ジョーカーのレビュー・感想・評価
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最後に光が見えた
その時代を生きていないからどれだけ低所得者の不満な溜まってるのがわからないので、社会の情勢を抜きにアーサーがジョーカーに変わる過程を見た。
幼い時代の虐待、母の虚言、関心のないカウンセラー、嘘つきの同僚、冷たく暴力的な見知らぬ乗客…結果的に性格的にも生理的にも健全と言えない主人公には暖かいものは何一つなかった。
ずっと「この人の限界はいつくるだろ」と思いながら見てた。
これ以上の殺戮と混乱を避けるたまに、ネタ通りマリーショーの時は自殺したほしかったのに、暴徒たちに助け出されて踊り出すアーサーには警察から銃弾打たれないかと心配してた。矛盾しまくってる。
でも結末に「あなたにはわからない」とアーサーが行った時は長いトンネルの先に光が見えた感じだった。
この人は自分から解き放たれた。
ただそれはいいことかはわからないけど。
悲劇だ🃏
人生は喜劇だ。
「世界の三大喜劇王」のひとり、チャーリー・チャップリンの名言。孤児院で育った不遇のときも、決してチャーリーは未来への希望を捨てなかった。そしてついに喜劇王になった。
しかし、アーサー、のちのバットマンの宿敵、ジョーカー🃏の不遇は壮絶だった。
コメディアンを目指すも、チャップリンのように才能もなく、精神障害に悩まされていた。そんな中でも前を向いて歩こうとするアーサー。しかし社会はそれを許さなかった。ある出来事をきっかけに奈落に落ちていく。
奈落の底でコメディアンとして人から注目されたいというアーサーの希望と、ゴッサムシティーの闇がアーサーの希望を変質させてしまう。そしてついにジョーカーが誕生する。
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アーサーは言う、人生は喜劇だと。
しかし私は思う、これは悲劇だと。
それほどに感情移入させてしまうストーリー、役作り、音楽だった。
アーサーの精神世界の描き方が秀一。まるで自分がそのなかにいるような感覚。アーサーの困惑、失意、怒りを感じた。
役作りもすごくて、特にあの病的な、でも力強さというか禍々しさも感じる体は仄かに黒いオーラを放っているようだった。精神障害がある方の演技も、病的で脆くて衝動的な感じ。職業柄そういう人に会うこともあって、違和感なかった。
そして音楽。徐々にきしんでいき、ついに堕ちたアーサーの心を表現しているようだった。
最後のシーンでまるで喜劇のような場面がある。でも全く面白味を感じない。それほどまでに彼の闇を感じたのだと実感した瞬間だった。
いやー、ええ映画を見たわ。
深刻すぎるよ
ジョーカー=ホアニン・フェニックス。
配役を見たとき、ズバリだなと思った。
ホアニンといえば、とにかくくせのある役ばかり。
特に「ザ・マスター」の時は目が普通じゃない、狂気の男を演じていた。
この「ジョーカー」でも、普通の男が、どんどん追い詰められて狂気の世界に。
だから、適役といえば適役なんだけど。
でも、ぼくにとって、あまりにもあまりにもぴったりで、意外性がなかった。
ジョーカーは狂気とともに愛嬌もあったはず。
だから、ぼくにはヒースのジョーカーが依然としてナンバー1だ。
と、見たすぐあと、こんな風にフェースブックに書いていたのだが。
いま思い出すと、やっぱりホアニンのジョーカーは強烈だったと思う。
ホアニンはこの役のために20キロ以上痩せたという。その入れ込み方が尋常じゃない。
この映画の冒頭は笑いのシーンから。
初めは普通の笑いだったのだが、それが中盤から、ちょっと異常な笑いになり、
後半は完全にいっちゃてる笑いになる。その変化が見事だ。
でも、普通の人から狂気の世界って大きな違いのようだが、それほどでもないって気もする。
言葉を変えれば”善”から”悪”。善のすぐ隣には悪があるのだ。
その対極の間に人間はあるんだって思う。
それから、最後のTVショーでロバート デ ニーロと対峙する場面。
緊張感は半端なかった。
アウトロー役が定番のデニーロがリベラルな顔した保守派を演じ、狂気のジョーカー
と対決する。アメリカらしいエンターテイメントの世界の中での対決は見応え十分だった。
この映画のジョーカーを演じるとしたら、ホアニンしかいないだろうと納得した。
でも、シリアス過ぎた感はある。もっと愛嬌というかユーモアが欲しいと思う。
やっぱり、ヒース・ジョーカーは譲れないなと思う。
見ているのが苦痛でしかなかった
ただ暗く、惨めで、悲惨で弱者の生い立ちをずっと見ているのは、苦痛でした。
自分の人生を逆恨みして、社会の性にして反社会勢力に落ちて行くのは半歩譲って受け入れるが、頭キレッ切れのインテリジョーカーは何処に行ったんだぁー
TWのイニシャルが入ったトーマス自身の写真を何故、お母さんが持っているの⁉️あぁ~変な伏線やめてくれぇ~
アメコミという仮面を被った社会派映画
狂気の限りを尽くしたジョーカーが笑みを浮かべる瞬間、その瞳は澄んでいた。皮肉溢れる物語の中で嘘偽りのないそれが忘れられません。今は無き新橋文化劇場でタクシードライバーを観たときのに似た、ハンマーで頭をぶん殴られたような感覚を思い出しました。この作品に政治的意図は無いとしたトッド監督自身、この作品をきっかけに思いやりの欠如した社会へ目を向けてほしいという旨をパンフレットで説明されています。ここで描かれるゴッサムシティ… 社会的弱者をその強者が爪弾きにする自己責任社会がどこかこの国のようで、他人事のようには思えません。私はただアメコミ映画が好きという理由で鑑賞し、肩透かしを食らいました。勿論イイ意味で。ホアキンはオスカー穫ってもおかしくないと思います。
間違いなく自分自身の中に在る、もう一人の自分…。
この映画を鑑賞しながら、そんな思いを繰り返し反芻していました。
ジョーカーは生まれるべくして生まれた。多分、そういう事なんでしょう。
社会の中に沈澱している澱の様な孤独や不安や貧困や憤り、そこから涌いてくる暴力の象徴としてジョーカーは誕生し、そうして、その存在は体制に対するアンチテーゼとして人々を惹きつけます。
光りが有る処には、必ず闇が生まれます。人が見ない振りをしても、その闇は必ず存在して、痛みの中にのたうち回ります。その闇は処へ往くのだろうか?その闇が静かに癒やされる事なんて果たして有るのだろうか?
かつて、映画「タクシードライバー」で、体制に対する強烈なアンチテーゼを叩きつけたハズの俳優ロバート・デニーロが、寛容と良識を装いながら弱者を嘲笑する体制側の象徴としての役柄を演じている事に、強い皮肉を感じました。
コメディ畑出身の監督が描いた、喜劇の先に有る狂気と恐怖の世界を、ホアキン・フェニックスが迫真の演技で演じ切っています。
この世界観を映像化した関係者の勇気に心から敬意を表します。
少し不満なところ。
非常に巧みに作りこまれた映画で概ね絶賛されている皆さんと同じ感想なのですが、気になって頭から離れなかったことがあります。それは、(彼がジョーカーであるとした場合)ジョーカーに感情移入できてしまうということに対する違和感です。こんな環境でこんな育ち方をしたらこうなってしまっても仕方ない、なんて気になったり。
ところでブルースウェイン少年が庭の遊具からポールをくるっと廻って降りたのはTV版へのオマージュ?
感情移入出来る男では物足りない
私には哀れな男にしか見えなかった。
最後の方はスカッとジャパンみたい。
完璧な悪が彼の中で善でも悪でもなく常識でそして趣向であると思っていたが、ちょっと道を踏み外した男ってだけで狂気的思考が感じられなかった。私の思い過ごしだったようだ。
しかし、クライマックスに向かうあのジョーカーの階段でのダンスは凄い。
あの気迫にはワクワクしたし、何故か嬉しくて笑みがこぼれた。あの表情は完璧だった。ホアキン・フェニックスは全てから解放されたように「思っている」男を完璧に演じきった。
とはいえ猟奇さ、理不尽さの足りないことや、全てのことに動機を付した演出は過剰と感じたので「ジョーカーと名乗るある男の話」位に思っておくほうが良い。
ちょっと今(自分に)酔ってる
衝撃でした
気にはなっていましたが、観に行こうとまでは思っていませんでした。しかし鑑賞した近所の先輩から「絶対観たほうがいいよ!」と言われ、ダークナイトを予習してから観に行く事に。
自分にはアーサーほどではないにしろ、似たような境遇に立たされた事があるので、気持ちは理解出来ました。
加えてこんな困窮状態が何年も続いた挙句、社会からは無関心、打ちのめされた自分に寄り添ってくれる人はいないとなればキッカケさえあれば誰でも人の道を踏み外す可能性はあると思います。
アーサーが可哀想でもうやめたってくれ、とか思いながら観てました。
しかし、アーサーが初めて殺人を犯し、自らの中で何かが切れたとき、ジョーカーとして生きはじめて行く過程でアーサーが変わっていく様は心が震えたと同時にホアキンの演技に凄みを感じました。
ジョーカーと化した時はただただカッコ良かった…。
ダークナイトのジョーカーもヒースの怪演で唯一無二の存在感を放ってますが、今回のジョーカーも映画史に残る悪のカリスマ性があると思ってます。
なんというか、上手く表現出来ないですが、衝撃的な作品で素晴らしい作品であることは間違いないと思うので一度は観た方がいいと思います。
観に行って良かった!
残念!
とても楽しみにして映画を見に行きました。
なぜジョーカーが誕生したのか?
バットマンが好きな人なら同じように思い、映画を見に行くでしょう。
しかし残念な結果でした。
あの程度の苦しみで、あそこまでの犯罪を犯すなんて・・・
甘ったれてるとしか言えない!
あの程度の不遇で犯罪を犯してたら、人類の3割くらいが犯罪者になる!
寝るところも無く、食べるものも無く、死んでいく子供がいるのに、他人と自分を比べて、自分は恵まれてないなんて・・・
上を見たらきりが無いし、下を見てもきりがない。
世の中は不条理なもの。
この映画を見て盛り上がってる人達、やばくないですか?
アカデミー賞なんて声もあるようですが、とんでもない!
映画好きな私に言わせれば、この程度の映画にアカデミー賞なんで、ありえない!
アカデミー賞をバカにするな!と言いたい。
この程度の映画が持て囃される世の中が心配です。
ジョーカー誕生の物語
ダークナイトではクレイジーな役だったジョーカーにフォーカスしたスピンオフムービー。
勝手なJOKER像ですが全てを若くして手に入れた天才エリートが些細なことをきっかけに人生転落し、富や名声・権力への強烈な憎悪を持ちJOKERとして世に再登場。。そんな設定を想像してたので意外でした。
富や名声・権力を持つ者のみが存在を認められるゴッサムシティにおいて、名もなき多数派の貧困層や落伍者達の中にJOKERを生み出した製作陣。格差社会への警鐘も込めているのでしょう。
ただ、本作のジョーカー誕生の背景には納得したものの、ダークナイトでの強烈にイカれたジョーカーにまでは繋がらなかった。残念。
反面教師になった映画
精神疾患があって社会に適応できなくて、理不尽な目にあって、社会や世間を憎んでても、ああはなりたくないと思いました。
コメディアンなんて才能と運が必要な職を目指してるのに、努力が全然足りてないし、自分の個性が周りに受け入れられないことなんて、当たり前じゃないかと思って、全然同情できなかったです。
証券マン殺してピエロを英雄視していた貧困層も、デモを起こしたり、街を暴れて破壊している暇があったら、貧困から抜け出して、上手く立ち回れるには、どうすればいいのかよく考えればいいのに、と思ってしまいました。
(学校は嫌い。僕はコメディアンになる)ってのは、いいけど努力が全く足りていないので、とても反面教師になる映画でした。
共感性羞恥の方に見てほしい
タイトル通りです。
私は共感性羞恥があるので、映画内で主人公が恥をかいたりするとなぜか恥ずかしくなり目を瞑ってしまいます。
結構な数の映画を映画館で観てますが、この映画は特に酷いです。鬱映画です。救いがないです。
ただ主人公が吹っ切れてからは爽快感があり、目を開けて見ていられました。
予習をまったくせずに鑑賞したので、ネタバレサイトを見て行ったら違っていたのかもしれません。
前半では追いかけて、後半では追いかけられる。
どこまでが妄想で、どこまでが現実なのか。
黒人の女性のシーンは途中見ていて違和感があっても、予想もしない展開でした。
逆にコメディー番組は本当に呼ばれたのか疑って見ていました。
最後の赤い足跡。
あれは何を意味するんでしょうか。
最後に出てきた方って、最初に出てきた臨床心理士の方ですよね。
すべてアーサーの妄想で、実際には起きてない出来事だったんでしょうか。
赤い足跡は臨床心理士の女性を殺害した血痕?
色々考えましたが、私はすべて実際に起きた出来事だと思います。
喜怒哀楽の楽のカリスマになりたかったアーサー。だけどジョーカーのカリスマ性は怒の部分で発揮されます。
とにかく映画館で観て、このネタバレ感想の意味を理解して頂きたいです。
そして自分自身の人生に潤いを与えようと共感して下さると嬉しいです。
シネマではないような気がした
観ていて、最初はアーサーが不憫で不幸な立場に置かれている可哀想な人間に思える。
しかし、最終的にはアーサーに感情移入してしまう自分が怖く思えた。
アメリカ全土の抱えるタイムリーな不安要素を問題提起した映画だった。観る人を選ぶ映画だと思う。
資本主義へのアンチテーゼ
舞台となるゴッサムシティでは労働者のストが起こり
ゴミ収集もままならず、鼠が街を徘徊するようになっている。
主人公アーサーはコメディアンを目指すも
経済難の波は彼の元にも歩み寄っていた。
先天性の病により突如笑い出すという奇妙な神経病を持っており、
周囲から気味悪がられ、程なくして職を失ってしまう。
行政にも予算が行き渡らず、街は混沌と転落の道を
猛スピードで走り抜けようとする最中
アーサーの出生が徐々に判明していく。
引き合いに出される映画に「キングオブコメディ」
「タクシードライバー」などが挙げられているも、
コメディ番組の司会者にデ・ニーロが出ていることからも
その影響は決してないとは言えないだろう。
またアーサーは今の世で言う負け組であり、
先進国であればあるほど、貧富の格差は生まれ
今の世においても富裕層と政治への反発は確実に生まれている。
そういった資本主義社会への批判的メッセージも
この映画においては語られているとも言える。
この映画の一つに象徴となるシーンに家に向かう長い階段がある。
普段の彼は長い階段を生気なくトボトボ登るのに対し、
彼が最も生気を得た状態においてその階段を心地よく降りていく。
彼は上昇ではなく下降することで生気を得たのである。
アーサーは人の持つ承認欲求を親からも誰からも貰うことが出来ず
育ってきたが、唯一彼自身がもっとも輝き認めてもらえる部分が
堕ちた世界であったとは何とも皮肉である。
近年、アメコミ映画がマーベルを筆頭にたくさん排出されているが
こういった社会性のテーマをきっちり収めて娯楽作以上の
作品として世に出すところにハリウッドの底力を感じる。
(こういう部分を邦画のコミック原作映画は模倣すべきだと思う。)
エンターテイメント不幸
ジョーカーは、ジョーカーという人間ができあがるまでの話だとは聞いていた。
でも本当にただそれだけのような気がした。少し物足りないので☆3つ。
辛い幼少期の過去、精神的な病を抱えて、せっかく手にした仕事もクビ、家ではお母さんの介護。
序盤のどこに怒りをぶつけていいのかわからない状況のオンパレードは湊かなえの作品を見たときと似ている。
でもかわいそうな人間が狂った殺人鬼になったわけではない、ということがようやく終盤のコメディ番組にゲストとして出演するシーンで伝わってくる。
しっかりと施したメイクと衣装で番組に出て『ジョーカー』と名乗る彼は、いつしかノーメイクで舞台に立ったときのように笑いの発作はもうおきない。
軽やかなステップで道化に徹するところはどこか堂々としている。
アーサーが生きやすいように生きてみたら、行き着いた先がジョーカーだった。
喜劇も悲劇も主観、ならもっとポジティブにとらえられたらよかったのに、それができないのがジョーカーなのだろう。
そして、その彼のもつ妙な信念、徹底された狂気に私たちは惹き付けられてしまう。
ストーリーよりも、ゴッサムシティの街並みやアーサーの近所にあるらしい長い階段など、ひとつひとつのシーンがお洒落に作られていてそこだけはずっと楽しめた。
ホアキンの演技もherの時と同一人物とは思えない、凄みを感じた。
でもこれがそんなに賞賛されるような作品なのか、よくわからない。
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