ジョーカーのレビュー・感想・評価
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バットマンを前提とせずにジョーカーを鑑賞
まず画面の空気感や質感はかなりイイと思います。バットマン・ダークナイトを無視してジョーカー観ました。ジョーカーはチンドン屋もしくはサンドイッチマンの叔父さんとなっており、彼は精神病をわずらい発達障害的でもあり、ジョーカーの実体や本質がつかみにくい話の流れです。ジョーカーが暮らす1970年代の都市環境が彼の精神に決定的にダメージを及ぼすほど劣悪ではありません。ごく一般的な格差のある資本主義社会です。彼自身が問題を抱え、彼自身が犯罪を犯すため、彼の思考や行動に鑑賞者は共感や反感が生まれることはありません。また彼以外の市民の貧しさを知ることができません。そんな生活環境から主人公がヘンテコになりジョーカーに成って行く事に、違和感さえ感じました。しかし物語を無視すれば映画として視覚的に楽しめました。しかしバックミュージックにより現実に引き戻されるので、耳栓をするか、ワケわからない音楽を聴きながら見ると、適当に物語を作り上げ、楽しめるように思いました。
混濁した記憶や幻想が美しく描かれている
現実か、幻想か?希望か、混濁か?美しい描写で引き込まれる物語。バットマンの世界を知らずとも楽しめ、そして悲しく虚しい。最近見た4作中、最も良かった。見る価値、大いにあります。
社会の闇が生んだピエロ
ジョーカー誕生のお話。
ジョーカー視点で進んでいく。
社会から排除されている人たちが、なんとか生きていくけど、それでも無視されて、
どうしようもなくなっていて
そんな人たちの心の中にある
これだけは絶対に自分の中で絶対的な物が、
全くのウソであったと知った時
ほんとはただ"ハッピー"をシェアしたかっただけのコーラに、どうなるかもしらずに大量のメントスを色んな人が一気にぶち込んだみたいに、
ふつふつとしていたものが
一気にふきあがって、周りにぶちまけまくった感じ。
ダークナイトでは、自分がジョーカーだったらと
ジョーカーの立場に重ねて観ることはないけれど、
この映画では、ジョーカーの立場で観ることが出来て、
ジョーカー生い立ちのお話なので、
いい流れにはなっていかないことは分かっていたけど
次々に追い討ちをかけられ、
辛いよなーと心に響いてくる。
ピースレジャーのジョーカーはとても賢くもあって
この作品のホアキンのジョーカーは生まれたてという感じで、
頭脳戦、心理戦のようなところはないけど
人間味がまだあった。
ガリガリに仕上げているホアキンと、
枯れ上がるまでの笑い声
スーツ姿でのラストは痺れた。
オススメの映画。
あまりいないかもしれませんがバッドマンシリーズ未鑑賞の方は
ビギンズ、ダークナイトを事前に観ておくことをおすすめします。
ブルースとのやり取りなども楽しめます。
ジョーカー、とんだサイコパス野郎じゃね
ジョーカーってやっぱり「どこまで行っても愉快犯のサイコパス」なのかもしれないですね。
僕は映画『ジョーカー』を2回観たんですけど、最初観終わった直後はわりと額面通りにというか、「心に病がある貧しくも心優しい青年が残酷な運命に翻弄され悪の道に……」という映画とみて、今までの「どこまで行っても愉快犯」「まじでヤベーサイコパス野郎」のジョーカーじゃないやん!ある意味真逆やん!と思ったものの、それはそれで、そういう映画としてはけっこうよくできているなと感じたんですよね。
僕は個人的には「バットマンに追い詰められたギャングが工場の漂白剤のタンクに落ちて、白い肌、緑髪に笑い顔の怪人に……」という『ジョーカー誕生秘話』が好きだったんですが、11年前の『ダークナイト』ですらもうそんな設定じゃなかったですしね。現代のバットマンの「リアル志向路線ブーム」では厳しいのかもしれない。
(あれ?でも『スーサイド・スクワッド』ん時、ジョーカー、漂白剤タンクに落ちてなかったっけ……?)
「いわゆるアメコミ映画」みたいな、「宇宙怪獣がやってきた〜!ボカーン!」みたいな方向の表面上の起伏はないんだけど、冒頭から何も悪いことしてないピエロがヤンキーにボコボコにされてるとこ見せられたら、まぁ、人間のこころを持ってる人なら「かわいそう」と思って感情移入します(もしくは「この物語はこのピエロに感情移入して読み進めるべきモノだ」と理解してしまう)。
そういう精神的な引っぱりや突き放しによる物語の盛り上げ方がうまいなっ!っていう……。
で、ヘンな疑りを持たなければそのままの気持ちで最後まで観られてしまう。
自分はやらないけど、もし心を病んでる人がこういう状態に陥ったらこういうことをしでかしてしまうのかも……、と解った気持ちにさせられてしまう。
最近たまにある通り魔事件とか、京アニの事件とかもまったく許せるものではないし、ニュースで聞いたときには「理解できない」って思ったけど、もし自分が大事なものを大企業や社会的に大きな存在に壊されたりパクられたりした(と信じ込んでしまった)ら、こういう暴挙に出るしかない!という精神になってしまうのかな……、と思ってしまいます。(「だったら許されるのか」というのはまた別問題だと思うけど。)
で、そういう風に見ると映画を観たあと、「オレたちの星だ!」みたいな感じでジョーカーに憧れてしまう人や彼がヒーローに見えてしまう人がいるのも納得できる。僕も映画館から出てくる時には混乱する電車を後にするジョーカーみたいなステップになってしまったし。
けど、その見方だとどうしても引っかかる部分がいろいろあるんですよね。
25年くらい前、小学生の頃みたドキュメンタリー番組で鮭がクマに襲われるシーンをみた司会のビートたけしさんが「今回はテーマが鮭だからクマが悪者になるけど、クマがテーマの回だったら微笑ましいシーンだよな」って脈絡なく突然言ってドキッとなったのを思い出しました。
小学生のときは「えっ、せっかく鮭気分で楽しく観てるのに、なんでたけしさんそんな冷や水ぶっかけるようなこと言うん……?」って思ったんだけど、この映画に関しては「ジョーカー気分」で観てていいんかな……、みたいな。
映画みて興奮して、ジョーカー気分になったり、それでジョーカーのコスプレしてハロウィンに参加しちゃったり、みたいなのって劇中でチャップリンの『モダン・タイムス』をみて笑ってるトーマス・ウェイン(バットマンの父)や、アーサー(のちのジョーカー)の漫談を笑いものにしてたマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)がやってたこととおなじじゃないのかな……、みたいな。
そしてやっぱり1番は「バットマン関連モノ」として見ると、ちょっと成立しなくなっちゃうような気がするんですよね。
『シン・ゴジラ』を観たときに、「大昔の恐竜が水爆実験の影響で怪獣に……」という、今まで決して捨ててはいけなかった設定を捨てたことで、むしろ「ゴジラ」という存在の本質を描くことに成功してるように感じたのに対して、『ジョーカー』は一本の映画としてはすごくおもしろいんだけど「これがあのジョーカーの誕生秘話です」と言われてしまうと、大金持ちだけど強く優しいお父さんを目の前で殺されたことで誕生したバットマンという存在やバットマンが活躍するゴッサム・シティという街、執事のアルフレッドなど、いろんなものの存在が揺らいでしまうような気がする。
なにより、「どんな時でも明るく楽しい(だからこそ狂っていて怖ろしい)バットマンの最大のライバル」というジョーカーの立ち位置が大きくブレてしまう気がする。
単純に、後にライバル関係になるにしてはアーサーとブルース・ウェイン(バットマン)の年齢が離れすぎてる、とかもあるし、バットマンと異母兄弟(と、劇中で明言はされてはいないものの、映画の中の対立の構造や文脈的にやはりトーマスの子であると見るのが妥当だと思う。)という設定とか、アーサーの妄想や思い込み分を差っ引いたとしても、これが通ってしまうと今までの『バットマンシリーズ』の根底や本質がひっくり返ってしまう気がする……。
で、そんなモヤモヤを抱えたまま2回目を観に行ったら、かなり序盤から引っかかる部分がいっぱいあって、具体的には
・妄想のはずのシングルマザーとのデートから帰ってきたアーサーに、母が「香水のいい香りがする」という
・アーサーが証券マンを撃つとき、リボルバーなのに6発とか8発以上の弾を撃ってる(っぽい?)
・出てくる時計がどれも11時11分(っぽい?見間違いかも。)
・髪を緑に染めてるとき背中にあったアザ(やけど跡?怪我の跡?)がなくなってる(っぽい)
・訪ねてきたピエロ仲間を殺したアーサーに「今夜マレー・フランクリン・ショーに出るんだ」と言われた小人症のゲイリーが「信じられない」と言うのが、「ショーに出ること」に対してなのか「目の前で起きた殺人」に対してなのかあいまい
・そもそもマレー・フランクリン・ショーで自分の漫談が放送されてるのをアーサーが見るのが母が治療中の病院で、番組から出演依頼が来るのが冷蔵庫に入った後。どちらも妄想の中にいる時っぽい感じなので「マレー・フランクリン・ショー出演関連」のシーンはすべて妄想(もしくはウソ)の可能性もある(かも?)
・最後の精神鑑定のシーンは最初のカウンセリングの時に「あなたなぜ入院させられたかわかってる?(だったかな……)」と問われた直後に一瞬挿入される精神病院でアーサーがドアを頭突きする映像と繋がってる(かもしれない)?
……といった部分で、「うわー、コイツの話、全部、全部、最初にヤンキーにボコられてるところからしてすべて!ウソっぱちだったんかもしれん!」と感じたのです。
これは最初に観たときにもちょっと不自然に感じたんだけど、パパウェインに殴られてアーサーが冷蔵庫に入ったあと、カメラが動くんですよね。三脚に固定して撮ればいいのに。
というか、あの部屋にはアーサーしかいないはずで、本来なら観てる自分の存在を観客が意識してしまうような「手持ちのカメラが動く」という演出は不要なはずなのに、カメラが動く。
そしてその画が異様なほど唐突にバツンと切れて、マレー・フランクリン・ショーからの出演オファーの電話を受けるシーンにつながる。
……やっぱりこれはウソなんじゃないか?と感じるんですよね。
そうなるとすべてがウソっぽいし、単純にジョーカーがパトカーの上で踊るシーンからちょくにつながるとも(時系列の不確かさからも)思えないけど、後にバットマンに捕まってなのか、そもそもバットマンすらいない世界で警察に捕まってなのか、精神病院に収容されて取り調べなのか精神鑑定なのかを受けているジョーカーがでっち上げて語ってるウソっぱちの話なのでは……、
と、考えると、映画『ジョーカー』で「描かないことで描いているジョーカー像」は、やっぱり観客すら担いで楽しむ「どこまで行っても愉快犯のサイコパス」なのかな、と思ったのです。
……もしそうだとしたら、こんなに「ジョーカーらしい映画」も無いのかもしれませんね。
映画好きの人から評価が高い
評価は別れているが、音楽映像演技全てがよかった。
これはヒースと比較するべき作品じゃないと思う。全く別物でしょ?
アメコミのそういう部分をわかってない人にはきついかも。
これはフィクションではない。
この映画を観終わった時、タイトルの通りの感想を抱きました。
まず他の方のような正統派な映画レビューではない事を先にお伝えしておきます。
大なり小なり、誰もが不幸や辛いことが立て続けに起こり『もう生きるのが嫌だ』と考えた事があると思います。
街を幸せそうに歩く見ず知らずの人間に、理由もなく憤りを感じてしまい、そんな醜悪な感情を抱く自分に涙が出てきてしまう程、辛い時が僕にはありました。
そんな時期に、とあるニュースを見て同情にも近い感情を抱いた事を思い出しました。
2018年6月に起きた、東海道新幹線内殺傷事件です。
このレビューを見ている方の中にも記憶されてる方がいらっしゃると思いますが、加害者の境遇がワイドショーで取り沙汰されている中に、
事件を起こした加害者家族のテレビ取材の受け方、話し方(加害者の祖母は居間に寝転がりながら記者へ対応していました)が、まるで他人事のような態度だった事を僕は痛烈に覚えています。
ニュースで知ることが出来た情報を聞く限り、
加害者には学校や職場、家庭に至るまで、一切の居場所がなく、どこに行っても拒絶され、
誰にも必要とされる事がなかったような人生を歩んで来たようです。
僕は家族の支えもあり、立ち直ることが出来ましたが、もしその支えが無かったら、この加害者のような人間になってしまったんじゃないかと、怖くなった事をよく覚えています。
人生とは、人と人との繋がりの集合体であると思います。
誰との繋がりも無くなり、失える物をとことん失えば、誰でも劇中のようなジョーカーになり得るのだと思います。
音楽や演技の素晴らしさを称賛するだけでなく、悲劇をスクリーンの外に生み出さない為に何が自分に出来るのか、考えてみるきっかけを作ることがこの映画の本当に伝えたい事だと勝手に思ってます。
ただ…ブルースとトーマスとの絡み要るか?と思ったので星4.5です笑
タイトルなし
前評判がえらく高かったのからするとちょっと期待したとこまで届かなかった感じ。ジョーカーの狂気の演技は迫真だったけどストーリーは割とありがちというか…。
ジョーカーって本来楽しいイメージだったピエロに恐怖のイメージを追加したキャラの一人でヴィランとしてもやたら人気あるけど、そうまでなった理由はこの映画からはあまり感じられなかった。そもそも結局彼が今後犯罪を犯していく行動原理は何だったんだろう?特権階級への復讐?
この映画一番の山はウェイン父がジョーカーを指して「顔を隠さないと行動できない卑怯者」呼ばわりするところかな?と。それアンタの息子もだぞ(笑)
時計の時刻はレトリックなのか?
これは監督が描きたかったもう一人のジョーカーである。
そして、誰にでも潜む心の闇を昇華させたとき。小躍りし悲劇から喜劇を愉しむ瞬間を表現した秀作。
世界中の貧困層が観たら非常事態宣言にもなりかねないメッセージ性がある。
アメリカでは暴動に発展してしまいかねないから警官もでてきて上映禁止地域もある。中国全域で上映禁止なのも想像を超えた現象を危惧しているからだ。
レトリックで気になった点は、やはりラストシーンで全てが妄想オチとなっているのか?どうなのか監督のコメントをぜひ聞きたい。
序盤の11時11分が2回、クビになったときのタイムレコーダーで3回目。
しかし、マレーの番組出演のときは時計は確か。10時40分位を指していたのた。しっかり写していたから意図があるとしか思えない。
ご存知の方、ご教示願います。
悲しい定めの現実的社会映画
物凄く共感する映画。格差社会の中で貧困と差別にもがき苦しむアーサー。普通を装って生きなければ、社会から外れる…。満足な職にもつけない世の中は荒んでいて、人権の尊重もない。政治家や富裕層は口だけで世論を味方につけようとしたり正論のような言葉でねじ伏せたりするけど、庶民の気持ちなんて本当は何も理解してない。それがメディアに晒されたジョーカーを通して庶民をバカにしてると核心に触れ苛立ちに火をつけ世の中のピエロたちが街に溢れかえり暴動となる。日本にも当てはまる事多数…。心無い人の言葉や態度がアーサーの精神を追い込んでいく様がリアルに描かれていたと思う。我慢しても笑いが止まらなくなる病気になってしまったこと。病気は先天的なものじゃなく実は自分は養子で幼い頃母親がネグレクトをしていたことを知ったアーサーが、落胆しつつもどこか自分を責め続けていた心が解放されたように思えた場面があった。他に信じられるものや無くすものがなく、唯一肉親だと信じてきた母親が幼い頃に自分をここま追い込んだ原因でありながら知らずに介護してきた現実にタカが外れ憎悪するかもしれない。人の自制心には限界があると思う。アーサーにも当初は自制心があったはずだけど、人からバカにされ冷たくされ貶められていくうち、その自制心が底をついて人格が壊れていく葛藤…。子供の頃から人を笑顔でハッピーにしたい…そう思って生きてきた純粋な心は、人から愛されず罵られ、存在すらも認められず生きてきた事で、何度ももがき苦しみいつしか病んでいき、やりどころのない痛みが決壊したように溢れ壊れていく。アーサーは世の中の代表のような存在で、誰にでも起こり得ることだと思う。危機感はあったのに援助も受けられなくなりどうしようもなくなった。もう自ら止められない。したことは非道でもそれはもはや心の損傷。ピエロは同じ境遇の庶民の心の叫びに共鳴した。アーサーの我慢しても出てしまう笑いは脳が損傷する程我慢し病んだ行き場のない悲しい心の叫びと悲鳴。かすかに残る心の葛藤がピエロで作り込んだ深い悲しみの笑顔と重なるところが見事な見所だった。
自分の身近な人にも病んでしまった人はいるし現実にギリギリで精神を保ってる人や予備軍、罹患者はたくさんいると思う。余裕のない世の中は荒んでいくだろうし、それがラストの富裕層殺害に繋がった負の連鎖だと思う。
ジョーカーの最後のセリフ「ちょっとねジョークを思いついて。君には理解できないさ」の言葉の意味は様々取れるが、心はあくまで純粋に、まともに生きてきた人間には分からない自分に起こった悲劇を喜劇と表現し、自分はコメディアンでいたいんだという葛藤の中の精神を最後まで崩さなかった唯一の証だとも思え、バカバカしい世の中を揶揄した発言とも取れる。
笑いにはいつも涙が滲み、アーサーの心からの笑顔はこの現実には無く、いつも妄想の中だけにあった。
現実ももっと人を尊重する世の中になって欲しいと思う。でなければ現実にジョーカーは生まれては繰り返し、いつか自分に返ってくる負の連鎖になる事をもっと人は自覚すべきだと思う。悪はどこから生まれたのか…ジョーカー誕生に重ねた社会派映画だった。
ガツンと来ます。衝撃でした。
上映後、しばらくは動けませんでした。
エンドロールが流れている間、ずっーと呆然としていた気がします。
内容も表現も妥協せずに、キチンと描いていて、日本映画では無理だと感じました。
-0.5は、主人公に救いが無かったから。(もしかしてあの場所が‥?)
根柢に「新聞記者」の匂いも感じました。
日本は大丈夫かな、不安でいっぱいです。
それにしても終了後、スマホを確認してスクッと立ち上がり、スタスタと暗い中を出て行く人の多い事には驚きです。
精神的な死と肉体的な死
弱者(ジョーカー)が、自身に精神的な死を与えた者に対して、肉体的な死を与える。弱者を精神的な死に追いやることは黙認される(問題にすらならない)が、弱者が肉体的な死を与えた(殺人)場合は悪とされる。善悪を主観で決めているとのセリフがあったことから、肉体的な死と精神的な死は本来イコールのものであり、権力者が弱者に与える精神的な死は、殺人同様に残虐性を伴うものであると、この映画は主張していると思う。
決して、残虐性を正当化する映画ではなく、弱者の立場から残虐性を描く事で、権力者達(資本主義社会で富を得た者達)に対して、自らの残虐性を認識させようとしているのではと推察される。
また、地下鉄での殺人は、ピエロの仕事を終えて自宅に帰る途中(素に戻る途上)での出来事、仕事仲間を殺した時はピエロになる途上、母親を殺した時は完全に素の状態、テレビ司会者を殺した時は完全なピエロの状態。つまり、残虐性は完全に仮面を被らずとも、いかなる精神状態においても解放されてしまうということであろう。
ジョーカーに優しく接した小人症の仕事仲間を殺さなかったことからも、違う立場の人間同士が相互理解することで、人間の残虐性を抑制できると言いたかったのだと思う。
人間の闇
暴力表現が多い(R15+だから当たり前だけど)
病気持ちの人が理解されにくいのはあるが、人間はタガが外れると暴走するのがよくわかる。周りに合わせないといけないから生きにくい世の中。
日本人はまだ武器所持禁止の分、ある程度秩序が保たれてるのかもしれない。
ジョーカー?
※まだこの映画を観てない人は読まないで下さい。
アメコミ特有の、作者によって設定が変わるってのを理解した上でも残念でした。
ショッカーの戦闘員の1人の誕生秘話
でもいい。
それくらい、どの悪役の過去の話って事にしても良いと思う。
ただ、ジョーカーでは無い。
掴み所の無い部分を病気という設定で逃げているように思えるし、優しい青年がジョーカーにというのを期待させといて、元々普通では無い。いわゆる悪行が、病気じゃなかったらよかったの?と思わせる始末。
そして最終的にジョーカーにならない。
最後にいるのは馬鹿な市民に担がれた、
ただのピエロマン。
踊らされるピエロ。
ジョーカーは自ら踊り、踊らせる。
しかしながら映像の美しさ、街並み、何より演者さんの力は物凄く、オシャレ感覚で観るには良い映画なのかもしれません。
個人的にはウェイン一家の事件の時に一瞬でもコウモリを絡ませていればこの作品の評価は変わったかも。
あれじゃバットマンは産まれない。
今作の後には、悪のピエロ軍団と、それに挑む1人の正義のピエロマンがいる世界が待っています。
評判の作品で。
気にはなっていたんですが、今日が仕事が休みだったので、混むこと覚悟して観に行きました。
やはり、話題になる作品だと思いました。
ただ、映画が始まる迄、ずっとスマホでゲームしてたり、いじっている大学生?専門学生がいて正直、気に入らなかったんですが、映画が終わって後に、この映画はただのキチガイオヤジの話だったね。という話を聞き、その子達や、その世代の子達には、理解出来る作品では無いのかな?と思う作品でした。
ただの正直者の物語
見終わった直後に書いてます。
めちゃくちゃ面白くて、めちゃくちゃしんどい映画でした。
吐き気を催して立っていられなくなり、街のベンチに座りながら書いてます。
アーサーは何をすれば幸せになれたのかが全く分かりません。
今の自分は収入が少なく、会社の存続も危うい状態で街を歩くきらびやかな装飾を持つ人達に嫉妬や一方的な憎悪を持つことがあります。
そういった人間ですので映画に描かれるアーサーと自分がダブってしまい、あまりの救いのなさに「自分もそうなってしまうのではないか」と考えてしまい、吐き気を催して、立っていられなくなっています。
アーサーは一体どのポイントで何を選択すれば幸せになれたのか全く分かりません。
看板を奪われた少年達を追いかけなければ。
同僚から銃を貰うことを拒否すれば。
地下鉄で怒りに任せて銃を撃たなければ。
母親の手紙を見なければ。
自分の父に会いに行くためにオペラ会場に乗り込まなければ。
色々な選択肢があったはずで、そこで別の行動を取れたかもしれないけれどアーサーは必ず社会に溶け込めず、夢も叶えれなくなった予感がします。
結局、アーサーは自分の人生や現状、全てに対して絶望の中で狂いジョーカーとして生まれ変わります。
他の人はそんな事は思わないでしょうが、無職になり、恋も幻想で、母を失い、友人も殺し、全てを失って赤いタキシードを来てピエロのメイクを施してテレビ局に向かう姿は「幸せ」そのものに見えました。
この世界の中で自分を受け入れてくれる場所はなく、真っ当な努力をして、夢を叶えることもできず「普通」になれないアーサーがイカれるのは至極当然のことで、全てを諦めることを受け入れた瞬間のジョーカーはとても幸せそうでした。
この物語は悲劇でもありますし喜劇でもあります。
僕らが生きているこの世界も真面目な人間ほど「狂う」ようになってます。
日本は日に日に生きにくくなっていき、仕事も収入も減るが税金だけが上がっていき、普通に生きることが出来なくなっています。
人生は学生生活からの椅子取りゲームで、その椅子取りゲームに早々に座れなくなった人間はどんなに努力しても夢を叶えることが出来ず、細々と不安の中暮らしています。
引きこもりやニートだけではなく、社会人の中にも普通になれず苦しんでいる人間がいます。
映画の中ではアーサーが特別に狂ったかと思う人もいるでしょうが、彼は誰よりも真面目で自分の夢に向かって生きようとした「普通の人間」です。
あなたの周りにも必ずジョーカーが居て、これから世界中でジョーカーが生まれてきてしまう。
皆イカれて笑い出すのではないか。
そんな予感がして吐き気が止まらなくなる最高の映画でした。
演技は秀逸
俳優の演技は素晴らしかったし、妄想と現実が交錯する複雑な構成で
映画の芸術的な価値がわかる人ならまた違った評価になるのかもしれないが
残酷な場面が多く、自分には向かなかった。
自分がされたくないことを誰かにしてはいけない。
酷いことをされても、仕返しをしてしまったらもう相手を批判できない。
そう思っている人なら、ジョーカーには共感できないと思う。
不幸な過去は自分のせいではなくても、未来の行動を決めるのは自分の意思。
感情にまかせて未来を自ら潰してしまうジョーカーは、自分にとっては
ヒーローではなく反面教師。
だからこの映画にサブタイトルを付けるなら
「しくじり先生 俺みたいになるな!!」
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