ジョーカーのレビュー・感想・評価
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決してジョークで終わらせていけないジョーク
全ての発端は銃だ。
銃がなければ彼の人生はいつも通りだったかもしれない。
誰か彼に手を差し伸べていたら人生はいい方向に行っていたかもしれない。
ジョーカーは今の社会では必ず現れる存在だ。
ただそれがたまたま今回はアーサーだっただけ。
壮大なジョークという「笑えないオチ」だがこのジョークをジョークで終わらせてはいけない。
ホアキン・フェニックスの集大成にして傑作
もう5週目ですか。満を持してIMAXで観賞。
まわりから気味悪がられ、年老いた母の面倒をみながら孤独に生きるアーサー。壊れかけていた心を世間の悪意が完全に砕いてしまった。
彼の爆発、シングルマザーの娼婦への妄想、それらすべてが府に落ちた。唯一苦言を呈するなら、ゴッサムシティの大衆のアーサーに同調した暴走の描写の薄っぺらさだろうか。それも意図したものかも知れんが。
アーサーがジョーカーとなった過程を知るだけでも十分だと思うが、アーサーの母とウェイン家との関係、アーサーの出生の秘密、そしてジョーカーとバットマンの深い関係までも明らかにしてしまう大盤振る舞い。これを観ないわけにはいかんだろう。
オールドファンの長年の思いにも応えた。「タクシー・ドライバー」と酷似した展開、そしてデ・ニーロはアーサーに「私が誰か知らないのか?」と問うた。まるで「俺がトラヴィスだ」とでも言わんばかりに……。
まあ、何だかんだ言って、私のようなアウトサイダーにとってアーサーはブルース・リーみたいなもんかも知れんな〜。彼の暴力に溜飲を下げつつも、明日は会社への足取りが一段と重くなりそうだ。
大スクリーンで観る必要はなかったかなぁ
一生に逢えるか逢えないかの名作
昨今、莫大な製作費やギャラが話題、
有名俳優起用の割には、
ストーリーが雑だったりで、
アメリカ映画にヘキヘキし、
しばらく遠ざかっていました。
が、いやいやしかし、この作品で
改めてアメリカ映画の底力を
まざまざと知らされました。
大好きなホワキン・フェニックスの
怪演に近い演技力。
ジョーカー誕生、というより
正気を失くすことは誰にでも起こりうる事
であり、誰でもピエロの仮面を
被りながら生きているのかもしれない。
決して別世界の話ではなく、
私たちの生き方さえ問われて
いるような感覚を覚えました。
純粋無垢なアーサーだから、
器用にその仮面を取り外しながらの
生き方は出来なかったと…
悲しく、理不尽で、切な過ぎる
作品です。でもその中から
人にとって大切な愛とは?
と問われ、そしてそれは
何であるかを教えてくれる、
優しい映画でも
あったと思います。
ストーリー、
キャスティング、セット、
音楽、全て完璧で一生に
逢えるか逢えないかの
名作だと思います。
ホワキン・フェニックスさんに
とにかく乾杯🍻素晴らしい〜👏
平凡な映画
ウェブ記事の軒並み大絶賛に影響されて見に行った。
結果、平凡な映画という印象。どこで心を動かされたら良かったのか、わからなかった。
主人公が、失望により、悪に手を染めていくのは共感できず。何と言っても、悪の大スター、ジョーカー様である。後世にあれほどの壮大な悪事を為した人物だ。人間や社会への失望が悪の契機だったのはわかるとしても、それだけか?ジョーカーならば、悪の禍々しい世界に入り込み、自らを構築し、とてつもない強さを放つ姿を見せてほしかった。
ホアキンの弱々しい涙目の泣き笑いでは悪の大物になれるとは全く思えなかった。まもなく潰れる小物でしかない。この映画は単純すぎる。人の、悪への嗜好や資質が描かれていない。
この映画のジョーカーは人格が常人とあまり変わらない。唯一優してくれた友人を殺さずに見逃した彼はマトモである。
描かれてる世界は、今の日本も似たようなものだ。しかし、日本ではどんなに深く怒りや不満が堆積しても、社会の暴動は起きないので、より深く病んでいると言えるだろう。
興奮がない映画。日常にいそうな隣人の破綻をのぞき見て、ああメンタル病んだ人に銃を持たせたら危ないなーくらいの感想しか受けることができなかった。
悲愴感
バットマンの宿敵の哀しき誕生譚
試写会のTwitterなどでの事前評価が高かったので、かなりの期待をして、滋賀県草津市のイオンシネマ草津に公開初日に鑑賞に出向きましたが、その予想をも遙かに超えた凄い作品でした。
アメコミヒーロー・バットマンの宿敵として有名なジョーカーの誕生譚として、一体どの様に生まれたのかを、原作コミックにはない独自の視点と解釈で描いた作品ですが、一切のエンタメ的な虚飾を排除した容赦ない描写で綴っていました。
これまでアメコミの悪役(ヴィラン)の誕生秘話を描いた作品も多くありますが、そういった作品とは全く異質な衝撃作と言って良いでしょうし、今年、いや2010年代を代表する映画のひとつと言って過言ではない傑作でした。
バットマンの単なるスピンオフ映画を超えた独立した作品としても、結実していました。
映画は大道芸人のアーサー(ホアキン・フェニックス)の辛い日々を積み重ねていきます。
アーサーは、バットマンの舞台でお馴染みのゴッサム・シティで年老いた母親と暮らす、孤独で心優しい青年でした。彼は「笑顔で他人を和ませなさい」という母の言葉に従って、ピエロとして生計を支え、コメディアンを目指して必死に生きてきた。
しかし、街では少年達にからかわれ暴行を受け、職場では上司にさげすまされ、帰宅すると精神を病んだ母親が待っている。同じアパートの住人の女性とのささやかな交流はあるものの、アーサーの心は社会から孤立し、次第に悪に染まっていくのでした。
時代は1981年に舞台設定されてはいますが、そこで社会問題になっている格差社会による貧富の差は、むしろ現代社会を色濃く反映しているようでもありました。
アーサーは、のちにバットマンとなるブルース・ウェイン少年の父トーマス・ウェインが経営する大企業のエリート証券マン達を思わず射殺してしまうのですが、そんなアーサーを、社会に不満を持つ分子達がピエロ姿の男を勝手にヒーローとして祭り上げるのでした。
反体制・暴力的な作風が、60~70年代のアメリカン・ニューシネマっぽい作品を彷彿させる中、その象徴的な作品のひとつ『タクシードライバー』(1976年)で狂気の主人公トラヴィス役を演じた、ロバート・デ・ニーロも本作品に重要な役どころで出演しており、心の病に罹っているところなど、ところどころにアーサーが『タクシードライバー』の主人公トラヴィスとも重なって映っていました。
次第にどこからがアーサーの妄想なのか分からなくなる脚本も心憎く、映像も、劇伴もクリームやフランク・シナトラの楽曲を使用するなど気の利いた作りとなっていて、とても素晴らしかったです。
しかしながら、この作品の最大の見どころは、ホアキン・フェニックスの怪演の一語に尽きますね。
かなりの減量をしたであろう肉体改造にも驚かされましたが、怒りと悲しみが同居した、泣きながら笑っているような病的な表情、笑い声に心が奪われてしまいました。
アーサーが解き放たれた後の、大階段を下る恍惚のダンスシーンが忘れ難いですね。
『ダークナイト』(2008年)と、故ヒース・レジャーが、史上最高のバットマン映画とジョーカーだという人も多いとは思いますが、私にとっても、故ヒース・レジャーのジョーカーは永遠の存在ですが、本作品のホアキン・フェニックスはその彼とはまた違ったジョーカー像を呈示してくれて、その怪演ぶりは余裕で肩を並べられるほどだと実感しました。
殺人犯アーサーへの同情心や共感をいざない、凶悪なジョーカーになるのも無理は無いと思わせる点で、その悪影響を懸念し危惧する声もあるそうですが、この映画がこの時代に作られたその意味でしょうね。
心優しき道化師を悪の化身にしたものは何なのか?
今のこの世も、誰もがジョーカーになり得るのである。
特に、心の病に罹った事のある私のような者や、格差社会における貧富の差に苦しんでいる者から観れば、かなり本作『ジョーカー』の主人公アーサーに同情的になってしまう部分も大きいとも感じられました。
かといって、主人公アーサーがジョーカーへと変貌を遂げる事を肯定は出来ないですが、否定することも出来ないでしょう。主人公は、自ら悪の道を選んだわけではない。
悪にしか生きる選択肢がなかったのである。生きるために悪に辿り着いただけであり、それ程に、主人公アーサーの受難は、壮絶であって救いがないものであるのでした。
この様なアメコミ映画のリアル路線は、今に始まった訳ではないですが、ここまで社会系の人間ドラマ仕立てのシリアスなドラマになると、エンタメ路線を期待する原作コミックファンの心境はいかほどでしょうね(苦笑)。
実際に、アメコミファンの中には酷評している映画評も一部で散見はしているようですが、概ね、ホアキン・フェニックスのジョーカーの怪演を絶賛する映画評が多く、先頃に開催されたベネチア国際映画祭の最高賞の金獅子賞を受賞したのも頷ける快作。
ホアキン・フェニックスのジョーカーは、来年のアカデミー賞の主演男優賞にも当然ノミネートされ、受賞を本命視されることでしょうね。
『ハングオーバー』3部作シリーズなどのコメディを撮ってきたトッド・フィリップスだけに喜劇のもつもうひとつのシリアスな哀しい顔も熟知しているのでしょうね。
香港当局が香港での市民の暴動を鎮圧させるべく「マスク禁止令」を発令し、その禁止令に反対する反体制派の市民が、この『ジョーカー』を真似てピエロのマスクを被っているらしく、まさしく映画を先取りしているのか、それとも時代を先取りしているのか、実に面白い。
また、ハリウッドでは、『タクシードライバー』などを撮った巨匠のマーティン・スコセッシ監督が「(MCUなどの)アメコミ映画は映画ではない。」と発言し波紋を呼んでいるみたいですが、そんなアメコミが原点の映画でも、こんなにも凄い演技力で魅了する映画があるのかと、私は驚愕した次第です。
私的な評価としましては、
今年、いや2010年代を代表する映画のひとつと言っても過言ではない傑作と思いましたので、五つ星評価的にも、★が足りないくらいに文句なしの★★★★★の満点評価の作品だと思いました。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』と本作品では、方向性は180度違いますが、両作品が今年の双璧をなす作品だと思いました次第です。
この両作品に、更に、『スター・ウォーズ:エピソード9/スカイウォーカーの夜明け』が面白い出来映えで、食い込んで来てくれたら今年はもう御の字です。
至極丁寧なつくりに驚嘆
伏線
娯楽、作品、どちらのスタンスで観るか。
映画という娯楽として評価するか、
映画という作品として評価するか。
観る人のスタンスによって、全く逆の評価になってしまう。
娯楽とすると、全く楽しめない。楽しくない。ただただ悲しく救えないアーサーの物語を、淡々と2時間ぶっ続けで観させられる。【ダークナイト】の吹っ切れたジョーカーとは、全くの別物。
作品とすると、演出、演技、全てが素晴らしく、アーサーとして観ている様な感覚にさせられる。現実なのか妄想なのか、何が本当なのかわからない。2時間、世界に引き込まれっぱなし。
同意も感情移入も出来ない複雑な気持ちの自分。ホアキンの圧倒的な演技力に魅せられている自分。状況次第で自分すらジョーカーになりえる恐怖心。観終わった後、なかなか自分の言葉が出てこない。
賛否両論あるが、人を殺める時だけは、紛れもなく今まで観てきたジョーカーだった。
個人的にはこれを超える『作品』に出会うのは、かなり先になると感じるくらいの衝撃。良い意味でも悪い意味でも、この映画を受け入れるスタンスで観に行くと、ずっと記憶に残る名作になると思う。
一度も笑えないハッピーの話
バットマンは観ていないのでジョーカーが何者なのか知りません
この映画には理不尽な世界でなんとか生きようと頑張っていた人が壊れていく過程が丁寧に描かれていました
いま、平和で満ち足りた生活している人と、現状、些細なことにイラッとしてしまう生活をしている人とでは
映画観た感想が変わるんだろうなと感じた
ストーリーがリアルすぎて怖かった
ジョーカーの話しとは思わず、いま、世界の中にこういう人はたくさんいるんだろうなぁと、思いながら
時事ネタを見聞きした気分
いま世界で起こっていることも、事件も、色々な人が感じてる苛立ちもそれら全ての元凶の〝核〟を見た気分です
バットマンには興味ないけど、バットマンのジョーカーをちゃんと観たいと思いました
あー、しかし、怖かった…
狂気的だがどこか惹かれる
始まりから度肝を抜かれる作品でした。
DCを知らない人でも違和感なく楽しめ、ゴッサムの何かに惹かれ映画「バッドマン」やドラマ「ゴッサム」を見たいと思う方もいるかもしれません。
もともとDCが好きだった私は、いつもとは違う視点で「ジョーカー」という悪役ではなく「アーサー」という人間性に着目して描かれた作品だなと感じました。
観ている私達も、第三者ではなく「アーサー」の様にどれが現実でどれがフェイクか混乱し、同じくなにが正しくてなにが間違っているのか。
正義とは何か。悪とは何か。
そんなことを根本から考えさせられる作品でした。
なぜか胸が苦しくなって虚しくなり寂しさを感じる作品でもありました。
観る人によって思うことや感じることが全く違ってくると思いました。
友達と見に行ってもそのあとの感想を言い合ったりしてみたらまた違った視線で観れて面白いかもしれません。
結びつかないジョーカー像
字幕版を鑑賞。バットマンの敵役のジョーカーがどうして出来上がったのかという話らしい。ジョーカーを主人公にした映画で忘れ難いのは、何と言ってもヒース・レジャーがジョーカーを演じた 2008 年公開の「ダークナイト」であった。撮影直後に主演俳優が急死するというハプニングがあったため、伝説化されているが、本来のジョーカーの設定は、歪んだユーモアを持つサイコパスというもので、必ずしも残虐なキャラではなかったものを、「ダークナイト」で路線が暗い方に変更されたもので、本作もその路線上にある。「ダークナイト」のジョーカーが非常に頭の切れる天才肌のキャラだったのに比べると、本作の設定はただのサイコパスに過ぎず、かなり物足りない思いをさせられ、ヒース・レジャーの作り出したジョーカーには繋がっていないように感じられた。
呪わしい悪人はどうして生まれたのか、を考えるには、神々しい救世主がどうして生まれたのかをひっくり返せば良いと、この映画は言っているような気がした。ハムラビ法典以来、刑罰の基本は同害報復であり、「目には目を」というフレーズは、決して復讐を勧めているのではなく、目を潰されたら相手の目を潰す以上の報復を望んではならないという意味である。その考えで行けば、人を1人殺したら殺した者を死刑にして良いのだが、誤って真犯人でない者を処刑してしまうと、それで同害報復は済んだことになってしまい、真犯人は処刑されなくなるというのが古代法の考え方であった。
このため、罪がないのに刑死してしまったイエスによって、罪深い人間が救われるという理屈がキリスト教の根本を成している。救われる方の人数が1対1でなく、無制限なのは、イエスがただの人間でなく神の子だったからであり、従って、それを信じなければ救済されないというルールになっている訳である。
これの逆を考えてみると、例えば自分を殺した相手を呪い殺すことができた場合でも、殺して良いのは加害者1人だけであるはずなのだが、「リング」の貞子のような存在は、果てしなく人間を呪い殺し続けている訳であるから、人間ではないということになり、一般的には「悪魔」という名称で呼ばれるものとなる。本作のジョーカーもこれと同様な存在であり、まさに人としての所業を超えた残虐な振舞いは、人間としての同情なととは無縁のものである。
脚本では、次々とジョーカーの不幸な生い立ちが明かされ、これでもかという不幸の連打を見せられるのだが、如何に自分の出生や生立ちに呪わしい過去があったとしても、そのせいで他人を殺して良いなどということには絶対にならない。しかも、この映画の中でジョーカーが手を下しているのは、過去は別にしても、いずれも彼に対して憐みや救済を申し出ている者たちばかりである。自分の不遇を外部のせいにして暴力的な手段を厭わずに実行してしまうのは、銃乱射事件などで目にする犯人どもの思い上がりであり、アメリカ的価値観の典型である。ビン・ラディンが行った 9.11 のテロも、発想は似たようなところから出て来ているのに他ならない。率直に言って、この主人公に同情できる人は、これくらい不幸な人間は他人を殺しても仕方がないと考えるのであろうか?私は全く同感できない。最初の看板の事件はダミーを使っていれば防げた話だし、銃はすぐに返しておけば何も起きなかった。全ては本人の杜撰さから起こっているのであって、他人のせいにするのは大間違いである。
主演のホアキン・フェニックスは素晴らしい役作りをしており、若い頃のロバート・デ・ニーロを思わせるほどの怪演であったと思う。奇しくもデ・ニーロ本人との共演となった本作は、彼の代表作となるには違いない。音楽の素晴らしさは特筆もので、緊張感を激増させていたと思う。演出は、R15+(15 歳未満は親同伴でも鑑賞不可)の容赦ない流血表現がリアリティを感じさせていて好ましかったが、母親との関係はイエスとマリアの関係を逆にしたものより更におぞましく、復活を思わせるかのような描写も不愉快で、聖書をひっくり返すのが邪悪の根本だと言いたげな手法には、やや物足りないものを感じた。
(映像5+脚本1+役者5+音楽4+演出3)×4= 72 点。
ヒースへの弔い
個人的に今年のベストワンは今のところアベンジャーズ/エンドゲームで落ち着いているわけだけれども、予告編を観てから公開が楽しみでならなかった一作が「ジョーカー」だ。
DCコミックのバットマンに登場する宿敵として、これほど有名で曰く付きのキャラクターはそういないだろう。
「ダークナイト」でジョーカーを演じたヒース・レジャーが役作りに没頭するあまり、不眠症になり薬物の併用摂取による急性薬物中毒で急死したのはご存知だろう。当時インフルエンザだったと言われているが、若干28歳だった。
この演技が高く評価されて数々の賞を受賞、アカデミー助演男優賞も受賞した。残念ながら受賞したのは故人となってからだったが、この件もありジョーカーと言うキャラクターが神格化されていく。
このダークナイトの続編「ダークナイトライジング」のプレミア上映で銃乱射事件が発生、12人が死亡し58人が負傷した。この事件の犯人がジョーカーを名乗ったの事もありジョーカーと言うキャラクターは人の心に刻まれることになる。当たり前だがアメリカではこの事件の事もありジョーカーと言うキーワードにとても敏感でナイーブであり、批判も多い。
ヒースレジャーの死後も映画やドラマで新しい俳優がジョーカーを演じて来たわけだが、今回ほど注目を集めたジョーカーはいなかった。
そもそもジョーカーを単独で映画にしてしまうという構想が面白いのだが、それを演じるのが個性派ホアキン・フェニックスで監督はコメディ映画「ハングオーバー」のドット・フィリップスだと言う。
この組み合わせを聞いて「はぁ?」となった人の方が多いと思うのだけれども、僕はなんか面白そうと思ってしまった。コメディ映画の監督がシリアスな映画作ったらどうなるんだろうと興味津々だ。しかもその題材がジョーカーなら尚更。
幾度となく描かれてきたジョーカーというキャラクターではあるものの、芯から掘り下げて描いた作品はなかったわけで、おまけにDCEUシリーズからは切り離された完全単独映画だと言うではないか。
マーベルのMCUシリーズに負けじと対抗意識を向けるDCではあるけれども、思いのほか公をそうしていないのが現状のDC陣営。アクアマンのヒットで多少安堵しているであろうと思われるが、まだまだ元気のないDCEUシリーズにジョーカーを注ぎ込みたかったDCトップの希望を打ち崩して単独映画に仕上げてしまった、ドット・フィリップス監督の思い入れに賛同したい。そして何よりもホアキン・フェニックスのジョーカーを楽しみたいと思うのである。予告編から漂う不気味ではあるものの哀愁を感じる雰囲気にこの何ヶ月もソワソワとしてきた。
ようやくご対面となった。
ゴッサムのスラムで母親と二人暮らしのアーサー、ピエロを生業に母親の介護をしてギリギリの生活を送っている。
スタンドアップのコメディアンを目指しているアーサーは病気持ちで脳と神経の病気で突然笑い出してしまう奇妙な青年。
仕事もうまくいかず、だれにも必要とされていないと感じていた。そんなアーサーがどうやってジョーカーへと変貌していくのかというお話なのだが、時系列的にはバットマン誕生前のお話。ブルース・ウェイン(バットマン)の父と母が殺される直前を描いている。
素晴らしいのはホアキンの演技もさることながら音楽が良い。そして階段でアーサーが踊るシーンのなんとすばらしいことか。
物語後半の故ヒース・レジャーを彷彿とさせるシーンにグッとさせられた。意図しての事かはわからないが僕にはそう感じたし、それは彼への弔いのようでもあった。
決してメガヒットするような内容ではないはずだが、期待をいい意味で裏切るロケットスタートで世界を圧巻している。ド派手なアクションシーンがあるわけでもなく、豪華キャスト勢揃いというわけでもないがハリウッド大作に疲れた人にもおすすめの一本だ。
こういう映画は如何なものか
アメリカのいかれた男のいかれた犯罪の映画であり全く救いようがない。一昔前の「時計仕掛けのオレンジ」のようにも感じたがこの映画ような美しさは丸で感じなかった。時代はかなり前の設定にしてあるが、このような病んだ映画が出てくるところをみると、現在のアメリカもかなり病んでいるのだろう。主演の狂気の演技は素晴らしかったが、このような映画は如何かなものかと思う。これはあくまでフィクションであると言っても必ずこれに影響を受けたいかれた奴らが出てくるのではないかと心配だ。
頭に深い傷を残す作品
これは爪痕と言うよりも傷跡と言いたい。
何が良くて何が悪いのか、誰が正しくて何が間違ってるのか
今作ではその境目をどこに見出すのかという問いを突きつけられた気がする。
劇中でジョーカーは善悪に区別はない、主観次第だと口にしている。
ジョーカーは道徳的に間違った存在であり、神格化する人々もただの暴徒に過ぎない。
これらは決して正しい行為ではないし、それを肯定することには繋がらない。
ただ、それでもどこかで共感し、扇動される人々の気持ちを理解できてしまう自分がいる。
社会から弾き出され、鬱屈した思いを抱えながら、先の見えない道を彷徨う中でジョーカーのような象徴的なアイコンが現れれば…
だからこそラストシーンにおいてジョーカーを讃える人々の輪に自らを重ねてしまった。
決して善ではない。しかしそこに救いを見出している人々がいるとするならば、悪と言い切ることもできなかった。
だが、そう思えるのはアーサーという人間がジョーカーになるまでを徹底して描ききったからだと思う。そこを描くことで受け手に奥底での共鳴を与えてくる。
そこを抜きにしていれば単なる宗教的に映ってしまい共感へはたどり着かない。
作品自体の丁寧な構造がテーマをきちんと浮き彫りにしており、それらを含めて強い衝撃を与えられる作品だった。
自身の正義が揺らぐ衝撃作
孤独と絶望を抱えた男が悪に目覚める話。
いやもうほんと度肝ぬかれました。
観て一日経ってこの文章を書いてるけど
想いがいろいろ渋滞してるどうしよう。
考えがまとまらないのでつらつら書く。
物語の組み立て、感情移入させる演出、
ホアキンさんの怪演、最高でした。
序盤は主人公アーサーの哀れな姿の連続で、
観ててほんとーーーに苦しい。
人に理解されない病気、低所得、親の介護等
1つ1つのパンチが重たく
それらがアーサーを苦しめる。
さらに、生きる支えでもあった夢や、
自分の存在を感じられるものに裏切られてしまう。
ここの絶望の畳み掛け演出は素晴らしかった。
なのでジョーカー誕生の瞬間は鳥肌が立った。
そこからラストまではずっとにやにやしてた。
感情移入ばっちり完了されちゃったので
いいぞー!いけいけもっとやれ!の連続。
でもジョーカーは明らかに悪なので、
待てよ、こんなこと思っていいのか?
と自問自答してしまう。
悪がヒーローに見えてくる。
自分の中の正義が狂ってくる。
これがジョーカーのカリスマ性か!
と気づいたときは拍手せざるを得なかった。
間違いなく実写版ジョーカーの中で
最もカリスマ性があった。
ジョーカーは勝手に生まれたわけではなく、
世界やアーサーを取り巻く環境が生んだのだ。
誰もがジョーカーになり得るリスクを
この世界は抱えているんだと訴えてくる
社会派な一面も持っている作品だった。
アメリカでは上映をすすめていないという話を
聞いたけど観た後なら確かに理解できる。
格差社会、差別社会がなくならない世界。
それはジョーカーの世界と全く同じであり
社会的弱者の暴動は止められない気がする。
いや悪は悪でしょ。
と簡単に片付けられない人の気持ちを
試してくる刺激的な作品でした。大満足!
ウェイン家も結構物語に絡んでるので
バットマン好きには嬉しい展開もあり。
新生ジョーカー誕生‼️
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