ジョーカーのレビュー・感想・評価
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何をもって面白いと言うのか
経験多き大人には落胆や狂気に共感できて感情が入る映画だと思った。
幸せな人生の人、何も考えてない人、色々足りない人にはつまらないと思う。
あとダークナイトのジョーカーを引っ張り出すのはやめましょう笑
そんなん言い出したら初代バットマンのジョーカーなんて、、、
悪徳の栄え
ホアキン フェニックス、去年の「ビューティフル デイ」にも増してデニーロ オマージュ溢れる作品。
シチュエーションやキャクターは丸かぶりですが狂人ぶりはこちらに軍配。
人間のネガティブな感情を全肯定して、「時計じかけのオレンジ」「ハウス・ジャック・ビルト」「チャイルド・プレイ」のように暴力行為を咎められるどころか賞賛されるラストに揺さぶられる。闇に引き寄せる魅力。
作品の完成度は激烈。
ダークナイトのジョーカーとは別物
ダークナイトのジョーカーの前日譚ではなく全く別のモノとして観ないと面白くない。ヒースレジャーのジョーカーは知的レベルの高い陽気な基地外テロリスト。何かと悩みがちな暗い正義のゴッサムシティ守護者バットマンとの対比が非常に面白かった訳です。が、ホアキンジョーカーは、ただただ不幸、暗い。こんなんでバットマンの敵になれるのかな?という感じです。(ただ、トイレや階段でジョーカーになってくシーンは素晴らしすぎてホアキン最高。美しい、キモい!怖い、美しい!この映画の価値は八割ホアキン)
バットマンとの年の差とキャラの違いに納得いかなかったのですがホアキンJKのビジュアルやキャラにインスパイアされてヒースJK誕生説が自分は腑に落ちました。
現実世界は、ジョーカーを生み出す
※実は公開当日に観ましたが、様々な理由から遅くなってしまいました。
観た後、僕は呆然としました。
あまりにも内容がリアルでセンセーショナルなだけに恐ろしいです…
劇場を出た後、僕は激しい感情の入り乱れが起きました。
「凄まじい映画を観た」と興奮し、
「こんな危険な内容を絶賛して良いのか?」と葛藤しました。
さてジョーカーと言えば、今までジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレット・レトの3人が演じてきました。
その中でも僕は何と言ってもヒース・レジャーでした!
そのヒース・レジャーのジョーカーは、とにかくクレイジーな行動をしでかすサイコパスでもあり、頭のキレるという最高の悪役でもあります。
これはあくまで自分の勝手な解釈ですが、個人的にはジョーカーは「混乱をもたらす者」というイメージです。
だからこそ、この映画はだいたいイメージ通りではありましたが、ヒース・レジャーのサイコパス感とはまた違ったジョーカー像になりました。
さて、この映画で僕は2つの"怖さ"を感じました。
それは、「ジョーカーという人物」の怖さ、もう一つは「リアル」という名の怖さです。
この映画では、自分の病気や貧困問題、いじめ等の数々の問題を抱えながら生きているジョーカーことアーサー・フレックが描かれています。
ヒース・レジャーを超えたかどうかは解りませんが、ホアキン・フェニックスの演技は確かに狂気を感じるほどに凄まじい演技でした!
特に予告編でも流れていた「高笑いをした後の無表情」は本編観ると更にゾッとなります。
他にも挙げたらキリがありませんが、このヒース・レジャーとはまた違った怖さを体験することが出来ました。
そして、ホアキンの演技と素晴らしいジョーカー像と相まってか彼の行動が全然予想出来ませんでした。
特に悪に染まった後の彼の行動は得体の知れない怖さがあって常にゾクッとしてました。
今作のジョーカーは彼がジョーカーになるまでが描かれていますが、彼の心情の根幹まではそんなに触れられません。
もともと健常者だったけど自分の境遇に絶望して悪の道に外れたのか、元から悪を秘めていて自分の境遇を境にそれを解き放ってしまったのか。
このどちらかだと思いますが、どちらも共通してるのは「自分の悲劇を喜劇と捉えた」ことです。
ちなみに、この映画は「タクシー・ドライバー」と「キングオブコメディ」から影響を受けたと監督は公言していますが、僕は「タクシードライバー」のみ観ています。
なのでキングオブコメディには触れられませんが、「タクシードライバー」には確かに連想する場面が多かったです。
ゴッサムシティの息苦しく鬱々とした空気や主人公の無垢で毒を漂わせる心情等、この映画にも出演しているロバート・デ・ニーロを思わせるものがあります。
何と言っても、鏡に向かって銃を構えるシーンはそっくりです!
もう一つの「リアル」な怖さというのは、この内容が現在の社会情勢に思い当たる部分が非常に多いということです。
ゴッサムシティにおける富裕層と貧困層の分断は世界中どこでも起こっていることですし、日本でもそうです。
また、劇中でジョーカーに影響されて仮面を被ってデモに参加する光景はまさしく今の香港そのものです。
(つい先日覆面禁止法という法律が施行されたのも考えさせられます)
今作のゴッサムシティは、まさしく今の世界情勢の象徴としか思えません!
この映画は、明らかに現実世界にジョーカーを生み出したら?という内容であり、そういった意味では現実世界に現れたゴジラを描く「シン・ゴジラ」にも少し共通している部分はあると思います。
その要素を引き出したのは他でもない演出や映像のフレーミングの素晴らしさです!
ちなみに好きじゃなかった点としては、ジョーカーを頭良いところを見せて欲しかったところです。
そういうイメージが付いてたので、そこのところ物足りなく感じました。
ジョーカー、それは「混乱をもたらす者」
この世界は、きっとジョーカーという名の怪物を生み出してしまうのかもしれません。
ダークナイトを見返したくなりました
貧富の格差から怪物が生まれる。
少しの刺激で爆発するほど、ギリギリの環境なんでしょうね。日本ではなかなか馴染みがない環境ですが。
後半から狂気が加速していき、すごく楽しめました。
※ダークナイトのジョーカーとはイメージが違うので注意です。でも、マレーのテレビ番組に出演してるときにその片鱗が出始めてる気がします。今後の次回作にかなり期待です。
公開初日の夜に
映画鑑賞する前にジョーカーに対するイメージがあったため、自分の中のジョーカー像と作品の中でのジョーカーの精神の変化に隔たりがありました。
あらゆる極悪な犯罪に手を染めることに何の抵抗もない、そんなジョーカーにそんなことでなっちゃうのって思ってしまいました。
人ってそんな簡単に変わらないでしょって。
あとバットマンになるブルースウェインとのつながりも要らなかったかなと思います。
ダークナイトを観た方なら分かると思いますが、年齢が合わないというかジョーカーってそんなに歳いってるのっていうか。
私は個人的にジョーカーがあのジョーカーにどうやってなってしまったかを観たかったので、そこをつなげてしまうと時代背景とか気になってしまいますよね。
とある悲しい男の孤独と絶望を描いた上質な人間ドラマ
これは悲しい男のドラマだ。一人の男の孤独と絶望とが、小さな出来事の積み重ねで徐々に徐々に狂気と化し、凶暴性が目を覚ましていくその様子がなんともドラマティックかつ非常にデリケートに描かれており、重厚なヒューマンドラマか宛ら上質なドキュメンタリーの如く胸を打った。そしてまさかと思いつつ強い共感すら覚えてしまった。
というか、今この現代と言う時代において、アーサーに共感する人は少なからずいると思う(もちろん彼のような行動に出るかどうかは別問題として)。胸の奥にある鬱屈とした思いや、拭いきれない不満だったり、ふとした時に「あぁ自分は報われない方の人生なんだ」と気付いてしまう瞬間とか、そういうものを抱えて生きる感覚は、少なからず私にはよく分かると思ったし、そしてそういう感情が怒りに替わってしまいそうになる気持ちも、やっぱり分かってしまった。
突然笑いだしてしまう病も、母の素性や過去も、秘めた恋の妄想も、大失敗のスタンダップ・コメディも、全てが後のジョーカーというモンスターを形成するものだ。実は野心もあるし、欲望もあるし、理想もある。だけどいつも貧乏くじばかりを引いてしまうようなアーサーという男の人生は、いつになっても社会と親和していかない。ただ程度の違いこそあれ、そういう人生を送っている人は今の時代決して少なくはない。映画の時代背景は現代ではないのだけれど、アーサーと言う男そしてこの映画が定義したジョーカーという存在は、現代におけるアンチヒーローとして確かだと思った。
そしてそのアンチヒーローを演じたホアキン・フェニックスの名演たるや!肉体をげっそりと痩せさせて心も体もアーサーになりきって、ジャック・ニコルソンにもヒース・レジャーにも引け劣らない見事なもの。全編に亘って彼の役者魂を感じる作品だった。
最近はMARVELもDCもそろそろ倦厭していたところ、この映画だけは「一人の男のドラマ」として堪能できた。原作コミックから離れた独自の解釈が、却って私には良かったのかもしれない。良質の人間ドラマを観た。まさしくそんな気分だった。
他人事じゃない!!
どん底に突き落とされ、八方塞がりとなり、心の拠り所となっていたものが次々と奪われていったら、自分ならどう立ち回るんだろう?そんな絶望を抱えても生きるという選択をした場合に、真っ当に生きる道など残されているものなのか?とか…。
本作は決して犯罪者を称賛しているものでは無いし、アーサーの不幸な境遇を犯罪行為に対しての言い訳や免罪符として描いているものでは無いと言うこと。
あくまでもアーサーが犯罪者(ジョーカー)に至るまでのメカニズムを見せ、怪物ジョーカーを誕生させた責任の所在を問うているだけなのです。
生活に困窮し、絶望の果てにジョーカーに至った要因も全てアーサーの自己責任と切り捨てていいの?
アーサーを困窮に追いやった政策を打った政治家や、その政治家を選んだ有権者(投票行動を起こさず、白紙委任した人々も)の責任は全く無いの?等々…。
そんな本作も鑑賞前は格差社会を主題にした作品の主人公がジョーカーであることの必然性を感じませんでした。
しかし、お馴染みのキャラクターを起用する事で、過去のバットマン作品でブルース・ウェイン(ウェイン家)=正義の人のイメージを植え付けられた観客を本作ではジョーカー側の視点に立たせる事で、例えそれが第三者からみて歪んだものとしてみえたとしても、立場が変われば相手に対する見方も変わり、善人にも悪人でもなり得る(本作でも用いられるジョーカーのセリフ、『善と悪は主観でしかない』)事が分かり易く伝わるし、
幼きブルースがジョーカーと同じピエロに扮した名もなき暴漢に両親が惨殺されるのを目の当たりにするエピソードも、憎しみや悲しみが連鎖されていくさまを効果的に見せることにもなっていて、単に商業的成功だけを見込んでのDCキャラの登用ではないものだと感じました。
ホアキン・フェニックス演ずるジョーカーも過去のバットマン関連作品の中でも一番、等身大の人物として描かれていて本作が持つメッセージを決しておとぎ話としてでは無く、より身近なものとして受け止める事が出来ます。
そして彼が発する笑い声。誘い笑いや、ときに恐怖を感じる映画はあるけど、これほど悲哀に満ちた笑い声を聞いたことがない!!そして笑いに関する秘密が明かされたとき、私は涙をこらえる事が出来ませんでした。
※ なお、本投稿は他の映画レビューサイトで記載していた私自身の投稿が編集出来なくなってしまった為、こちらのサイトの場をお借りして同じ投稿を加筆修正したものです。
決して面白くはありません
この作品にエンタメ的な要素はありませんが、ただただ映像に圧倒されました。
アーサー・フレックことジョーカーは、様々な要因によって悪循環に陥っていきます。
有名コメディアンに、TVで馬鹿にされなければゴッサムが暴動で湧くこともなかったかもしれない。
政府からの薬が打ち切られなければ、もしかしたら自分のショーで笑い続けてショーができないということもなかったのかもしれない。
母親から虐待を受けなければ、急に笑う発作を持つこともなかったのかもしれない。
母親の手紙を読まなければ……銃を渡されなければ……
トリガーを引いたのは確かにアーサーではあるものの、周りの環境が彼を追い詰め、そして馬鹿にしてきました。
I hope my death makes more sense (cents)
この人生以上に高価 (硬貨) な死を
冒頭で出てくるアーサーが考えたネタの一つですが、これが彼がジョーカーに至るまで求め続けた物なのでしょう。自分の今までの人生に価値を感じていなかったアーサーは、死ぬまでに自分が存在したことの価値を求め続けた。そこに悪はなかったはずです。
例えば発端となった地下鉄の事件は、果たしてどうやったら防げたのでしょうか。
絡まれても我慢する? 悪くもないのに? 女性を救わずに我関しなければよかった? やり過ぎなければ良かった? 1対多で武器を使わずに対抗できたのか?
アーサー側の立場でできたことは、「ただ我慢して耐える」ことと「逃げる」ことだけではないでしょうか。
実際に世の中でも、集団で人を馬鹿にするということは頻繁に行われます。その一つとして学校における虐めが問題になっていますが、暴力だけでなく言葉のものまで含めるとキリがありません。
その時少数側は対抗手段を持ち得るのでしょうか。
そして、やったことの過多があるとはいえ、集団で行った行為は問題にされず、個人で行った行為のみが問題にされる。
アーサーが正義であるとするのではなく、ただありのままにアーサー側の視点を描くことで、そんな不条理を訴えかける作品だった。そう感じました。
障害を持っているという難しい役所であるアーサーを演じる、ホアキン・フェニックスの演技に目がいきがちですが、映像としても多くの工夫を感じました。
妄想彼女の一連のシーン、時系列に違和感を感じさせる(辻褄が合わない)一連の繋ぎ方から、現実に引き戻される瞬間。違和感を最高潮にしてからビジュアルで覚まさせる。とても印象的でした。
狂った感覚を醸し出すハンドカメラによる撮影、カメラのセンターをずらし、テンションを保つ音楽。
どこをとっても秀逸で、内容のセンシティブさにも関わらず丹念に描かれている。そんな作品でした。
誰もがJOKERになる可能性がある
ホアキンフェニックスの演技は必見!!
題材 ✖︎ 演技力 ✖︎ 音楽 = ヘビー級鬱映画 (褒め)
Isn't it beautiful? ホアキン・フェニックスの大勝利
で、結局どっち!?あのエンドは何処からが妄想で何処までが現実だったの?もし最初からだったらある意味夢オチか!?と観た後にとても混乱に陥ります。ある意味記憶に刻まれる衝撃的な作品です。
ホアキン・フェニックスってちょっと変わった役者さんなイメージです。まぁ、人気上がってた時にいきなり「ラッパーになります」。で、暫くして「実はラッパーになるのはジョークでしたー!」なんてやる程なので筋金入りなのでしょう、きっと。
でも、今回のジョーカーはホアキン以外に考えられないですね。本当に素晴らしかったと思います。二時間ほぼほぼホアキン・フェニックス!極端な話デ・ニーロですらモブ扱い。それでもホアキンの演技に魅せられます。だいたいあの体つきどうなってんの?ガリガリになってるのもスゴいけど、微妙に骨格おかしくないですか?後、変に手足が長く感じたのですが、カメラの撮り方なんですかね?特に腕が妙に長い!
アーサーは貧困で病気持ちなのですが、やっぱりちょっと変なんですよね。あのコントの授業なのか皆で机に座ってコントを見ているシーンで、周りの人と笑いのツボが違うのに何とも言えない不気味さを感じました。何もない所で笑ってるのってハタからみたらちょっと怖いわ。
ホアキンさん、今回のアーサーというキャラクターを体現するために激ヤセしたみたいなのですが、見事にキャラクターになりきっています。ホントにあんな人なんじゃないかと思えるぐらいに。あの苦しそうに笑う姿といい、覚醒した後のキレッキレじゃないダンスといい、もう本作はホアキン・フェニックスの大勝利です。いやー、引き込まれますわ。
個人的にアメコミ好きでもマーベル派なのでDCのジョーカー関連だと「キリング・ジョーク」と「アーカム・アサイラム」しか読んだ事がないのですが、「バットマン」という作品は1939年に始まってから2019年で80年、「ジョーカー」の初登場も1940年なのでキャラクターとして、とんでもなく長い歴史があるわけなんですよ。「ジョーカー」の単独作品もいっぱいありますし。となれば色んな設定のジョーカーがいて当然で、逆にいうと色んな側面を持つ奥の深さがアメコミの魅力とも言えます。そして本作もまた1つの「ジョーカー」の姿なんです。
長い「ジョーカー」の歴史に新たに素晴らしい1ページが加わった事を心より祝福したいと思います。
アーサーは変わったわけではなく、解き放たれた。
彼は生まれつきか、幼少期の環境によってサイコパスとしての内面が形成されたように思う。
抑圧し、善人として生きていたが、様々な不幸や残酷な現実によって、心を解き放ったと解釈した。
その描写は3人を殺した動機を歌が下手だったからと言っていたし、笑いをこらえることができない病気も最後の方は症状が出なくなっていた。
心を解き放ち、ジョーカーとなったアーサーが本来の姿だと思う。
善人が悪に落ちたわけではないと思います。
つまり、貧しさや不幸が原因で善人が悪となり、そして暴力を正当化する映画ではないですね。
すべての人がジョーカーになりえるのではなく、アーサーがジョーカーなんだと思う。
狂気の演技に息を飲んだ2時間
ノーランが描いたジョーカーも素晴らしい演技で強烈な印象を受けましたが、こちらのジョーカーも負けず素晴らしかったです。
何もかもが不幸の人生で、周りから見捨てられ、トーマスウェインからも気持ち悪いと言われ、最愛の母親からも愛されず、苦しむアーサーの姿に、映画を越えて訴えかけてくるものがありました。
愛情を受けずに育った人間がどうなっていくのかということを。ジョーカーという仮面に身を包んだアーサーも本来愛情を受けて育っていたら別の人生だったんだろうなと。もっと幸せのある人生だったんだろうなあ。
人間として次第に落ちぶれいく姿にどこか観ていて悲しさを感じました。
また、この映画に社会的なメッセージ性を感じた点も良かったかなと思います。ジョーカーが起こした事件がきっかけで街に暴動が起きたあの状況はまさに、弱者が現実に不満を抱えてながら生きているのだと言うことを象徴しているシーンでした。
富裕層(強者)は貧困層(弱者)が倒れていようと踏みつけ、一切気にも留めない。強者は強者でしたかないのだと言うこと。弱者にとってこの社会が生きづらい世界であること。そんな弱者にとってはジョーカーのような存在はヒーローであり革命者なんだと。
どこか忘れましたが、多分アメリカ?の映画館では、ジョーカーを鑑賞する際に入場規制を強くしているというニュースを見ましたが、確かにそういうメッセージ性が強いのかなと思いました。特にアメリカのような社会では暴動や事件が起きてもおかしくないのかなと思いました。日本ではありえませんが。
とにかくこの映画は息を飲むような緊迫感と臨場感で観ていて飽きませんでしたし、これからどうなっていくのかという好奇心を煽るようなシーンが多くて、しっかりとまとまった作品でした。
アーサー(ジョーカー)演じるホアキンフェリックスの演技も素晴らしかったです。あの狂気は映画「シャイニング」に出たジャックニコルソンと重なる部分があり、おそらくこれからもこの映画は名作の一つになるだろうと思いました。
内容が分かりやすくてすっきり終わる。万人が声揃えて面白かったという。そういう類の映画では無いかと思いますが、僕はこの類の映画こそ、監督、俳優の腕の見せ所だなと感じています。意見はそれぞれあっていいと思いますが、僕はこういう映画が好きです。
昔だったら多分意見違っただろうなぁ。
自分から漂いだしたおっさんの匂いも感じられたそんな映画でした。
ブラボー!
2つの視点
『悪のカリスマ誕生』を描いた映画だと言われると、それはちょっと違う気がする。
やはりヒース・レジャーのジョーカーと比べてしまう。ダークナイトもジョーカーが主役の映画と言っても過言ではなかっただろう。あちらのジョーカーは『悪のカリスマ』という言葉がよく似合う。
結論から言うとこの映画は良くも悪くも『期待を裏切られる映画』だと思う。ずる賢くてカリスマ性を持ったジョーカー像とはかけ離れている。逃げてばっかりで全然強くない。
しかし、『映画を見る人の視点』では今回のジョーカーはひとりの弱い人間でしかないが、『映画の中で描かれている群衆からの視点』で見ると、今回のジョーカーも紛れもなく『悪のカリスマ』だったのだと思える。
ーー以下、ネタバレを含む・・・ーー
治安が悪く『持てる者』と『持たざる者』の格差が広がる社会に暮らすアーサー。優しい性格の彼だが、ある出来事から生業としていたピエロの仕事をクビになってしまう。失意の中ピエロの衣装のままで地下鉄に乗っていたところ、暴漢に絡まれて持っていたピストルで3人を殺してしまう。何てことはない。よくある物語のプロットだ。
しかし、『映画の中の群衆』という視点で見ると、この瞬間だけがジョーカーとの接点になる。実は殺された暴漢はウェイン産業(バットマンの父親の会社)の社員だった。つまり『持てる者』側の人間だった。
ウェイン産業の社長であるトーマス・ウェインはニュース番組で「この凶行を許さない」と発言するが、この出来事は『持てる者』への不満が溜まっていた『持たざる者』の視点で見ると、ジョーカーは突如として現れた『社会の闇の代弁者』なのである。
ここから紆余曲折あるのだが、信じていたものをすべて失ったアーサーは結果的にテレビ局で電波ジャックを行うことになる。有名テレビ番組で自分がピエロ姿の殺人犯だと暴露し、『持たざる者』の不満をぶちまけ著名な番組司会者を殺してしまう。行き場のない個人的な恨みをぶつけることでアーサーは自分の物語を終わらせようとしていた。
アーサーはあっさり逮捕されてしまう。そりゃそうだ。もう何もする気はないのだから。何かをやり遂げた清々しいような顔で護送されるアーサーだったが、テレビを見て暴徒化した群衆によって救出されてしまう。
ーー『社会の闇の代弁者』は大胆にもテレビ局をジャックし、あっさりと逮捕されたかと思ったら群衆を味方につけて警察を翻弄するーー
地下鉄での殺人とテレビ局ジャックしか接点のない群衆から見れば『ずる賢くカリスマ性のある、いつものジョーカー』が社会の闇に舞い降りたということになる。
群衆に救出されたことで終わるはずだった物語は続き、ジョーカーという役割を背負わされたアーサー。沸き立つ群衆の中、虚無感と高揚感が入り混じる目と『笑顔の仮面』でお道化たダンスを披露する。まさに笑えない喜劇がスタートした瞬間だった。
このジョーカーがどのように成長していくのかは分からないが、『ジョーカービギンズ』として見るならとても面白い映画だった。「思っていたジョーカー像と違う」という批判もあるようだが、今まで我々のジョーカーとの接点はこの映画に登場する群衆と同じだったのだと思う。誕生のバックグラウンドを知らずに、今回起こした凶行だけ見れば『悪のカリスマ』という印象を抱くはずだ。
個人にフォーカスした人間としてのアーサーと、社会にフォーカスした今まで同様の悪のカリスマとしてのジョーカー。その2つの視点で見ても面白い映画なのではないかなぁと思います。
そんな感じで
救いがない
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