ジョーカーのレビュー・感想・評価
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悪の解釈って、これでいいのか?
2019.10.08:追記
■最大の誤認識
自分も含めて皆の感想の大きな間違いは、
今回の「ジョーカー」をなぜか「ダークナイトのジョーカー」のスピンオフと勝手に思い込んでいる事です。
※ジョーカーといえば「ダークナイト」と直リンクになっている。
キャラとしてのジョーカーは今回の「ジョーカー」と「ダークナイト」では全くの別物です。
善悪の話なので監督さんの解釈で異なるのだと思います。
ダークナイト版:ノーラン監督とヒースが考えたジョーカー
ジョーカー版 :トッド・フィリップス監督とホアキンが考えたジョーカー
■ダークナイト版と違う点
・悪の概念が大きく違う(今回は貧困・格差・孤独が原因)
・ダークナイトではジョーカーは全く身元が分からなかった。
※身分証もなく、服にもタグがない、また警察のデータベースにも犯罪履歴がない。
→悪ってモノはいつどこから来るのかわからないっていう抽象的な表現
ダークナイトのジョーカーは以下の設定でした。
・ゴッサムの街に初登場
・警察も知らないやつが突如現れた
・つまりバットマンとも初顔合わせ
・狂っている(ナチュラルボーンキラー?)
この部分だけでも今回のジョーカーの設定とかなり違います。
※ブルースとの年齢差も…。
この抽象的な悪の存在がダークナイトのジョーカーだったと思います。
つまり悪魔ってこと?
まったく身元の不明な狂ったやつが現れたって…そんなの現実にないよって思います。
ダークナイトは劇画リアルっぽく作られてはいましたが、実は非常にアニメ的で、抽象的です。
で、今回監督さんは「ジョーカー」を
ダークナイトの抽象的なジョーカーではなく、
リアルにジョーカーの存在を考えた作品だと思います。
とすると名前があって、仕事もしていて、家族もいて、精神疾患で…となります。
ジョーカーの狂気:現実的には貧困・格差・孤独から心が崩壊した結果
奇妙な高笑い:トゥーレット症候群(急に笑うヤツ)
以上です。
認識あってますかね?
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2019.10.04
最高でした……が!
ジョーカーってこんな感じでしたっけ?
これだとジョーカーは貧困・格差社会や孤独感が産み出したって事になります。
バットマンとの対決の構図も単純な「金持ち vs 貧乏人」になります。
これでいいのかな?
ダークナイトの公開時には、ジョーカーは「純粋な悪」って表現されていた気がします。
だから躊躇なく人をコロスって理屈。
※自然界の動物と同じ。
認識まちがえてますかね?
マイノリティにも「生きやすい」社会
<映画のことば>
世間の目だ。
こう訴えてくる。
心の病などない。
普通の人のようにしていろ、と。
精神を病んでいるアーサー。
それゆえに、精神的に不安定になると、彼は不随意に(意図せずに)笑い出してしまうという。
「障害」というよりは、ある種の「病的な発作」と捉えるべきなのかも知れません。
服薬によって抑えられる症状なのかも知れませんけれども。
しかし、母との二人暮らしをしながら、カウンセリングを受けているが(今は)病院に
はかかっていない様子なのは、経済的な理由もあってのことと思います。
そんな生い立ちからか、コメディアン志望の彼。
首尾よく人気コメデイ番組の司会者に才能を見いだされ、ステージに上げてもらえて、望んでいたコメディアンの途が拓(ひら)けたものの、ネタづくりが、考えていたよりも、ずっとずっと重たいものだった。
そこへ、小児科病棟での賑やかしの仕事中の思わぬミスから、プロモーターからは解雇の憂き目に。
追い討ちをかけるように、地下鉄車内でのタチの良くない連中とのトラブル。
そういう不幸の積み重なりがが、彼を社会から疎外していってしまったよう。
「こんなに爪(つま)弾きにされるんなら、誰でも変わってしまうわなぁ」というのが、評論子の偽らざる想い。
結局、アーサーは、最後には拳銃の威力に自らの存在を託すまでになってしまう-。
清掃人組合のストライキで、生活環境が悪化しつつあったという世相が、周囲の人々の感情を、いよいよ刺々しいものにしていたのでしょうか。
そのプロセスには、本当に胸の痛む思いがします。
たとえ世間一般とは違った習慣・価値観の持ち主であっても、それが社会一般を害するものでない限り、それは個性として尊重されて、疎外されないような社会になったとすれば、それは、どんなに素敵な「生きやすい」社会であることでしょうか。
「人は生まれながらにして自由かつ平等であり、差別は、ただ公共の利益のためにのみ設けられる。」と高らかに謳いあげたのはフランス人権宣言(人および市民の権利に関する宣言)ですけれども。
その基本的人権尊重主義の考え方は、「差別」というフレーズを「社会からの疎外」と置き換えれば、そのまま本作にも通用するように思います。評論子は。
そして、基本的人権の保障は、常に社会的なマイノリティのためのものであることも、鮮やかに描き出していたとも思います。
民主主義・人権主義といわれる現代の日本社会に住まって、「基本的人権の尊重」とは、やや手垢(あか)に古された常套句のようにも受け取られ勝ちですけれども。
しかし、その意味合いをもう一度だけ問い直してみるためには、決して出来の悪い作品ではなかったと思います。
自身への自戒も込めて、佳作と評しておきたいと思います。評論子は
(追記)
「楽しいから笑うのではない。 笑うから楽しいのだ」というのはウィリアム・ジェームズ(アメリカの哲学者・心理学者)の言葉だそうですけれども。
しかし、言ってみれば「笑えば笑うほど不幸に落ち込んでゆく」とでも形容すべき本作のアーサーを姿を観ていると、胸の痛さに、いたたまれません。
「救貧」「防貧」というのは、社会政策として修正資本主義国家が果たすべき仕事のはずなのですけれども。
勝本勘三郎(1867-1923)という人は、検察官のご出身で、後に犯罪の法を研究する刑法学者に転じた方ですが、国家が救貧・防貧のための施策をなおざりにしながら、その一方で(多くが貧困から生み出される)犯罪者だけを厳しく処罰することは、あたかも国家が犯罪という落とし穴を仕掛けておいて、たまたまその落とし穴に陥ってしまった者を犯罪者として取り分けて厳しく処罰するようなもので「惨も惨、酷も酷、これに過ぎたるはなし」と嘆いた気持ちが、評論子には、分かるように思います。
(追記)
本当の末筆ながら、お断りしておきます。
評論子は、この系統(DC、アメコミ)の作品も、ほとんど観ていませんし、バットマンシリーズをほとんど(まったく?)観ていません(今を去ること、おおよそ半世紀前に、30分枠のテレビシリーズで放送されたバットマンは視ている。)
したがって、本作と他のシリーズ作との関連性ということでは、いささか的外れなコメントなのかも知れませんけれども。
あくまでも、純粋に単品の映画作品としての本作のレビューであることを、ご理解いただきたいと思います。
すさまじいな
倫理だなんだはいったん置いといて、ジョーカーをこんなに魅力的に描いたのがまずすごい。
誰しも1度は自分の不遇を嘆いたり、誰かを深く憎んだことくらいあるでしょう。
そんなネガティブな経験を最大限にデフォルメして、更に妄想もトッピングして、歪だけどすごく魅力的なキャラクター(メッセージ)を提示した作品なんだろう。
よく言われる演技はもちろんなんだけど、エグみを効かせながらここまでエンタメ性を両立させた脚本と構成が個人的に一番すさまじいと思った。
窮鼠
えらい力のいれようだ。
これほどまでに妥協を許さない作品を観た事がない。ホアキンしかり、音楽しかり、編集、アングル…これほどまでにストイックに作品と向き合えるものなのだろうか?
一切の無駄を感じない。
どんな大作であろうと、作品のどこかに監督や俳優のエゴやマスターベーションを嗅ぎ取ったりするわけなのだが、本作にはそれがない。少なくとも俺は感じなかった。
このスタッフとキャストは、一体何と戦ってきたのだろうか?
まるで、真剣の切っ先を喉元に突きつけられていて、その切っ先から目が離せないような…強制的に視線と集中力をもってかれる。
物語はジョーカーの成り立ちなわけなのだが、そこに至るまでのなんと分厚い設定なのか。
たかだかアメコミのキャラにここまでの背景が必要なのかと首を傾げる。
もう挙げるのも面倒なくらい大量のメッセージが投入されてて、それらが見事なまでに流れて繋がっていく。
この脚本家はホントに天才だと思う。
突如笑い出す病気って何?
アレは原作の設定?それとも本作のオリジナル?その病気がもたらす弊害と疎外感。
その特異な病は虐待されていた子供時代に受けた後遺症なのだとか。
その虐待の元凶となる母親の妄想癖。その妄想癖に毒されている自分。精神の破綻を告げる現実逃避の第一歩。
手に入れた愛情が、全て自分の妄想だと分かった時の表情…アレは人のものなのか?ミイラでももっと生気を感じるぞ?
貧しさと孤独と絶望と、それらの描写が漫画っていうカテゴリーから逸脱しまくってる!
超社会派な仕上がりなのだ。
それでいて、しっかりバットマンの枠組みに帰結させる展開などは鳥肌ものなのである。
ウェイン家がジョーカーを生み出し、そのジョーカーがバットマンを生み出す。
そんな複雑な因縁、漫画にいるか!?
拍手喝采、全身の毛が総毛立つわ!
アメリカで問題になるのは銃のくだりなのではないだろうか?
社会的弱者が、それでも正しく生きようと努力していた人間が、指先一本で狂気に染まる。
生放送の番組で、街角の街頭インタビューで、ジョーカーを模倣するものが現れる。
その引鉄が「銃」なのだ。
だが、そんな事を危惧せねばならない程に現代社会は病んでいるという事の裏返しではないのだろうか?
ジョーカー自体は扇動者ではない。
この社会に虐げられている者の1人だ。
自らを卑下して生きている人間の1人だ。
先導もしなければ提唱もしない。
担ぎ上げられた偶像なのである。
社会が生み出した狂気という立ち位置に、十分すぎる説得力があった。
今までのジョーカーは狂気の側面だけがピックアップされてたが、その本質に目を向けると、結局は自分の中にもある狂気に目を向ける事にもなる。道徳心や法という枷があるから実行はしないものの、一度スイッチが切り替わればやってしまうんじゃないだろうかと思う。
そんなあり得ないリアリティをこの作品は感じさせる。偏にホアキンの役作りの賜物であり、一切の無駄を感じない。
何一つ澱む事がない。
奇妙な走り方も作り上げ、ストイックに突き詰めたのでなかろうか?適当に踊っているようなダンスにも、何故か必然を感じる。
それはアングルにも思う事で、まるで映画の神様が撮らせてくれたのかと思うようなカットの目白押しなのである。
印象派の画家がカメラを回したのかと思う程、その切り取られた絵は絵画的であり、崇高で神聖なもののようにも見える。
アレを一発で据えたとしたなら、あのカメラマンは神か悪魔のどっちかだ。天才って言葉すら陳腐に感じる。
大作と言われる映画を数々観てはきたが、それらが遠い過去のようにも思う。
流れるDNAが違うというか…抜本的なものから変革された一編のように感じる。
アメコミのキャラなのだけど…彼を通して雄弁に語られるメッセージは辛辣であった。
これは人がもつ闇の話ではない。
むしろ、人は本質的に闇をかかえており、安易に産み出される感情の一例に過ぎないのだ。
環境や境遇、立場が変われば、その瞬間からカウントダウンされる時限爆弾のようなものだ。
それにつけても、本作のジョーカーは見事だった…大輪の華のようでもあるし、それが開花した時の儚さというか危うさというか…主演ホアキン・フェニックスはとてつもない偉業を成し遂げたと思える。
クランクアップした瞬間、彼は憑物が落ちたかのように放心したのではなかろうか?
幾日も幾晩もジョーカーの重圧に悩まされてたのではなかろうか?
解放されて、生きた心地を取り戻したのではなかろうか?
そんな妄想を抱く程、彼の演技は神懸かっていた。
映画の原点であり、現段階の最高到達点のようでもある作品だった。
すげえモノを観た。
良さが分からない!
ジョーカーの良さが分からないのは自分が恵まれてるからだよ、ってレビュー幾つか目にしたけど、そうじゃない。偉大な悪役にしては境遇がしょぼ過ぎる。もっと狂気に満ちた憎しみとか孤独とかそういうの抱えた主人公の映画たくさーんみてきたし、ジョーカーにはカウンセリングの人も、一応母親もいたじゃない。ただの精神疾患持った異常者じゃん。なんの感情移入もできないよ。
人と違うことして、笑い者にされること私だってあるよ。ムカつくけど、そんなんいちいち気にしてたら全員殺人鬼でしょ。
もっと深い意味あるのかは私の理解が足りないのかもしれないけど、分からない、、
みおわった後に辛くなることも全く無かった、、、
あと個人的に殺し方も、全然かっこよくなかった。拳銃でバン、バン。ナイフでグサ、血で顔が染まる。だけ、、、もっとピエロっぽく踊りながら華麗に、ならもっと良かったなぁ。
これを絶賛してる人は時計じかけのオレンジみたことあるのかな、
悪のカリスマ
バットマンvsスーパーマンを見ておくと繋がる部分があってより楽しめます
ジョーカーになっていく様をうまく描いていて現実と妄想の境目が分からなくなる作りがすごい
原作にないのに上手くまとまってました。
人間の闇の部分膨らませるとこうなるのか…
あの笑い方苦しそう。
誰の中にも「ジョーカー」はいるのかも知れない
悪のカリスマは、どのように生まれたのか。
バットマンシリーズの人気ヴィラン、ジョーカーにスポットを当て、
彼が「ジョーカー」そのものになるまでを描いた作品。
近年の映画では珍しく、吹替版の公開が無い。
その理由としては、やはり本作の印象を決定付ける「ジョーカーの笑い声」の為だろう。
吹替にした時のズレは、きっと作品そのもののズレに繋がる恐れがある。
それ程に、主演のホアキンの演技は凄まじい。配給側の英断とも言えるだろう。拍手。
本作の大きなテーマの一つとして、
純粋な悪意は、本人にとっての真実。と言ったメッセージがあるように思う。
主人公のアーサーは、一つずつ、自身の手にしているものを奪われていく。
タイトルロゴの出方、オープニングシーンは、正に「奪われるもの」を象徴するカット。
あまりにも格好良いロゴの出し方だ。
生活の中で、自身の「突発的に笑ってしまう」障害と闘い過ごしながらも蔑まれ、
信じていたものや、信じたいと思ったものが崩れていき、
彼自身のみが残った時、心のままに生きた時、どのような思考になるのか。
どのような行動を取るのだろうか。
最初から壊れていたのか。
それとも、奪われて、失った事で、己のみの正しい姿を見つけたのか。
人は、もしかしたら最初から壊れていて、
それでも社会や周りとの繋がりによって、
世界の価値観による「正しさ」の上を歩こうとしているのかも知れない。
彼自身が元々障害を抱えている為、真実と虚構が混じる為、
本当に奪われているのかも分からない。
しかし彼は奪われる。全てを失う。最後には自ら手放して、そして「笑う」。
その繋がりを失った時、本当の人間と言えるものが現れるのだとしたら。
そんな事を考えさせられる作品でした。
何より、ラストシーンの暴動のカットは、
アーサーの主観を通してみた世界では、
あんなにも暗く汚いゴッサムとは比べ物にならないくらい美しい。
その感情の動きが純粋と呼ばれるのなら、
きっと誰の中にも、やはり「ジョーカー」は存在するのかも知れない。
余談だが、
本作を観るに辺り、やはりダークナイトは避けて通れない。
明らかにダークナイトのヒース版ジョーカーへのリスペクトを感じるシーンがあり、
ジョーカーと言う「悪意」への制作側の熱を感じる。
何よりも、バットマンシリーズを触り程度でも知っているだけで、本作の世界観にかなりの奥行が生まれる。
逆を言えば、界隈の常識を使ったネタが多い為、バットマンをまるで知らない人は、若干なりとも世界感の観点で飲み込みが遅れてしまう。
ただ、ダークナイトは面白いが……ビギンズがツマラナイから……。
ラスト前で、バットマンでフィギュア化もされている某有名シーンもきっちり入れるあたりも、ファンサービス色が強い。
本当の意味で楽しむために、最低でもビギンズ・ダークナイトの5時間視聴をお勧めする(内2時間半は苦行だろうが……)
底辺のガス抜き鬱映画か
受けぬジョークを口にする男
噴き出す不快な笑いは抑えられぬ哀しき性
親の弱さが子に傷を付け
社会はそのかさぶたを忌む
男は性善から性悪へと生まれ変わり
妄想を経た夢が叶う時
狂気の薔薇が牙を剥く
棘に絡まれし少年もまた復讐の荊の道をゆく
最後の精神科医は瀬川瑛子さん似
狂気がはじまる!
ホアンキンは、24kg減量した。
ガリガリだ!
指をピストルみたいにコメカミに当てて
ピシューってする女性。
僕は、トラビスをなぜか思い出した。
そしてラストは、デニーロの頭を打ち抜く!
そしてブルースは、孤独になった。
狂気がはじまる!
今創られるべき恐ろしい傑作
恐ろしい、あまりにも恐ろしい映画だった。なにが恐ろしいって、ああいう状況に追い込まれたら自分もまたジョーカーになるんじゃないかと思わせられるところが恐ろしい…
今現在世界中で進んでいる分断と格差の拡大がもたらすものを、地に足が付いた描写で魅せられる。今のまま社会の分断を進める連中が権力を握っていたら、アメリカどころか日本でもジョーカーが生まれかねない。終盤はマジで身体が震えた…
まさに今創られるべくして創られた、恐ろしい傑作。
ホアキン・フェニックスの鬼気迫る芝居もさることながら、DCユニバース含め社会情勢なと全方位への目配せがされた脚本、演出も抑制が効いており、それが僕らを現実から離さないままゴッサム・シティーへ連れて行く。
必見。ただし、劇薬注意!
あなたも殺人鬼になるかもしれない
“非暴力で物事が解決するのは相手に良心があるときだけ”という、アメリカ黒人差別の時代のブラックパワーの発言を思い出した
絶望と孤独に満ちた世界で爆発した狂気の男ジョーカー。彼を止めることは誰にも出来ない。
単純にこの男がサイコパスだから、という理由だけで殺人鬼になりうるのではない。孤独と絶望に覆われたこの世界の隅っこにいた者は誰でもなりうるのだ。
人を傷つけることこそ、この世界への反逆だと。絶望に飲まれたことで自分は喜劇者になる。
格差が広がる社会の隅っこに耐えきれなく爆発する者は隣人、いやあなたかもしれない。
ジョーカーの脳内を追体験する122分
稀代の悪役「ジョーカー」が誕生するまでを、本人の“完全一人称”で描いた作品。
それはつまり、ジョーカーの脳内を約2時間にわたって追体験するということで、なのでジョーカーが完全に覚醒する中盤~後半にかけては、彼の反社会的な行動にも喝采を送りたくなるほどのカタルシスを感じてしまう。
「バットマン」のジョーカーが悪逆非道の限りを尽くすぶっ飛んだアクション映画を期待して観に行くと肩透かしを食らってしまうかもしれないけど、この映画は観客が2時間かけてジワジワとジョーカーという毒に侵食されていくヤバイ映画なのだと思う。
ダークサイドへと落ちる
ダークナイトでヒースレジャーが演じるジョーカーにとても衝撃を受けたので。
とても観るのが楽しみでした。
ホアキンフェニックス演じるジョーカーは
ヒースレジャーとはまた違った良さがありましたね
ヒースレジャーのジョーカーはもう、完全に狂いきった後のジョーカー。
だから主役のバットマンすら霞むほどの黒い光をはなってたんだけども。
ホアキンフェニックスは、儚げで、おれそうで、
重く、暗く、不安定。
子どもの頃、母親の彼氏にひどい虐待を受け
母親は助けてくれず、その母親も精神的に狂い
鬱々した人生をずっーと送っていたアーサー。
幸せだったことなんて一度もなかった。
ってアーサーは言っていたけど。
冒頭で、アーサーが化粧台の前で
とてつもない悲しみを抱えながら、それでも
なんとか笑おうとしている姿は
本当に切なくなりました。
人生の中で、とても辛くて、悲しくて、
このまま一生笑える日が来ないのではと
思うことってあると思うし、実際わたしにも
経験はあるのです。
だから、このアーサーの悲しみって
なんか、共感できてしまう。
彼はずーっと、薄れることのない
悲しみと、絶望感の中にいて。
そのダークサイドを見つめすぎて、ついにその中の住人になってしまったんですね。
本当は別の道もあったはず。
彼が幻を見ていた、同じ階の女性との恋。
心の底では、幻を見るほどにそういう幸せを望んで
いたのでしょう。
でも、その幸せなほうを彼は選ばなかった。
ジョーカーが、持っていた感情って誰しもが持っている物のような気がします。
それが、周りの環境や、出来事によって
ダークサイドへの入り口まで簡単に引っ張られてしまう。
でも、そこでその扉を開くか開かないかはやっぱり
その人次第なんですね。
前半の弱々しいさから、一転して後半の
飄々として、狂気にみちたジョーカーへの
変わり具合は、さすがホアキンフェニックスだな
と、思いました。
すごい俳優さんって喋らなくても、感情が滲み出てるけど、今作のホアキンフェニックスはもうやばいレベル。
滲み出すぎて、本当怖いくらい。
あの、笑い声。
観終わったあとでも耳に残ります。
ホアキン・フェニックスの美しい瞳が、恐ろしくて、やりきれない。
ホアキン・フェニックスの美しい瞳。
途中で何度も吸い込まれた。
哀しいやりきれないお話。
なんでよ?と言いたくなるアメリカ社会。
おかしな社会で美しい瞳がさらにさらに澄んでいく。
こわい、こわい。こわくなる。
やりきれない気持ちが恐怖に変わる。
やりきれない。
こういうのをピカレスクといいのか?
凄い作品という、一言。久しぶりにパンフレットを購入した。
悪漢映画をピカレスクと言うんだろと思うが、この映画はピカレスク作品だろう。ウェイン一家との関わり合いも出てくるが、私の見ていた昔のバットマン作品の内容とは違うようだ。昔のバットマンとは別の作品と思った方が良い。
物語の彼の絶望に、共感する部分があり、作品後半の暴動を納得してしまう人も多いだろう。
ただ最後のシーンを見ると、ここまで描いていた物語は何だったのか、と思ってしまった。どう捉えれば良いのだろう。
ホアキンは星5、だが・・
観なきゃよかった。
ダークナイト三部作のファンとしては「ジョーカー誕生ストーリーがどう描かれているんだ?」と期待大だった。
社会的弱者が数々の悲劇から振り切れてしまい悪の権化へと変わる。
ホアキンの役作りや演技は「憑依」といってもよいくらいの凄み、主演男優賞候補ならわかる。だがこの映画自体がオスカー大本命?
退屈で疲れた上映時間に感じたのは『模倣犯』以来だった。
大絶賛レビューが大多数のなか私はきっと【映画】というものを理解していないのだろう、
でも感想は変わらない。
心を蝕むとはこのことか
映画はカタルシスがあるべきだけど
主人公がジョーカーに近づく度に
カタルシスを感じてしまうのは
間違っている
しかし感じてしまう
そういう怖さがある映画
いや、善と悪なんて
誰が決めるんだ?
あぁいかん!
ジョーカーに染まっていったらだめだ
ジョーカーという稀代の悪役は
こうして誕生したのだと
確かに納得できる
そんな濃い男の物語でした
WHITE ROOM
で、毎度毎度痺れる。。
もうすぐ公開される"ジョーカー2"に合わせて、現在リバイバル上映されている本作を鑑賞してきました。
このレベルの作品になると、こちらには初見の方はいないだろうから、あらすじ云々は省略で。。
私は、様々な媒体で3、4回位観ているのだが、解説とか見ていないので、
初見の先入観が拭いきれず"決めつけ"ている部分もあるかもしれませんが。。
しかし
観るたびに実はほとんどがアーサーの妄想に思えてきて立ち止まってしまう。
(DCやアメコミは詳しく知りません)
この信頼できない語り部がみせる現実と妄想にいつも溺れてしまう。
差別・貧困・病気、社会的弱者という背景。
自分ではどうしようもない怒り。
彼に同情しても良いのか?
心優しかったアーサーは、理不尽だらけの世の中の犠牲者なのか?
民衆に祭り上げられた哀しいピエロは、我々の代弁者なのか?
本当に"弱い者"なのか?
現実逃避の先に希望を見たのか。
その希望は願望から作られた都合の良い妄想なのか。
辛い現実から逃れるための手段として彼の中で美化された妄想に、鑑賞者も混乱させられ、徐々にアーサーと同化していく恐ろしさ。
彼に付き合わされてしまうのだ。
私が、あなたが、
アーサーに共感(共鳴)して
"しまった"所が、もしかしたら彼の妄想
(嘘)だとしたら。。と、考えると、
又また恐ろしい。。と、思うのです。
言わずもがな、ホアキン・フェニックスの魂の芝居に圧倒される。
これが見たくて、あまり観たくないのに観てしまう。
痩せこけた身体にアンバランスなピエロのメイク。
不気味で異様なのに、美しいとさえ思ってしまう。
初見から何年も経っているのに、こんな風に思い続けているという事は、
まだ、取り込まれたままなのか。。
だって、勿論続編も観るし今から楽しみだ。
狂気
え~(>_<)
コワイ
コワイ
コワイ
今回改めて思ったのが、
狂気な物語を見ると自分も狂気側に引き込まれてしまうのではないかという怖さ。
だから、ホラーやサイコ物は苦手💧
本当にコワイ。
無理。
レビューにならない💦
ホアキンの演技、すごい。
落ち着いたらジャック・ニコルソン版観てみます✨
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