ジョーカーのレビュー・感想・評価
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弱者はどう生きる?
ジョーカーを見始めた。バットマンのジョーカーが誰かよくしらない。これはハリウッドの有名な作品で、私の大好きな社会正義を描いているからと聞いたので気軽に見始めたら、もうつまらなくて我慢ができない。今、半分まで見たけど、これからの頃を観るばきかどうか思案中。本当につまらなく、気持ちが入っていかない。これは、途中までみて書いている。
確かに、アーサー(ジョーカー)が福祉施設で、カウンセラーと話すシーンは圧巻だ。ジョーカーに、カウンセラーが否定的な思考があるか聞くが、ジョーカーは何も聞いてくれないと彼女にいう。彼女が聞く姿勢を持っていなく事務的なのは感情移入が恐ろしいのかもしれないし、カウンセラーとして未熟なのかもしれない。と思っていたら、この事務所が閉まり彼女も仕事を失うことがわかる。
アーサー(ジョーカー)が自分の生きてい間に、自分が存在しているという自己に意識がないと。
その後、地下鉄で殺人をすることにより、『人々に注目されてきた』と気分がよくなってきている。悪事を働くことでも、人から注目された方がいいらしい。現代社会でこういう類の犯罪が増えているが、自分が虫けら以下の存在で誰も相手にしてくれないことを十分味わってるんだろう。コロナ禍のなかで、人々との関係が希薄化するなかで、精神的に不安定な人や自分がどこでも認められないという悩みをもつ人がもっと増加しているだろう。
きっと自分にポジティブになれないし、社会の悪いことばかり気になり、社会のためにちっぽけなことでもなにかすることはできないんだろう。それに、ましてや、社会が混乱して、悪事を働いた物を祭り上げる社会で、カオスだから。
アーサーの場合、精神病を抱えているから、こういう社会で生きていくのは何よりも大変だろうが。母の偽手紙のあとで、益々自暴自棄になったり、自分勝手な暴力行為に出て、自分中心に物事を考え、私からの観察だと、自分を正当化して悲劇の主人公になっているように思える。
正直言って、いつでもいいから、アーサーの話を聞いてあげられる人、そして、彼が精神的な繋がりがどこかで持ってたら、数多くの殺人を犯さなかったかもしれないし、かれの生き方もよく変わっていたかもしれない。
最後までやっと観たが、監督の主旨が読み取れないが、米国社会の多種多様な問題が、人間関係の希薄、犯罪、虐待、精神障害の人々の立ち位置、権力の横暴、テレビ局の質の低下、医療福祉の崩壊、群衆心理などが、ぐちゃぐちゃに出てきている。アーサーにまったく同情するわけではないが、弱者がもっとも生きにくい世の中になり、それが、犯罪につながっていってしまっている。この状態が精神的に課題を抱えているアーサーにとって拍車がかかってきてしまっている。
コロナ禍のなか、私たち一人一人が大切されたいし、大切にしたい。
視点は良いけどさあ
蛇足
昨年劇場で鑑賞、昨日改めてwowowで視聴しました。
二度とも、映画自体の出来は大変良いと感じました。隙のない作りこみの施された労作であることは間違いないと思います。
しかし点数を低くつけざるを得ないのは、この映画の構想そのものが蛇足に思えるから。
傑作『ダークナイト』でのジョーカーの破格の存在感は、彼が決して凡人には共感も理解もできないところから生まれ、想像もできないような異質な内面世界を生きているという、圧倒的な断絶を見せつけるところから生まれていたと思う。ジョーカーの持つ破壊衝動や憎しみを、我々凡人は「動機」などというこの社会の言葉で理解したり表現したりすることは決してできない。その完全な異質さこそが、彼の恐ろしさでもあったはず。
けれども、この映画はそもそもジョーカーを我々の理解できる存在として描こうとしてしまった。いわく、社会不適合者ではあるけれど根は善人である彼が、自分ではどうすることもできない不遇の連続の中で、社会に対する敵意をふくらませていったのです、彼が今の彼のようになったことは、我々にも十分共感できることです、何なら私達一人一人だってその責任の一端を負っているのじゃありませんか、と。そういう説明じみた背景譚が、果たしてこの一連のシリーズの中で果たして描かれる必要があったのだろうか、疑問しか感じない。
彼がジョーカーへと変貌する過程のエピソード自体が虚構をはらんだメタレベルのフィクションだという理解もあるようだが、そんなことはどうでもいい。たとえそうだとしても、この映画はそもそもの成り立ちからして、ジョーカーを庶民の手の届く・共感できる存在に貶めてしまうものだったのだから。
1年後のBLM問題を予知していたかのような作品
2019年公開ではあるが、1年後のBLM問題を予知していたかのような作品。不幸な境遇に生まれ、目に見えない障害を持ち、社会に虐げられながら底辺で生きる市民が法を犯した時、人はそれを裁けるのか?社会としての正義と個人の尊厳の間の残酷な描写が続く。Do the Right thingに通じる「俺たちは虐げられてきた、だから報復をしても構わない」という理論を正当化するような内容にも通じるものがあったが、あちらがジャッジを視聴者に委ねたのに対し、こちらは弱者に寄り添い権力(と資本家)を憎む視点に徹していたと思う。それにしても映像表現とシナリオの巧みさで完全にストーリーに飲み込まれた。もう誰もジョーカーを憎むことはできないだろう。それまでは完全に悪役として描かれてきた彼にこの背景があったと知ったら、今までのバットマンの見方が完全に変わってしまう。それが良くもあり悪くもありなのだろうが。
狂気
ジョークを言う人
昨年劇場で観て、改めてWOWOWにて。
この映画自体が「タチの悪いジョーク」。
時計の時間や利き手など、現実なのか妄想なのか分からず、全て信じることができない。
音楽も劇中で鑑賞されている作品も、演出として巧みで「映画」という手段を最大限に使って表現していると思う。
一方通行的なストーリーでなく、感想や意味付けは観る者に委ねる映画はやっぱり楽しい。
この映画を鑑賞後に思うことは、「悪のカリスマ誕生物語」と期待してはいけないのだなということ。悪行をしようと思っていたのではなく、積み重なりが結果として悪に走らせてしまった。そもそも「悪」も主観なので善悪の判断基準自体も曖昧ではないか。
「悪のカリスマ」ジョーカーを期待して、この作品のジョーカーがイメージと違うと言う人もいるだろうが、それも含めてこの作品はなおさら人それぞれでいいんだと思う。
明るい気持ちには決してなれないが、年に一度は観て新たな発見をしていきたい。
人間の狂気とは
多様とは何か?
金持ちへの羨望を洗うカタルシス
目を背けてんじゃねぇよ
空虚?
妄想?
精神障害者の夢オチ?
動機は正当でも殺人は看過できない?まぁそれはそうかもな。
でも殺人って肉体的に殺すことだけか?本当に?
良識ぶったカスどもが偉そうに物申してるが、まぁ精々そうやって現実から目を逸らしてろよ。これは正義とか悪とかではなくて虐げられた1人の男の話だ。
一つ言っておくと、ジョーカーはどこにでもいるし、もうすぐそこまで来てる。
何がきっかけで始まるか分からない。でも始まったら今まであった何もかもが全部ぶっ壊れる。アメリカの暴動なんて目じゃねーよ。
だから今のうちに裁判官としてではなく、こういう人間もいるのだという目で受け止めたらどうだ?偉そうに講釈たれてねーで身近で苦しんでる奴がいたら陰口じゃなくて声の一つくらいかけたらどうだ?
まぁ全部ジョークだけど。笑えるだろ?
怒りが正当だからと言って、人殺しまで正当化されるのか?
緊張感の妙
他のレビューでも見られるように、ほぼ全ての要素において完成度は高いと思います。アメコミ好きはもちろん、ノーラン版ダークナイトが好きな方、それらを見てない方や、スコセッシが好きな方、どなたも楽しめる作品でしょう。それぞれの観点から、評価できる点は違うのだろうと感じましたが、話題になったのも納得の出来でした。
私は今回、特にアメリカで規制が行われる程の熱狂を生んだ理由の一つに緊張感の妙があると思いました。アーサーの笑いにはシーンごとに様々な解釈が生まれますが、笑いで緊張感を出すという矛盾のある演出が完成されているが故に、一種の洗脳感、没入感を鑑賞者に与えているのではないでしょうか。
一見、彼の持つ憎しみや生い立ちはシンプルな悲劇です。しかし、彼はそれを喜劇だと踊る。ここにも矛盾がありますが、完成された演出や演技に、私も混乱にも似た正当性を感じました。
彼が、時折感情を露わにする描写で人間味を感じましたが、私もその瞬間に洗脳にも似た没入感から、抜ける感じがしました。
気になるのは、やはりノーラン版のダークナイトのイメージが残る上での鑑賞なので、どうしても、元々の箔がぬぐいきれない評価になっているところでしょうか。まったく別物の作品として鑑賞すると、また新しい発見があるかもしれません。
幻想は幻想でしかない
チュートリアルの徳井さんが、復帰後はじめての地元での舞台で、「トイレ不倫しまして」というボケで笑いを誘ったそうだ。自分が犯してしまった現実に目を背け、笑いを取るという仕事。それがお笑い芸人、それがコメディアン 。自分は不祥事を笑いに変えるのはあまり乗り切れない。いわゆるブラックコメディーと呼ばれるような笑いの取り方も苦手である。その思想の本質に、ジョーカーを見た感想があるんだろうと思った。
キツい言い方をすれば、不幸なまま居続ければ、ジョーカーはジョーカー足らしめなかっただろう。母親に心底愛されているという幻想を抱いてしまったから、コメディアンとしての才能を憧れの人に気付いて貰ったという幻想を抱いてしまったから、内なる狂気に気付いてしまったんだろうなと思った。
アーサーが不幸なまま居続けてくれとは思わない。その思想はこの映画でいう上流階級の人間と同じ。ちょっと「上流/下級」の二極化が極端すぎるので、現実離れしてるように見えてしまったが、"フィクション"だとはっきりさせないと、現実にジョーカーになったと勘違いして暴徒化する人間も出てくるんだろうから、ギリギリのバランスにしたんだろうと思う。
「僕の人生は喜劇だ。」と言いながら、母親を息絶えるまで写さない演出が特に秀逸だった。
アーサーはジョーカーになれてある意味幸せだったのかもしれない。だとしたら、アーサーになれない現実社会に生きている人はどうすれば良いのか? 余韻が残る作品だった。
心から笑える日
生まれ、育ち、持病、社会、すべてが噛み合わなかった男が、すべてから解放されるに至るまでの道のり。
人の理解から最も離れたヴィランであるジョーカー。理解不能だからこそ恐怖の象徴なんだけど、そのジョーカーの根本に迫った作品。良い意味でも悪い意味でも根源。今後ジョーカーの姿を観るたびにこの作品の姿を思い出してしまうであろう位に衝撃が強かった。
見方が変わっちゃうよね。
誰が観たってホアキンフェニックスの怪演が恐ろしい。容疑者ホアキンフェニックスでも、全く真意が見えない姿はホント気持ち悪いくらいだったけど、今回はその上を行きますね。
とにかく、暗い、辛いをため込んで、終盤心から笑える姿は思いっきり晴れやかな気持ちになる。
やっぱり自分を偽り続けてはいけないんだな。
身震いする凄さ
ここ数年の最高峰かもしれない
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