劇場公開日 2019年9月20日

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「青い」おいしい家族 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

0.5青い

2021年5月31日
PCから投稿

(このレビューには偏見や憶測があり、公正ではありません)
若書きというものがある。
きょうび、なろう系とも言う。
この国、映画では、なろう系でも、世に出られる。
これは皮肉というより、アーティストで生きたい人向けの朗報です。
映画なら交遊パイプと強い心臓さえあれば生けます──という話。

日本の映像作品で、多様性=ダイバーシティを表現するばあい、その傍らにかならずIKKOみたいな感じの「ゲイアイコン」と、白人or黒人or希少性の高い国籍の「外国人アイコン」を置くのが定石。

業界にはいろいろな人がいる=多様である──それゆえ主人公まわりに、外国人や同性愛者をちりばめるのが、映画・ドラマの常套手段になっている。わけ。
とうぜんながら、これは監督ご自身の箔をつける意図も備えている。
彼or彼女は、作品をつうじて、グローバルでございますと言いたい。という話。

なぜこれが、業界人の常套手段になっちゃっているのかといえば、日本には事実上多様性=ダイバーシティがないから。

わたしは地方に住んでいるので、職場に外国人がいなければ、外国人にまみえるのは、コンビニのレジくらいしかない。

いや、げんじつには日本には多数の外国人が学んだり働いたりしているが、じっさいわたし/あなたと交流している外国人はいますか?
そもそもわたし/あなたはエーゴが話せますか?

一概には言えないが、この国にいる外国人は一時滞在者の割合が大きく、日本人とは親睦せず、コミュニティをつくってまとまっている。
LGBTならば風潮としてそれを明かさない。
基本的に、日本は、アメリカの映画にあるような外国人あるいはLGBTとの、日常的な混交がない国です。
いいもわるいもなく、それは情勢であり民族性であり態度です。

人種のるつぼ=さまざまな国籍のひとたちが同列に暮らしている国とは違う。比較にならない。比較する必要もない。

ところが、日本のクリエイターは、じぶんが井の中の蛙であることを、認めたがらない。それどころか、ウソであっても「めちゃめちゃ色んな人とつきあってきたし、色んなけいけんだってしてきたんだぞ」と言いたい。その稚気があらわれるのがザ日本映画。
基本的に、平和な国で、平凡に生きてきたことを、認めないぞと決意した(平凡な)人々が集まってくる業界。だと思う。

わたしは何十年もの長きにわたって、そのテのなろう系な、青くさい若書きを「日本映画に新しい才能あらわる」という鳴り物入りの見出しにおいて、見せられてきた──わけである。と言い続けて30年である。
「新しい才能」と称され、生き残った者はいただろうか。70年経っても、日本映画と言えば黒澤と小津──である。

父親役俳優は不倫もあったが、わいせつで文春砲もあった人。それはいいとして、画として、キモカワイイ感じの「ほのぼの」を申し立てている気配だったが、ふつうにきもちわるかった。俳優さんにはなんの罪もないが浜野謙太くんと女装した板尾創路のカップルに癒やされますか?

サムザナ役にスリランカ人のモデルを使い、国籍不明なダリア役にモトーラ世理奈を使っている。まずは常套。モトーラ世理奈はキャスティングするだけでセンスがいいという(実体のない)下馬評がついてしまう役得なたんなる素人。

監督は21世紀の女の子(2019)というオムニバス映画の参加者でもあるが、センスは昭和。21世紀の女の子に描かれていたのはいずれもブルセラ時代の少女、あるいは積み木くずしの高部知子、おさな妻の関根恵子、桃尻娘の竹田かほり、ピンクのカーテンの美保純・・・あたりだった。
ゆえにタイトルはアナクロニズムの女の子とつけるべきだったが、21世紀の女の子とは、笑いを取りに行ったわけじゃない。そこで10分未満の若書きを披露した15人の新進女性映画監督はかんぜんな真剣度で21世紀を標榜していた。
要するに、誰もがいっさい自分に気づいていないという話。他者の映画も、観衆もいない、誰もいないパラレルワールドで映画をつくっている人たち。のひとり。

都市や仕事や婚活に疲れて帰郷してみたら、父親が女装して母になっていたことに加え、シュアハウス風の家庭内が、和気あいあいとした雰囲気で、癒やされたという、手垢まみれの異種間交情の映画。
が、げんじつに女性の心をもった里親との実体験がないならば、茶番だと思います。彼らが本気で編むときは、と同じ、エセLGBT映画です。

なぜなら監督はクリエイティブスタンスで映画をつくっているから。仕事(プロダクトなスタンス)で映画をつくっているなら、設定はアイデアに過ぎません。でもこれが、ご自身の来歴とないまぜになった、一種の自伝風創作ならば、多様な人々との混交の設定は、背伸びになってしまう。とわたしは思います。
──もし、里親が、女装癖をもっていなかったのなら、冒頭で述べたように「ゲイアイコン」や「外国人アイコン」を置いただけのネタ映画です。

試写会の様子がYouTube動画にあって、監督が製作由来の談話を語っています。話しているうちに感極まって泣き出します。お察知のとおり、若い女性が泣けば映画評価に甘露があります。じぶんがつくった映画にじぶんが感動してしまうのはプペルとザ日本映画だけです。

博愛的空気感によって、辛辣な批評を回避する、わたしがもっともきらいな種類のザ日本映画。反吐が出る。0点。

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津次郎