「憐れみではなく共感の先に」ジョーカー ukigumo3000さんの映画レビュー(感想・評価)
憐れみではなく共感の先に
立派な社会派映画だった。
結果的に表面化する悪に対し、それを生み出した悪の責任の重さを見過ごせなかった。
たしかに善悪は主観的なものだが、だからこそ今自分が一体何に泣いているのか、何がこんなに辛いのか、ジョーカーに対する憐れみではないこの共感の先をよく吟味したい。
本作はシリーズの原点だが、それでもここで見たのは明らかに現代社会だ。
抗えない不遇に怒れる人々は、将来ヒーローに成敗されてしまうのか。だとしたら、ヒーローってなんだろう。
この映画の間違いは、人々の増幅される怒りを野放しにした結果、文字通り無数のジョーカーを誕生させてしまうことだ。
ではどうすればよかったのか。
私たちは、それを考えるべきだ。
私たちの怒りや哀しみは、扇動されたり誰かに弄ばれるものではない。受け止められ、寄り添われ、慰められたりしながら、新たなエネルギーに変えていくべきものだ。なにより社会が、その営みを保証をしなければならない。
ジョーカーの誕生は決して自己責任なんかではなく、本人すら望んでいなかった姿のはずだ。
ジョーカーがはじめて舞うシーンは、善良に生きる道を手放した解放感と、周りを赦し続けることがどれほど辛く困難であったかを改めて見せつける。泣けた。道を外す方が楽であり、日々ギリギリの状態で保たれる善意や正義になんの意味があるのか、私も時々わからなくなる。
小男との最後のやり取りも涙が止まらなかった。ただ一人自分を傷つけなかったのは、結局同じ痛みを知る者だけだった。しかしその相手にも、もうジョーカーのなけなしの優しさが届かない。
ジョーカー、ひいてはバットマンが誕生せずにすんだかもしれない世界を今願うのは間違いだろうか。
そんな、根本すら考えさせられる勇気ある作品だったと私は思う。
そしてホアキン・フェニックスが凄まじかったのは、本当に一瞬たりとも役者としての彼を感じさせなかったことだ。私が見たのはジョーカーであり、ホアキンではないと断言できる。唖然とするほど真の役者だった。
言いたいこと言って下さっています。
あの階段で舞うシーンから、私も涙が滲みました。
>泣けた。道を外す方が楽であり、日々ギリギリの状態で保たれる善意や正義になんの意味があるのか、私も時々わからなくなる。