「いじめと笑い」ジョーカー いさんの映画レビュー(感想・評価)
いじめと笑い
年間3万人も死ぬような腐った社会を作っておいて、いざ、追い詰められた奴が暴れると「犯人の自己責任だ」「下らない負け犬の逆恨みだ」で済ます政治家、富裕層
弱者の味方を謳いながら、弱者をピエロ呼ばわりする市長候補、莫大な報酬を受け取りながら、弱者へのわずかな援助はためらいもなく切り捨てる行政
ゴッサムとこの国の現実は少し変わらない
人が人を虐げ、苦しんでいる様を見て笑う、というのはどういうメカニズムだろう
わからないけど、自分の中にもそういう気持ちは、ある。人間はそういうやり方でしか笑えないのかもしれない
すべてを我慢しないでジョーカーのように生きてみたい、という誘惑も感じた
笑いは間であるというのは、よく聞く言説だ
作中にもいろいろな間が出てきた
善と悪の間、富裕と貧乏の間、妄想と現実の間、生と死の間、虐げられるものと虐げられるものの間
笑いとは、そうした現実と自分とを相対化して、こわばりをほぐしてくれる作用であるし、人生を笑い飛ばさずに生きていくことは、不可能だ
しかし、漂流するように、すべての価値を距離化していい訳じゃない。それが、アーサーにとっては、父であり、母だった。
その一線を越えてしまったとき時、底辺で踏みつけられていたピエロがゲームの外のジョーカーになる。それはもう、人としての規範を逸脱していた
貧困問題を扱った、単なる社会批評ではなく、もっと広い、何のために生きているんだろう、という原理的な問いを突きつけられた気がした
もしかしたら、生まれたこと自体が間違っていたのか、とも思った
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