「理屈なき「怒り」を肯定してくれる危ない映画」ジョーカー グリーンキャットさんの映画レビュー(感想・評価)
理屈なき「怒り」を肯定してくれる危ない映画
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※『JOKER』が強烈な映画過ぎて、初めてレビューを書きたいと思ってしまいました。かなり拙く、個人の解釈に寄っています。
今作『JOKER』を観て、何故ジョーカー(アーサー)に感情移入してしまうのかわかりました。
それは理屈なき「怒り」を肯定してくれていたからだと思います。
アーサーはあまりにも可哀想で圧倒的弱者でした。そんなアーサーを観て沸々とこのゴッサム、世間に対する不満が募っていきます。でも、アーサーがジョーカーに生まれ変わっていく瞬間にこの不満が発散されてしまいます。とても残虐なやり方だとしてもです。
アーサーがテレビショーに出て司会者を銃殺する前に、「主観」で観ればいい、笑えるか、笑えないか的なことを言っています。
この意味合いは、自分の人生悲劇だと思ってたけど、実は喜劇だったとアーサーが主観してるという意味合いでした。
でも、この部分は色んな解釈ができると思います。酷いことを言われた、酷いことをされたと思ったけど、世間は気にしてくれない、大したことだと思ってないから、「怒り」を押し殺そうとしてたけど、「主観」で観て、解放するべきだよと耳元で囁かれている気もしました。
理屈より自分がどう感じたか。
かなり危ない映画だと思います。
自分もどこかで爆発しようと考える人もいるでしょう。でも、アーサーが劇中で「怒り」を体現してくれて解放感を感じる人もいると思います。ある意味、抑止力的な映画になってるかもしれません。
ストーリーとしては普通だと思いますが、テーマ性が強い作品。
一つの映画としても面白いし、ジョーカーのオリジンとしても面白かったと思います。
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