ジョーカーのレビュー・感想・評価
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喜劇なんて主観さ。笑えるか笑えないかは自分で決めるんだ。
たまたま数日前の深夜、TVで「ダークナイト」を観た。バッドマンを翻弄するジョーカーの小面憎いことったらなかった(と言うものの、基本的にアメコミ映画は観ません。ヒーローの万能っぷりや勧善懲悪のステレオ描写が嫌いなので)。
個人的には、バッドマンの苦悩なんて興味はない。水戸黄門然り、大岡越前然り、どうせちょっとやっつけられるパフォーマンスを見せた後にガッツリ叩きのめすプロレスなのだから。それなら僕は、雲霧仁左衛門や河内山宗俊の物語にこそ強く心惹かれる質だ。美学を持つ悪人や、世の中が作り出しだした道化にこそ、人間の本質が深くにじみ出る世間を見ることができるから。歳をとると、そういう物語にこそカタルシスやシンパシーを感じてやまない。
そしてこの映画には、そんな切なさがあふれていた。
アーサーはコメディアンを目指していながら、笑いのツボが分からないなんてすでに滑稽な悲劇である。どうやら読み書きも満足ではないらしい。もしやLDなのかも知れない。たぶん、子供のころからずっといじめられっ子だった気配がある。clownを職に選んだのだってもしかしたらペイントをして顔を隠せるからなのかも知れない。違う自分になれる快感を得たこともあったろう。
そんなアーサーが、もともと脆かった彼の心を壊すには十分なほどの事実を知ってしまい、精神までも壊れていく様はみじめな弱者でしかない。人生を諦観していたアーサーが、とうとうやけっぱちになって「狂ってるのは僕?世間?」と問うまでに乱れ、やがて自らが秩序の破壊者へと変貌していく。なんと悲しいことだろうか。
そんな堕ちてジョーカーと化けていくアーサーを、怪優ホアキン・フェニックスがものの見事に体現していた。この役者、その役作りには敬服する。「her」や「ビューティフル・デイ」などの彼も素晴らしいが、このアーサー役の彼もまた格別の存在を成している。鏡の前の彼も、走って逃げる彼も、痩せ身で不健康な彼も、限りなく、役に没入しているように見える。メイクした「道化師の涙」でさえも本当の涙を隠すためとしか思えなくなった。だから、アーサーじゃなくてホアキン・フェニックスに手を差し伸べてあげたくなるような気分にさせられてしまう。
クリームの「white room」が堕落していくゴッサム市に融け合い、「send in the clowns」のメロディがジョーカーの人生を笑える悲劇へと導いていくようなラストを観ながら自問する。
で、この映画を観ている自分はどっちだ?と。
顔を隠しながら、災難を恐れてその場から去る”善良”な市民か?
ヘタクソなステップを踏むピエロに喝采を送る、怒れる市民か?
悪のカリスマに対する期待値が高過ぎた
素直に「期待外れ」と言わざるを得ない。
ダークナイトで輝いていたジョーカーと同じキャラとは思いたくない、というのが正直な感想。
「善良で小心者の青年が家庭環境や社会問題からジョーカーになる」というストーリーは現代の社会を反映しているかもしれないが、そんな話は見たくなかった。
「ジョーカーには過去もなく、理由もなくナチュラルボーンのサイコパスで、誰にも理解できない独自の理想を持った悪のカリスマであって欲しい」と自分勝手な期待を、映画を見ながら再確認させられた。
今まで持っていたジョーカー像は、彼女に同意されるとか、街でピエロデモが起こるとか、そんな事で肯定感を得る小物ではなかった。
ちょっとハジけちゃった虐められっ子のようで、とにかく小物感が強い。
悪のカリスマという点では、直近で見た映画とどうしても比べてしまう。
「ハウス・ジャック・ビルト」のジャックと比較すると、洗練されていないしポリシーも流儀もなく、芸術感もないジョーカーはキャラが薄いとしか言えない。
ビジョンもなく、劇中でカリスマ的扱いになっているのも違和感。
ジョーカー役は、ヒース・レジャーという絶対に越えられない壁がある。期待値を勝手に上げ過ぎたという点を踏まえて☆2。
ジョーカーじゃないキャラの誕生譚としても、別に続編を観たくはならない程度の作品ではある。
えぐられた
混沌の本質を知っているか?
社会は多数派の主観によって善悪が決まる。
富裕層にとっての「普通」
中間層にとっての「普通」
貧困層にとっての「普通」
これらは別世界だ。
つまり、どの層に何人の人がいるかによって社会の秩序が決められていく。
自分が殺されたくなければ、人殺しを悪とする隣人とルールを守って生きる他ない。
現代では多数の人が不満や不安を抱えて生きている。
作中のゴッサムシティは他人事ではなく、富める者は弱者から永遠に奪い続ける社会だ。弱い者は死ぬまで働き、何も報われずに死んでいく。
そう言った社会の中で生み出されたのが今作のジョーカーだった。
私の中でジョーカーはジャックニコルソン版とヒースレジャー版に落ち着くのだが、ホアキンフェニックス版も良かった。
ニコルソン版でのジョーカーは本名はジャック。バッドマンの両親を殺したチンピラで、後にバッドマンとの戦いで酸の海に落ちたことで顔を整形する。整形の過程で顔面が引きつり、笑顔のまま表情が固定される。時々、舌舐めずりするのは口が完全に閉まらず、口が乾くからだと思う。作中で幾度となく笑うが、表情の下では泣いていると語っている。
ヒースレジャー版でのジョーカーは本名不明。口が裂けているのは父親にナイフで裂かれたからと説明しているが、サイコパス は息を吐くように嘘をつくので真偽の程は定かではない。人の心の奥底には妬み辛み憎悪や嫌悪、恐怖があり、どんなに潔癖な人間でも皮膚の下は残酷な本性があることを望んでいる。人に「笑え」と言う割に自分はあまり笑わない。ニヤリとしたから睨みあげる笑顔を見ただけでジョーカーの狂気に震えが走る。
ホアキン版ではおそらくヒース版のジョーカーになっていくのかな?と言った印象。精神的に少しずつ人間の倫理や理性が壊れていく演技は素晴らしかった。
ゴッサムシティの悪を死刑して回るバッドマン。
ゴッサムシティの善を死刑して回るジョーカー。
両者の違いはどの層を敵と見なしているかの違いに過ぎないのではないか?見方が変われば、善悪の立場は逆転してしまうのではないか?と言う不安を煽られる。
若い世代がこの映画を観たら、確実に思いのままに生きるジョーカーの思考に感化されると思う。
30代の自分でさえ、自己中心的に生きるジョーカーの傍若無人な姿に魅力を感じずにはいられない。いられないが、こんな生き方をしたら群の中で生きていけないことは明らかなので、良い子は絶対に真似をしてはいけない。そのためのR指定作品だと思う。お子様には思想的影響が多大にあると思う。
大人とはなんだろうね。人と生きることができるようになったら、社会の一員として生きていけるのかも知れない。ただ、自分がどの社会で生きたいのかはきちんと考えなければいけない。
私の生きる社会も、ゴッサムシティの隣にあることを忘れてはいけない。
凄い映画を観た、というのが率直な感想
同じくこの週末に公開されたアメリカでは、映画に影響を受けることを懸念して、映画館の周りの警備などを強化したり、上映を見送った地域もあると聞くこの作品。
バットマンでは悪役として登場するジョーカーを、心のどこかで受け入れてしまうような感覚を受ける。それはきっと、実在の現代社会の闇が投影されているようにも思えるからかもしれない。
とにかくホアキンフェニックスの演技が本当に素晴らしい。アーサーの周囲から気味悪がられる雰囲気を見事に具現化しているのに、どこか観客を味方につけてしまう孤独で繊細な心の持ち主を演じきっている。
そして、どこか陰鬱とした雰囲気を持ち続けるアーサーが、狂気を持つ悪のジョーカーとして歩み始める時、急に不気味なスマートさを醸し出す。その変貌ぶり。
アメコミ、という枠には決しておさまらない。
今年必ず見なくてはいけない1本という言葉に思わず納得する。
そう、これはチャップリン
最初に文章がまとまってないので
すみません。
まずは、ホアキン・フェニックスが、
本当に凄まじい演技を見せてくれた。
彼の演技はもはやジョーカー
そのものでしか無い。
ヒースや、ジャック・ニコルソンと
比べるものでは無いね。
それぞれがそれぞれに、ジョーカーを
演じてる。
正解が無い役、
まさにジョーカーだと思った。
そして、そのホアキンのジョーカーを、
彼の一人芝居のように捉え、
描いた監督にも脱帽。
で、最初見る前は
この話は、結局のところ、
ジョーカーになるまでの話でしょ?
DCコミックの生誕エピソードと
変えるのかなあ、
バットマンは出てくるのかなぁ
そんな事を考えて見に行った。
ストーリーは単純だと。
そしたら予告でもやってたけど
まあ、悲惨な目に散々あうわけです。
これはジョーカーになるのも仕方ないな、
と、もはやジョーカーの内面に
吸い込まれそうになっての、
ラストですよ。
あの白い部屋、
ホワイトルームのシーン。
ここからが、僕の妄想なんだけど
ジョーカーの誕生話は
かなり作り話で、
真実なんて何一つ判らない、
2時間かけて結果
ただそこにジョークがあるだけ、
ジョーカーの誕生話として
こんなのも面白いだろ?
とアーサーが思ったんじゃないかと。
いくつか真実は混じっているかもしれないが
そこを面白おかしく
脚色したアーサーのジョークだと。
たしかに
さんざん見せられた悲劇的なシーン。
1箇所1箇所、本当に可哀想に見えた、
クローズアップすると悲劇だ。
だが、ジョーカーは
自分の人生は喜劇と気づく。
映画も、2時間かけて
笑えない喜劇を作ったんじゃないかと。
そう、これは、セリフでも出てきた
あの、チャップリンの名言のオマージュ
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、
ロングショットで見れば喜劇だ。」
チャップリンは、それを
モダンタイムスで、喜劇を見せて
笑わせて、悲劇を感じさせる
社会への風刺にしたけど
ジョーカーは、その逆なんだと。
バットマンの最大の敵
史上最悪の愉快犯の誕生ストーリーとして
凄いなと思いました。
ああ考えがまだまとまらないけど、
今の日本、消費税あがって
N国とか出てきて、韓国との関係
すべてが、
HAHAHA最高のジョークだよ!
ってジョーカーが言ってそうで
現実に誕生しそうで
怖くなった。
陶酔は道化の"産声"
仕事終わりの初日に観ました。
圧倒されたと言うか、自分もこうなる危険性がホントにゼロか?問いたくなります…。
一線を超えたことで陶酔し、目覚める様は、何というか尋常じゃない生々しさを見た気がします。重々しかった躍りが一転、鉛が一気に消えたみたいに、軽やかに、しなやかに、踊る姿は恐ろしいです。が、同時に幸せそうだと、思ってしまった自分がいます。
自分の暴力衝動が、自分を殺す一発目に。周囲の人々と出生の秘密で、止めの一発に。
怖いです。怖いんですが、ああなる率がゼロと言えない、あり得そうな怖さがあって、それが一番怖かったです。ホラー的な怖さよりも、身近だから尚更です。
でも、ハッピーエンドのような感触なのがお見事です。単一な視点じゃなくて、見方によってはこういう視点も存在するよ、と描く姿勢は、作品を深く高め、議論を大いに弾ませるので、監督はホントに腹を括ってるなと感じました。
ホアキンの熱演には、他の方が熱く熱く語っていると思って割愛。ですが間違いなく言えます。
一見の価値アリです!
今年最も危険であるけど、"声"を発した勇敢な映画を。
完璧なスピンオフだと思った
『バットマン』の最恐ヴィラン、ジョーカーの魅力ってどこからきたのか分からない、過去も分からない、何の為にこんなに酷いことするのかよく分からない、ただのピエロメイクの人間なのにお金積んだスーツでもマシンでも倒せない・・・そんな情報の無さだと思っていたから、このスピンオフで下手に過去を描き出されるような事があったらジョーカーへのリスペクト?が崩れ去ってしまう気がして正直少し怖かった。
でもその怖さは見事に打ち砕かれ、本作によってジョーカーは最も愛しく最強のヴィランになった。
自分という何も無い、一切注目もされない人間性をよく分かっていたつもりのアーサーだったけど、これまで信じてたそんな人生すら実は偽物で、母の愛すらまた偽物で。背中合わせだった悲劇と喜劇がいつしか混ざり合いふとしたきっかけで容易に牙を剥く。自分を偽る事を辞め、(自分にとって)「最低な奴など死ねば良い」と言い切るシーンには胸を打たれる。その心が間違っているとは言い切れないと、ジョーカーの凄惨な半生が訴えかけてくる気がした。
ジョーカーの行動がきっかけで起こるゴッサムの抗争まで、この映画にはキラキラと光が輝くシーンなど一度も無い。コメディショーのシーンすら暗いのだから。パトカーに乗って街の暴動を「なんて美しいんだ」と目を輝かせて見つめるジョーカー。確かにそうだ。ドンパチと響く音と、オレンジ色のネオンカラーのような炎に包まれる街角がとても綺麗に見えてしまった。彼にとっての綺麗な風景がこれなんだと思うと泣けてきた。
ありがとうホアキン・フェニックス!
あなたは最高の俳優だし、ジョーカーは最高のヴィラン!
それほどか?
期待をして鑑賞して来たのだが、私の矮小な理解力ではこれがDCシリーズのヴィラン「ジョーカー」なのか?と。
終始、荒んだ空気感のゴッサム。
ジョーカーも「狂気」と言うよりは世間的に救われない病人の男性。
バットマン(ブルース・ウェイン)との関係性も出てくるが、ジョーカーとブルースが歳が離れすぎでは?
最後は無理やり取って付けた様な市民の暴動により「ジョーカー」が「神格化」され終わってしまう。
もし今回の「ジョーカー」を今後の「バットマン」関連作に組み込まれるのなら、この後の「ハーレークイーン」との絡みが想像出来ない。
陰鬱なジョーカーと天真爛漫のハーレークイーン。。。
ジョーカーなら破天荒でないと。
悪役もヒーローも表裏一体
不遇な生い立ちと、幼い頃の虐待ネグレクトによって精神病を患ったアーサー。下層級の不幸で気弱な精神病疾患者が残された救いは“笑い”なんだ。
愛する“道化師”の仕事さえも奪われたら、それこそ死ねというのか!!
これだけ多くのマイナスと不幸が重なり“ジョーカー”が生まれてしまったのだ。
一方でアーサーは年老いた母の面倒を献身的に見る優しいところがあったりもする。
誰だって悪役になりたくてなったわけではない、“ならざるを得なかった”という背景があるんだと本作を通して気付かされる。
生きていると、自分より幸せそうな境遇の人や才能を持つ人に対して嫉妬するし、嫌なこと不幸が続くと投げやりな気持ちになってしまうことが誰にでもあるのではないだろうか。
だから本作は多くの人から共感を得ているのかも。分かるよ、ジョーカーの気持ち。
笑いと怒り、悲しみ
正義と悪
現実と妄想
この世のものは全て表裏一体
ジョーカーだってある人たちにとってはヒーローなんだ!
どこからが現実か、アーサーの妄想なのかという線引きが難しいのが本作の特徴だが、鑑賞者に判断を委ねているのだろう。最後の民衆の逆襲は現実であってほしい。
クソ映画でした
俳優つまり演技は、凄かったなあ。
こんな感じで、狂気に落ちていく様子を演ってくれ、って言われたからできるってもんじゃない。
動きの全てが、壊れていく精神を表している感じはすごい。それも、一気にではなく、徐々に徐々に。そこは、ホントに尊敬だ。
ロバートデニーロが出ているのは、「ディアハンター」との対比というか、リスペクトなのだろうか?
場面ごとの撮影も見事だし、音響と音楽で心理状態を示すって点でも、恐れ入った。
しかし、それだけに、この話は、いったい誰のための、何の話なのか? と真剣に考えてはしまう。バットマンの敵役ジョーカー、あんなヤツがどうして生まれたか、気になるでしょうってか?
それを知ると、バットマンシリーズというヒーロー物を観る姿勢が、大きく変わるのか? 不幸な境遇を知って、悪事を働くなもさもありなんと思いながら観るのか? そんなこと、ないだろうな。
そんなわけで、本作が、ヒーロー物の一部として作られた意味は、自分にはちんぷんかんぷんだった。なので、失礼な書き方になってしまったが、自分にとっては、クソ映画でした。
惜しくない? こんなにすごい演技、撮影、音響してるのに。
ある意味『ダークナイト』の時とは対照的なゴッサム市民
ソフィーとの愛も母との絆も全て幻想だったと知ってしまったアーサー。
もう何も失うものが無く、死すら恐くなくなった。そういう状況に陥った人間は、『どうせなら、自分にひどいことをしてきた奴らに報復してやろう』という思考に走ってしまう可能性がある。
アーサーは、
自らを虐待した母を殺し、
自身をハメて仕事を失わせた元ピエロ仲間を殺した。
最後に残るのはあと一人、テレビでアーサーを笑い者にしたマレー・フランクリンだ。
観客である我々には、アーサーと周囲の笑いのツボのズレを散々見せつけられてきた。
アーサー自身もそれを重々自覚している。
そこでアーサーは気づく。
『みんな僕を病気だっていう、けどこれが僕なんだ。僕の人生は悲劇だと思ってたけど、コメディだったんだ。もう自分を偽るのはやめだ。』
そう、これまでアーサーは病気で笑ってきたと思ってた。けど違った、あれはアーサーの主観的に、面白くてしょうがなかったから笑ってたんだとわかった。
『みんな善悪の基準を主観で決めるのと同じように何が面白いかの基準も主観で決めてる。同じことさ、僕だってそうする。』
そのセリフにも表れてるんじゃないか。
最後のシーン、マレーのショーで『僕が証券マン3人を殺した、奴らがクソだったから。』と暴露したのは
アーサーにとっては渾身のジョーク(殺人した、というのは前提の/これさえも妄想なのかもしれないが笑)だった。
だがマレーは言う、『笑えない、オチは?
お前は自分を憐れんで殺人を正当化しているだけだ。』とアーサーの主観的ジョークを真っ向から否定した挙句、アーサーをこれまで二度も笑いものにした。
なぜ自分の主観的ジョークだけが認められず笑いものにされなければならないのか、とアーサーは憤激し、マレーに引き金を引く。
この映画が犯罪を助長すると主張している人がいるが、その意見は少々的外れではないだろうか。もしこの映画を見て『僕(私)も犯罪をしよう』と思った人は映画と自分をもう一度見直すべきだ。この映画は、『誰だってジョーカーなってしまう可能性を持っている』、『ジョーカーが生まれてしまうとどうなるのか』、『またそんなジョーカーは一体何が作り出すのか』を私達に警告した映画である。『思いやりの欠如』が招き得る結末を私達に突きつけたのだ。決して『みんなジョーカーになれ!』とは言っていない。
マレーの言う『お前は自分を憐れんで殺人を正当化している』というのはド正論だ。社会の道徳的に見て、何も間違っていない。たとえどれだけクソ社会(弱者切り捨て・全体主義)やクソ人間(利益追求マシン化・言葉が形骸化/カウンセラーの女性の仕事からそれがよく伺える。彼女は思いやりの気持ちよりも、機械のように、アーサーにカウンセリングの名目で毎週同じ質問を繰り返す。)から酷い仕打ちを受けたとしても、皆我慢して"黙っていい子"にしてる。そうやってひっそりと死んでいく。そういう人生も当たり前になっている現代で、アーサーに共感した人が大勢いる。つまりアーサーと境遇を共にする人間が実際多く存在する。アーサーは思いやりに欠けた出来事を何度も経験し、何もかもうまくいかなかった結末として、ジョーカーという狂気の存在(死すら恐れないためどんな犯罪行為も犯しかねない)へと徐々に覚醒していったのだが、これは、そのアーサーと境遇を同じにする者達の誰にでも起こり得ることなんだ、と我々は気づかねばならない。この思いやりに欠けたクソ人間とクソ社会が姿を変えず存在し続ければ、ジョーカーのような存在が現実世界にも現れ得るのだと。
資本主義の負の側面を嫌という程見せつけられる。人と人・人と社会・社会と社会を繋ぐのは金(利益)だけではないはず。我々人間には"言葉"があり、そして感情表現の一つとして"笑う"ことができる。思いやりのこもった"生きた言葉"をかけ、"笑い合う"ことでも人と人は繋がりを持てるはずなのだ。
この映画は素晴らしかった。笑えるシーンなんてほとんどなく、ただただた目を見開き、苦しい現実に直面し続ける。目を背けたくもなったし逃げ出したくもなった。それゆえ序盤"酷い一日"を経験しトボトボ登った階段を、"自分らしいコメディ"としてここまでの悲劇全てを受け入れ覚醒したアーサーがthe hey songをバックに軽快なステップで駆け下りるシーンには思わず笑みを浮かべてしまったものだ。私的に、この映画は『ダークナイト (08)』を観て以来の衝撃だったかもしれない。『ダークナイト』において、ゴッサムを救ったのはバットマンではなく、他でもないゴッサム市民だった。彼らにはまだ良心が残されていたのだ。そして本作『JOKER』においてゴッサムを地獄に変えたのも、皮肉なことに、ジョーカー(アーサー)ではなく、"苦しみ"や"怒り"が長い年月をかけて蓄積されたゴッサム市民自身だった。この意味で『ダークナイト』と本作は対照的だったと感じている。
だが一つだけ違和感を感じたのは、アーサーがジョーカーとしてマレーのショーに出た後、発言が力強く、ある種説得力のあるものに変わった所だ。これが少し急すぎた気がした。もちろんジョーカーという人物は、賢く抜け目ない頭脳派のヴィランなので正解なのだが、ここまでのどこか頼りない冴えないアーサーを観ていたからか、微妙な違和感を覚えてしまった。だがこれも、自らの悲劇の人生を喜劇として受け入れることに成功した事で"病気の笑い"と"本物の笑い"が統一され、発作として苦しむことがなくなったことでアーサーは自らの意見を正確に伝えることが可能になった、ということなのかもしれない。
対立と憎悪を助長しているだけ
陰鬱。陰惨。子猫の虐待を延々見せられているような感覚。アメリカで不満がくすぶっている貧富の差やトレーダーなどのホワイトカラーに対する憎悪とリンチ(私刑)を助長するメッセージがあからさまに表現されています。こうした軋轢や暴動を扇動する内容自体が、私には狂気に感じました。
主演の怪演は認めますが、バットマンのジョーカーとは全く別の作品として作るべきだったのではないでしょうか。個人的な意見ですが、「バットマン」、「ジョーカー」の看板がなければさして話題にもならなかったように思います。
心震える傑作…‼︎
驚くほど綿密に構成されたシナリオと、ホアキン・フェニックスによる驚異的で狂気的な演技は観る者を震えあげさせる。それは決して恐怖ではなく、神がかり的な物語構成と演出によって沸き上がる心の底からの感動である…
悪のカリスマ「ジョーカー」の誕生は決して突発的なものではありません。度重なる不運とアーサー自身が持ち合わせている哀しき持病によって段階的に狂っていくのです。
本作の凄いところは、ジョーカー誕生となる要因がものの見事に絡み合っている点です。最悪とも絶妙とも言えるタイミングで降りかかる数々の不運。そして随所に散りばめられた伏線とともに重なり合っていく物語展開。こんな傑作は何年ぶりでしょうか。
悔しいですが、ノーラン版バットマンシリーズのジョーカーにも劣りません。
そして終盤、ジョーカーが誕生する瞬間のあの演出!痺れました…
オチも素晴らしい。最後まで丁寧につくりあげたのが伺えます。
1人で観に行って良かった!
清掃業者のストにより街にゴミが溢れ返っている、とラジオが報じている中、自身にピエロの化粧を施すアーサー(後のジョーカー)は泣きながら無理矢理口角を上げる。
世界は最悪、そして自身はその世界からも除け者にされている。ただ、誰かに必要とされたい。
誰でも良いから、俺で幸せになってくれ。
と言う善意の形をしたエゴを拗らせに拗らせた結果、ブチ切れ大爆発、そしてその大爆発に酔い痴れる、力の無い卑怯者達。
夢や希望を持って世間に立ち向かうより、その世間に尊厳を全て奪われた時、人は何にでもなれてしまうのではないだろうか?
でもそれは誰も幸せにはしない。
だから人は夢や希望を肯定し、自身を肯定してくれる人を探し、コミュニティを作り、倫理の仮面を被る。
なら、皆から疎まれ、誰にも肯定される事なく、そのコミュニティに入れなかった人間は?
この映画は、「化物になるしかない」と答えた。
そして「誰が彼を責める事ができる?」と問うた。
今日飲む酒は不味くなるだろう。
最高の映画でした!
要注意
スーサイドスクワットと同じ感じかなあと思いながら観に行き後悔しました。
フランス映画で精神を病んだ男の悲しい人生を延々と見せられる映画を昔見たのですがそれと同じ感じでした。
どこからいつものジョーカーになり悪の限りを尽くすのか?バットマンは?ハーレークイーンは?
全てありません。
精神を病んでる方には見せたくないような内容です。
途中で妄想なのか現実なのかわからないところもありそれは後からわかるのですがマイナス点としてコメディアンとして舞台にあがる場面は何か唐突な気もしました。
とにかく重い重い映画ですがジョーカー誕生の瞬間とも言える場面は最高です。
あと常に画面は暗いです。ダークな世界観に浸りたい人には満点かもしれませんが私には救いのない憂鬱感が少しキツかったです。
お見事
今年10月にジョーカー フォリ・ア・ドゥが上映するにあたり再度鑑賞。
ストーリーは省きます。
ジョーカー事アーサー・フレックが見事に悪役ジョーカーに至るまでのストーリーが見事に描かれている。
ゴッサムシティと腐った世界で、病を抱えた母を支えアーサーも身体に障害を抱え急に笑う精神的な障害を持ちながらもコメディアンを目指している。
序盤は決してアーサーは社会からはみ出さず、普通に生きようと真っ当な人間に映る。
しかしながら世間は冷たくアーサーを見事にピエロから悪魔に変化して行く様子はホアキン・フェニクスが演じる事で引き込まれる。
アーサーはもうすでに壊れている存在。日記の内容やネタも自分の自虐ネタばかり考えている。
人生に疲れた笑い・諦めの笑い・狂気の笑いと私達が想像している笑いとは全く違う世界観で生きている。そうアーサーは常に笑われて生きてきている。
トーマス・ウェインも実の父親だと思っていたが母親の妄想で実は違うと。
もうアーサーの一つの希望が消え、唯一の味方であった母の存在も消えてもうアーサーには何も無くなってしまい無敵の人間になる。
終盤に唯一の味方に映る小人症の男性を助けます。決してジョーカーは無差別ではなく自分を見下した人間を殺しているダークヒーローの存在である様になってしまった。
TVショーの場面での会話では、決して彼は民衆を煽っているのではなく勝手に暴動が起きている。政治なんかには一切興味がないと。社会に対して不満に感じていた民衆が勝手にジョーカーをヒーローにし暴れているだけ。
そうジョーカーは民衆が勝手に作り上げた存在だと。
階段のシーンでのジョーカーは最高にカッコ良く完全に生まれ変わった。
見事にダークヒーローとなるジョーカーが描かれ、決して共感してはダメな作品を素晴らしいと感じさせられる作品になった。
タイトルなし
全1577件中、161~180件目を表示















