ジョーカーのレビュー・感想・評価
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バットマンのオリジンでもある
ラストのジョーカーの行動が引き金になり、トーマスとマーサが殺されブルースは親をなくす、
ジョーカーのオリジンであると共にバットマンのオリジンストーリーでもあり宿敵のジョーカーと既に会っていようとは…
全てが負の積み重ねになった男って感じ
ダークグリーンの髪にワインレッドのスーツっていうセンスがいい
タクシーの中のピエロ見てる時目があってる気がしてドキってした
この映画を見て学んだことは
人に思いやりを持つことが大事だけど
思いやれたいならたとえ心が病んでいても素直になるべきだということ
主人公は被害者ぶりすぎていてダメだなーと思った
自分だけでは自分が救えなくなるほど周りが見えなくにる前に自分と似たような集団の一人になれればよかったのにね
丁寧に描かれた絶望
この映画を観ていて、初めて鬼束ちひろの月光を聞いた時を思い出した。
あの頃はこの世界に誰も味方がいない気がして(実際まわりにはいなかったのだけど)、毎日がとてもつらかった。そんな時に月光を聞いて、そういう風に思う人は自分だけじゃないと知り、それだけで少し心が軽くなったのを覚えている。
アーサーにとってのそれはピエロの仮面を被ることだった。自分の起こした事件を支持し、熱狂する人々の輪に入り、自分が一人ではないことを確かめることだった。
そうでもなければ生きていられない。仕事をクビにされる、仲間からは馬鹿にされる、社会保障は打ち切られる、母親はうそつきだった、恋人は妄想だった、そして心の底から憧れた人は自分の才能のなさを嘲った…。
ひとつひとつ削ぐように消失していくアーサーの生きがい、生きる意味。才能にも恵まれず、それどころか人並みに生きることすら難しい。ただひとつ世界から望まれたのが、ピエロの仮面を被って恵まれたやつらを殺すことだった。復讐心と自尊心、その両方が一度に満たされる凶行だった。
正気を捨てた方が心地よい。失うものなど何もない。ジョーカーとなったアーサーがうらやましい。自分には支持者もいないし正気を保って得られる幸せもある。振り切れた先にあるものを一度でも観てみたかった。
悲劇的で喜劇的な悪のカリスマ''JOKER''の誕生秘話
109シネマズ川崎のIMAXにて鑑賞。
映画「ダークナイト」で一躍脚光を浴びたヴィラン、ジョーカーが何故悪に染まり、何故「ジョーカー」と名乗るようになったかがこの映画を観ればわかる。
その様はあまりにも悲劇的で、喜劇的。
時折目を覆いたくなるような現実の悲惨さを目の当たりにしながらも、笑うことをやめず、「悪のヒーロー」なんかではなく、「コメディアン」としての己を貫き通すアーサーの姿、笑い声に終始ゾッとせざるを得なかった。
でもアーサーの壊れていく姿を見ていくと、これらに正当性を感じてしまう自分がいた。
こんなにも辛いことがあったのなら誰しもが「ジョーカー」になってしまうような気がしたのかもしれない。
そして、いつしかアーサーを応援している自分がいた。
今作はそういう描かれ方をしていたので仕方の無いところもあるだろうが、どうしてもゴッサムの富裕層が自分には悪にしか見えない。
ただ、個人的には今作はそこまで思っていた程衝撃作ではなかった。
確かにあまりに惨い彼の半生には同情し、恐怖をも感じさせられたが、あまり予想の範疇を上回らなかった。
勿論凄く面白かったのだが、あまり彼のする行動に意外性や衝撃を感じなかった。
「まぁそりゃそうなるわな」という感じ。
やはり「ダークナイト」の方がかなり衝撃を覚えたし、その半生も生い立ちも全てにおいて「謎」であったことも、またカリスマ性を引き立たせていた気がするし、ジョーカーに対立するバットマンという存在もいたお陰で面白かったなぁと思った。
やはり少し思ったのだが、ホアキンとヒースのジョーカーはこれはまた別物だなという感じ。
それぞれに別の良さがあり、特にホアキンのジョーカーの笑い声は、なんだろうな。あんな笑い方出来る人あの人くらいしかいないんじゃないかな。
笑ってるのに全然笑ってるように見えないし、笑い声の中に哀しみや怒りなんかも感じる事が出来るし。
そんなわけで、名優ホアキン・フェニックスの「JOKER」は、凄く面白かったです。
観客はハーレイ・クィーン
ジョーカーのオリジンは、その時々によって違う。
なぜなら、ジョーカーは正体不明なので、本人から供述を取るしかないが、その供述すら言う度に異なり、何が真実かわからないから。
今回の話も真実なのか、病院で「思いついたジョーク」なのか。
こうしてインテリでハイソでお上品な美人精神科医ハーリーン・フランシス・クインゼルがハーレイ・クィーンになったように、観客はジョーカーに同調し共感する。
もっとも、足跡の血を見ると、最後のカウンセラーはジョーカーの好みじゃなかったらしい。
もっとドロドロしているのかと思っていたので、案外観やすかったです。...
もっとドロドロしているのかと思っていたので、案外観やすかったです。
結局この映画は、「アーサーの頭の中で起きていた妄想を観ていた。」という解釈でいいんですかね?
笑い声によって表現した演技に魅了
ダークナイトの衝撃とは全く次元の異なる心理ドラマ。
社会の片隅でひっそりと生きる孤独な男がいかにしてジョーカーとして変貌していくかを笑い声によって表現した演技に魅了されました。
対立と憎悪を助長しているだけ
陰鬱。陰惨。子猫の虐待を延々見せられているような感覚。アメリカで不満がくすぶっている貧富の差やトレーダーなどのホワイトカラーに対する憎悪とリンチ(私刑)を助長するメッセージがあからさまに表現されています。こうした軋轢や暴動を扇動する内容自体が、私には狂気に感じました。
主演の怪演は認めますが、バットマンのジョーカーとは全く別の作品として作るべきだったのではないでしょうか。個人的な意見ですが、「バットマン」、「ジョーカー」の看板がなければさして話題にもならなかったように思います。
若者に観せてはいけません!
この作品は賛否あってしかるべしでとても危険だ。皆んながこの極悪人のジョーカーに感情移入してしまったらこの世はどうなってしまうんだ。億万長者のブルース・ウェイン(バットマン)が正義で貧乏人のアーサーが悪なんだよ。え?違うの? 子供に観せてはいけない。反抗的になる十代の若者には絶対観せてはいけない。なんと言っても「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディー」が下敷きになっている映画である。以前はこっち側だったデニーロが売れて、裕福になってあっち側の司会者で登場するのが感慨深い。「マーベルは映画じゃない」なんてほざくようになってしまったスコセッシも同じことだ。トラヴィスはまだ結果オーライで救われて良かったがこの「ジョーカー」は出口が無い。こんな映画を作ってはいけない。救いの無い最悪の映画なのである(敬意を込めて)。丹念にシーケンスが積み重ねられていく中で一番気になったのがアーサーが冷蔵庫に籠るシーンのカット尻で手持ちのカメラがトラックアップする部分。これだけは不要カットすべき。
ホアキンの怪演は想定外、作品の質は想定内。
ホアキン・フェニックス。今は亡きリバーフェニックスの実弟。兄が亡くなった時に、落ち込むホアキンに映画関係者から渡されたビデオが「レイジングブル」。そう、主人公アーサーが憧れるマレー役、ロバート・デニーロ主演の不世出の作品である。このエピソードを聞いてしまったら、映画ファンとしてこの邂逅を逃す訳にはいきません。
で、観賞した訳ですが、結論から申し上げますと、やや期待はずれの印象を持ちました。ホアキンはもちろん、
怪演してます。が、悪の化身であるJOKERとしてはハズれている気がしました。すみません、、。
1番違和感を持った箇所ですが、衝動的に3人の証券マンを殺してしまうところです。私たちはJOKERに凶暴性とそれと同じくらい知的な部分(カリスマ性)を求めています。やや短絡的ではないだろうか?と思ってしまいました。
マレーを殺すことにより、JOKERはカリスマになったわけですが、やはりそこに至るまでの心理描写がやや大雑把に思えました。クリストファー・ノーランやスタンリー・キューブリックなどと比べると、脚本に深みが足りないと感じました。ダークナイトのJOKER役、ヒース・レジャーはやっぱり最高であることも改めて認識しました。
いずれにせよ、ホアキンの演技は劇場でみないと損しますよ!狂気のひとこと。
デニーロもさすがの演技でした!で2名の俳優と音楽が良かったので、及第点。
自分はどこにいるだろうか。
彼が一体どこからこうなってしまったのか、お母さんの病歴からなのか、子供の頃の経験からか、環境から、社会の状況からなのか、耐えられない人生からなのか、自分のせい、他人のせい。。。だとしたら、自分の環境の中にも、彼の被害者になる可能性、彼の友人味方になるのか、更生させる立場か、別の社会の一人として排除するのか、隣人として怯えて暮らすか、崇め奉るか、もしくは彼自身のようになる可能性もあるのか。
以前NYに住んでいた経験を持ってしても、いま東京に住んで、どの立場で考えても、どれかに当てはまる確率は、想像する以上に高くなる一方だな、って思った。 そして、その時に自分は映画のどの存在を選んで、いるんだろう。 たとえ近未来、として残されたバットマンになれたとしても、本映画の中では、彼に対等できる存在は警察、親、権力者、近づける友人、身を寄せると思われる存在すらも、虚像以外に微塵もなく、もし周りにすでに彼が存在しているんじゃないかと考えると、最後まで身震いが止まらなかった。
一生に逢えるか逢えないかの名作
昨今、莫大な製作費やギャラが話題、
有名俳優起用の割には、
ストーリーが雑だったりで、
アメリカ映画にヘキヘキし、
しばらく遠ざかっていました。
が、いやいやしかし、この作品で
改めてアメリカ映画の底力を
まざまざと知らされました。
大好きなホワキン・フェニックスの
怪演に近い演技力。
ジョーカー誕生、というより
正気を失くすことは誰にでも起こりうる事
であり、誰でもピエロの仮面を
被りながら生きているのかもしれない。
決して別世界の話ではなく、
私たちの生き方さえ問われて
いるような感覚を覚えました。
純粋無垢なアーサーだから、
器用にその仮面を取り外しながらの
生き方は出来なかったと…
悲しく、理不尽で、切な過ぎる
作品です。でもその中から
人にとって大切な愛とは?
と問われ、そしてそれは
何であるかを教えてくれる、
優しい映画でも
あったと思います。
ストーリー、
キャスティング、セット、
音楽、全て完璧で一生に
逢えるか逢えないかの
名作だと思います。
ホワキン・フェニックスさんに
とにかく乾杯🍻素晴らしい〜👏
最後に光が見えた
その時代を生きていないからどれだけ低所得者の不満な溜まってるのがわからないので、社会の情勢を抜きにアーサーがジョーカーに変わる過程を見た。
幼い時代の虐待、母の虚言、関心のないカウンセラー、嘘つきの同僚、冷たく暴力的な見知らぬ乗客…結果的に性格的にも生理的にも健全と言えない主人公には暖かいものは何一つなかった。
ずっと「この人の限界はいつくるだろ」と思いながら見てた。
これ以上の殺戮と混乱を避けるたまに、ネタ通りマリーショーの時は自殺したほしかったのに、暴徒たちに助け出されて踊り出すアーサーには警察から銃弾打たれないかと心配してた。矛盾しまくってる。
でも結末に「あなたにはわからない」とアーサーが行った時は長いトンネルの先に光が見えた感じだった。
この人は自分から解き放たれた。
ただそれはいいことかはわからないけど。
悲劇だ🃏
人生は喜劇だ。
「世界の三大喜劇王」のひとり、チャーリー・チャップリンの名言。孤児院で育った不遇のときも、決してチャーリーは未来への希望を捨てなかった。そしてついに喜劇王になった。
しかし、アーサー、のちのバットマンの宿敵、ジョーカー🃏の不遇は壮絶だった。
コメディアンを目指すも、チャップリンのように才能もなく、精神障害に悩まされていた。そんな中でも前を向いて歩こうとするアーサー。しかし社会はそれを許さなかった。ある出来事をきっかけに奈落に落ちていく。
奈落の底でコメディアンとして人から注目されたいというアーサーの希望と、ゴッサムシティーの闇がアーサーの希望を変質させてしまう。そしてついにジョーカーが誕生する。
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アーサーは言う、人生は喜劇だと。
しかし私は思う、これは悲劇だと。
それほどに感情移入させてしまうストーリー、役作り、音楽だった。
アーサーの精神世界の描き方が秀一。まるで自分がそのなかにいるような感覚。アーサーの困惑、失意、怒りを感じた。
役作りもすごくて、特にあの病的な、でも力強さというか禍々しさも感じる体は仄かに黒いオーラを放っているようだった。精神障害がある方の演技も、病的で脆くて衝動的な感じ。職業柄そういう人に会うこともあって、違和感なかった。
そして音楽。徐々にきしんでいき、ついに堕ちたアーサーの心を表現しているようだった。
最後のシーンでまるで喜劇のような場面がある。でも全く面白味を感じない。それほどまでに彼の闇を感じたのだと実感した瞬間だった。
いやー、ええ映画を見たわ。
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