「ロケ地の海に癒される」おいしい家族 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
ロケ地の海に癒される
設定・テーマはいいのに、もったいない。
タイトルの”おいしい”。
いただいたフライヤーにある”おいしいごはん”。
食事がキーワードの一つになっているのだと思うのだが、
ちっともおいしそうに感じられない。
一番の原因は食べ方。
校長を務められた家に育った子どもとしてみると、食べ方が汚い。
皆から愛されるという設定の居候も食べ方が汚い。
躾が行き届かない家庭に育った設定ではなかろうに。
(しばらくぶりに食べる飯にがっつくシーンは、やはり『幸福の黄色いハンカチ』の島がダントツ。高倉氏の演技にかける思い、そこまでできる俳優の存在が稀有ということか)
彼らに比べると、
スリランカ?からの嫁の、スリランカ飯の食べ方の美味しそうなこと、
反抗期の自由奔放なJKはマナーこそあれれだが、食べ方がきれい。
そして板尾さん演じる父も、食べ物を愛おしそうに召し上がる。
エンディングのスタッフロールをチェックすれば、フードコーディネーターの名前がない。
食事をキーワードの一つにもってきてはいるものの、雰囲気だけで、頭で考えるだけで、”食事”と言うものに本気で向き合うことなく、映画を作ってしまったのだなということが露呈する。
”(笑)”をとる方向 もしくは やさぐれ感を表現しているつもりなんだろうけれど、げんなり。
”食べ物がつなぐもの”にもっと向き合っていただきたかった。
映画が終わった後には監督が登壇。
想いはわかるけれど、客観視できていない。
原作となった短編映画は未見。
文学賞受賞された方と聞いたけれど、映画は推敲しなかったのか。
夫が亡き妻の服を着る(ただの女装ではない)。
その想いを突き詰めるだけでも”家族”を見つめ直す傑作になったろうに。
”家族”についても、言いたいことはわかるんだけれど、台詞で言われてもね。
パートナーに和生を選んだ理由が描けていないから、説得力がない。なぜ、”同居人”なのではなく”夫”なのかが見えてこない。
”この”赤ん坊を”養子”に迎えるのと、この”人”を”夫”を選ぶのとでは、違うと思うのは私だけ?まだ”人格”もはっきりしない、これから育てていく責任を担う赤ん坊と、すでに”成人”として”人格”が出来上がっている”結婚相手”。
結婚相手は誰でもいいわけじゃないことを描くために、橙花の設定をああいう風にしたのだと思ったのだが。
そしてもう一つのキーワード”魔法”を突き詰めるだけでも傑作になったろうに。
絵的にも、構図とか、役者の背の高さとかも一つの構成要素だと思うのだけれど、チャンプルーを表現するためにわざとこの役者たちを選んだのか?と思いたい反面、会社やスポンサー・予算の関係?とも思えてくる。それくらいに、この役者たちのアンサンブルが、リズムが、かみ合っていない。
多文化共生。いろいろな生き方。それはわかるけれど、安直。小学生の作文。もったいない。
板尾氏の出演作であり、設定に興味を持って、試写会応募。
ああ。
それでも
ロケ地の海は美しく、あの風景に出会いに行きたくなった。
JKを演じた方は、演技力はどうよと思うが、小松菜奈さんを始めて観た時の印象を思い出した。『装苑』のモデルさんなのね。
そして何より、板尾氏。
みんなの幸せを願う生き様は、その佇まい、台詞の言い回しにもにじみ出ていた。
笑いを誘うのだけれど、この安定感。この映画の日差しに溶け込んでいるのだけれど、大木のように支えてくれている存在感がにじみ出てくる。
だからこそ、もっと板尾氏にフューチャーしていたら、もっといい映画になっていたのにと悔やまれる。
とみいじょんさん
監督の“裏話”・・そうだったのですね。教えてもらってありがとうございました。
僕もこの監督さんのこれからの作品を、気をつけて見ていこうと思いました。
「食べ方の汚さ」については僕も感じました。背筋をまっすぐに生きる校長先生の家の子なのに躾はなかったのかなぁ。
とっちらかったストーリーと出演者を、例えば、食卓では意表を突くくらい箸を綺麗に使わせてくれれば物語が締まったと思うのですがね。せめて娘だけでも。
(もたいまさこの独り食事シーンは端正です)。