ジョーカーのレビュー・感想・評価
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映画の中に取り込まれる
社会の格差と報われない人生。
残酷な世の中だけど彼は前に進んでいた。
最後まで自分と葛藤していた。
演技力が凄まじく映画の中に入っているような不思議な感覚を体験した。
怖いのが苦手で本当は観る気が無かったけど
すごい話題になっていたので観た。
自分の人生と照らし合わせ考えることが多々あった。
正直この作品を観て良かったとは思えない。
映画自体に悪いとこはなくとても良くできている映画だけど、
不安や恐怖が現実にも現れてきてとても怖い。
それだけすごい映画だとは言える。
現実が上手くいかないからこそ
映画では非現実でハッピーエンドを求める私にとっては
とても刺激の強いものだった。
社会の闇が生んだピエロ
ジョーカー誕生のお話。
ジョーカー視点で進んでいく。
社会から排除されている人たちが、なんとか生きていくけど、それでも無視されて、
どうしようもなくなっていて
そんな人たちの心の中にある
これだけは絶対に自分の中で絶対的な物が、
全くのウソであったと知った時
ほんとはただ"ハッピー"をシェアしたかっただけのコーラに、どうなるかもしらずに大量のメントスを色んな人が一気にぶち込んだみたいに、
ふつふつとしていたものが
一気にふきあがって、周りにぶちまけまくった感じ。
ダークナイトでは、自分がジョーカーだったらと
ジョーカーの立場に重ねて観ることはないけれど、
この映画では、ジョーカーの立場で観ることが出来て、
ジョーカー生い立ちのお話なので、
いい流れにはなっていかないことは分かっていたけど
次々に追い討ちをかけられ、
辛いよなーと心に響いてくる。
ピースレジャーのジョーカーはとても賢くもあって
この作品のホアキンのジョーカーは生まれたてという感じで、
頭脳戦、心理戦のようなところはないけど
人間味がまだあった。
ガリガリに仕上げているホアキンと、
枯れ上がるまでの笑い声
スーツ姿でのラストは痺れた。
オススメの映画。
あまりいないかもしれませんがバッドマンシリーズ未鑑賞の方は
ビギンズ、ダークナイトを事前に観ておくことをおすすめします。
ブルースとのやり取りなども楽しめます。
ジョーカー、とんだサイコパス野郎じゃね
ジョーカーってやっぱり「どこまで行っても愉快犯のサイコパス」なのかもしれないですね。
僕は映画『ジョーカー』を2回観たんですけど、最初観終わった直後はわりと額面通りにというか、「心に病がある貧しくも心優しい青年が残酷な運命に翻弄され悪の道に……」という映画とみて、今までの「どこまで行っても愉快犯」「まじでヤベーサイコパス野郎」のジョーカーじゃないやん!ある意味真逆やん!と思ったものの、それはそれで、そういう映画としてはけっこうよくできているなと感じたんですよね。
僕は個人的には「バットマンに追い詰められたギャングが工場の漂白剤のタンクに落ちて、白い肌、緑髪に笑い顔の怪人に……」という『ジョーカー誕生秘話』が好きだったんですが、11年前の『ダークナイト』ですらもうそんな設定じゃなかったですしね。現代のバットマンの「リアル志向路線ブーム」では厳しいのかもしれない。
(あれ?でも『スーサイド・スクワッド』ん時、ジョーカー、漂白剤タンクに落ちてなかったっけ……?)
「いわゆるアメコミ映画」みたいな、「宇宙怪獣がやってきた〜!ボカーン!」みたいな方向の表面上の起伏はないんだけど、冒頭から何も悪いことしてないピエロがヤンキーにボコボコにされてるとこ見せられたら、まぁ、人間のこころを持ってる人なら「かわいそう」と思って感情移入します(もしくは「この物語はこのピエロに感情移入して読み進めるべきモノだ」と理解してしまう)。
そういう精神的な引っぱりや突き放しによる物語の盛り上げ方がうまいなっ!っていう……。
で、ヘンな疑りを持たなければそのままの気持ちで最後まで観られてしまう。
自分はやらないけど、もし心を病んでる人がこういう状態に陥ったらこういうことをしでかしてしまうのかも……、と解った気持ちにさせられてしまう。
最近たまにある通り魔事件とか、京アニの事件とかもまったく許せるものではないし、ニュースで聞いたときには「理解できない」って思ったけど、もし自分が大事なものを大企業や社会的に大きな存在に壊されたりパクられたりした(と信じ込んでしまった)ら、こういう暴挙に出るしかない!という精神になってしまうのかな……、と思ってしまいます。(「だったら許されるのか」というのはまた別問題だと思うけど。)
で、そういう風に見ると映画を観たあと、「オレたちの星だ!」みたいな感じでジョーカーに憧れてしまう人や彼がヒーローに見えてしまう人がいるのも納得できる。僕も映画館から出てくる時には混乱する電車を後にするジョーカーみたいなステップになってしまったし。
けど、その見方だとどうしても引っかかる部分がいろいろあるんですよね。
25年くらい前、小学生の頃みたドキュメンタリー番組で鮭がクマに襲われるシーンをみた司会のビートたけしさんが「今回はテーマが鮭だからクマが悪者になるけど、クマがテーマの回だったら微笑ましいシーンだよな」って脈絡なく突然言ってドキッとなったのを思い出しました。
小学生のときは「えっ、せっかく鮭気分で楽しく観てるのに、なんでたけしさんそんな冷や水ぶっかけるようなこと言うん……?」って思ったんだけど、この映画に関しては「ジョーカー気分」で観てていいんかな……、みたいな。
映画みて興奮して、ジョーカー気分になったり、それでジョーカーのコスプレしてハロウィンに参加しちゃったり、みたいなのって劇中でチャップリンの『モダン・タイムス』をみて笑ってるトーマス・ウェイン(バットマンの父)や、アーサー(のちのジョーカー)の漫談を笑いものにしてたマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)がやってたこととおなじじゃないのかな……、みたいな。
そしてやっぱり1番は「バットマン関連モノ」として見ると、ちょっと成立しなくなっちゃうような気がするんですよね。
『シン・ゴジラ』を観たときに、「大昔の恐竜が水爆実験の影響で怪獣に……」という、今まで決して捨ててはいけなかった設定を捨てたことで、むしろ「ゴジラ」という存在の本質を描くことに成功してるように感じたのに対して、『ジョーカー』は一本の映画としてはすごくおもしろいんだけど「これがあのジョーカーの誕生秘話です」と言われてしまうと、大金持ちだけど強く優しいお父さんを目の前で殺されたことで誕生したバットマンという存在やバットマンが活躍するゴッサム・シティという街、執事のアルフレッドなど、いろんなものの存在が揺らいでしまうような気がする。
なにより、「どんな時でも明るく楽しい(だからこそ狂っていて怖ろしい)バットマンの最大のライバル」というジョーカーの立ち位置が大きくブレてしまう気がする。
単純に、後にライバル関係になるにしてはアーサーとブルース・ウェイン(バットマン)の年齢が離れすぎてる、とかもあるし、バットマンと異母兄弟(と、劇中で明言はされてはいないものの、映画の中の対立の構造や文脈的にやはりトーマスの子であると見るのが妥当だと思う。)という設定とか、アーサーの妄想や思い込み分を差っ引いたとしても、これが通ってしまうと今までの『バットマンシリーズ』の根底や本質がひっくり返ってしまう気がする……。
で、そんなモヤモヤを抱えたまま2回目を観に行ったら、かなり序盤から引っかかる部分がいっぱいあって、具体的には
・妄想のはずのシングルマザーとのデートから帰ってきたアーサーに、母が「香水のいい香りがする」という
・アーサーが証券マンを撃つとき、リボルバーなのに6発とか8発以上の弾を撃ってる(っぽい?)
・出てくる時計がどれも11時11分(っぽい?見間違いかも。)
・髪を緑に染めてるとき背中にあったアザ(やけど跡?怪我の跡?)がなくなってる(っぽい)
・訪ねてきたピエロ仲間を殺したアーサーに「今夜マレー・フランクリン・ショーに出るんだ」と言われた小人症のゲイリーが「信じられない」と言うのが、「ショーに出ること」に対してなのか「目の前で起きた殺人」に対してなのかあいまい
・そもそもマレー・フランクリン・ショーで自分の漫談が放送されてるのをアーサーが見るのが母が治療中の病院で、番組から出演依頼が来るのが冷蔵庫に入った後。どちらも妄想の中にいる時っぽい感じなので「マレー・フランクリン・ショー出演関連」のシーンはすべて妄想(もしくはウソ)の可能性もある(かも?)
・最後の精神鑑定のシーンは最初のカウンセリングの時に「あなたなぜ入院させられたかわかってる?(だったかな……)」と問われた直後に一瞬挿入される精神病院でアーサーがドアを頭突きする映像と繋がってる(かもしれない)?
……といった部分で、「うわー、コイツの話、全部、全部、最初にヤンキーにボコられてるところからしてすべて!ウソっぱちだったんかもしれん!」と感じたのです。
これは最初に観たときにもちょっと不自然に感じたんだけど、パパウェインに殴られてアーサーが冷蔵庫に入ったあと、カメラが動くんですよね。三脚に固定して撮ればいいのに。
というか、あの部屋にはアーサーしかいないはずで、本来なら観てる自分の存在を観客が意識してしまうような「手持ちのカメラが動く」という演出は不要なはずなのに、カメラが動く。
そしてその画が異様なほど唐突にバツンと切れて、マレー・フランクリン・ショーからの出演オファーの電話を受けるシーンにつながる。
……やっぱりこれはウソなんじゃないか?と感じるんですよね。
そうなるとすべてがウソっぽいし、単純にジョーカーがパトカーの上で踊るシーンからちょくにつながるとも(時系列の不確かさからも)思えないけど、後にバットマンに捕まってなのか、そもそもバットマンすらいない世界で警察に捕まってなのか、精神病院に収容されて取り調べなのか精神鑑定なのかを受けているジョーカーがでっち上げて語ってるウソっぱちの話なのでは……、
と、考えると、映画『ジョーカー』で「描かないことで描いているジョーカー像」は、やっぱり観客すら担いで楽しむ「どこまで行っても愉快犯のサイコパス」なのかな、と思ったのです。
……もしそうだとしたら、こんなに「ジョーカーらしい映画」も無いのかもしれませんね。
ホアキン・フェニックスの集大成にして傑作
もう5週目ですか。満を持してIMAXで観賞。
まわりから気味悪がられ、年老いた母の面倒をみながら孤独に生きるアーサー。壊れかけていた心を世間の悪意が完全に砕いてしまった。
彼の爆発、シングルマザーの娼婦への妄想、それらすべてが府に落ちた。唯一苦言を呈するなら、ゴッサムシティの大衆のアーサーに同調した暴走の描写の薄っぺらさだろうか。それも意図したものかも知れんが。
アーサーがジョーカーとなった過程を知るだけでも十分だと思うが、アーサーの母とウェイン家との関係、アーサーの出生の秘密、そしてジョーカーとバットマンの深い関係までも明らかにしてしまう大盤振る舞い。これを観ないわけにはいかんだろう。
オールドファンの長年の思いにも応えた。「タクシー・ドライバー」と酷似した展開、そしてデ・ニーロはアーサーに「私が誰か知らないのか?」と問うた。まるで「俺がトラヴィスだ」とでも言わんばかりに……。
まあ、何だかんだ言って、私のようなアウトサイダーにとってアーサーはブルース・リーみたいなもんかも知れんな〜。彼の暴力に溜飲を下げつつも、明日は会社への足取りが一段と重くなりそうだ。
映画好きの人から評価が高い
評価は別れているが、音楽映像演技全てがよかった。
これはヒースと比較するべき作品じゃないと思う。全く別物でしょ?
アメコミのそういう部分をわかってない人にはきついかも。
タイトルなし
前評判がえらく高かったのからするとちょっと期待したとこまで届かなかった感じ。ジョーカーの狂気の演技は迫真だったけどストーリーは割とありがちというか…。
ジョーカーって本来楽しいイメージだったピエロに恐怖のイメージを追加したキャラの一人でヴィランとしてもやたら人気あるけど、そうまでなった理由はこの映画からはあまり感じられなかった。そもそも結局彼が今後犯罪を犯していく行動原理は何だったんだろう?特権階級への復讐?
この映画一番の山はウェイン父がジョーカーを指して「顔を隠さないと行動できない卑怯者」呼ばわりするところかな?と。それアンタの息子もだぞ(笑)
演技とはその役を生き内面の感情を(説明ではなく)自然に感じさせることだ
正直アメコミものは食わず嫌いだったが、サイドストーリー的な人間ドラマだったのと、『ボヘミアン・ラプソディ』に似た勢いを感じていて半分義務感に駆られながら鑑賞。
たしかに、肋骨や肩が浮き出るほど痩せこけ狂気に満ちたジョーカーに見事になりきったホアキン・フェニックスの演技は圧巻。
そして現代の匿名で罵り合う人間の醜さというテーマとメッセージには突き刺さるものがあった。「本当の悪は笑顔の中にある」外面はいい格好して腸は煮えくりかえっている殺伐とした世の中。「狂っているのは僕か?それとも世間か」
ただ個人的には期待を持ちすぎたせいか…そこまで話題になっているほどの感動は覚えなかった。役者の内面の感情表現にフォーカスを当てているためか、ストーリー自体は唸るものがなかった気がする。
しかし兎にも角にもアメコミもマンガのように、子どもだけが楽しむものでなく立派なエンターテインメントだと改めて感じさせられ、アベンジャーズ含めシリーズを観てみたくなった。
結局創ってるのも描いてるのも人間で、そこのすべてにドラマがあるわけだからね。
自分の感情の変遷を感じて驚く。
ヴィランのストーリーと分かっていても、どこか同情や共感してしまう部分があった。
しかし、ストーリーが進むにつれ染み出すように異常性が湧いてきて、ふとした時に共感したと思っていたことが全くズレていたことに気づいた。
そして、アーサーが解放された時の笑顔につられて自分の口元が歪むことを抑えられなかった。
かっこいいと思ってしまった。
これがカリスマだと思った。
ここまで魅せられるのか…
「たった1人」に焦点を当てた
映画は多々あれど、この
スポットの当て方は新しい。
従来のバットマンを想像すると
少し違った印象になり賛否両論だが
ジョーカーと言うモンスターが
なぜ生まれたのか…?と言う
解決に焦点を当てると、
これほどまでの見応えになるとは…
見終わった後に
爽快感は無いものの
妙な開放感と解放感があった。
ホアキンうまい!
喜劇と悲劇は表裏一体。それを体現したホアキン。悲しきjokerが世間の不満や怒りを体現する悪のヒーローに祭り上げられる様はまるで周りに踊らされるピエロそのもの。
個人的にホアキンのjokerはとっても好き!
救いのない悲しすぎる話。ジョーカーに同情を禁じえない話。社会的弱者...
救いのない悲しすぎる話。ジョーカーに同情を禁じえない話。社会的弱者が犯罪者になってしまう過程は現代社会のリアルでもあると思う。この作品を見てジョーカーに共感してしまうところは、R15指定も納得。
それにしてもホアキンフェニックスの演技圧巻。映像の迫力圧巻。
ガツンと来ます。衝撃でした。
上映後、しばらくは動けませんでした。
エンドロールが流れている間、ずっーと呆然としていた気がします。
内容も表現も妥協せずに、キチンと描いていて、日本映画では無理だと感じました。
-0.5は、主人公に救いが無かったから。(もしかしてあの場所が‥?)
根柢に「新聞記者」の匂いも感じました。
日本は大丈夫かな、不安でいっぱいです。
それにしても終了後、スマホを確認してスクッと立ち上がり、スタスタと暗い中を出て行く人の多い事には驚きです。
不愉快すぎる
映画を観てこれほどまで不愉快になったことはない。
ダークナイトで描かれているように、ジョーカーは日常や過去が分からないからこそ恐怖を感じる存在であって、それがバットマンの宿敵たる所以なのに、こんなくだらない生い立ちを勝手に作って、イメージを地に落とした監督は、映画会から追放してもらいたい。
ヒース レジャーが可哀想。
過去の名作に影響された、どっかで観たことあると分かりすぎる演出やシーンも終始鼻につく。
これを面白いと言っている観る目の無い輩が多いことは、実に嘆かわしい。
暗い
日本映画か?と思うぐらい暗くてしみったれたお話
でも役者さんの眼力(顔力?)で持っていったなと
よくできてるとは思うけど、日本のアニメや漫画で散々やってきたテーマ性だと思うので既視感がある
でも演出はすごいなぁとやっぱ感心します
精神的な死と肉体的な死
弱者(ジョーカー)が、自身に精神的な死を与えた者に対して、肉体的な死を与える。弱者を精神的な死に追いやることは黙認される(問題にすらならない)が、弱者が肉体的な死を与えた(殺人)場合は悪とされる。善悪を主観で決めているとのセリフがあったことから、肉体的な死と精神的な死は本来イコールのものであり、権力者が弱者に与える精神的な死は、殺人同様に残虐性を伴うものであると、この映画は主張していると思う。
決して、残虐性を正当化する映画ではなく、弱者の立場から残虐性を描く事で、権力者達(資本主義社会で富を得た者達)に対して、自らの残虐性を認識させようとしているのではと推察される。
また、地下鉄での殺人は、ピエロの仕事を終えて自宅に帰る途中(素に戻る途上)での出来事、仕事仲間を殺した時はピエロになる途上、母親を殺した時は完全に素の状態、テレビ司会者を殺した時は完全なピエロの状態。つまり、残虐性は完全に仮面を被らずとも、いかなる精神状態においても解放されてしまうということであろう。
ジョーカーに優しく接した小人症の仕事仲間を殺さなかったことからも、違う立場の人間同士が相互理解することで、人間の残虐性を抑制できると言いたかったのだと思う。
終始ドキドキ
グロさはありますが、前評判で聞いていた過激なサイコパス感はさはど感じませんでした。
緊迫したシーンに流れるBGMが更なる不協を煽り、終始ドキドキさせられる作品でした。ラストシーンからも一貫した作品のまとまりが感じられ、とても印象深い作品となりました。
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