ジョーカーのレビュー・感想・評価
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誰でもジョーカーになる
ジョーカーは惨い事件を起こしていくのだが、
私は責めることが出来ず 彼に共感していた
ジョーカーとなって主人公が心を解放された
シーンを観た時は何故か涙が溢れてしまった
貧しさは心も貧しくし相手にもやさしくすることは
不可能なのだろうか?
貧困が母親が人々の心の貧しさが彼を誕生させ
恐ろしく悲しい事件が起きてしまった
観ていて心が痛んだ
圧巻の演技力
予告編に良い意味で裏切られた。
「純粋で心優しい男が世の中の不条理に
触れて悪となる」
このキャッチフレーズこそがジョーク。
ラスト近くの白い壁の部屋でのカウンセ
リングのシーンだけが現実で、それ以外は
全て妄想であり、アーサーの人生こそ
最大のジョーク
そんな風に解釈しました。
ホアキン フェニックスの演技は見事です
もう一度観に行きます
平和な日本では暴動にならない(かな)
あまりにも哀しい、現実とつながる映画
バットマンに登場する中でも極悪のヴィランたる「ジョーカー」誕生譚である。それ以上に、有り体に言ってしまえば「この社会の悪」をアメコミという土壌を生かして拡張しきった上で提示した映画である。
ジョーカーはそのキャラクターの由来が安定しないキャラクターであり、作品によって実に様々な経緯を辿ってジョーカーとなるが、この作品はその中でもとりわけ現実社会と直結したものである。
冒頭から道化を演じている最中に少年たちに看板を奪われ、袋叩きにされるアーサー=ジョーカー。彼が患うトゥレット症候群。常に彼が晒されるのは理不尽、不遇、罵倒、そして無視。
彼はシリアスな状況や緊張から笑ってしまうのだが、その笑いは完全に泣くことと繋がっている。彼は笑いながら泣いているのだ。自身の境遇に。
そして彼を追い詰める素地が舞台たるゴッサム・シティにはある。清掃職員のストライキ(この時点で行政が機能不全であることが分かる)の為に荒廃する街、荒れる人々、貧富の差、電車内の電気の明滅。まるで「終わった都市」のような場所。
アーサーは「笑わせる」ことが夢であるが、彼は「笑われ」続け、暴発した怒りが暴動を呼び、妄想に取り憑かれ、母の秘密を知り...全く救われることがない。物語は容赦なく彼を追い詰め続け、恐らく「ネットワーク」にインスパイアされたであろうラストに繋がっていく。
まるで救いがなく、アメリカ公開時に警戒されるのは分かる。あまりに主人公を追い詰めているので、今までのヒーローものが全て反転してアーサー=ジョーカーに感情移入させるつくりになっているのだ。恐ろしいほど研ぎ澄まされたホアキン・フェニックスの演技がさらに感情の揺れを昂らせる。
そういう意味では、人は簡単に狂気に陥るということ、狂気に陥らせない社会を構築することの困難さを示している。私たちは誰もアーサー=ジョーカーを無視できない。最初から無視してはいけなかったのだ。
ホアキン・フェニックスの演技は圧巻としか言いようがない。泣くように笑い、楽しくも哀しげなステップを踏む。彼以外には不可能だっただろうと思った。元々演技巧者ではあったけれども、集大成たる演技だと思う。
様々な映画へのオマージュが詰まっている。「タクシードライバー」は大変分かりやすく表現されていた。またTVショーのくだりは「ネットワーク」を彷彿とさせる。
“I used to think that my life was a tragedy, but now I realize, it’s a comedy.”の台詞が儚く響く。こう思考するしかない者の果てが、この映画には描かれている。
凶気が乗り移る
ジョーカー誕生物語
まぁまぁよかった~かな。。バットマンのジョーカーなら、もっと彼を狂わす出来事が欲しかったな。
バットマンに出てくるジョーカーの誕生についてはいろんな説があるみたいだけれど、今作オリジナルストーリーという事と、予告編を観て面白そうだと興味深々だったのですが、あれでは笑えないし、そうだったのか~とも思わない。笑ってしまう病気の人や精神病の人達をよく知っているので。。病気ではなく、彼がジョーカーになってしまうもっと衝撃的なハプニングが欲しかった。ちょっと重たい。ジョーカー誕生の内容には少し不満だけれど、それ以外の映画の構成やテンポ、音楽、演技につては素晴らしいと思いました。特にジョーカー演じた俳優さんの完璧なビジュアルは楽しめました。渋谷で観たのでハロウィンの日じゃなくてよかった。
掌の上で踊らされる道化
なんて可哀想なアーサー、なんて不憫なアーサー、やっちまえアーサー!
では終わらせないジョーカーの嗜み。
ダークな興奮を愉しみつつ常に感じていた違和感を回収し虚無の中へ突き落としてくれる、ジョーカーの戯れ。
生きづらい世の中をギュッと凝縮させたような、そんな街における受難と引き金の物語としてちゃんと面白かった。
何度も息が苦しくなり、彼の不遇をとても近くに感じる。
アーサーが笑うたびに背筋に何か冷たいモノが走る。
突然笑ってしまう、笑いたくない時に笑ってしまう、という病気の設定が面白く、興味深かった。
渡すカードのヨレ具合から、何度も何度も同じことをしてきたんだなとわかる。
彼の笑いは非常に薄気味悪く不自然で不愉快的。
泣いているようにも苦しんでいるようにも見えて本当に痛々しい。
キツい不条理の数々。
だんだん人の道を外れていくアーサーに恐怖を感じつつ、ワクワクしていた。
地下鉄の銃殺も、"こうなった原因"とも言える母親殺しも、ランダル惨殺も、彼がそうするたびに生き生きとしていくようで、どんどんテンションが上がってくる。
極め付け、カメラの前でのマレー・フランクリン銃殺。
正直もう嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
絶望的な世界の中で、ただ一つだけ持っていた憧れや縋りの先、大好きな人をこの上ない状況とこの上ないタイミングで殺せた幸福。
話したり動いたり何かをしている最中に、死の予感も何も無いまま突然銃弾が頭を突き抜ける恐怖というものに最近ハマっているので、ちょっとしたホラー的な快感もあった。
アーサーを引き金に市民の怒りが大暴走した街中、神々しいほどのポージング、雄叫びと広がる炎にため息。
ブルース・ウェインとのすれ違い方も良い。
しかし、どうしても感じてしまう違和感。
アーサーが何か犯すには必ず納得のいくような理由がある。わざとらしく共感を呼び飲み込もうとしてくる姿勢には常に疑問を抱いていた。
ジョーカーが自分の怒りや苦しみのために残酷になるような人だとはどうしても思えなくて。
人間の持つ悪意や負の力を信じて賭けてくれていたジョーカーが、原点とはいえこんなわかりやすい理由を持って行動するだろうかと。
バットマンシリーズは未鑑賞、「ダークナイト」のみ本作鑑賞の前日にやっと観たくらいのベリベリ初心者が偉そうなこと言ってんじゃねえ!と思われるかもしれないけれど。
それでも劇中から感じた興奮は本物。
そして、その全てを嘲笑ってくるようなラストには少なからずショックを受けた。
私こそまんまと掌の上で踊らされる道化だった。
正直、怒りすら感じるほどの虚無感。
鑑賞後、ジワジワと実感が湧いてくると共にこの映画にひれ伏したくなる。
これこそジョーカーの目的だったのかも。
虚構の物語に嵌まり一々アーサーに共感し寄り添ってみせた我々を見下し利用してみせる彼。なんて腹立たしい。
人間の善意や良識、仲間意識というものをいとも簡単に踏み潰してくれる人。
思い返せば、アーサーがジョーカーに変わるきっかけ、そのタイミングはいくつもあった。
不穏な表情に不穏な音楽、「あ、ここでジョーカーに切り替わるのかな」と思ったらそうでもない、の繰り返し。
最後に自らの血液で笑う唇を描いた時にやっとジョーカー覚醒かと実感してみたものの、そもそもあの物語の中のアーサーはジョーカーじゃなかったのか。なんて虚しい。
と、私は思っている。
けれど、あのアーサーの物語に実体はちゃんとあり、最後の白い部屋は彼の逮捕後、だとも考えられる。
時系列的にこの映画の前に置いても後に置いても辻褄が合うよね、たぶん。
何が真実かはわからない。
傷の話もコロコロ変えて話すような人。
初心者の私ですら、ジョーカーがやっぱり理解不能でいてくれて良かったなんて思ってしまうくらいの。
シリーズやキャラクターのファンはこの映画をどう感じるのか気になる。
庶民の生活の厳しさが常に叫ばれ、少なめの手取り額がSNSのトレンドに上がりあーだこーだと論争を繰り広げる今この日本。
ここはゴッサム・シティではない、ゴッサム・シティにはならない、なんて言えるだろうか。
どこまでも不公平な社会に対する不満も怒りもあるけれど、まあ楽しく生きてるしな〜くらいのスタンスは変えなくて良いや。
最後に一つ、彼がスクリーンに映るたびに何度も何度も何度も何度も思ったことをここに記しておきたい。
ホアキン、脚なっっっげ!!!!!!!!
フィリップスの狂気の演技
バットマンにわかですが楽しめました
この映画について、「2度と観たくないほど暗い」などのレビューを拝見し、仕事終わりに観てまいりました。
恥ずかしながらバットマンについては未視聴で知識がなかったので、事前にビギンズ、ダークナイトのみ視聴いたしました。
ウェイン家についてはビギンズを観てからの方がわかりやすいかな?とも思いますが、そもそもの視点が違うため未視聴でもさして問題は無かったかと思います。
ただし、ブルース視点からのウェイン家を観てからの方が、『視点が変われば善悪も変わる』話の重みが増すかもしれません。
『過酷な状況に追い詰められた可哀想な男が精神を病み狂ってしまうお話』と観るとバッドエンドなのかもしれませんが、
『世間より虐げられてきた男がさまざまなものから解放され、自分の存在、居場所を見つけるストーリー』として観るならば、むしろハッピーなお話なのでは無いでしょうか?
実際に、"ジョーカー"になってからは、前半の暗くどんよりした雰囲気とはうって変わって、明るいシーンが多く感じました。
正直な話、ここまでのアーサーの行動、状況を踏まえても、こうなるより幸せな道は無いのではないかと思ってしまいます。
ただ、他の方もおっしゃっているように、既存のジョーカー像とは異なった点が山ほどありますので、バットマンシリーズのファンの方々は、
『今までのバットマンシリーズの、ジョーカーのスピンオフ』としてでは無く、別世界のものとして観た方が面白いかもしれません。
乱文失礼致しました。
2回観たい
映像が綺麗、引き込まれます
1回目はどこからどこまでが
アーサーの妄想か、真実はなんなのかを
すごく考えてしまいました。
(一緒に観に行った人と話しして
意見が真っ二つに割れるくらい)
でもそんなに深く考えなくてもよかったんだと思います
1人の人間の人生の一部分、
絶望のどん底に落ちる様を
ただただ何も考えずに
見てほしい。
こんな人生だったら
こうなっちゃうよな…と
見終わったあとに
悪の英雄となってしまった
アーサーに同情して感情移入
してしまいそうな自分がいます
まんまとやられました!
確かにジョーカー映画だ。
面白かったが評判ほどではない
もしも、
もしも、ジョーカーという世に名前が知れた犯罪者が実在していて、彼の半生を綴った物語があったのなら、どんな風だろう…っていう視点で鑑賞。
鑑賞して凄く、物凄く満足しました!!!
キレキレの頭脳を発揮する場面が無かったのが少し残念で、星1つマイナス。
だけど、私が映画を観るときに優先しているのは、
音楽。
映像。
世界観。
コレ全て完璧にツボにハマりました。
短調なんだけど、ズーンとくる音に映像の雰囲気から不気味な感覚に引き込まれます。
ワンシーン、ワンシーンがポスターにできるくらい、映像がとってもオシャレ!!!
もう一度、鑑賞予定。
パンフレット星⭐️3
作品が良すぎただけに、も少しメイキングに触れる内容が欲しかったので…
2度目の鑑賞を終えて、
ラストのジョーカーの映像、やっぱりカッコ良かったーーー!
それまでの冴えないおじさんからの変身プリよっっっ!!!
素晴らしくシュールな作品!!!
ああ…畜生、格好良い
開始15分、縦長に構成された背景であぁ、此処はゴッサム・シティだとわかる
これまでジョーカーはジャックニコルソン版もヒースレジャー版も完成されたヴィランだった徹頭徹”支配する側”の輝きで私たちを魅了してきた
今作はそれはもうたっぷりとアーサーが踏みつけられ、笑いものにされ、殴り倒されるシーンが描写される、観客も道連れに
だからこそジョーカーとして覚醒した彼が暴動のただ中に躍り出るのが最高に気持ちいい
アーサーがストレスを受けた時の制御できない発作笑いが泣いているようにしか見えない痛々しい笑いだからこそジョーカーのメイクの下の片頬上げるニヤリ、や燃えるゴッサムを見つめる子供のような無邪気な笑顔がゾッとするほど魅力的なんだと思う
映画の中でなら何にでもなれる
スーパーヒーローが世界を救うなら逆だって有りだろう
ジョーカーと一緒にゴッサムを燃やし尽くそう
ホラーより怖い
悲しき宿命
1989年のジャック・ニコルソン、2008年の「ダークナイト」でのヒース・レジャー。個性派俳優がキャスティングされてきた、バットマンの最強の敵となるジョーカーがフューチャーされた話題作だ。トランプのジョーカーのピエロビジュアルを参考にして創造され、コミックのスタートともに登場した狂気の犯罪大魔王だ。
たかだか200年ほどの歴史しかないアメリカという若い国では、風土的・歴史的な「恐怖」の対象は、平安時代の「妖」のように1200年かけて遺伝子に刻み込まれてきたような原初的・幽玄的な存在を持たない。そういう点で、しょせんDCコミックの敵役にすぎないサイコパスキャラクターを恐怖の対象とするしかないのだろう。アメリカ映画における様々な恐怖対象は、科学的・合理的な説明を背景に語られる(説明される)サイコキラーが多く、サイコパスであるが故に理不尽な理由で電動のこぎりを振り回したり、ロッジの客を殺戮したりしていくのだ。せいぜい人形や動物やタイヤが人を襲うというデーモン系な説明をバックグラウンドに呪いや復讐を(キリスト教的な意味を内包しつつ)投影していくか、あとはエイリアンだけだ。アメリカでは「鬼太郎」のようなキャラクターの発想は生まれようがないと言えるだろう。
ともあれ「ジョーカー」である。企画の発想としては「ジョーカー・ビギニング」であるし、この希代のトリックスターであるジョーカーが、どう誕生してきたのかを描くのが主眼である。そこへホアキン・フェニックスという一種の狂気を秘めた性格俳優をキャスティングしたことが本作のすべてだろう。鬼気迫るホアキンの演技に息苦しささえ覚えるドラマは、まさにジョーカーが世の中から排除され、疎まれ、ネグレクトされることで至高の犯罪者へとエヴォリューションしていく姿を描いていく。世界を憎悪しなければならないように追い詰められていくホアキン=ジョーカーが苦悩する舞台はバットマンのゴッサム・シティ。後にバットマンとなるブルース・ウェインはまだ幼い少年にすぎない時代だ。ジョーカーの誕生そのものが、実はバットマンの誕生の理由でもあるという暗喩も含め、裏側から見た(合わせ鏡的)な帰納法で語られたバットマン映画なのだ。
ホアキンによるとラストシーンは7パターン撮影したという。本作のラストシーンにどんな解釈ができるか、おそらく映画評の世界では議論が高まりそうだ。僕は、これはこれでいいと思う。そこには見えないスーパーで「continue」と書かれているに違いないから。映画的にではなく、主人公ジョーカーの悲しき宿命において。
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