魂のゆくえのレビュー・感想・評価
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希望と絶望
戦争で息子を失い嫁とも別れてしまった過去を持つ牧師の主人公が、教会に通う妊婦の旦那の話を聞き環境問題と自身の所属する教会の立場の中で葛藤する話。
最初は牧師らしく宿った命について語る主人公だが、ガレージで見つけたものとか環境活動家という名のテロリスト予備軍としか考えられず、なぜそこに流されるのか…。
切り離して鑑賞したつもりだけど地球温暖化に対する懐疑論 の方が信憑性があると感じる自分には尚更ね。
マジカルミステリーツアー辺りからかなり怪しかったけど、牧師も人の子とはいえそのラストで良いのか…そう変化した説得力も感じないし。
テンポもかなりマッタリだし自分の好みに合わなかった。
人生は矛盾との戦い。
心底絶望していても、希望を説く牧師。
子供を作っておきながら、この世に産み落とすべきではないと言う男性。
環境破壊の原因であるエネルギー会社が、環境保護に力を入れているという宣伝文句を使う。
牧師が、医者に禁酒するよう言われた後で、酒のグラスに胃薬をドボドボ入れて飲んだであろう所が印象的であった。
人生は矛盾だらけだが、それでも折り合いをつけてやっていかねばならない。
魂が引き込まれる名作
最初から最後までイーサン・ホーク演じる主人公トラー牧師がほぼ出ずっぱりで、観客は否応なしに主人公の内面の葛藤を共有し続けることになる。しんどい作品だが、不思議に目が離せない。
メアリの夫マイケルとの議論のシーンが本作品の白眉であろう。それぞれ自分の感情を抑制しながら相手を理解しようとし、真摯に話そうとする。ふたりの議論は平行線だが、もともと立ち位置が違う。人は相手の意見を尊重することはできるが、まったく違う意見の持ち主同士が同じ意見になることは滅多にない。その辺りは議論している本人たちが一番よく解っている。
このシーンが映画の中で最も大事なシーンだと思う理由は、この会話によって主人公の本音が垣間見えるからである。トラー牧師は人間には希望と絶望の両方があると言いながら、本当は絶望しかないと思っている。しかしマイケルには、たとえ未来に絶望しか見えないとしても、人間は日々の行動を選択しなければならないと説く。殆ど実存主義者の弁舌だ。宗教家とは思えない。神への信仰は揺らいでいないかもしれないが、教会への不信は募る。そういうトラーがプロテスタントの牧師であるところに、彼の深い苦悩がある。そして観客は彼の苦悩を共有する。実によくできた会話である。
大袈裟なCGも大音量のBGMもなく静かに物語は進んでいくが、人間にはどんな状況でも世界との関わりがあり、日常生活が待っている。理念と現実とのギャップは常にあり、例外なく人を苦しめる。死ぬ以外に断ち切る術はない。
イーサン・ホークは名演であった。映画「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」の演技も傑出していたが、本作品での演技は苦悩に満ちた牧師の魂が、苦悩の重さのままに迫ってくるような重厚感がある。観ていて息苦しくなるほどだ。そういう意味では本作品の邦題「魂のゆくえ」はぴったりである。
アマンダ・セイフライドはいつもながら達者である。本作品はストーリーからディテールまで。とてもリアルな作品だから、大仰な演技は一切ないが、憂いを秘めた大きな目が様々な感情を物語る。最後の最後に「トラー牧師」ではなく「エルンスト」と呼ぶシーンには息を呑んだ。
ネタバレになりそうなシーンが多くて、レビューの書きづらい作品だが、ラスト近くのシーンでは、映画「ダ・ビンチ・コード」のシラスを思い出した。あれはカトリックの修道士であったはずだ。プロテスタントであるトラー牧師の信仰が揺らいでいることの証かもしれない。
総じて難解だが、魂が引き込まれる名作だと思う。
えっ?終わり?
地球環境についてのシーンは考えさせられたけど最終的には何がしたかったのか?
中途半端で終わったので、スクリーンが故障したのかと思ってしまった。
想像力で宇宙の背景になった時にガタカを思い出しました。
辛い生き方しか出来ない人の人生
どうして難しく考えずに生きていけないんだろう。
目の前の楽しいこと、未来の希望だけを見て生きていけないんだろう。
過去の過ちや後悔や、世の中の汚いところ、見て見ぬふりして生きるのは悪いことじゃないのに・・・。
イーサン・ホークの演じる全てが辛く苦しく、見ていてとても辛かった。それでも、少し希望を感じる終わり方だったのが良かったです。
とても考え抜かれた、知的でスマートなメッセージ作品
2019年の米アカデミー賞脚本賞にノミネートされた、5作品のひとつ(受賞は「グリーンブック」)。書き下ろしたのは、本作の監督も務めたポール・シュレイダー(72歳)自身だ。
脚本家としては、カンヌのパルムドールを受賞した、マーティン・スコセッシ監督の名作「タクシードライバー」(1972)を書いた人である。他にも「レイジング・ブル」(1980)などがある。
本作ほど、考え抜かれた比喩的な階層構造、知的な言葉選びで、的確なメッセージ性を持った完成度の作品は、なかなかない。
公開中の「バイス」(2019)もそうだが、これだけリベラルな社会メッセージ性の高い作品を脚本賞にノミネートさせる度量は、日本アカデミー賞にはないだろう。
シュレイダー監督は、厳格なカルヴァン主義の家庭に生まれたクリスチャンで、"地球の環境問題"と"現代キリスト教会が抱える構造問題"を、悩める牧師(イーサン・ホーク)が日記で自問自答する形で進行する。本作についてシュレイダー監督は、"自分の人生の集大成的な作品である"と述べている。
原題の"First Reformed"は、舞台となる"第一改革派教会"の名前であり、直訳すると、"最初の改革"というタイトルになる。
主人公のトラー牧師は、ミサに参加していた女性メアリー(アマンダ・セイフライド)から、環境活動家である夫のマイケルの悩みを聞いてほしいと頼まれる。
メアリーは妊娠しているが、環境破壊が進む地球の未来を憂うマイケルは、メアリーのお腹の中にいる子が生まれてくることに反対している。子供の将来に健全な環境を残せないと。
マイケルは密かに自爆ベストを作っていて、それをたまたま見つけたメアリーとトラー牧師がそれを隠してしまった翌日に、ライフル銃で自殺してしまう。
マイケルの遺言によって、環境汚染地域に遺灰を撒き、鎮魂を頼まれたトラー牧師は、葬儀の礼拝を行う。ところが教会本部を支援する大手エネルギー企業"バルク社"の社長から、政治的な言動は慎むように諭される。
バルク社は、環境汚染の原因を作っている。一方で、トラー牧師の教会の250周年式典事業の最大スポンサーでもある。
本作はあきらかに"環境破壊による地球温暖化"に警鐘を鳴らすために作られている。
ひとつは活動家マイケルという人間を代弁者として、人類の罪(環境破壊)を、牧師に告解させている。
もうひとつは、ガンに蝕まれているトラー牧師は、"地球(大地・自然)"の象徴である。
冒頭、トラー牧師は1年を限りに日記を付け始めた。トラーの行為は、"死期を察しはじめた"のであり、徐々に病んでいく身体は、マイケルが主張する地球の自然破壊の残年数を象徴する。
マイケルの告解と自死をきっかけに、自身も教会のあり方に疑問を持ち始めるトラー牧師。マイケルの作った自爆ベストを身につけて、250周年式典に参加する"バルク社"の社長を標的にする計画が頭をよぎる。トラー牧師(地球の象徴)が、バルク社(人類の環境破壊活動)を罰するかのごとく。
ところが式典当日、参加しないように伝えていたメアリーが来場してしまう。トラー牧師は計画を断念し、自らの身体を有刺鉄線で巻き、痛め付ける=地球が苦しんでいる。
そして最後にメアリー(人類=愛すべき神の子)を大きな愛情で包み抱きしめる。
とてつもなく比喩が混んでいて、よく考えて反芻しないと、まったく分からない難解な作品だが、構造が見えてくるとその表現方法は、実にスマートだ。
映像的には珍しくスタンダードアスペクト(4対3)になっていて、余分な映像情報を排除し、固定カメラ主体で被写体を全体的に捉えている。
ところが、最新の映画館にはマスキング用の幕がない。ワイド(ビスタ)アスペクトのレターボックス(左右に黒枠あり)で上映されているので、[映像本体]+[レターボックスの黒]+[映画館スクリーンのシネスコ余白]とグレースケール的に見えてしまい、興ざめだ。
これを解決する上映方法はHDRしかないのだが、こんなマイナーな作品をドルビーシネマで上映できるはずもない(まだ日本には福岡にしかない)。こういうところにも、本作のテーマとは別の"理想と現実の矛盾"を感じざるを得ない。
最後にシュレイダー監督は、日本通としても知られ、本作にもトラー牧師が、ひとときの贅沢として、日本料理店で刺身を食べるシーンがある。
ちなみに余談だが、シュレイダー作品の「ミシマ : ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ」(1985)は、三島由紀夫を描き、カンヌの最優秀芸術貢献賞を受賞した。緒形拳が主演し、日本人俳優の日米合作映画出演として話題になったが、三島の同性愛描写への(右翼団体による)反対運動から公開中止になったという経緯がある。
(2019/4/13/ユナイテッドシネマ豊洲/スタンダード/字幕:亀谷奈美)
神のジレンマ
かつて自分を救ってくれたはずの神は、人々の未来を救えないのか。
ノアの方舟なのか。
人類は、ノアの方舟の物語から、自分達で解決することを学んだのではないのか。
ノアは方舟は方便なのか。
宗教は一体、何のための、誰のためのものなのか。
きっと多くの人が思う疑問だと思う。
映画は、古い映画のような色合いで、画面も心持ち狭く、未来が明るいものだという印象は与えない。
環境破壊についても、それ自体について、のめり込んだ情報は少なく、どちらかというと、環境破壊に対する神の手段の無さに、ジレンマに、神父の精神が崩壊していく姿が中心だ。
映像も象徴的なものが少なくなく、何を言っているのか逡巡することも少なくない。
ただ、エンディングに向かう中で示唆されるのは、環境破壊を、爆破などの破壊で解決することは出来ず、人間を救うことができるのは人間だけなのだというメッセージのようにも思える。
トラーの病気の治療には現代医療が必要で、神父であるトラーの精神を癒すのは、もはや神や教会ではなく、メアリーだけになってしまったのだ。
これも神から人間社会に向けたメッセージなのだろうか。
宗教と現代社会のあり方についても考えさせられる作品だと思った。
ラストはそれでええんか
悩みを聞いていた環境保護活動家の男が自殺したことをきっかけに、急激に環境保護に興味を持った牧師が、教会と環境保護に否定的な企業のつながりに気づいて過激な行動に出ようとするが……みたいな。
牧師が環境保護に目覚める感じが急で戸惑うが、何より放り投げるようなラストが理解できない。キリスト教とか環境保護とか、"正しい"とされがちな思想がテロにつながる狂気の話と思っていたが、最後に何熱いキスしてんねんと。何かの思想に殉じるんじゃなくて人愛に生きるってことなの?
【”信仰の行方・・”メガチャーチの存在に追いつめられ、徐々に狂気を纏っていく、イーサン・ホーク演じる牧師の醸し出す緊迫感が凄い作品。】
- イーサンホーク演ずるトラー牧師が様々な出来事をきっかけに狂気を纏っていく姿が醸し出す緊迫感溢れる映像が延々と続く作品。ー
◆感想
・悪化する環境問題を気に病み、ある哀しき選択肢を選ぶ男の姿や、随所に散りばめられるトラー牧師の最期を想起させる映像が怖い。
・人は信じるものがどんどん崩れていくと、狂気に走るのだろうか?
<アマンダ・セイフライドが聖母に見えましたよ、私には。イーサン・ホークの徐々に狂気を纏っていく演技に魅入られた作品でもある。>
〝即席の使命感〟に戸惑ってしまう
宗教的な葛藤について想像が及ばない私のような俗人には、正直、面白さやテーマ性を見出せませんでした。
(宗教的な知識やアメリカでの布教の歴史をご存知の方には深みのある作品なのかも知れません)
宗教が絡まなくても、理念や信念と現実的な状況との折り合いをつけるのが困難なことは世の中にはいくらでもある。
自らの死期を悟って急に〝即席の使命感〟に目覚めてしまうことがある、ということもそれなりに想像できます。
そこのあたりをもう少し掘り下げてくれれば、最後は愛の力に救われる、という展開にもっと説得力があったと思います。
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