「いささかグロテスクな、北欧版『もののけ姫』」ボーダー 二つの世界 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
いささかグロテスクな、北欧版『もののけ姫』
スウェーデンの港の税関で働くティーナ(エヴァ・メランデル)。
容姿は醜いが、人間のある種の感情を嗅ぎ分ける特殊な才能があり、違法物の持ち込みを監視するのに非常に役立っている。
共に暮らす男性はいるが、男の性欲は撥ね退けており、真に心を開く相手はいない。
そんなある日、港の税関にティーナに似た風貌のヴォーレ(エーロ・ミロノフ)がやって来る。
ある種のにおいを感じたティーナであったが、ヴォーレの身辺からは違法なものは出なかった・・・
といったところから始まる物語で、『ぼくのエリ 200歳の少女』の原作者ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストの同名短編小説を映画化した作品。
なので、ティーナとヴォーレが一般的な人間ではないだろう、というのは観る前から予感するし、実際、その通り。
ふたりが何者か、ということは映画中盤で明らかになるが、何者であるかということが焦点ではなく、その後、ふたりがどのような決断をするのかというところへ巧みに物語を進めていくあたりは、いわゆるゲテモノ映画と一線を画すところ。
とはいえ、ふたりの何者であるかがわかるシーンとその前後の描写は、彼らの生態を丹念に撮っているので、かなりびっくりさせられる。
ここいらあたりが、R18+というレイティングになっているのだろう。
ふたりが何者であるかという物語と並行して、冒頭近くでティーナが税関で発見する児童ポルノ犯罪の内幕を探る物語が描かれるが、それが、映画の後半でふたりに絡んでくる。
そして、この事件が、ティーナにどう生きるかを選択させることになる。
そういう意味で、物語の主題はふたつある。
ひとつはティーナが何者であるか。
不確かな自分のアイデンティティを探す物語。
もうひとつは、自分が何者であるか(アイデンティティ)を知った上で、どう生きるか。
人間ではないと自覚した上で、人間社会のルールに則って生きようと決意する。
終盤、ティーナがヴォーレに言う言葉が切ない。「これ以上、他のひとの悲しむ顔を見たくない」
共感を土台にした上での人間社会の選択。
孤独であったティーナが言う言葉であるが故に切なく、重い。
そして、最後の最後にティーナのもとに届くもの・・・
「二つの世界」という副題を付けたのは大正解であろう。
こちらの想像を遥かに超えていく世界観を見た想いがする。
いささかグロテスク(かもしれない)な、北欧版『もののけ姫』といってもいいかしらん。