ジョーカーのレビュー・感想・評価
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誰もがJOKERになる可能性がある
主人公は最初から、JOKERになりたかったわけではなく、社会からの阻害感、自己肯定感の欠如、たくさんの要因から、
JOKERになるしかなかった。。。
そんな映画でしたね。
バットマンの有名なヴィランの誕生秘話を通して、
今の現代社会の格差社会への問題提起を投げかけているそんな作品でした。
ホアキンフェニックスの演技は必見!!
ヒースレジャー演じたジョーカーで初めて出会ったバッドマンの宿敵ジョーカー、ジョーカー単体の映画で公開前からかなり話題の作品で観る前から期待度MAXで鑑賞しましたが…予想を遥かに上回る作品で最高傑作!!格差社会、貧困、差別などテーマは深く、色々考えささられる映画でした。主人公ジョーカーを演じたホアキンフェニックスの演技は必見!!怪演とも言える抜群の演技力は見応えあり!!
題材 ✖︎ 演技力 ✖︎ 音楽 = ヘビー級鬱映画 (褒め)
夜回 ひとりで鑑賞。 見る前から予告で分かってはいたけど、容赦なく重い… 今までのジョーカーと切り離して考えるものです。(個人的にはダークナイトが好き) ハンソロのように「ジョーカーの昔…」 でもない訳で… だから、DCが好きで見に行くと、ん? となるし、セブンやミストみたいな別鬱映画のようにネタになりそうなこともなく、自分の中では辛口評価。
ただ、映画としては、重厚感たっぷりの良作。みなさん言うように怪演と音楽がすごいので、体調のよいときにオススメします。
Isn't it beautiful? ホアキン・フェニックスの大勝利
で、結局どっち!?あのエンドは何処からが妄想で何処までが現実だったの?もし最初からだったらある意味夢オチか!?と観た後にとても混乱に陥ります。ある意味記憶に刻まれる衝撃的な作品です。
ホアキン・フェニックスってちょっと変わった役者さんなイメージです。まぁ、人気上がってた時にいきなり「ラッパーになります」。で、暫くして「実はラッパーになるのはジョークでしたー!」なんてやる程なので筋金入りなのでしょう、きっと。
でも、今回のジョーカーはホアキン以外に考えられないですね。本当に素晴らしかったと思います。二時間ほぼほぼホアキン・フェニックス!極端な話デ・ニーロですらモブ扱い。それでもホアキンの演技に魅せられます。だいたいあの体つきどうなってんの?ガリガリになってるのもスゴいけど、微妙に骨格おかしくないですか?後、変に手足が長く感じたのですが、カメラの撮り方なんですかね?特に腕が妙に長い!
アーサーは貧困で病気持ちなのですが、やっぱりちょっと変なんですよね。あのコントの授業なのか皆で机に座ってコントを見ているシーンで、周りの人と笑いのツボが違うのに何とも言えない不気味さを感じました。何もない所で笑ってるのってハタからみたらちょっと怖いわ。
ホアキンさん、今回のアーサーというキャラクターを体現するために激ヤセしたみたいなのですが、見事にキャラクターになりきっています。ホントにあんな人なんじゃないかと思えるぐらいに。あの苦しそうに笑う姿といい、覚醒した後のキレッキレじゃないダンスといい、もう本作はホアキン・フェニックスの大勝利です。いやー、引き込まれますわ。
個人的にアメコミ好きでもマーベル派なのでDCのジョーカー関連だと「キリング・ジョーク」と「アーカム・アサイラム」しか読んだ事がないのですが、「バットマン」という作品は1939年に始まってから2019年で80年、「ジョーカー」の初登場も1940年なのでキャラクターとして、とんでもなく長い歴史があるわけなんですよ。「ジョーカー」の単独作品もいっぱいありますし。となれば色んな設定のジョーカーがいて当然で、逆にいうと色んな側面を持つ奥の深さがアメコミの魅力とも言えます。そして本作もまた1つの「ジョーカー」の姿なんです。
長い「ジョーカー」の歴史に新たに素晴らしい1ページが加わった事を心より祝福したいと思います。
アーサーは変わったわけではなく、解き放たれた。
彼は生まれつきか、幼少期の環境によってサイコパスとしての内面が形成されたように思う。
抑圧し、善人として生きていたが、様々な不幸や残酷な現実によって、心を解き放ったと解釈した。
その描写は3人を殺した動機を歌が下手だったからと言っていたし、笑いをこらえることができない病気も最後の方は症状が出なくなっていた。
心を解き放ち、ジョーカーとなったアーサーが本来の姿だと思う。
善人が悪に落ちたわけではないと思います。
つまり、貧しさや不幸が原因で善人が悪となり、そして暴力を正当化する映画ではないですね。
すべての人がジョーカーになりえるのではなく、アーサーがジョーカーなんだと思う。
狂気の演技に息を飲んだ2時間
ノーランが描いたジョーカーも素晴らしい演技で強烈な印象を受けましたが、こちらのジョーカーも負けず素晴らしかったです。
何もかもが不幸の人生で、周りから見捨てられ、トーマスウェインからも気持ち悪いと言われ、最愛の母親からも愛されず、苦しむアーサーの姿に、映画を越えて訴えかけてくるものがありました。
愛情を受けずに育った人間がどうなっていくのかということを。ジョーカーという仮面に身を包んだアーサーも本来愛情を受けて育っていたら別の人生だったんだろうなと。もっと幸せのある人生だったんだろうなあ。
人間として次第に落ちぶれいく姿にどこか観ていて悲しさを感じました。
また、この映画に社会的なメッセージ性を感じた点も良かったかなと思います。ジョーカーが起こした事件がきっかけで街に暴動が起きたあの状況はまさに、弱者が現実に不満を抱えてながら生きているのだと言うことを象徴しているシーンでした。
富裕層(強者)は貧困層(弱者)が倒れていようと踏みつけ、一切気にも留めない。強者は強者でしたかないのだと言うこと。弱者にとってこの社会が生きづらい世界であること。そんな弱者にとってはジョーカーのような存在はヒーローであり革命者なんだと。
どこか忘れましたが、多分アメリカ?の映画館では、ジョーカーを鑑賞する際に入場規制を強くしているというニュースを見ましたが、確かにそういうメッセージ性が強いのかなと思いました。特にアメリカのような社会では暴動や事件が起きてもおかしくないのかなと思いました。日本ではありえませんが。
とにかくこの映画は息を飲むような緊迫感と臨場感で観ていて飽きませんでしたし、これからどうなっていくのかという好奇心を煽るようなシーンが多くて、しっかりとまとまった作品でした。
アーサー(ジョーカー)演じるホアキンフェリックスの演技も素晴らしかったです。あの狂気は映画「シャイニング」に出たジャックニコルソンと重なる部分があり、おそらくこれからもこの映画は名作の一つになるだろうと思いました。
内容が分かりやすくてすっきり終わる。万人が声揃えて面白かったという。そういう類の映画では無いかと思いますが、僕はこの類の映画こそ、監督、俳優の腕の見せ所だなと感じています。意見はそれぞれあっていいと思いますが、僕はこういう映画が好きです。
昔だったら多分意見違っただろうなぁ。
自分から漂いだしたおっさんの匂いも感じられたそんな映画でした。
ブラボー!
2つの視点
『悪のカリスマ誕生』を描いた映画だと言われると、それはちょっと違う気がする。
やはりヒース・レジャーのジョーカーと比べてしまう。ダークナイトもジョーカーが主役の映画と言っても過言ではなかっただろう。あちらのジョーカーは『悪のカリスマ』という言葉がよく似合う。
結論から言うとこの映画は良くも悪くも『期待を裏切られる映画』だと思う。ずる賢くてカリスマ性を持ったジョーカー像とはかけ離れている。逃げてばっかりで全然強くない。
しかし、『映画を見る人の視点』では今回のジョーカーはひとりの弱い人間でしかないが、『映画の中で描かれている群衆からの視点』で見ると、今回のジョーカーも紛れもなく『悪のカリスマ』だったのだと思える。
ーー以下、ネタバレを含む・・・ーー
治安が悪く『持てる者』と『持たざる者』の格差が広がる社会に暮らすアーサー。優しい性格の彼だが、ある出来事から生業としていたピエロの仕事をクビになってしまう。失意の中ピエロの衣装のままで地下鉄に乗っていたところ、暴漢に絡まれて持っていたピストルで3人を殺してしまう。何てことはない。よくある物語のプロットだ。
しかし、『映画の中の群衆』という視点で見ると、この瞬間だけがジョーカーとの接点になる。実は殺された暴漢はウェイン産業(バットマンの父親の会社)の社員だった。つまり『持てる者』側の人間だった。
ウェイン産業の社長であるトーマス・ウェインはニュース番組で「この凶行を許さない」と発言するが、この出来事は『持てる者』への不満が溜まっていた『持たざる者』の視点で見ると、ジョーカーは突如として現れた『社会の闇の代弁者』なのである。
ここから紆余曲折あるのだが、信じていたものをすべて失ったアーサーは結果的にテレビ局で電波ジャックを行うことになる。有名テレビ番組で自分がピエロ姿の殺人犯だと暴露し、『持たざる者』の不満をぶちまけ著名な番組司会者を殺してしまう。行き場のない個人的な恨みをぶつけることでアーサーは自分の物語を終わらせようとしていた。
アーサーはあっさり逮捕されてしまう。そりゃそうだ。もう何もする気はないのだから。何かをやり遂げた清々しいような顔で護送されるアーサーだったが、テレビを見て暴徒化した群衆によって救出されてしまう。
ーー『社会の闇の代弁者』は大胆にもテレビ局をジャックし、あっさりと逮捕されたかと思ったら群衆を味方につけて警察を翻弄するーー
地下鉄での殺人とテレビ局ジャックしか接点のない群衆から見れば『ずる賢くカリスマ性のある、いつものジョーカー』が社会の闇に舞い降りたということになる。
群衆に救出されたことで終わるはずだった物語は続き、ジョーカーという役割を背負わされたアーサー。沸き立つ群衆の中、虚無感と高揚感が入り混じる目と『笑顔の仮面』でお道化たダンスを披露する。まさに笑えない喜劇がスタートした瞬間だった。
このジョーカーがどのように成長していくのかは分からないが、『ジョーカービギンズ』として見るならとても面白い映画だった。「思っていたジョーカー像と違う」という批判もあるようだが、今まで我々のジョーカーとの接点はこの映画に登場する群衆と同じだったのだと思う。誕生のバックグラウンドを知らずに、今回起こした凶行だけ見れば『悪のカリスマ』という印象を抱くはずだ。
個人にフォーカスした人間としてのアーサーと、社会にフォーカスした今まで同様の悪のカリスマとしてのジョーカー。その2つの視点で見ても面白い映画なのではないかなぁと思います。
そんな感じで
救いがない
公開前から格好いいポスターが何種類も配布され期待度が凄く高く、公開されるとネットでの評価も異常に高かったので即観に行きました。
ところがまさかの展開でジョーカーの誕生秘話が明かされます。
体の障害と貧困で苦労したアーサーがその障害の原因をしり殺人鬼ジョーカーへ変毛していく痛々しいストーリー。
捻れてしまったアーサーに言葉が出ませんでした。
元々『バッドマン』でジャック・ニコルソンのあの怪演振りでジョーカーのあの笑いがジョーカーのキャラだと思い込み軽い感じの悪役だと思い込んでたのですが、あれが病気だったとは。
あまり好きになれない映画でした。
映画作品としては完璧です
ホアキンの演技も完璧です。
荒んだ社会構造から来るイジメや暴力の蔓延。
生きるために必要な福祉もまともに受けられない社会。
そんな場所で、このような主人公が死なずに生きていくには、
そうなるか、
それともそうならないように精神病院で一生暮らすしか選択の余地はないです。
最後のシーンは主人公のもう一つの幸せな方の生き方を示したものかと、(ケアワーカーの優しい笑顔がそれを示唆していたのかと) ふと思いました。
ジョーカー
原作を読んでないのでジョーカーについて詳しくはないのですが、ジョーカーでした。
アメリカでは規制?警備?が強化されてるとかなんとか。
賞を受賞したとか、犯罪を正当化しようとしてるとか共感させようとかではなくて
本気で本気のジョーカーを映画化したらこうなんだろうな、というか。
なまぬるく「ジョーカー良いよね〜」とか言わせない、ジョーカーの狂気を感じました。
最後のゴッサムの荒れていく感じも本当に凄くて、「これ現実だったら超怖いな」と。
でも、わたしはこれが “映画だから好きです。”ジョーカーも。
最後の炎をバックにジョーカーを讃える映像とか、すっげえ〜…って圧巻でした。
最後の最後にDCのロゴがドーンとでたときの貫禄が…。ドルビーシネマで観たので尚更、重厚感というか。
安定のマーベル、攻めのDC的な?どっちも好きです。
こんなにヒーローヒーローなのに飽きないのは、それぞれが全く違った味をだしてくれてるからなんでしょうね。
本当に有り難いです、こんなに楽しませてくれて。
ホアキンフェニックス、ドットフィリップス、ブラッドリークーパー達に拍手ですわ。
ジョーカーの赤スーツかっこいい
皆さんご存知ダークナイトの主役であるジョーカーがまた主役で登場。今回はエピソードゼロ。
詳細やストーリーラインは省くが、この映画はダークナイトのジョーカーと何も矛盾しない。ジョーカーという設定を忠実に守ったある種スズキジムニーのような映画である。
ダークナイトのジョーカーは自分の傷の生い立ちを何通りも話す。この映画はそのうちの1つであり、全部でもあるのだ。
今回のジョーカーではこの映画で語られた全てが嘘や妄想かもしれないという演出がなされている。
映画というのは大体視点が決められていて、誰にとってのなんだったのかというものが案外明確である。今回はジョーカーの語るジョーカーの話なのだろう。
正直なところジョーカーの話をしている時に全部信じる方がどうかしている。そして、その嘘混じりの話ゆえにジョーカーのイメージを崩していない。ファンに対する最高の配慮ではなかろうか。
ちなみにこれはエピソードゼロなので我々が常に目にするジョーカーとは間違いなく異なる。なぜならまだバットマンが存在していないからだ。社会が産んだ悪が1人に向かう時、またジョーカーとして生まれ変わるのではないかなと思う。
ちなみに映画を見る前にはジョーカーの誕生秘話なんぞ伝説がチープになるからやめて欲しいな、全部語り終わった後で本物のジョーカーが出てきて主人公をぶち殺してくれねえかなとか思っていたが、とりあえず見て意見を変えた。
今も世界はJOKERの掌
観賞後、ずーっと最後のオチが腑に落ちなくて。モヤモヤしてたんですわ。
で、一週間後くらいに気付く訳です。あー。やられたと。
この話、『ユージュアル・サスペクツ』と同じ構造ですね。ジョーカーの戯言ですわ。映画全体が「笑えない冗談」ですわ。最後の「fin(だったかな?)」の文字デザイン、オープニングのぶっとい骨太ゴシックタイトルに対して、レトロなshow風のあしらい。あれって日本で言う「チャンチャン!」ですよね。。。
人間的尊厳が希薄化する社会とそこで崩壊・滑落していく主人公。偶然シンボルを獲得し、それを祭り上げ、群体として思考停止にも似た状態で、高揚に絡め取られる大衆。現代社会を抽出して強烈に批判するこの物語が、すべてジョーカーの与太話という皮肉。
これからもそんな世界で生きていく我々にとって、これ以上「笑えない冗談」が他にあるか?
さらに映画を鑑賞した人のうち、少なくない人数がこの与太話に真正面から向き合い、感情を揺さぶられ、いみじくもジョーカーに同情すらしている始末。世界がジョーカーの掌で踊らされている状態が、現在進行形で続いています。
ジョーカーである必要性を感じない、という意見もあるが、これはまさにジョーカーでしか成立しない映画。『ダークナイト』のジョーカーと繋がらないという意見もあるが、このキャラクターはまさに『ダークナイト』のジョーカーそのもの。見事すぎるスピンオフです。
ここまでキャラクターの本質に立脚している映画は、そうはない。歴史に残る構造的傑作です。
ただし一つ言うならば、この妙味はあくまでメタっぽい構造に拠るものです。100分以上見せられるお話が、そのものとして優れているか、と言われれば懐疑的。個人的な「可哀想」に満たされた話は、カタルシスに弱く、言ってしまえば不幸の描き方が下手で冗長。
この辺の感想は話の構造を理解した今でも変わらない。「まぁ与太話だからね」と言われても、それとこれとは別。
映像と芝居、映画としての構造はすごい。ただし見せられたものの大半は、なかなかに退屈。あくまで変化球。諸手を挙げて称賛はできない。
と言うところでしょうか。
(マーティン・スコセッシ+ポール・バーホーベン)x社会性=本作
期待しすぎたせいか、そこまでガツンとは来なかった。でも傑作であることは間違いない。
本作はマーティン・スコセッシ魂が根底にあります。
従ってコメディ色が極めて強い。シリアスなシーンでもどこかバカっぽく撮られていて、そのバランス感覚はさすが。本作は、これに社会性という調味料をまぶして上手くまとめたなぁ、という印象。
「よくできている」のは間違いないのですが、逆に言えば、そんなに極端に尖ってもいない。
めちゃくちゃ評価が高い理由は、アメコミのお気楽映画目当てで来た客が、予想に反して凄いモノをみせられて沸騰しているだけだと思います。
タクシー・ドライバー。本作は、正にこれを目指した映画だと言わざるを得ない。その点は素晴らしい出来だと思いました。超絶シリアスな雰囲気でもなく、どこかバカっぽい・・・というか現実離れしている(精神異常者アーサーから見た世界が描かれているからか?)。このバカっぽい演出により、観客はハッと我に帰る。「本作はコメディですよ。だから真に受けないで下さいね!」という製作者側のサインがある。この辺り、ポール・バーホーベンっぽい。本作は目くじら立てて観る映画ではないですよー、と。オープニングタイトルとエンドタイトルの出し方とか、完全に観客をおちょくっているとしか思えない。
凄まじい暴力シーンでも、どこかホッとさせるシーンがあるので、安心して観ることができます(笑)。
スコセッシ映画と異なる点は、本作の社会的なメッセージ性の強さだと思う。本作は、民主主義という嘘に対する「怒り」を真正面からぶつけている。
勘違いして欲しくないのだが、本作は格差それ自体に対してではなくて、共感性をあまりにも失ってしまった人々に対する強い怒りが込められている。劇中、アーサーが仕切りに訴えていることは「少しでいいから俺たちに共感してくれ!」ということだけでしょ?彼は「金をくれ!」とは決して言わない。つまり彼は富も名誉も望んでいない。彼が望むのは「共感」だ。
この映画の中で本当に嫌だあなぁ・・・というかムカつく瞬間(製作者が意図的にそう撮っている)って、バスの中の母親とか、電車の中の人たちとか、市の職員、とか、いわゆる「一般常識のある、社会のコードになんの疑問も持たない人たち」の優しさのかけらもない共感のない行動なんですよね。つまり本作で批判されているのは我々なのです。
アーサーは「精神異常者にとって耐え難いのは社会の目だ」と言います。この言葉の真の意味は「精神異常者は社会の目から無視され続け、決して共感されないことが耐え難い」ということなのです。私には彼の気持ちは痛いほど分かります。本当に罪深いのは、何も知らない無頓着な一般人であることを、本作は訴えているのですね。
この人間の共感能力の低下は、社会問題となっている。なぜなら、人間同士の共感性のないところに民主主義など成立しないからだ。これは資本主義も同様だ。
つまり現代社会において、本当はもう民主主義など存在しておらず、体制を守るために多くの人が嘘をついている。これが民主主義の危機の要諦なのであり、本作はこの問題に一石を投じる。
狂気とそれを捉える視点
最後に語った主観の話でオチをつけるのが筋だと思うので、そこを主題と捉えました。
観客(客観)から見れば当然適切な支援を受けられずに凶行に走った哀れな精神病患者です。狂った本人(主観)から見れば、自分が狂うほど狂った社会の現状と適合する正常な人のように感じるでしょう。
利益や善悪で行動するのではなく、彼のユーモアで動くことも重要な要素だと感じます。思えば、序盤から自分の中で葛藤しているかの様な発言をしてきましたが、行動そのものは最初からイキイキと狂気のユーモアに溢れていました。
突然笑いだすのも障害のせいではなく彼自身が本当に面白く思っているからだし、結局あのメイクもクラウンとして人々に笑いを与えたいという欲求をそのまま表しているのだと思います。
最後のコミカルな殺人シーンが主観の象徴でしょうか。本人にとってはただ、面白いから楽しいからというだけ。ただのジョークだという内容だったと思います。
誰かのレビューでダークナイトのジョーカーは今回のジョーカーのフォロワーで、別人ではないかという説を読みました。その説に私も乗らせて頂こうと思います。(そうでないと流石に色々な辻褄が合い辛いですね)
演技については皆さんが語られている様に本当に素晴らしい演技でした。
ただ、演出についてはやたらと挿入されるダンスシーンがテンポを悪くしていると感じました。当然アメコミ作品らしからぬそういった点が芸術的な評価を受けているのでしょうが、それこそダークナイトの様な作品を期待していったのでそこはちょっと想定と違いました。
極論だけど、今の日本と未来の日本を感じた
自身の疾患である笑い症により、仕事があまり無くピエロをやっている普通の男性だが、会社に裏切られ、仲間に裏切られ、そして自身の母親にも裏切られ…様々な裏切りや心的病から殺人への歯止めが効かなくなり、遂には貧困層が富裕層へ抗議するための象徴になる。
この映画を見ていて思ったのが社会や貧富の差へのメッセージだと思った。
今の日本は我慢しているジョーカーだと思う、そして吹っ切れ遂には人を殺めてしまうジョーカーは近い将来の日本に感じた。
日本も我慢の限界がきて暴動が起きるのも時間の問題。
素晴らしい感動作!
知り合いにオススメされて見てきました。
正直ジョーカーってキャラクター自体は、
スーサイドスクワットにジョーカーって出てたっけ?あれ同じキャラ?バッドマン???
て位の無知です。
普段あまり洋画などを見る方でもないのでこのキャストの演技が…!とかもわからず。でも素人でも分かる程、この作品のキャストは才能に溢れており素晴らしい演技をされていて、表情動きひとつひとつに引き込まれました。
予告見た時点では結構怖いのかな?と思いましたが全然そんな事なく、私にとっては胸を打たれる感動作でした。
自分の境遇と似ているからでしょうか?まあそこは人それぞれなので分かる方と分からない方がいるとは思いますが、、とりあえず最後はよかったね…!となりました。こちらも笑顔になりました。
こちらのレビューを少し拝見した所メンタルがやられているときは見ない方がいいとあり、、見た後となっては意味がわからないです。
むしろ元気を貰えましたけどね…
それとなによりかっこいいです。ジョーカーがイケメンすぎて(特に白塗りでタバコ吸うシーンなど)あまり集中出来なかったのでもうあと何回か見てきます。
最高です。
一見の価値あり。
まず、傑作です。主役のホアキンの演技がすごい。そして、映像、構成、音楽等全てのレベルが高いです。
感情移入しすぎて危ない!と世間で言われていましたが自分はそこまで感情移入はできませんでした。
資本主義の格差社会について考えさせられる、社会派の映画のようにも感じられました。
中盤までずっと不憫な目に合っていたアーサーが、吹っ切れてジョーカーになってからはだんだん明るい描写が増えていって爽快感を感じました。
正しいか正しくないかは置いておいて、アーサーにとっては良かったんじゃないでしょうか。
ただ、そうなるしかなかった社会のことを考えると少し暗い気持ちになりますね。資本主義の終焉が近づき日本もゴッサムシティ化しないとも言いきれません。
自分の中の悪が目覚めるのでは!と世間での感想を見て不安でしたが全くの杞憂でした。映画としては楽しめました。
何はともあれ、映画の内容をついて語りたがりの批評家の方々に評価がいいのは納得です。
終始暗い映画だったので、もっとスッキリ爽快な感じが好きなわたしの好みではありませんでしたが…笑
演技等々、映画としてハイレベルで素晴らしいので一見の価値ありです!
孤独で絶望的な時代のトリックスター
大都会ゴッサムシティ。
市のゴミ収集員たちがストライキをし、巷は悪臭が満ちている。
大富豪トーマス・ウェインがこの窮状をどうにかしようと市長に立候補している。
そんな街の片隅で、コメディアンを夢見るアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)はピエロ姿で店の閉店セールの宣伝をしている・・・
といったところから始まる物語で、巻頭早々、ピエロ姿のアーサーは悪ガキどもにからかわれ、宣伝看板を奪われ、結果、袋叩きにされてしまう。
それでも、彼は笑っている、大声を出して笑っている・・・
というのも、彼は脳と神経に障害があり、突発的に笑いだすことがある病気を抱えている。
そんな彼は、安アパートで老いた母親の面倒をひとりで看ている。
ふたりの唯一の楽しみは、テレビ。
古い映画と有名コメディアンがホストを務めるトークショウ・・・
とアーサーの日常が綴られていくこの映画、目指すところは『バットマン』のようなヒーローに対する悪役の物語ではない。
アメコミの映画化の形、架空の街での物語での形を取りながら、実のところ、現代社会の病巣を描いている。
悪臭溢れる街、ポルノの看板が目立つ街、誰もスマホなど持っていないその街は、たぶん70年代のイメージだろうが、そこは貧富の差は絶望的に大きく、弱者は見捨てられている。
当初あった市の福祉施設は予算削減で閉鎖される。
弱者やマイノリティに手厚いとも思える施策をとっていた時代とはまるで別。
弱き者はどんどんと隅へ追いやられ、孤独になり、疎外感を感じるしかなくなっている・・・
それはやはり、現代だ。
そんな中でひょんなことから手にした拳銃で、アーサーは自分を袋叩きにするエリートビジネスマンを殺してしまう。
これにより、世論が動いていく。
ピエロの恰好をしたアーサーを、世の人々は認め、ある種のトリックスターへと祭り上げていく。
そして、ひとびとの奥底にあった不安や不満が終局において突如として爆発する。
(この終局の直前、劇場の看板に「BLOW OUT」(噴出)と書かれている)
孤独で絶望的な時代のトリックスター。
それがジョーカー。
嘲り笑うしかない、弱き者たちのシンボル。
それをホアキン・フェニックスは、抜群の演技でみせていきます。
現実と妄想が混濁した映像も見事。
ただし、いくつかの不満もなくはない。
ひとつめは、演技は見事だけれど、役柄的にホアキン・フェニックスが歳を食い過ぎている。
30代半ばぐらいでないと物語として成立しないが、冒頭からかなり老け込んでいるようで、ちょっと戸惑ってしまう。
大物コメディアン役は ロバート・デ・ニーロが演じているが、『キング・オブ・コメディ』を連想してしまうので、これもどうか。
ま、彼ぐらいの大物でないと映画が締まらないのだけれど。
あと、重低音の音楽がうるさすぎで、ときには無音で盛り上げる演出も欲しかったところ。
さて、『バットマン』との関連はどうなのかしらん。
元々はブルース・ウェイン(バットマン)の両親はジョーカーに殺されたことになっているが・・・
そこんところは、ちょっとヒネッてある。
また、アーサーの出自、曖昧にしてあるが、個人的はバットマンと同種(胤)とみたが、ここは観る人によって見解は異なるかもね。
アメコミの映画化と侮っていると、とんでもないものが飛び出す、サプライズボックス(びっくり箱)。
アーサーに自己を重ねると危険、要注意。
喜劇と悲劇は紙一重
たぶん虐待受けてたとこは本当で
生まれた頃から親も狂っててスタートからめちゃくちゃな人生で
ピエロ騒動では
富裕層にはわかりえない苦しみをかかえた人たちにまつり上げられてヒーローに
ここはなんとも言えない感動があった
本人が望んだのとは違う形でスポットライトに当たり
喜劇のヒーローを夢見たのが悲劇のヒーローになってしまった。
ただ、最後にこれもすべて妄想なのかな?って考え始めると
いま見たストーリーは何だったのかとふと脱力する。
もしかしてチャーリーチャップリンにインスパイアされてる?とか考え始めるとヒーロームービーシリーズでそれは無しだろと思うし...
モヤモヤする
なんとも形容し難いストーリー
音楽、演出が素晴らしかったのと
出演直前の生き生きとしてるジョーカーはすごくカッコよかったな。
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