「ピエロが石段を下りながら踊るシーンはアート!」ジョーカー DOGLOVER AKIKOさんの映画レビュー(感想・評価)
ピエロが石段を下りながら踊るシーンはアート!
DCコミックス「バットマン」に登場する悪のカリスマ、ジョーカーが誕生するまでの姿を描いた作品。第76回2019年ベネチア国際映画祭で最優秀作、金獅子賞を受賞。公開早々、主演のホアキン デニックスが今年のアカデミー賞男優最優秀賞に選考されること確実と予想されている。
激しい暴力シーンのために15歳以上でなければ見られない。映画の内容が2012年にコロラド州オーロラで、「バットマン リターン」上映中に乱射事件が起き12人の死亡者を出したことを思い起こす、として、上映拒否する映画館が出現したり、クリスチャン団体が映画の公開に反対するなどの社会現象が起きている。
ストーリーは
1950年代と思われるニューヨーク、というか、1980年代ゴッサムシテイー。
アーサーは、コメデイアンになることにあこがれて、いまは大道芸人としてエージェントに雇われている。身体障害のある母親を介護しながら、しょぼいアパートで暮らしている。子供の時から母親に、いつも笑顔でいなさいと言い聞かされてきたとおりに笑顔でいて、人を笑わせて喜ばせたいと思ってきた。しかし感情が高まると、笑い出してそれを止めることができなくなるという人格障害を伴った精神病を病んでいて、人間関係をうまく継続できない。またそのため薬を飲まなければならないが、生活が苦しく、薬代の捻出に苦労している。家に帰れば母親のために食事を作り、入浴させ、一緒にテレビを見ることが唯一の娯楽だ。二人ともコメデイアンだったマレー フランクリンのショーを楽しみにしてる。アーサーは以前、マレーに会って励ましてもらったことがあって、それが自慢でならない。
ピエロに扮して宣伝マンの仕事をしていた時に、悪ガキに絡まれてひどい目にあったことから、アーサーは、職場の同僚から護身用の銃を借りる。しかし小児病棟でピエロ訪問のショーで、うかつにもアーサーは持っていた銃を子供たちの前で落としてしまい、それを理由に職場を解雇される。気落ちしたまま地下鉄に乗って帰宅途中、3人の男達が酔って向かい側の座席に座っている女性をからかい始めた。それを見ていたアーサーは高まる緊張を抑えられず笑いだす。笑われて怒った男達は、他に電車の乗客が居ないことを良い事に、アーサーに殴る蹴るの激しい攻撃をかけてきた。アーサーはぶん殴られて足蹴にされされて、怒りを抑えきれず遂に3人を銃で撃ち殺して逃げ帰る。翌日のニュースによると、3人の男達はウェイン財閥のエリート証券マンだった。社長でゴッサムシテイー一番の実力者トーマス ウェインは、自分の会社の将来を約束されていた社員が殺されたことで怒って、記者会見で犯人を一刻も早く捉えることに協力するよう市民に呼び掛けた。
家に帰るとアーサーの母親がトーマス ウェインに手紙を書いていた。母親はトーマス ウェインの恋人だったことがある。アーサーの父親はトーマス ウェインだと信じている。アーサーは、ウェインの会社に忍び込み、ウェインに会って、母親の名前を言うとウェインは、「その女は精神病だ。」と言って相手にしない。ウェインの屋敷にまで行って、庭で遊んでいたトーマスの息子、ブルースに塀越しに話しかけるが、執事のアルフレッドに見つかって追い返される。
警察が訪ねて来て、母親のペニーが発作を起こして病院に担ぎ込まれる。アーサーは病院で、病歴室に行って母親のファイルを盗み出す。そこには母親がアルコール中毒で精神病を患い、同じような中毒者の男と暮らしていたが、孤児を養子にした。しかし養父が養子のアーサーに暴力を奮っていたために、頭の傷から子供も精神病を発病したという経過が書かれていた。今まで母親に言われた通りに何時も笑顔でいて、人を喜ばせようと努力してきたアーサーだったが、母親と自分は血がつながっていなかった。トーマス ウェインも父親ではなくて、自分は孤児だったという事実を突きつけられて、衝撃を受ける。
アーサーは自分が立っていた足場を失った。もう歯止めが効かない。母親を殺し、心配して訪ねて来てくれた昔の同僚を惨殺し、マレー フランクリンのライブショーに出かける。テレビカメラの前で、3人の証券マンを、ジョークで殺したと告白し、マレー フランクリンを撃ち殺す。アーサーは逮捕されるが警察による護送中、アーサーのテレビ生中継にインスパイヤされた暴徒によって救出される。ピエロのお面をかぶった暴徒たちで街は略奪、殺人、強盗の無法地帯となり混乱を極めていた。街は火の海で警察は手も足も出ない。アーサーは転覆した車の上に立ち、英雄として狂喜乱舞いする。というお話。
ジョーカーが恵まれない酒と暴力の中で育てられた孤児で、精神を患い不毛な環境から逃れられずにいたために暴力で、はねかえさざるを得なかった、というジョーカーのバックグラウンドを描いている。本来だったら母親思いの心の優しい青年が、母親の望むようにいつも笑顔を絶やさず人に笑いを届けようと望んで生きて来た。孤独な時に、ベッドを共にする女性も同じアパートに住んでいる。そんなどこにでも居そうな青年が、自分が孤児だったと分かっただけで、壊れてしまうことをに理解する人も、出来ない人も居るだろう。
アーサーは子供の時の頭部外傷がもとで人格障害を持つ精神病患者になって、興奮すると笑いの発作が出てしまい自力ではそれを止められない。面白いから笑うのではなくて、笑いは彼にとっては発作であって、横隔膜のケイレンにすぎない。緊張するとてんかん発作を起こすてんかん患者と同様に発作をコントロールすることができない。だから人間関係をスムーズに続けるのは難しいし、定職について長く勤めることが困難で低所得のため薬代にも事欠く。年を取り精神障害と身体障害を持つ母親とアーサーとの生活では共倒れ必須だ。社会福祉の貧しい社会では生きていけない。
映画の最後のシーン。狂喜、乱舞い、放火。略奪、警察署襲撃、殺人といった混乱の一夜のあと、逮捕されたアーサーは警察病院で精神科の医師に向かって「いま新しいジョークを思いついた。」けれど「あなたにはわかってもらえない。」と言う。その次のシーンは、血を吸った靴の足跡を残しながら部屋を去るアーサーの後ろ姿で映画が終わる。もう彼にとって人殺しはコメデイアンとしてのジョークでしかなくなってしまったのだ。
一人殺せば殺人犯、沢山殺せば英雄、全部殺せば神様だ、と映画の中で言わせたのはチャーリーチャップリンだが、アーサーは英雄をめざして一直線に走っている。
当時のブロードウェイの様子が出てくる。劇場や映画館にが集まる人々は、賑やかで華やかだ。チャップリンの映画が上映されていて、着飾った夫婦や正装した年配者で会場は上品な笑いに満ちている。チャップリンの「モダンタイムス」の画面に彼が作曲した「スマイル」ジミー デユランが「笑っていよう。今はつらくても明るい明日が必ず来る」と歌っている。
どうしてもこの映画を観ていて、クリストファーノーランの「バットマン」と比べてしまう。
クルストファ―ノ―ランの3部作は、「バットマン ビギンズ」2005、「ダークナイト」2008、「ダークナイトライジング」2012の3本を言う。クリスチャン ベールがバットマン、ブルースウェインを演じ、執事アルフレッドをマイケル ケインが演じた。ヒース レジャーのジョーカーが素晴らしかった。製作費用の莫大さ、撮影のために世界中を舞台にし、スケールの大きさも出演俳優陣の豪華さも他のどの映画にも勝てない贅沢な映画だった。
3作目の「ダークナイト ライジング」プレミア上映中、米国コロラド州オーロラの映画館で、24歳の男が銃を乱射して映画を観ていた12人の観客が死亡、負傷者58人を数えた。殺人者はガスマスク、防弾チョッキにヘルメットをかぶり、拳銃2丁、ライフル、ショットガンで武装し、催涙ガスを2本投げガスが立ち込める中を逃げ惑う観客を殺しまくった。コロラド大学、神経科学科選考の博士課程の学院生だったジェームス イーガンホームズの単独犯でいまは終身刑に服している。映画の暴力シーンが犯行を助長したのではないかと言われ、それが今回の映画「ジョーカー」の上演に反対するクリスチャン団体や自治体の声になっている。しかし映画の上演に反対するヒマがあったら、シリアやアフガニスタンでやっている本当の戦闘のほうを止めるのが先じゃないか。
ホアキン フェニックスは、テイーンのアイドルで人気絶頂時にヘロインで亡くなったリバー フェニックスの弟だ。リバーが生きていたら二人とも40歳代の立派な役者兄弟だったことだろう。ホアキンはジョーカーを演じるために体重を20キロ落としたそうだ。彼の背中やあばらの浮きで体が痛ましい。おかしくないのに笑う発作が起きた時の苦しそうな笑い顔も恐ろしい。街の石段を下りながらピエロの化粧をして踊りまくるシーンは素晴らしい、それだけでアートシーンになっている。ちゃんとリズムに乗っていないところなど、ホアキン フェニックスの役者の才能を感じる。ヒースの身も心も引きずり込まれるようなジョーカーとちがって、ホアキンのジョーカーは淡々としていて、悲しい哀しい笑いが死を予告している。彼の胸の苦しみを、弦楽器おもにチェロを使って延々と不協和音が奏でている。
1%の富裕層が99%の庶民の富を奪い独占しているこの世界で、「新しいジョークを思いついた。あなたがたには理解できないだろうけど。」と言ったあとで、血を吸った靴で歩き回るジョーカーたちで、街が溢れかえる。そんなことが明日起きても驚かない。
「ジョーカー」は1950年代の話ではなく、1980年代の話でもなく、今のいまの話だ。