「初めて映画評論してみたくなったので書きます。」ジョーカー コウキング0531さんの映画レビュー(感想・評価)
初めて映画評論してみたくなったので書きます。
アベンジャーズ インフィニティウォーで、それまで負けることがなかったマーベルヒーロー達は悪の前に敗北する。僕の幼い頃であれば考えられないようなシナリオが現代では受け入れられる時代だ。しかし、残念ながらこれが我々が生きる現代のリアリティである。ヒーローは負けないという幻想は、もはや小学生ですら持っていない。
世の中は不条理に満ち、大抵の努力は報われず、尊い願いは叶わない。嘘つきが得をして、正直者がバカを見る。それがごく当たり前の世の中。
テレビによる洗脳はインターネットの登場により破壊された。芸能界の薬物汚染。政治家達の不正。大企業の隠蔽工作。そして自分達に都合の良いことしか報じないマスメディアの腐敗。それまで信じてきたものに裏切り続けられていた真実を人々は今、知り始めている。既得権益を持ったものは死ぬまで甘い汁を吸い続け、貧しいモノ達は死ぬまで搾取され続ける。この世の中にもはや揺るぎない正義などない。正義と悪は簡単にひっくり返ってしまう。そう、完全無欠のヒーローはもはやどこにも存在しないのだ。
トッドフィリプッス監督、ホアキンフェニックス主演、「ジョーカー」はまさに現代社会への怒りに満ち溢れた映画であるとともに、そこに生きる人々に警鐘を鳴らしている。
人々の不満や鬱憤が肥太ったネズミのように膨張と増幅を続けているゴッサムシティ。そこで大道芸人として暮らすアーサー。
「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」
という母の金言を胸に、持病を抱えながら誰かを笑わせ幸せにしたいと願うアーサー。しかし、そう願えば願うほど他者は、社会は
、世界は、彼を追い詰め、孤立させていく。たがが外れた彼はやがて、マレーフランクリンショーでの凶行へと及ぶに至る。
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」この映画のキーポイントとなるチャップリンの名言だ。思い返せば、不良達に滅多打ちにされ顔を歪めるアーサーのクローズアップ(寄り)から始まるアバンタイトルが悲劇を象徴しているのに対し、スラップスティックコメディさながら逃げ回るジョーカーのロングショット(引き)で終わるエンディングはまさに喜劇的表現を象徴している。トッドフィリップスはこのチャップリンの名言を下に映画を作り上げていったに違いない。
さらに、この映画を語る上で参照すべき映画を二つあげるとすれば、それはマーティンスコセッシ監督の「キングオブコメディ」と「タクシードライバー」だろう。
キングオブコメディのパプキンのように中二病的な妄想を肥大化させ、タクシードライバーのトラヴィスのように、女性に対しての過剰なコンプレックスをこじらせたアーサーは、その両方から裏切られ、果てには唯一信じていた母親から虐待を受けていた事実を知る。
それは、宗教のように盲目的にすがるものや信じるものが消滅した現代に生きる我々の持つ絶望感に似ている。それ故に、我々はいつのまにかジョーカーに魅入られ、共感させられてしまう。キリストの復活をモチーフにして、ジョーカーを車から引きずりだし神のように崇める大衆がまさにそれを象徴している。現代はまさに、キリスト(ヒーロー)よりも、アンチクライスト(アンチヒーロー)の時代になってしまった。
この映画は怒りそのものである。右傾化し、自国の利益最優先で突き進む大衆ポピュリズムはもはやトランプ政権だけの代名詞ではなくなった。もはや世界中にその空気は蔓延していて我々を確実に蝕んでいっている。もはや他人を思いやる余裕はない。誰もがクローズアップで他者と関わろうとせず、ロングショットで傍観を決め込んでいる。このままでは、現代社会は本当にジョーカーを生み出すだろう。かつてのヒトラーのように狂信的な信者達を携えて。この映画はジョーカーを賛美する所か、その現状に対して高らかに警鐘を鳴らしている。
もうすでにその狂気の目と銃口は例外なく我々の背中にも突きつけられているのだと。大丈夫、これは全て喜劇だと、不気味なダンスを踊りながら、ジョーカーはもうすぐそこまで来ている。あの不敵な笑い声がもう耳にへばりついて離れない。
絶対に見逃してはいけない問題作にして、大傑作である。