ジョーカーのレビュー・感想・評価
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元よりヒース・レジャーのジョーカーに心酔してるわけではないので、ホ...
世界の理不尽を笑い飛ばす
なにごとでも、初めての体験は勇気が要る。ましてや人を殺すとなると、自殺するのと同じくらいの蛮勇が必要になるだろう。しかしひとたびそれを乗り切れば、あとは仕事をこなすみたいに人を殺せるようになるらしい。この夏に観た映画「日本鬼子(ri ben gui zi)」の中で、中国戦線から帰還した旧日本兵がそのように語っていた。
本作品の主人公アーサーも、その辺にいる気の弱い中年男に過ぎなかったのが、ある出来事を機に悪に対するブレーキを壊して次第に暴力的になり、平気で悪事を行なう人間に変貌していく。
最初の行動には確かに蛮勇が必要だった。しかしそれは勇気を獲得したのとは違う。むしろ喪失だ。他人の痛みに対する想像力の喪失。それは自分自身の痛みに対する想像力の喪失でもある。
人は他人を殴ること、他人を殺すことに忌避を覚える。同じ共同体に属する人間を殺すことは共同体から罰を受ける行為だからだ。共同体にとって殺人が数多く発生するとは共同体存続を危うくするから、どんな共同体も殺人を厳重に禁止する。しかし共同体に属する誰もが共同体の存続を望んでいる訳ではない。中には共同体のルールなど糞食らえと自分の都合だけ優先して他人を顧みない人間もいる。そういった人間は得てして暴力的であり、そして周囲の人間を暴力に巻き込んでいく。
物語の中でアーサーは三度、暴力の被害者となる。加害者は街の悪ガキであり、エリートサラリーマンであり、街の有力者である。実は彼らこそ共同体のルールの枠外にいる人間たちであり、アーサーを暴力的な人間にした元凶なのだ。そしてアーサーもまた、彼らと同様に暴力の連鎖の源泉となる。
本作品はアーサーの物語を通じて人間の愚かさを冷徹な視点で描き出す。観ていて大変に不愉快な物語だが、その不愉快さこそ本作品が人間の真実を表現している端的な証拠でもある。
トッド・フィリップス監督は「ハングオーバー」シリーズでは理屈から外れた人間の馬鹿馬鹿しい行動をこれでもかとばかりの沢山のシーンで笑わせてくれたが、本作品では同じ愚かさでも暴力の拠って来たるシーンをいくつも観せ、人間がどれほど合理性に欠けた理不尽な存在であるかという彼独自の世界観を存分に表現したと思う。
ホアキン・フェニックスは作品の世界観を忠実に表現するために主人公の極端な人格をその行動と表情で演じる。大変な演技だったと想像される。一方、ロバート・デ・ニーロは常識人の役で、ヒューマニズムや合理性が暴力や理不尽に対して如何に無力であるかを示すと同時に、商業主義が齎した格差が社会に蔓延させた根強い不満の標的みたいな役を演じることでアーサーの行動の動機を裏づける役割も担った。
気の弱い普通の男が度重なる不幸によって怒りの塊になる、という単純な話ではないと思う。世の中の不条理が結晶したのが主人公アーサーの存在であり、その哄笑は世界の理不尽と人類の愚かさを高みから笑い飛ばしているかのようである。
バットマンを前提とせずにジョーカーを鑑賞
まず画面の空気感や質感はかなりイイと思います。バットマン・ダークナイトを無視してジョーカー観ました。ジョーカーはチンドン屋もしくはサンドイッチマンの叔父さんとなっており、彼は精神病をわずらい発達障害的でもあり、ジョーカーの実体や本質がつかみにくい話の流れです。ジョーカーが暮らす1970年代の都市環境が彼の精神に決定的にダメージを及ぼすほど劣悪ではありません。ごく一般的な格差のある資本主義社会です。彼自身が問題を抱え、彼自身が犯罪を犯すため、彼の思考や行動に鑑賞者は共感や反感が生まれることはありません。また彼以外の市民の貧しさを知ることができません。そんな生活環境から主人公がヘンテコになりジョーカーに成って行く事に、違和感さえ感じました。しかし物語を無視すれば映画として視覚的に楽しめました。しかしバックミュージックにより現実に引き戻されるので、耳栓をするか、ワケわからない音楽を聴きながら見ると、適当に物語を作り上げ、楽しめるように思いました。
素晴らしい!
エネルギーがある映画
とは言えジョーカーは殺人鬼
バットマンシリーズは何ひとつ観ていないけれど、充分楽しめた。観てから行けばもっと良かったんでしょうね。
アーサーの痩せ細って丸めた背中を見ると惨めさが伝わってくるし、生い立ちを考えても卑屈になってしまうのは分かるような気もするけれど、だからといって人を殺していい訳がない。やはり悪人。
なんとなく薄気味悪いのに、ピエロのメイクをしてスーツを着て階段で踊るシーンや、駅のホームで警官が襲われてるのを尻目に悠々と歩いていく(踊ってたっけ?)シーン、口の中の血で唇描いて笑うシーンはカッコいい〜なんて、不覚にも思ってしまった。映画として魅せ方、観せ方が上手い。
アメコミ関連はあまり観ないジャンルだけど、ダークナイト等今度観てみようと思う。
2020/08/23
ティム・バートン監督の2作品、ノーラン監督の3作品を観た後の再鑑賞。ジョーカーのみでも面白かったが、一連の流れを知った上で観るとまたさらに面白い。ダークナイトの徹底的な悪のみのジョーカーと、今回の悲哀を帯びて悪と化していくジョーカー。どちらも凄い。既に高評価を得て完結しているバットマンシリーズを、全く違う映画でこれだけの映画を作ってしまう、凄いです。改めてフォアキン・フェニックスも凄いです❗️
やはり観なければよかった
映画の中に取り込まれる
社会の闇が生んだピエロ
ジョーカー誕生のお話。
ジョーカー視点で進んでいく。
社会から排除されている人たちが、なんとか生きていくけど、それでも無視されて、
どうしようもなくなっていて
そんな人たちの心の中にある
これだけは絶対に自分の中で絶対的な物が、
全くのウソであったと知った時
ほんとはただ"ハッピー"をシェアしたかっただけのコーラに、どうなるかもしらずに大量のメントスを色んな人が一気にぶち込んだみたいに、
ふつふつとしていたものが
一気にふきあがって、周りにぶちまけまくった感じ。
ダークナイトでは、自分がジョーカーだったらと
ジョーカーの立場に重ねて観ることはないけれど、
この映画では、ジョーカーの立場で観ることが出来て、
ジョーカー生い立ちのお話なので、
いい流れにはなっていかないことは分かっていたけど
次々に追い討ちをかけられ、
辛いよなーと心に響いてくる。
ピースレジャーのジョーカーはとても賢くもあって
この作品のホアキンのジョーカーは生まれたてという感じで、
頭脳戦、心理戦のようなところはないけど
人間味がまだあった。
ガリガリに仕上げているホアキンと、
枯れ上がるまでの笑い声
スーツ姿でのラストは痺れた。
オススメの映画。
あまりいないかもしれませんがバッドマンシリーズ未鑑賞の方は
ビギンズ、ダークナイトを事前に観ておくことをおすすめします。
ブルースとのやり取りなども楽しめます。
ジョーカー、とんだサイコパス野郎じゃね
ジョーカーってやっぱり「どこまで行っても愉快犯のサイコパス」なのかもしれないですね。
僕は映画『ジョーカー』を2回観たんですけど、最初観終わった直後はわりと額面通りにというか、「心に病がある貧しくも心優しい青年が残酷な運命に翻弄され悪の道に……」という映画とみて、今までの「どこまで行っても愉快犯」「まじでヤベーサイコパス野郎」のジョーカーじゃないやん!ある意味真逆やん!と思ったものの、それはそれで、そういう映画としてはけっこうよくできているなと感じたんですよね。
僕は個人的には「バットマンに追い詰められたギャングが工場の漂白剤のタンクに落ちて、白い肌、緑髪に笑い顔の怪人に……」という『ジョーカー誕生秘話』が好きだったんですが、11年前の『ダークナイト』ですらもうそんな設定じゃなかったですしね。現代のバットマンの「リアル志向路線ブーム」では厳しいのかもしれない。
(あれ?でも『スーサイド・スクワッド』ん時、ジョーカー、漂白剤タンクに落ちてなかったっけ……?)
「いわゆるアメコミ映画」みたいな、「宇宙怪獣がやってきた〜!ボカーン!」みたいな方向の表面上の起伏はないんだけど、冒頭から何も悪いことしてないピエロがヤンキーにボコボコにされてるとこ見せられたら、まぁ、人間のこころを持ってる人なら「かわいそう」と思って感情移入します(もしくは「この物語はこのピエロに感情移入して読み進めるべきモノだ」と理解してしまう)。
そういう精神的な引っぱりや突き放しによる物語の盛り上げ方がうまいなっ!っていう……。
で、ヘンな疑りを持たなければそのままの気持ちで最後まで観られてしまう。
自分はやらないけど、もし心を病んでる人がこういう状態に陥ったらこういうことをしでかしてしまうのかも……、と解った気持ちにさせられてしまう。
最近たまにある通り魔事件とか、京アニの事件とかもまったく許せるものではないし、ニュースで聞いたときには「理解できない」って思ったけど、もし自分が大事なものを大企業や社会的に大きな存在に壊されたりパクられたりした(と信じ込んでしまった)ら、こういう暴挙に出るしかない!という精神になってしまうのかな……、と思ってしまいます。(「だったら許されるのか」というのはまた別問題だと思うけど。)
で、そういう風に見ると映画を観たあと、「オレたちの星だ!」みたいな感じでジョーカーに憧れてしまう人や彼がヒーローに見えてしまう人がいるのも納得できる。僕も映画館から出てくる時には混乱する電車を後にするジョーカーみたいなステップになってしまったし。
けど、その見方だとどうしても引っかかる部分がいろいろあるんですよね。
25年くらい前、小学生の頃みたドキュメンタリー番組で鮭がクマに襲われるシーンをみた司会のビートたけしさんが「今回はテーマが鮭だからクマが悪者になるけど、クマがテーマの回だったら微笑ましいシーンだよな」って脈絡なく突然言ってドキッとなったのを思い出しました。
小学生のときは「えっ、せっかく鮭気分で楽しく観てるのに、なんでたけしさんそんな冷や水ぶっかけるようなこと言うん……?」って思ったんだけど、この映画に関しては「ジョーカー気分」で観てていいんかな……、みたいな。
映画みて興奮して、ジョーカー気分になったり、それでジョーカーのコスプレしてハロウィンに参加しちゃったり、みたいなのって劇中でチャップリンの『モダン・タイムス』をみて笑ってるトーマス・ウェイン(バットマンの父)や、アーサー(のちのジョーカー)の漫談を笑いものにしてたマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)がやってたこととおなじじゃないのかな……、みたいな。
そしてやっぱり1番は「バットマン関連モノ」として見ると、ちょっと成立しなくなっちゃうような気がするんですよね。
『シン・ゴジラ』を観たときに、「大昔の恐竜が水爆実験の影響で怪獣に……」という、今まで決して捨ててはいけなかった設定を捨てたことで、むしろ「ゴジラ」という存在の本質を描くことに成功してるように感じたのに対して、『ジョーカー』は一本の映画としてはすごくおもしろいんだけど「これがあのジョーカーの誕生秘話です」と言われてしまうと、大金持ちだけど強く優しいお父さんを目の前で殺されたことで誕生したバットマンという存在やバットマンが活躍するゴッサム・シティという街、執事のアルフレッドなど、いろんなものの存在が揺らいでしまうような気がする。
なにより、「どんな時でも明るく楽しい(だからこそ狂っていて怖ろしい)バットマンの最大のライバル」というジョーカーの立ち位置が大きくブレてしまう気がする。
単純に、後にライバル関係になるにしてはアーサーとブルース・ウェイン(バットマン)の年齢が離れすぎてる、とかもあるし、バットマンと異母兄弟(と、劇中で明言はされてはいないものの、映画の中の対立の構造や文脈的にやはりトーマスの子であると見るのが妥当だと思う。)という設定とか、アーサーの妄想や思い込み分を差っ引いたとしても、これが通ってしまうと今までの『バットマンシリーズ』の根底や本質がひっくり返ってしまう気がする……。
で、そんなモヤモヤを抱えたまま2回目を観に行ったら、かなり序盤から引っかかる部分がいっぱいあって、具体的には
・妄想のはずのシングルマザーとのデートから帰ってきたアーサーに、母が「香水のいい香りがする」という
・アーサーが証券マンを撃つとき、リボルバーなのに6発とか8発以上の弾を撃ってる(っぽい?)
・出てくる時計がどれも11時11分(っぽい?見間違いかも。)
・髪を緑に染めてるとき背中にあったアザ(やけど跡?怪我の跡?)がなくなってる(っぽい)
・訪ねてきたピエロ仲間を殺したアーサーに「今夜マレー・フランクリン・ショーに出るんだ」と言われた小人症のゲイリーが「信じられない」と言うのが、「ショーに出ること」に対してなのか「目の前で起きた殺人」に対してなのかあいまい
・そもそもマレー・フランクリン・ショーで自分の漫談が放送されてるのをアーサーが見るのが母が治療中の病院で、番組から出演依頼が来るのが冷蔵庫に入った後。どちらも妄想の中にいる時っぽい感じなので「マレー・フランクリン・ショー出演関連」のシーンはすべて妄想(もしくはウソ)の可能性もある(かも?)
・最後の精神鑑定のシーンは最初のカウンセリングの時に「あなたなぜ入院させられたかわかってる?(だったかな……)」と問われた直後に一瞬挿入される精神病院でアーサーがドアを頭突きする映像と繋がってる(かもしれない)?
……といった部分で、「うわー、コイツの話、全部、全部、最初にヤンキーにボコられてるところからしてすべて!ウソっぱちだったんかもしれん!」と感じたのです。
これは最初に観たときにもちょっと不自然に感じたんだけど、パパウェインに殴られてアーサーが冷蔵庫に入ったあと、カメラが動くんですよね。三脚に固定して撮ればいいのに。
というか、あの部屋にはアーサーしかいないはずで、本来なら観てる自分の存在を観客が意識してしまうような「手持ちのカメラが動く」という演出は不要なはずなのに、カメラが動く。
そしてその画が異様なほど唐突にバツンと切れて、マレー・フランクリン・ショーからの出演オファーの電話を受けるシーンにつながる。
……やっぱりこれはウソなんじゃないか?と感じるんですよね。
そうなるとすべてがウソっぽいし、単純にジョーカーがパトカーの上で踊るシーンからちょくにつながるとも(時系列の不確かさからも)思えないけど、後にバットマンに捕まってなのか、そもそもバットマンすらいない世界で警察に捕まってなのか、精神病院に収容されて取り調べなのか精神鑑定なのかを受けているジョーカーがでっち上げて語ってるウソっぱちの話なのでは……、
と、考えると、映画『ジョーカー』で「描かないことで描いているジョーカー像」は、やっぱり観客すら担いで楽しむ「どこまで行っても愉快犯のサイコパス」なのかな、と思ったのです。
……もしそうだとしたら、こんなに「ジョーカーらしい映画」も無いのかもしれませんね。
ホアキン・フェニックスの集大成にして傑作
もう5週目ですか。満を持してIMAXで観賞。
まわりから気味悪がられ、年老いた母の面倒をみながら孤独に生きるアーサー。壊れかけていた心を世間の悪意が完全に砕いてしまった。
彼の爆発、シングルマザーの娼婦への妄想、それらすべてが府に落ちた。唯一苦言を呈するなら、ゴッサムシティの大衆のアーサーに同調した暴走の描写の薄っぺらさだろうか。それも意図したものかも知れんが。
アーサーがジョーカーとなった過程を知るだけでも十分だと思うが、アーサーの母とウェイン家との関係、アーサーの出生の秘密、そしてジョーカーとバットマンの深い関係までも明らかにしてしまう大盤振る舞い。これを観ないわけにはいかんだろう。
オールドファンの長年の思いにも応えた。「タクシー・ドライバー」と酷似した展開、そしてデ・ニーロはアーサーに「私が誰か知らないのか?」と問うた。まるで「俺がトラヴィスだ」とでも言わんばかりに……。
まあ、何だかんだ言って、私のようなアウトサイダーにとってアーサーはブルース・リーみたいなもんかも知れんな〜。彼の暴力に溜飲を下げつつも、明日は会社への足取りが一段と重くなりそうだ。
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