ジョーカーのレビュー・感想・評価
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笑っていいのか▪▪▪?
バットマンとかゴッサムのジョーカーだけど、あのジョーカーではない。
ジョーカーを題材とした、ジョーカーという全く新しい映画だと思う。
▪▪▪ちなみにですが、この映画笑えるところありました?
私はバンコク在住で、タイの映画館で観賞したのですが、ところどころのシーンで周りの席の方々が笑っていました。
隣に座る欧米人なんて、後半の「鍵がしまってて開けられないで、必死に逃げようとしているシーン」で大爆笑。
これが、世界の価値観の違いというものなのでしょうか、、、、
見る人個人だけでなく、国民性によっても捉え方が違うのかと、びっくりです。
内容についてですが、序盤の母とテレビを見る彼の姿は、暖かみや優しさに溢れていました。
だからこそ、狂喜の男に変貌してしまった終盤は強く感じるものがありますね。
地下鉄の男たちの最後は因果応報とも思えますが、あぁいう人たちって結構どこにでもいますよね。
渋谷のハロウィーンとか成人式の若者をちょっと連想しちゃいました。
人って組むと、どうしても意気がっちゃうもので▪▪▪
そんなことをいろいろ考えさせてくれる、とても面白い映画でした。
グロテスクな孤独
バットマン見たことないですが、評判の高さにつられて見てきました。
ラストでお面ピエロに両親殺された男の子が、のちのバットマンなんですよね?多分。そこはピンときましたよ。やるね、あたし。ブルースくん?だったかな。
アーサーがジョーカーになった境目はおそらく母(養母)を殺した瞬間かなぁと。
アーサーは愛されたかったんだと思います。母に、父に、誰かに。
愛されたくて、できることは頑張った。少なくとも母には。
なのに、実は養母で、ネグレクトされ虐待されていて、そのせいでアーサーにも重い精神疾患がある(とあたしは解釈した)。必死で愛される未来を夢見て生きてきたのに。事実を知ったときには、絶望しか残ってなかった。こんな悲しい話ある?捻れて捻れて悪のカリスマになっちゃったとして、責められる?
ジョーカーになって、マレーの番組に向かう途中、階段を踊りながら降りるシーンがありますが、最高にカッコ良かったです。ニューヨークにある階段らしいですが、行ってみたいなー。あんなに足上がらんけど、ボーダーの靴下履いてポーズ取りたくなりました。
関連作との繋がりとか、キャラの矛盾点とかは、ぜーんぜんわかりません。独立した1つの映画としてみると、孤独な男の顛末が、グロテスクだけどシャープな印象で描かれていて。見応えがありました。
ホアキンね、ウディアレンの映画とかではなかなかにメタボなボディだったのに、かなり絞ってて、しかも筋肉つけずに痩せてるから、背骨のボコボコとかめちゃ目立っていて、造形だけで悲しげな男を表現してまして、凄いなぁと思いました。
笑いが止まらない病気って、辛すぎるよね…
ミーハー発揮して見に行ってよかったです。
善良な市民とは
狂演。迫力すごい。映画賞は好きだよねこういう、キャラに飲み込まれたような演者を高評価するの。皮肉じゃなく。私もそうだし。
キャラっていう言葉出したけど、確かにコミックのキャラであるジョーカーからは抜けてしまったと思う。だからいい。これはジョーカーじゃないだあーだこうだ言ってもらって、良くても悪くても皆でダークナイあたりを見直して、DCコミックのカッコよさ再確認してくれれば、そうそれでいいのだ。
あえて触れるなら、アーサーが今後、いままでのような狂喜的で知的で魅力的なカッコいいジョーカーにならないとしても、この騒動によって産まれた沢山のピエロが全員ジョーカーであるって事でいいのではと思う。あのデモを起こした全員がジョーカーになりうるんだよ。こんなにワクワクして、恐ろしいことはない。引き金を弾いた本人に信念などないがゆえに、より一層怖い。
あのエンディングで、もしかして全部妄想だったのかもと思ったりもした。誰かを殺したいと思ったり、死ねって思ったことあるじゃない。そういう皆の中にもある、一つのジョーカーの話だったのかなとか。
個人的には、シリーズやコミックから切り離して見つつ、オマージュと分かるところは分かって楽しめたから、バッドマンシリーズのジョーカーじゃない云々でうっすい議論するのは勿体ない気がする。完全に日本の売り方が良くない。まぁ見てもらえたらいいんだからあってるっちゃあってるけど。
しかし苦しい映画だった。アーサーって自分からは誰も傷付けようとしてないじゃない。あんなお母さんにすら当たったことない。いつも笑って、笑って、抑えて、笑って、頼れる誰かも、国の補助が無くなって、警察まで電車内の市民に拳銃を振りかざし、光に見えたお父さんと、お母さんの正体で、更なる孤独と貧困の果て。
映画を見て、彼を救えると思えた人なんて居るんだろうか。私はあそこまでの貧困を想像できないほど、幸せなところにいる。
今の世の中だと思った。いま、どこの国もゴッサムシティになりつつある。日本だって、来年のオリンピックが終わってからが恐ろしくて仕方ない。誰が引き金を弾くかなんて分からないし、どう進行を止めるかも分からない。ぶち壊して良くなるとも思えないけど、ぶち壊そうとしなくてもあぁなったんだから時間の問題だと思う。
もう一回しっかりみたい。
迷っている方は見ない方がいいと... 思います...
何も知らず
CMや映画通の先輩の勧めで何も知識なく観に行きました!
あんなにも人が殺されると全く知らなかったので最初理解するのに一苦労でした。バッドマンを復習してから観たほうがいいですね…
サイコパスはだれ
ジョーカーは生まれついてのサイコパスであってほしいと思っていますが、一つのジョーカー像が完成しました。ある意味、弱いものの味方です。
監督の降り幅すごいですね。
ハングオーバーからのこの作品でびっくりしました。でもキャラクター性とか、人間関係を徹底的に重視してるのは一貫してると思いました。
アーサーがショーパブ?みたいなところに出演したとき、派手に失敗するんだろうなって思って見てました。でも意外と上手く行ったみたいで、あれ?って思ってたらまさかの落ちでした。普通に失敗するシーンを見せられるよりつらいです。現実ではきっと目も当てられないくらい大失敗したんだろーなーって振り替えって思います。晒されるくらいですし。
良く優しい人がいちばん怖いみたいに言いますが。笑わせる事ができる人は、人を落ち込ませる事もできるんですね。となると、本当のサイコパスは監督自身なんでしょうか。と思った映画です。
自己存在の確認
自己の存在を確認できない、出生も否定された者が、反抗することで社会化されていくストーリーと理解した。現存する社会制度が肯定され、それを圧倒的に守る者が正義(=バットマン)ならば、その社会から自己存在を否定された者、自己存在を確認できない者はどこに居場所をみつければいいのか。自殺は社会から自己を抹消するという対極の行為であるが、タイ映画「ホームステイ」は自己否定=自殺の原因を自己の内部に見つけ、自己を肯定化するプロセスとして描き出した作品と言える。ピエロ(=道化師)からコメディアン、コメディアンからジョーカー(=オールマイティーのカード、あるいは52枚から外れたカード)への変身が意味するところを考えてみたい。
紛れもなく名作
病的
さすがのホアキン
繊細で素晴らしい映画
細かい描写が現実感を増し主人公の心情が徐々に変化していく内容のシーンが良かったです
確かにコメントにある通りブルースの両親が違ったり執事の様が違ったりしたのは違和感がありましたが全体的に見れば素晴らしい映画なのでスッと飲み込むことができました
少しだけシャッターアイランドのような部分を含みつつ不気味な感じなのにBGMがなかったりそれでも引き込まれていくような映画です
映画というのは僕自身引き込まれたりスクリーンの中の世界にいったような感覚になればそれはかなり楽しめている証拠です
仮にホラー系でもヒューマンでも泣いたり笑ったり恐怖を感じたりということができればそれはあなたにとって引き込まれている証拠です
このジョーカーという映画引き込まれ現実社会に一石を投じるような映画近年の社会情勢たまたまだとは思うのですが台湾を彷彿させる部分もあります
悲しいけど最後にはジョーカーになって称賛されよかったと思える自分がいました
これから見る方はぜひ表面ではなくて細かく繊細な描写からこの映画の意図をくみ取って観ていただければより一層楽しめるのではないでしょうか
難しかった
アメリカの文化も
アメコミについても
全く知識なく観てしまったためか、
そもそも理解力が乏しいせいか、
ここまで絶賛されてる理由が分からなかった。
けど、アメコミ映画のジョーカーがどんな人物なのか
興味は湧いた。
主演の人の演技はものすごく上手。
表情もそうだけど、
走り方をはじめとした体の動かし方が
すごくリアルだった。
ケースワーカーとの相談の場面で、
「僕の話なんて聞いていない」から始まる
人生や生活に対する不満や嘆きや悲しみ、
バスで子供をあやしたときに
子供の母親に煙たがられて笑い出す場面、
どこにも行き場がない誰にも認めてもらえない
痛みが描き方にも演じ方にもよく表れていて感嘆。
“I hope my death makes
more cents(sense) than my life.”
このフレーズはかなりくるものがあって、
泣きそうになった。
それが一転、
電車内から始まる一連の殺人があまりに突発的で
急に置いてきぼりにされた感じ。
どんなに辛くてもしんどくても
それはないわ…となってしまい、
ちょっとついていけなくなった。
1つ1つどれにも経緯と理由があって
無差別ではないし制裁的なものなのだけど
うーん、、
そのやり方しかなかったのか…だし、
過去も現実も確かにひどい
どこにも助けを求められない劣悪すぎる状況だけど
だからと言ってその殺人は許されないじゃん…て。
パーツパーツから物事を繋ぎ合わせて
しっかり理解していくところや、
垣間見える思考が
地頭のいい賢い人なのに
なんか殺人に至る心情部分の描写が
匙投げされてるように見えて、
ただただ短絡的にカッとなってヤっちゃう
頭の悪いやばい人みたいなのが
もやっとした。
後半はかなり暴力的なシーンが多くて
これは紛れもなくR指定。
心の荒れや社会の乱れを
とりあえず過激な映像で
さくっと表現してるように見えて、
そのあたりもっと丁寧に描かれていたら…
と思うと、もったいなかったな…という感想に。
<memo>
脳障害により、急に笑い出す疾患は実在する。
▶︎情動調節障害(Pseudobulbar Affect:PBA)
この疾患は、感情を司る脳の領域に障がいがあり、
突然激しく泣いたり笑ったりしてしまううえ、
自分ではコントロールできない。
頭部外傷後遺症(TBI)、多発性硬化症(MS)、
筋萎縮性側索硬化症(ALS)、パーキンソン病、
脳卒中やアルツハイマー型認知症に併発する。
紙一重
苦しくなる映画でした
母親の面倒をみて、真面目に働き、決して悪いヤツではなかったアーサーが、段々と哀しみに潰されて狂っていく
こらでもかこれでもかと押し寄せる不幸に、狂っていくアーサーを責められるだろうか
その苦しみから逃れるために、善と悪、どちらに転ぶか、人間誰も紙一重なんじゃないだろうか
笑ってほしかった、愛して欲しかった、認めて欲しかった、ただ切にそれを願っただけなのに
もちろん、不幸だからといって、その後の行動は認められない
分かってはいるけど、アーサーの気持ちが痛くて、とにかく苦しくなる
哀しみの中でも、何かを忘れるように、取り憑かれたように優雅に踊るアーサーに涙が出た
アーサーを狂わせたのは私だったのではないか、私はどちら側の人間なのか、と自分自身すら分からなくなりそうだった
清掃局のストライキで、街中にゴミが溜まっている
その風景の中を歩き、画面が絶えずごちゃごちゃとしてるのをずっと見てると、知らず知らずのうちにこっちまで気持ちが荒んでいく気がして、アーサーの気持ちに寄り添いたくなる
全てが良くできた映画でした
演技、映像、音楽、どれも惹きつける
最後white roomが流れたとき、狂っていく気持ちを煽られるというか、破滅的な衝動に駆られました
せめて映画の中ではハッピーでいたい、と思ってるんですがね、、
衝撃的な映画でした
期待以上
アメコミっぽくないというのは間違い!これこそDCのアメコミ映画っぽい!!
もともとは『スーサイド・スクワッド』でジャレッド・レトが演じたジョーカーを基盤とした『スーサイド・スクワッド』のスピンオフとして浮上した企画であったため、当然ながらジャレッド・レトがその時はジョーカーを演じる予定であったし、この時点ではDCエクステンデッド・ユニバースの拡張であったと思われる。しかし、独立作品とした背景には、マーベルの成功があり、いくら追い抜こうとしても追い抜けない現実から、DCならではのことをしようとしたときにこの『ジョーカー』の企画がスタートしたのだろう。
差別化を逆手にとったかのように闇!闇!闇!!ここまで来るとアーサーのどん底設定が楽しくなるぐらいだ。監督のドット・フィリップスと脚本のスコット・シルバーもこの設定を逆手にとって楽しんだのではないだろうか。
そこに加わったのがホアキン・フェニックスというクセ者俳優の怪演。
ホアキン・フェニックスがキャスティングされたと知ったとき、明らかにヒーロー路線のスピンオフでないことは分かってしまった。
ホアキン・フェニックスなんてヒーロー映画向きではない俳優だからだ。
舞台はゴッサムシティ、のちのバットマンとなるブルースは登場すると言っても、見事なまでに現実社会の闇が投影されていながら、バットマンの世界観をフルに活用している点はさすがドッド・フィリップ、そしてさすが「バットマン」という作品だと思わされた。貧困層の抱える抜け出せない負の連鎖や障害を抱える者への差別、現実と幻覚との境が分からなくなる精神状態を投影して、更にもの凄い違和感を残すことに対して、違和感がないメジャーアメコミ作品なんてバットマンぐらいじゃないだろうか。
評価されている点として、『タクシードライバー』と『キング・オブ・コメディ』というマーティン・スコセッシ作品へのオマージュ・アピールが挙げられているし、ロバート・デニーロが出演しているから、どうしてもそう見えてしまいがちなのだが、個人的にはやり過ぎだと思った。あくまで分からない程度のオマージュに抑えていて、何となくわかるよ的なノリならいいのだが、明らかに影響されてますし、「マネしています」というのを表に出し過ぎていることに関しては、いかがなものかと思うし、作品自体のもつオリジナリティが薄れてしまっている気がする。
そこに頼らなくても重圧のある作品に仕上げられたと思うだけに、評価する人もいるが個人的には残念な点である。
ピエロこわい
バッドマンシリーズ見てないんですが、ジョーカーというキャラクターが気になったので、鑑賞しました。どうしようもない世界で、誰も救われなくて、自分を自覚なしに壊さないと生きていけなかったのが、ジョーカーというキャラクターだったんだなと思いました。
ジョーカーになって、なれて、彼は救われたのかもしれないなぁと思ってしまうほど、つらかったー
何も信じられるものがないという状態が、どんどん信じてるものが壊れていくのが、すごい繊細に描かれていて、ほんとにつらかったー
信じてるものが何かを普段意識することはないけど、いろいろ考えさせられてしまった。
とりあえず、ゴッサムシティ怖いし。
ピエロがもう道化には見えない。(やっぱり泣いているように見える
とりあえず、バッドマンシリーズ見ます。
時代が生み出したジョーカー
フィリップ監督は、『ジョーカー』が『タクシードライバー』の影響を受けている、と語っているとのこと。
狂気とカタルシス。両作品には、似た匂いが感じられる。
若いころに見た『タクシードライバー』の主人公トラビスの殺人には、乾いたカッコよさがあった。
『ジョーカー』の主人公アーサーの殺人には、ウエットな共感の思いがわきあがる。残虐さへの嫌悪も重なるのだけれど、共感も強く感じる微妙な感触。
ともに、殺人を肯定させてしまう力が映像にある。
ただ、両者の殺人の裏にあるものの違いは重要で、そこには約40年という年月の経過が横たわっている。
『タクシードライバー』のトラビスは、ベトナム帰還兵。
社会悪への義憤(記憶では多分、短絡的で過剰ではあるけれど)から、大統領候補を暗殺しようと決意し、結果的に売春アパートを襲撃して、少女を助け出す。
かたや『ジョーカー』では、経済的弱者のアーサーが、自分への仕打ちに対する恨みから殺人を繰り返す。
つまり、『タクシードライバー』のトラビスの目は社会に開かれているのだけれど、『ジョーカー』のアーサーの目は自己の苦しみに捕らわれ、社会から閉ざされている。
そして、トラビスは少女を救うことで、結果として社会的な正義をなし、アーサーは自分だけにとっての正義をなす。もちろん、それは社会からは受け入れられない。
主人公と社会とのつながり方が、両作品であきらかに違う。それは時代の反映だ。
『タクシードライバー』が作られたのは1976年。
ベトナム反戦運動の記憶がまだ生々しく、人々の間で悪の認識が共有されていた時代だった。
それに対して、2019年の『ジョーカー』。
背景にある貧困や精神病への差別は個々人の生きづらさとなり、私恨を生み出すことはあっても、共有される社会悪にはなっていない。
そうした社会背景の違いが、トラビスとアーサーという2人の人物像の違いを生み出した。
相似形の2人に見えるのだけれど、根本には違いをはらんでいる。
それにしても今日の極端な貧富の差とその固定化は、社会悪ではないと言えるのだろうか。
アーサーがダークヒーローにしかなりえない2019年、若者たちはこの映画を見ながら、何を思ったのだろうと、おじさんは思う。
言葉にならない傑作
R15指定といってもそれほど過激な描写があるとは思わなかった。
見ると人を殺したくなる、なんていうことは絶対にないから安心して鑑賞してほしい。
子供に見せていい映画とは言えないが、若いうちに見るべき映画だと思う。
アーサーが追い詰められて人を殺す度に、涙がポロポロと流れる。
悪のカリスマ・ジョーカーとなった瞬間には、涙が止まらなくなった。
しかし一体どんな感情で涙が流れているのか自分でも説明がつかない。
別に悲しい映画ではないし、泣かそうともしていない。殺される側ではなく、殺す側を描いているのだから。
主演のホアキン・フェニックス。役者とはこんなに凄いものなのかとただただ圧倒された。
映像でしか表現できない人間、映像でしか表現できない物語が、描かれていた。
エンドロール表示後に現れる「ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞受賞」には、そりゃそうだろうとしか思わなかった。
無敵の人
まさに日本で言う「無敵の人(貧しくて家族や恋人もいない失うものがない人)」であるアーサー。
完全に狂った男ではなく、笑ってしまう病気に苦しむ様、道化として病院の子供を喜ばせる仕事をしていたり、身のこなしが美しかったり、繊細な目をしていて、悪人に思えないのが悲しい。
この映画をみて「怖い」「狂っている」という感想しかない人もいるだろう。そうとしか思えない人がいる反面、どうしようもなく、自己投影する人もいるのが環境や性質の分断だ。
個人的には彼の動画をテレビで流して笑い者にしたテレビの人気司会者がウザかった。地下鉄で女性に絡んで、アーサーに撃たれる男たちも見覚えがある。あの人を馬鹿にしてる感じはものすごくリアル。あんな人々で巷は溢れているのだ。
自分に優しくしてくれた小男を撃たなかったのにはホッとした。
荒んだ世の中では誰でもジョーカーになるのは紙一重だ。
怯えた表情、笑い声の涙目、狂った暴力性、まさに怪演。
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