ジョーカーのレビュー・感想・評価
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面白いところ何もない
無料券で見たからかなりハードル低く見てたんですが、面白さがわからない。
人をハサミで殺傷や銃でころすのが面白いのか?
頭おかしくなってる奴の笑い声を2時間近く終始聞かされて、全くもって不快だった…このサイトの評価が4.2の理由もわからない…。
悪のカリスマの誕生
ホアキンフェニックスの演技は狂気を帯びてて本当に凄かった。しばらくしても、アーサーが発する笑い声が頭から離れずこびりついている。
ジョーカーといえばザ・サイコパスというイメージがあったが、こんなに悲しい過去があったなんて…
コメディアンを目指すアーサーが何度も不条理に合い、ジョーカーになるまでの救いようのない展開は見ていて、辛かったし同情もした。しかし、ジョーカーになった彼が世の中が喜劇だと気付いて起こす行動、それに触発された名もなきピエロたちの反抗に一種の爽快感さえも感じてしまった自分に驚いた。
今作は見終わった後の疲労感がかなりあった。いい意味で何回も見たくなる作品ではなかった。
それと、DCはこの世界線でバットマン作り直した方がいい気がした。ブルースウェインが、両親が殺された原因であるジョーカーとどう対峙していくか面白そうだし。
とか思ってたけど、結局私自身、ジョーカーに嘲笑われてたんだな。
悪の解釈って、これでいいのか?
2019.10.08:追記
■最大の誤認識
自分も含めて皆の感想の大きな間違いは、
今回の「ジョーカー」をなぜか「ダークナイトのジョーカー」のスピンオフと勝手に思い込んでいる事です。
※ジョーカーといえば「ダークナイト」と直リンクになっている。
キャラとしてのジョーカーは今回の「ジョーカー」と「ダークナイト」では全くの別物です。
善悪の話なので監督さんの解釈で異なるのだと思います。
ダークナイト版:ノーラン監督とヒースが考えたジョーカー
ジョーカー版 :トッド・フィリップス監督とホアキンが考えたジョーカー
■ダークナイト版と違う点
・悪の概念が大きく違う(今回は貧困・格差・孤独が原因)
・ダークナイトではジョーカーは全く身元が分からなかった。
※身分証もなく、服にもタグがない、また警察のデータベースにも犯罪履歴がない。
→悪ってモノはいつどこから来るのかわからないっていう抽象的な表現
ダークナイトのジョーカーは以下の設定でした。
・ゴッサムの街に初登場
・警察も知らないやつが突如現れた
・つまりバットマンとも初顔合わせ
・狂っている(ナチュラルボーンキラー?)
この部分だけでも今回のジョーカーの設定とかなり違います。
※ブルースとの年齢差も…。
この抽象的な悪の存在がダークナイトのジョーカーだったと思います。
つまり悪魔ってこと?
まったく身元の不明な狂ったやつが現れたって…そんなの現実にないよって思います。
ダークナイトは劇画リアルっぽく作られてはいましたが、実は非常にアニメ的で、抽象的です。
で、今回監督さんは「ジョーカー」を
ダークナイトの抽象的なジョーカーではなく、
リアルにジョーカーの存在を考えた作品だと思います。
とすると名前があって、仕事もしていて、家族もいて、精神疾患で…となります。
ジョーカーの狂気:現実的には貧困・格差・孤独から心が崩壊した結果
奇妙な高笑い:トゥーレット症候群(急に笑うヤツ)
以上です。
認識あってますかね?
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2019.10.04
最高でした……が!
ジョーカーってこんな感じでしたっけ?
これだとジョーカーは貧困・格差社会や孤独感が産み出したって事になります。
バットマンとの対決の構図も単純な「金持ち vs 貧乏人」になります。
これでいいのかな?
ダークナイトの公開時には、ジョーカーは「純粋な悪」って表現されていた気がします。
だから躊躇なく人をコロスって理屈。
※自然界の動物と同じ。
認識まちがえてますかね?
あなたも殺人鬼になるかもしれない
すさまじいな
窮鼠
えらい力のいれようだ。
これほどまでに妥協を許さない作品を観た事がない。ホアキンしかり、音楽しかり、編集、アングル…これほどまでにストイックに作品と向き合えるものなのだろうか?
一切の無駄を感じない。
どんな大作であろうと、作品のどこかに監督や俳優のエゴやマスターベーションを嗅ぎ取ったりするわけなのだが、本作にはそれがない。少なくとも俺は感じなかった。
このスタッフとキャストは、一体何と戦ってきたのだろうか?
まるで、真剣の切っ先を喉元に突きつけられていて、その切っ先から目が離せないような…強制的に視線と集中力をもってかれる。
物語はジョーカーの成り立ちなわけなのだが、そこに至るまでのなんと分厚い設定なのか。
たかだかアメコミのキャラにここまでの背景が必要なのかと首を傾げる。
もう挙げるのも面倒なくらい大量のメッセージが投入されてて、それらが見事なまでに流れて繋がっていく。
この脚本家はホントに天才だと思う。
突如笑い出す病気って何?
アレは原作の設定?それとも本作のオリジナル?その病気がもたらす弊害と疎外感。
その特異な病は虐待されていた子供時代に受けた後遺症なのだとか。
その虐待の元凶となる母親の妄想癖。その妄想癖に毒されている自分。精神の破綻を告げる現実逃避の第一歩。
手に入れた愛情が、全て自分の妄想だと分かった時の表情…アレは人のものなのか?ミイラでももっと生気を感じるぞ?
貧しさと孤独と絶望と、それらの描写が漫画っていうカテゴリーから逸脱しまくってる!
超社会派な仕上がりなのだ。
それでいて、しっかりバットマンの枠組みに帰結させる展開などは鳥肌ものなのである。
ウェイン家がジョーカーを生み出し、そのジョーカーがバットマンを生み出す。
そんな複雑な因縁、漫画にいるか!?
拍手喝采、全身の毛が総毛立つわ!
アメリカで問題になるのは銃のくだりなのではないだろうか?
社会的弱者が、それでも正しく生きようと努力していた人間が、指先一本で狂気に染まる。
生放送の番組で、街角の街頭インタビューで、ジョーカーを模倣するものが現れる。
その引鉄が「銃」なのだ。
だが、そんな事を危惧せねばならない程に現代社会は病んでいるという事の裏返しではないのだろうか?
ジョーカー自体は扇動者ではない。
この社会に虐げられている者の1人だ。
自らを卑下して生きている人間の1人だ。
先導もしなければ提唱もしない。
担ぎ上げられた偶像なのである。
社会が生み出した狂気という立ち位置に、十分すぎる説得力があった。
今までのジョーカーは狂気の側面だけがピックアップされてたが、その本質に目を向けると、結局は自分の中にもある狂気に目を向ける事にもなる。道徳心や法という枷があるから実行はしないものの、一度スイッチが切り替わればやってしまうんじゃないだろうかと思う。
そんなあり得ないリアリティをこの作品は感じさせる。偏にホアキンの役作りの賜物であり、一切の無駄を感じない。
何一つ澱む事がない。
奇妙な走り方も作り上げ、ストイックに突き詰めたのでなかろうか?適当に踊っているようなダンスにも、何故か必然を感じる。
それはアングルにも思う事で、まるで映画の神様が撮らせてくれたのかと思うようなカットの目白押しなのである。
印象派の画家がカメラを回したのかと思う程、その切り取られた絵は絵画的であり、崇高で神聖なもののようにも見える。
アレを一発で据えたとしたなら、あのカメラマンは神か悪魔のどっちかだ。天才って言葉すら陳腐に感じる。
大作と言われる映画を数々観てはきたが、それらが遠い過去のようにも思う。
流れるDNAが違うというか…抜本的なものから変革された一編のように感じる。
アメコミのキャラなのだけど…彼を通して雄弁に語られるメッセージは辛辣であった。
これは人がもつ闇の話ではない。
むしろ、人は本質的に闇をかかえており、安易に産み出される感情の一例に過ぎないのだ。
環境や境遇、立場が変われば、その瞬間からカウントダウンされる時限爆弾のようなものだ。
それにつけても、本作のジョーカーは見事だった…大輪の華のようでもあるし、それが開花した時の儚さというか危うさというか…主演ホアキン・フェニックスはとてつもない偉業を成し遂げたと思える。
クランクアップした瞬間、彼は憑物が落ちたかのように放心したのではなかろうか?
幾日も幾晩もジョーカーの重圧に悩まされてたのではなかろうか?
解放されて、生きた心地を取り戻したのではなかろうか?
そんな妄想を抱く程、彼の演技は神懸かっていた。
映画の原点であり、現段階の最高到達点のようでもある作品だった。
すげえモノを観た。
良さが分からない!
ジョーカーの良さが分からないのは自分が恵まれてるからだよ、ってレビュー幾つか目にしたけど、そうじゃない。偉大な悪役にしては境遇がしょぼ過ぎる。もっと狂気に満ちた憎しみとか孤独とかそういうの抱えた主人公の映画たくさーんみてきたし、ジョーカーにはカウンセリングの人も、一応母親もいたじゃない。ただの精神疾患持った異常者じゃん。なんの感情移入もできないよ。
人と違うことして、笑い者にされること私だってあるよ。ムカつくけど、そんなんいちいち気にしてたら全員殺人鬼でしょ。
もっと深い意味あるのかは私の理解が足りないのかもしれないけど、分からない、、
みおわった後に辛くなることも全く無かった、、、
あと個人的に殺し方も、全然かっこよくなかった。拳銃でバン、バン。ナイフでグサ、血で顔が染まる。だけ、、、もっとピエロっぽく踊りながら華麗に、ならもっと良かったなぁ。
これを絶賛してる人は時計じかけのオレンジみたことあるのかな、
悪のカリスマ
誰の中にも「ジョーカー」はいるのかも知れない
悪のカリスマは、どのように生まれたのか。
バットマンシリーズの人気ヴィラン、ジョーカーにスポットを当て、
彼が「ジョーカー」そのものになるまでを描いた作品。
近年の映画では珍しく、吹替版の公開が無い。
その理由としては、やはり本作の印象を決定付ける「ジョーカーの笑い声」の為だろう。
吹替にした時のズレは、きっと作品そのもののズレに繋がる恐れがある。
それ程に、主演のホアキンの演技は凄まじい。配給側の英断とも言えるだろう。拍手。
本作の大きなテーマの一つとして、
純粋な悪意は、本人にとっての真実。と言ったメッセージがあるように思う。
主人公のアーサーは、一つずつ、自身の手にしているものを奪われていく。
タイトルロゴの出方、オープニングシーンは、正に「奪われるもの」を象徴するカット。
あまりにも格好良いロゴの出し方だ。
生活の中で、自身の「突発的に笑ってしまう」障害と闘い過ごしながらも蔑まれ、
信じていたものや、信じたいと思ったものが崩れていき、
彼自身のみが残った時、心のままに生きた時、どのような思考になるのか。
どのような行動を取るのだろうか。
最初から壊れていたのか。
それとも、奪われて、失った事で、己のみの正しい姿を見つけたのか。
人は、もしかしたら最初から壊れていて、
それでも社会や周りとの繋がりによって、
世界の価値観による「正しさ」の上を歩こうとしているのかも知れない。
彼自身が元々障害を抱えている為、真実と虚構が混じる為、
本当に奪われているのかも分からない。
しかし彼は奪われる。全てを失う。最後には自ら手放して、そして「笑う」。
その繋がりを失った時、本当の人間と言えるものが現れるのだとしたら。
そんな事を考えさせられる作品でした。
何より、ラストシーンの暴動のカットは、
アーサーの主観を通してみた世界では、
あんなにも暗く汚いゴッサムとは比べ物にならないくらい美しい。
その感情の動きが純粋と呼ばれるのなら、
きっと誰の中にも、やはり「ジョーカー」は存在するのかも知れない。
余談だが、
本作を観るに辺り、やはりダークナイトは避けて通れない。
明らかにダークナイトのヒース版ジョーカーへのリスペクトを感じるシーンがあり、
ジョーカーと言う「悪意」への制作側の熱を感じる。
何よりも、バットマンシリーズを触り程度でも知っているだけで、本作の世界観にかなりの奥行が生まれる。
逆を言えば、界隈の常識を使ったネタが多い為、バットマンをまるで知らない人は、若干なりとも世界感の観点で飲み込みが遅れてしまう。
ただ、ダークナイトは面白いが……ビギンズがツマラナイから……。
ラスト前で、バットマンでフィギュア化もされている某有名シーンもきっちり入れるあたりも、ファンサービス色が強い。
本当の意味で楽しむために、最低でもビギンズ・ダークナイトの5時間視聴をお勧めする(内2時間半は苦行だろうが……)
底辺のガス抜き鬱映画か
狂気がはじまる!
ホアンキンは、24kg減量した。
ガリガリだ!
指をピストルみたいにコメカミに当てて
ピシューってする女性。
僕は、トラビスをなぜか思い出した。
そしてラストは、デニーロの頭を打ち抜く!
そしてブルースは、孤独になった。
狂気がはじまる!
今創られるべき恐ろしい傑作
恐ろしい、あまりにも恐ろしい映画だった。なにが恐ろしいって、ああいう状況に追い込まれたら自分もまたジョーカーになるんじゃないかと思わせられるところが恐ろしい…
今現在世界中で進んでいる分断と格差の拡大がもたらすものを、地に足が付いた描写で魅せられる。今のまま社会の分断を進める連中が権力を握っていたら、アメリカどころか日本でもジョーカーが生まれかねない。終盤はマジで身体が震えた…
まさに今創られるべくして創られた、恐ろしい傑作。
ホアキン・フェニックスの鬼気迫る芝居もさることながら、DCユニバース含め社会情勢なと全方位への目配せがされた脚本、演出も抑制が効いており、それが僕らを現実から離さないままゴッサム・シティーへ連れて行く。
必見。ただし、劇薬注意!
ジョーカーの脳内を追体験する122分
ダークサイドへと落ちる
ダークナイトでヒースレジャーが演じるジョーカーにとても衝撃を受けたので。
とても観るのが楽しみでした。
ホアキンフェニックス演じるジョーカーは
ヒースレジャーとはまた違った良さがありましたね
ヒースレジャーのジョーカーはもう、完全に狂いきった後のジョーカー。
だから主役のバットマンすら霞むほどの黒い光をはなってたんだけども。
ホアキンフェニックスは、儚げで、おれそうで、
重く、暗く、不安定。
子どもの頃、母親の彼氏にひどい虐待を受け
母親は助けてくれず、その母親も精神的に狂い
鬱々した人生をずっーと送っていたアーサー。
幸せだったことなんて一度もなかった。
ってアーサーは言っていたけど。
冒頭で、アーサーが化粧台の前で
とてつもない悲しみを抱えながら、それでも
なんとか笑おうとしている姿は
本当に切なくなりました。
人生の中で、とても辛くて、悲しくて、
このまま一生笑える日が来ないのではと
思うことってあると思うし、実際わたしにも
経験はあるのです。
だから、このアーサーの悲しみって
なんか、共感できてしまう。
彼はずーっと、薄れることのない
悲しみと、絶望感の中にいて。
そのダークサイドを見つめすぎて、ついにその中の住人になってしまったんですね。
本当は別の道もあったはず。
彼が幻を見ていた、同じ階の女性との恋。
心の底では、幻を見るほどにそういう幸せを望んで
いたのでしょう。
でも、その幸せなほうを彼は選ばなかった。
ジョーカーが、持っていた感情って誰しもが持っている物のような気がします。
それが、周りの環境や、出来事によって
ダークサイドへの入り口まで簡単に引っ張られてしまう。
でも、そこでその扉を開くか開かないかはやっぱり
その人次第なんですね。
前半の弱々しいさから、一転して後半の
飄々として、狂気にみちたジョーカーへの
変わり具合は、さすがホアキンフェニックスだな
と、思いました。
すごい俳優さんって喋らなくても、感情が滲み出てるけど、今作のホアキンフェニックスはもうやばいレベル。
滲み出すぎて、本当怖いくらい。
あの、笑い声。
観終わったあとでも耳に残ります。
バットマンの敵ではない
ドイツ表現主義を彷彿させる視覚表現の優れた統一性
悪役ジョーカーの誕生秘話を丁寧に、しかも同情的に寄り添う内容で邪悪の説得力を持つ境地に至った傑作。新自由主義経済の行き着く先のアメリカンドリームの崩壊に、ゴミのように扱われる人間の怒りが社会と時代を象徴すのか。主演のホアキン・フェニックスの精神に異常を来たす演技が、不気味さと悲哀を兼ねた複雑な表情を見せて圧倒的です。そこにパントマイム風ダンスが優雅さを加える。眼を覆うばかりの残酷な殺害場面が続くも、動機の細微な表現は確かになされている。表現のこだわりでは階段の描き方が傑出していた。通常の階段を上る明(正)の意味合いを真逆の暗(負)の象徴として統一している。主人公が置かれている状況、辿るしかない方向を暗示している。地下鉄で三人目の犠牲者が階段を上がるところで撃たれるのも対比になっている。会社を首になっても上機嫌で階段を降りていく先にさす解放された異様な明るい光、または恍惚のダンスを見下ろすふたりの警察官が映りだすところなど、ドイツ表現主義の継承が窺われる。後者はもっとカット割りで生かしてもらいたかったが。物語は、途中まで「キング罪の王」との類似をかすめるも、後半は主人公が謎のウイルスの如く社会に蔓延し、人に取り付く病原体のような恐怖を感じないではいられなかった。
ホアキン・フェニックスの美しい瞳が、恐ろしくて、やりきれない。
こういうのをピカレスクといいのか?
ホアキンは星5、だが・・
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