラであるジョーカーからは抜けてしまったと思う。だからいい。これはジョーカーじゃないだあーだこうだ言ってもらって、良くても悪くても皆でダークナイあたりを見直して、DCコミックのカッコよさ再確認してくれれば、そうそれでいいのだ。 あえて触れるなら、アーサーが今後、いままでのような狂喜的で知的で魅力的なカッコいいジョーカーにならないとしても、この騒動によって産まれた沢山のピエロが全員ジョーカーであるって事でいいのではと思う。あのデモを起こした全員がジョーカーになりうるんだよ。こんなにワクワクして、恐ろしいことはない。引き金を弾いた本人に信念などないがゆえに、より一層怖い。 あのエンディングで、もしかして全部妄想だったのかもと思ったりもした。誰かを殺したいと思ったり、死ねって思ったことあるじゃない。そういう皆の中にもある、一つのジョーカーの話だったのかなとか。 個人的には、シリーズやコミックから切り離して見つつ、オマージュと分かるところは分かって楽しめたから、バッドマンシリーズのジョーカーじゃない云々でうっすい議論するのは勿体ない気がする。完全に日本の売り方が良くない。まぁ見てもらえたらいいんだからあってるっちゃあってるけど。 しかし苦しい映画だった。アーサーって自分からは誰も傷付けようとしてないじゃない。あんなお母さんにすら当たったことない。いつも笑って、笑って、抑えて、笑って、頼れる誰かも、国の補助が無くなって、警察まで電車内の市民に拳銃を振りかざし、光に見えたお父さんと、お母さんの正体で、更なる孤独と貧困の果て。 映画を見て、彼を救えると思えた人なんて居るんだろうか。私はあそこまでの貧困を想像できないほど、幸せなところにいる。 今の世の中だと思った。いま、どこの国もゴッサムシティになりつつある。日本だって、来年のオリンピックが終わってからが恐ろしくて仕方ない。誰が引き金を弾くかなんて分からないし、どう進行を止めるかも分からない。ぶち壊して良くなるとも思えないけど、ぶち壊そうとしなくてもあぁなったんだから時間の問題だと思う。 もう一回しっかりみたい。
迷っている方は見ない方がいいと... 思います...
この映画重過ぎる、暗過ぎる、救いがなさ過ぎる...。 メッセージ性はあるのかもしれませんが、映画を“娯楽”と捉えた場合、これではダメです。 400名収容の劇場が終始静かで、上映後もみな沈黙して劇場を後にしていました(>_<)。 特にカップルの方は他の映画を観ることをお勧めします。
サイコパスはだれ
ジョーカーは生まれついてのサイコパスであってほしいと思っていますが、一つのジョーカー像が完成しました。ある意味、弱いものの味方です。 監督の降り幅すごいですね。 ハングオーバーからのこの作品でびっくりしました。でもキャラクター性とか、人間関係を徹底的に重視してるのは一貫してると思いました。 アーサーがショーパブ?みたいなところに出演したとき、派手に失敗するんだろうなって思って見てました。でも意外と上手く行ったみたいで、あれ?って思ってたらまさかの落ちでした。普通に失敗するシーンを見せられるよりつらいです。現実ではきっと目も当てられないくらい大失敗したんだろーなーって振り替えって思います。晒されるくらいですし。 良く優しい人がいちばん怖いみたいに言いますが。笑わせる事ができる人は、人を落ち込ませる事もできるんですね。となると、本当のサイコパスは監督自身なんでしょうか。と思った映画です。
自己存在の確認
自己の存在を確認できない、出生も否定された者が、反抗することで社会化されていくストーリーと理解した。現存する社会制度が肯定され、それを圧倒的に守る者が正義(=バットマン)ならば、その社会から自己存在を否定された者、自己存在を確認できない者はどこに居場所をみつければいいのか。自殺は社会から自己を抹消するという対極の行為であるが、タイ映画「ホームステイ」は自己否定=自殺の原因を自己の内部に見つけ、自己を肯定化するプロセスとして描き出した作品と言える。ピエロ(=道化師)からコメディアン、コメディアンからジョーカー(=オールマイティーのカード、あるいは52枚から外れたカード)への変身が意味するところを考えてみたい。
紛れもなく名作
単なる映画としても、芸術作品としても、バッドマンシリーズとしてみても完璧な作品。 演出の細部が作り込まれていて、ただの「ジョーカー誕生秘話」ではない。まさに圧巻。腹と耳の奥に響く暗い音楽、憂鬱なストーリーに反して鮮やかな色彩。ホアキン・フェニックスの怪演!ジョーカーを演じているのではなく、ジョーカーに乗っ取られているかのような演技っぷりだった。 そして、映画とリアルが絡み合っていく現在。便乗して「私はジョーカーだ」と憂う人のなんと多いことか。今年のハロウィンにジョーカーを演ずる人は山ほどいるだろう。危険すぎる名作。だが観ないわけにはいかない。
病的
人間の生い立ち程人格の形成に影響を及ぼすのか。生まれつき障害児だった可能性がありそうだがバッドマンの敵=犯罪者とは?を問いかけられた。誰にでも起こりうる悲しい生い立ちだ。 ジョーカーでなくてもいい。こうゆう可哀想なオッサンがいて犯罪は繰り返されていく。 観賞後、しばらく立ち上がれない虚脱感に襲われた。
さすがのホアキン
正直ストーリーはそうおもしろいとは感じなかった。 ただ最初から最後までアーサーの気味悪さが崩れない。 悲壮感とか哀れみとかいろいろあるけど 言いようの無い悍しさというか緊迫感というか。 ホアキン・フェニックスを観るだけでも後悔のない作品
繊細で素晴らしい映画
細かい描写が現実感を増し主人公の心情が徐々に変化していく内容のシーンが良かったです 確かにコメントにある通りブルースの両親が違ったり執事の様が違ったりしたのは違和感がありましたが全体的に見れば素晴らしい映画なのでスッと飲み込むことができました 少しだけシャッターアイランドのような部分を含みつつ不気味な感じなのにBGMがなかったりそれでも引き込まれていくような映画です 映画というのは僕自身引き込まれたりスクリーンの中の世界にいったような感覚になればそれはかなり楽しめている証拠です 仮にホラー系でもヒューマンでも泣いたり笑ったり恐怖を感じたりということができればそれはあなたにとって引き込まれている証拠です このジョーカーという映画引き込まれ現実社会に一石を投じるような映画近年の社会情勢たまたまだとは思うのですが台湾を彷彿させる部分もあります 悲しいけど最後にはジョーカーになって称賛されよかったと思える自分がいました これから見る方はぜひ表面ではなくて細かく繊細な描写からこの映画の意図をくみ取って観ていただければより一層楽しめるのではないでしょうか
紙一重
苦しくなる映画でした 母親の面倒をみて、真面目に働き、決して悪いヤツではなかったアーサーが、段々と哀しみに潰されて狂っていく こらでもかこれでもかと押し寄せる不幸に、狂っていくアーサーを責められるだろうか その苦しみから逃れるために、善と悪、どちらに転ぶか、人間誰も紙一重なんじゃないだろうか 笑ってほしかった、愛して欲しかった、認めて欲しかった、ただ切にそれを願っただけなのに もちろん、不幸だからといって、その後の行動は認められない 分かってはいるけど、アーサーの気持ちが痛くて、とにかく苦しくなる 哀しみの中でも、何かを忘れるように、取り憑かれたように優雅に踊るアーサーに涙が出た アーサーを狂わせたのは私だったのではないか、私はどちら側の人間なのか、と自分自身すら分からなくなりそうだった 清掃局のストライキで、街中にゴミが溜まっている その風景の中を歩き、画面が絶えずごちゃごちゃとしてるのをずっと見てると、知らず知らずのうちにこっちまで気持ちが荒んでいく気がして、アーサーの気持ちに寄り添いたくなる 全てが良くできた映画でした 演技、映像、音楽、どれも惹きつける 最後white roomが流れたとき、狂っていく気持ちを煽られるというか、破滅的な衝動に駆られました せめて映画の中ではハッピーでいたい、と思ってるんですがね、、 衝撃的な映画でした
期待以上
みました! 前評判も良かったですが、期待以上の仕上がりでした。 バットマンシリーズを違う目線で観ることができる気がします。 格差社会に対するメッセージも感じ、悪にも関わらず他人事では無い思いも感じた作品です。 中には重たい気持ちになったという方もいますが、何かを感じられる作品だと思います。 良かったらご覧ください。
アメコミっぽくないというのは間違い!これこそDCのアメコミ映画っぽい!!
もともとは『スーサイド・スクワッド』でジャレッド・レトが演じたジョーカーを基盤とした『スーサイド・スクワッド』のスピンオフとして浮上した企画であったため、当然ながらジャレッド・レトがその時はジョーカーを演じる予定であったし、この時点ではDCエクステンデッド・ユニバースの拡張であったと思われる。しかし、独立作品とした背景には、マーベルの成功があり、いくら追い抜こうとしても追い抜けない現実から、DCならではのことをしようとしたときにこの『ジョーカー』の企画がスタートしたのだろう。 差別化を逆手にとったかのように闇!闇!闇!!ここまで来るとアーサーのどん底設定が楽しくなるぐらいだ。監督のドット・フィリップスと脚本のスコット・シルバーもこの設定を逆手にとって楽しんだのではないだろうか。 そこに加わったのがホアキン・フェニックスというクセ者俳優の怪演。 ホアキン・フェニックスがキャスティングされたと知ったとき、明らかにヒーロー路線のスピンオフでないことは分かってしまった。 ホアキン・フェニックスなんてヒーロー映画向きではない俳優だからだ。 舞台はゴッサムシティ、のちのバットマンとなるブルースは登場すると言っても、見事なまでに現実社会の闇が投影されていながら、バットマンの世界観をフルに活用している点はさすがドッド・フィリップ、そしてさすが「バットマン」という作品だと思わされた。貧困層の抱える抜け出せない負の連鎖や障害を抱える者への差別、現実と幻覚との境が分からなくなる精神状態を投影して、更にもの凄い違和感を残すことに対して、違和感がないメジャーアメコミ作品なんてバットマンぐらいじゃないだろうか。 評価されている点として、『タクシードライバー』と『キング・オブ・コメディ』というマーティン・スコセッシ作品へのオマージュ・アピールが挙げられているし、ロバート・デニーロが出演しているから、どうしてもそう見えてしまいがちなのだが、個人的にはやり過ぎだと思った。あくまで分からない程度のオマージュに抑えていて、何となくわかるよ的なノリならいいのだが、明らかに影響されてますし、「マネしています」というのを表に出し過ぎていることに関しては、いかがなものかと思うし、作品自体のもつオリジナリティが薄れてしまっている気がする。 そこに頼らなくても重圧のある作品に仕上げられたと思うだけに、評価する人もいるが個人的には残念な点である。
時代が生み出したジョーカー
フィリップ監督は、『ジョーカー』が『タクシードライバー』の影響を受けている、と語っているとのこと。 狂気とカタルシス。両作品には、似た匂いが感じられる。 若いころに見た『タクシードライバー』の主人公トラビスの殺人には、乾いたカッコよさがあった。 『ジョーカー』の主人公アーサーの殺人には、ウエットな共感の思いがわきあがる。残虐さへの嫌悪も重なるのだけれど、共感も強く感じる微妙な感触。 ともに、殺人を肯定させてしまう力が映像にある。 ただ、両者の殺人の裏にあるものの違いは重要で、そこには約40年という年月の経過が横たわっている。 『タクシードライバー』のトラビスは、ベトナム帰還兵。 社会悪への義憤(記憶では多分、短絡的で過剰ではあるけれど)から、大統領候補を暗殺しようと決意し、結果的に売春アパートを襲撃して、少女を助け出す。 かたや『ジョーカー』では、経済的弱者のアーサーが、自分への仕打ちに対する恨みから殺人を繰り返す。 つまり、『タクシードライバー』のトラビスの目は社会に開かれているのだけれど、『ジョーカー』のアーサーの目は自己の苦しみに捕らわれ、社会から閉ざされている。 そして、トラビスは少女を救うことで、結果として社会的な正義をなし、アーサーは自分だけにとっての正義をなす。もちろん、それは社会からは受け入れられない。 主人公と社会とのつながり方が、両作品であきらかに違う。それは時代の反映だ。 『タクシードライバー』が作られたのは1976年。 ベトナム反戦運動の記憶がまだ生々しく、人々の間で悪の認識が共有されていた時代だった。 それに対して、2019年の『ジョーカー』。 背景にある貧困や精神病への差別は個々人の生きづらさとなり、私恨を生み出すことはあっても、共有される社会悪にはなっていない。 そうした社会背景の違いが、トラビスとアーサーという2人の人物像の違いを生み出した。 相似形の2人に見えるのだけれど、根本には違いをはらんでいる。 それにしても今日の極端な貧富の差とその固定化は、社会悪ではないと言えるのだろうか。 アーサーがダークヒーローにしかなりえない2019年、若者たちはこの映画を見ながら、何を思ったのだろうと、おじさんは思う。
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