「境界線上の孤独」ボーダー 二つの世界 しずるさんの映画レビュー(感想・評価)
境界線上の孤独
多分、予備知識無しで見るのが一番面白い作品。
未鑑賞の方は自己責任で回避をよろしくどうぞ。
グロとかショッキングというコメントを目にして、ビクビクしながら挑んだのだが、思った程の嫌悪感も、価値観崩壊も感じなかった。
元来ファンタジー脳なせいだろうか。実は人間でないと言われれば、成る程それでその容姿と嗅覚か…と納得したし、虫食や生殖の奇怪さも、そういう種族なんだな、と、すんなり受け入れられてしまった。昆虫が後尾後オスを補食するとか、クマノミが性転換する、みたいな生態を知るのと大差なく。
この監督は、人間の視点の外から、世界を捉える事が好きなんだろう。
人としてタブーと思われる事が当たり前に行われ、人としての欠落がそうではない世界。
全裸で森を駆け回り、湖に身を沈めて幸福そうに抱き合う恋人の姿は、さながら異界のアダムとイヴだな、と思いながら見ていた。現実を少し歪んだレンズを通して見るような、この感覚や手法は嫌いではない。
ただ、ティーナの異質さや疎外感や孤独を、人間じゃないから、と理由づけされてしまうと、若干中二病的というか、実も蓋もないというか…。
もう少し人間の深層の闇と光を抉り出される方が、私の嗜好には刺さったかな。
ティーナは職場でも頼られ、評価され、同居人もおり、施設で暮らす父親との関係も悪くなく、ご近所付き合いもあるが、居場所の無さと孤独感を常に抱え、幸福でないと感じている。
他人と異なる醜い容姿、身体、感覚。そのせいで、他人に気味悪がられ、距離を置かれ、受け入れられていないと感じ、自分の存在に違和感を拭いきれずにいるからだ。
自分とよく似たヴォーレの登場により、ティーナはその劣等感や理由の解らない違和感から一気に解放される。自分は欠陥品ではなく、異なる存在であるのだから、他人と違うのは当然だ。
ティーナは、自分の出自を隠していた父親を責め、同居人を追い出し、あるがままの自分でいられる、ヴォーレとの関係にのめり込んでいく。
しかしヴォーレは、ティーナの倫理観では許容する事のできない行為を行っていた。再び人間の枠に自らを押し込み、疎外感と居心地の悪さを享受して生きるか、ヴォーレの人間への憎しみを受け入れ、人外のものとして彼に寄り添うのか。ティーナは選択を迫られる。
結局人間として育んだ心を殺す事ができず、ティーナはヴォーレの罪を告発する。さりとて以前の自分には戻れず、独り森の中をさ迷う。ようやく抜け出せたと思った孤独に再び突き落とされる絶望。
この物語のタイトルを『境界』とするならば、これは、境界線の上に立ち、どちらの世界にも属する事の出来なかった、果てしなく孤独な者の哀しみの物語だろう。
託された子供は彼女の孤独を救うかも知れない。選べなかった彼女は、子供をどちらの世界のものとして育てるのか。
どちらでもないものは、どちらでもあるものである。そう言える日が来ればいい、と思うのは、この暗く果てしない孤独に対して、些か能天気に過ぎるだろうか。