魂のゆくえのレビュー・感想・評価
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この現代における、正当な宗教改革を提言している。プロテスタント批判映画です。
ジョーカーよりも更にタクシードライバーっぽい・・・っていうか、この映画の方がよりリアルかもしれない。
めちゃくちゃ宗教映画っぽいけど、宗教映画みたいなチャチで分かり易い救いはありませんので、ご安心を笑。
まあしかし宗教的な論争を引き起こすことは必須。
なぜならこの映画は、ピューリタン革命時にカトリックを批判した時と全く同じ論理でプロテスタントを批判した映画だからである。
ピューリタン革命において、清教徒たちは、カトリック教会の「汚職」や「行きすぎたお布施集め」(要は、お金にがめつい教会)を批判した。
そして現在。
アメリカではプロテスタント教会が、かつてカトリック教会がしていたことと全く同じことをやってしまっている。
政治献金やら、巨大な企業の広告塔やら、メガチャーチ作ってウォールマートみたいなこと始めたり・・・かつてカトリック教会のように、すげーお金にがめつい組織になってしまったではないか!
この映画は、現代版の宗教改革だと言える!
皮肉なことに歴史は繰り返すのである。
元々、資本主義はキリスト教プロテスタントからはじまったと言われている。
資本主義は、人間に対して富と繁栄をもたらした。
しかし結局のところ、かつてあった「隣人愛」「神の国の実現」というプロテスタントの理念は忘れ去られ、資本主義登場以前の弱肉強食の世界に戻りつつある。
もはや資本主義なんていうものは存在しておらず、この世界は神の国を壊そうとしている弱肉強食の世界に成り下がってしまっているのではないか・・・。
次はどんな宗教改革がなされるのでしょうね。
最後だけもっとがんばれ!
事前情報なしで見たので、そこそこ見れた。
自分が落ち込んでるからってのもあるかも。
落ち込んでる人に、傷のなめ合いと少し希望を見る目的でなんとなく見てほしい。
イーサンホークの牧師に心を寄せる真面目そうな女性を振りまくるのは理解しづらい。禁欲主義というか自罰的に生きているからかなと思っていたら、最後はそうでもなかった。
最後はもう少し切れ味出してほしかったな、、
信仰とは
かなり面白かった。さすがに渾身の一作。
トランプや大企業寄りの政治家は、石油関連の企業が規制を受けないように「地球温暖化なんてないんだ」と言い続ける。
そして、中絶、同性婚の違法化を望む福音派は自分たちが求めることを約束させるために、共和党を支持し、取り引きとして環境保護には目をつぶる。
政権参画なんていうエサに釣られて、地球環境の問題を取り引きに使ってる場合じゃねぇだろ!宗教は本来の目的に立ち戻れ!っていう強いメッセージを感じた。
末期症状のトラー(地球)が、メアリー(生きる喜び、無垢なる生命)と呼吸を合わせることで、二人はトランスする。そしてトラーは自らの信仰と矛盾と葛藤にケリを付ける。
ところが、当日メアリーが現れたことで自爆計画は断念。こうなれば有刺鉄線で自らの身体を傷つけ、パイプ洗浄剤をあおるしかない。聖なる願いを叶えるために。
だけど、衝撃のラスト。生きる喜び、無垢なる愛の前に誰も抗うことはできないのだ。
邦題はあまりよくないかも知れません。
アメリカのキリスト教を理解していないので牧師の心境はよく分からのですが、日本の僧侶でも自分の事や将来の事で自らの命を絶つ人はいるのでしょうか❓
イーサン・ホークの演技は良かったのですが、途中の宇宙遊泳は他に表現がなかったのかなアと思いました。
神はそこにいたのか?
原題は”First Reformed”で教会の名前と主人公の壊れてしまった人生や生き甲斐が再構築される様を表すダブルミーニング。ひょっとすると、このタイトルありきで脚本を書き始めたのではないか?という気も。鑑賞直後は精神的に辛いものがあったが、落ち着いてキリスト者の立場で振り返ってみると「神は存在する」としか言いようがない。
陰のあるアマンダ・セイフライドの表情が好き
利害関係が一致するものは互いを利用する。メガ教会が、政治と無縁を装うことすらしない現代アメリカ(個人の解釈です)。First Reformed Churchって何???と調べてみたら「清貧な改革派」なんですね。まぁ、清貧は比較論でしか無いけれど。
田舎牧師の孤独な闘い。理解者はメアリーだけ、だよねおそらく。誕生時の精神を忘れた教会に対する不満から、牧師は自爆テロを実行しようとしますが、愛するメアリーの姿を見た瞬間に、自爆を中止。自らを戒める自縛に転換。最後はメアリーと互いを求めあいます、式典そっちのけで。
First Reformed と言う原題の意図に社会性は無いと思う。環境保護テロリストは物語を進める上での単なる材料でしかないでしょう。
宗教で魂は救われない、愛こそが魂を救う。
って言うあたりの「ベタな主題」が、一番しっくり来るんです。First Reformed Churchの精神を取り戻すと言う理念から己を解放して、メアリーとの愛に生きることに転じた、彼自身の改革がFirst Reformed。なんか、そんな感じなんでしょうか。
ちっとも響かなかったです。
面白くなかった映画の感想文を書くときに恒例の寒いダジャレを、地味に仕込んでみた。
あのタクシードライバーの・・・
残念、タクシードライバーの脚本家なので見に行くが・・・
巨匠と言われる監督や脚本家でも、勃起しなくなったら、映画に力が無くなる。
宇宙スペースの空間に行った時、高校生のビギナーかと思った。
張りついた物がない。
生きるか死ぬかはあなたの判断
映画の題と表紙をみて自分の好みだと思い借りてきた映画。)
ニューヨークのスノーブリッジにあるFirst Reformed Churchの胃がんの牧師(イーサン ホーク)。 ここは歴史上重要な教会(奴隷解放前の自由になりたい奴隷をかくまって、北、カナダ方面に逃がしたという史実がある)で、観光客も細々だが訪れているところ。でも、信者がほとんどいない。
教会に参加している男性は地球温暖化の危機で未来に希望が持てない世の中で子供をうむ(育てる)べきかと考えている父親、マイケル。しかし、牧師のカウンセリングのかいなしにマイケルは自殺をしてしまう。マイケルは葬式の場所を化学物質が放られて自然破壊が進んでいる沼地を希望する。(そこで賛美する曲はニールヤングの曲で、環境問題をテーマにした歌。)牧師はなにか他の方法でマイケルを助けられなかったかと自分に問う。
この映画の最後のシーンの理解が難しくて私自身まったく理解できていない。望みがあるのか? 鑑賞後、監督のコメンタリーを探して読んだが、彼も、これに対して、生きるか死ぬかの両方を提示していた。
メアリーはマリア様?
トラヴィス・ビックルにとっての
you talkn' to meのyou は
周囲のチンピラや偽善者たち。
トラーにとってのyou talkn’to meのyouこそが、
本作の主題であり、ポール・シュレイダーの集大成,
あるいは遺言?なのかもしれない・・・ほんまかいな?
トラーにとってのYou?
どういうことか?
トラビスの周囲の悪党よりも、更に巨悪と対決!
と、みせかけて、
you は最後にMaryに代わる。
Mary(他の名前ではなく、この名を名付けたという事は、
聖母Mariaと解釈しろという事でしょ。
無理はあるが処女懐胎に近い設定でもある。)
Mary is talking to me .
※以下補足と苦言。
苦言をするならば、
この、憎しみ、攻撃、(マリア様が私に話しかけるという事を)受け入れ、赦し(トラーにとっては現実社会との折り合いか・・)、
を軸にしたプロットだけでも映画として成立はする。
しかし、あまりにセリフのみの会話だけのシーンが多過ぎる。
こういう内容なのでエンターテインメント寄りにとはいわないが、
もう少し観客を楽しませませ(さだまさしか!?)んか?
例えば、聖歌隊が唄うシーンのイーサン・ホークのカメラ目線(微妙に外れている?)など、イーサン・ホークにおんぶにだっこ過ぎやしませんか?
ベルイマンやブレッソンからの引用、這いつくばって聖なる神秘はカヴァレロヴィッチへのオマージュ、そんなに他の監督や俳優に頼るのであれば、
いっそのこと、スコセッシやP.T.アンダーソンに監督を任せていれば・・・。ほんの少しでも考えたのかもしれないが、ふたりとも今ではもっと難解な事をしでかすかもしれない巨匠になってしまった。
パク・チャヌクやイ・チャンドンなら、ポランスキはないな、どうなんだろう?
グザヴィエはまだトラヴィスレベルか・・・ポール・ハギスは宗派が違うwww宗派じゃないwwwなどなどませませ考えたけど、
結果、監督俺という結果になったのかな?・・ないない(苦笑)。
もうひとつ
ふたりで田舎道をサイクリングするシーンはスタイル・カウンシルの「My ever Changing moods 」のPVを思い出した人が多いかも。
なぜなら、アングルなど撮り方も似ているし、なにより歌詞がトラー牧師の心境そのままだから。
ever changing moods yeah
衝撃のラスト
眠いのを一生懸命我慢して、イーサンホークやアマンダの演技を堪能していたのに、ラストあれだけって・・・
環境問題をリスペクトしすぎたせいか、ストーリーが浮いてしまった気がします。
ただあのストーリーをもたせるには、ものすごく演技力がいる。
そこはすごい
人は結局人によって救われる
歴史的に多くの人々に尊重されて来た由緒ある教会でさえ、御都合主義でこの世の矛盾が無視される。その矛盾と正面から向き合う魂の話し。救われた魂と救われなかった魂。人は最後の最後では100%心を解放される様な魂との出会いや心の結びが持てるかどうかということだと思いました。所謂信仰や綺麗事では無く。
鬼気迫るイーサン・ホークが頭から離れない
社会で起きている問題について、教会が果たすべき役割とは何か
現状を何一つ変えられないどころか「悪」の一端を担っていると感じ、もがき苦しむ神父を描く
イーサン・ホーク演じるトラー牧師は、かつて、戦場に息子を送り出し、その結果、息子が戦死してしまったことを悔いながら生きていた
そしてさらに、信者のメアリー(アマンダ・セイフライド)から、環境問題活動家の夫について相談を受けていたにもかかわらず、彼を救えないという事件が起きる
そのことをきっかけに、環境問題について興味と関心を持つようになったトラー牧師は、自身の教会に問題点があることに気付く
それを知ったトラー牧師は、どう行動すべきなのかと、思い悩む
その昔、教会はもっと積極的に社会問題に関わっていた
この映画でも、奴隷制度から逃げ出す黒人たちを匿うために、秘密の地下室が作られていたエピソードが語られている
そのことは、その教会を受け継いだトラーにとって誇りであり、奴隷制度の悲惨さを子供たちに語る教材に使っていた
しかし、現在の教会はどうだろうか
化学汚染物質を垂れ流す企業から資金提供を受け、存続させている
それは、社会問題に関わるどころか「悪」の片棒を担いでいるのでは…と、トラーは自分を責めるようになる
そして、自身の身体を化学物質で汚染し、助けようと差し伸べる友の手を払い、キリストがそうであったように荊で自分に刑を与える
しかし、それは、既に、トラーだけの問題ではなく、地域社会の政治の問題であり、トラーが自身に罪を与えたところで、その町の環境汚染が止まるわけではない
現在、公開中の映画「たちあがる女」でも、加速する環境汚染について、一人の力では止めることができず、そんな世界で生きていく子供たちを憂う姿が描かれている
それならば、同じ会派の教会が集まって、社会に対して異を唱えればいいのだろうけど、系列の教会は運営費欲しさに企業に尻尾を振っていて、問題意識が低く、足並みが揃わない
そうなると、後は政治が温暖化を止めるべきなのだが、現大統領は温暖化そのものを否定している
私は、この映画の結末を見て、トラー本人は神に許されたのだと思った
しかし、ここでどんなに叫び声をあげても、残念ながら、大統領の耳には届かない
ということは、世界は破滅に向かおうとしているということなのか
そこから先は、観客一人、一人の良心に委ねられているのだ
鬼気迫るイーサン・ホークは、時折、目を背けたくなるほどの狂人ぶりだった
そんな彼の狂った姿は、狂った地球を表しているのかもしれない
☆☆☆☆ 40年後のトラヴィス 「神の御心はわからない」 イーサン...
☆☆☆☆
40年後のトラヴィス
「神の御心はわからない」
イーサン・ホーク演じる牧師は、環境活動家のマイケルに対して答える。
そして更に、息子を戦場で失った心情を吐露し、(過去には自分も戦場へ行った経験が有る)一旦はマイケルも納得する。
「2050年はどうなりますか?」
マイケルに問われた彼は、心の中で動揺する。
何故なら。彼には、もう自分の死期が近づいているのを自覚しているから。
その為か?尊敬する聖職者の様に、(自分の生きて来た証を残したいのか?)日記を書き始めている。
これは、彼にとっての《遺書》でも在るのだった。
だが…。
マイケルは、子供の運命を神の使いで在る彼に託す。それが神から自分に課せられた命題となった。
その結果、次第次第に現代社会の在り方に疑問を感じて来る。
監督・脚本家であるポール・シュレイダーは、元々著名な映画評論家でも有り。「聖なる映画 小津/ブレッソン/ドライヤー」(未読)で知られている。
テーマや画面構成等から、人間の持ち併せている【聖なるモノ】を論じた著書の様だ。
そんな、真面目に映画を論じる反面で。日本のヤクザ映画を始めとするプログラムピクチャーにも精通していて。脚本デビュー作の『ザ・ヤクザ』や、監督として『MISHIMA』等。゛義 〟を貫こうとする男の話を監督している。
初期の脚本作品としての代表作と言える『タクシードライバー』は、まさにそんなポール・シュレイダーの本質が活かされた作品だったのだろう。
シュレイダーの過去の監督作品の中で、『白い刻印 アフリクション』とゆう作品が在る。この作品の主人公は。憎んでいた父親に、自分自身が段々と似て行くのを自覚しているのを思い悩む。町の実力者が…の点といい、アル中で在る点といい。この『魂のゆくえ』の主人公は、『白い刻印…』の方が『タクシードライバー』よりも近い人物像なのかも知れない。
【死に取り憑かれる男】とゆうテーマも、ポール・シュレイダーが脚本した作品の中で、しばしば登場するテーマの1つ。
脚本家としての代表作と言える『タクシードライバー』同様に、ベトナム戦争のトラウマに〝取り憑かれている〟とゆう辺りは、『ローリングサンダー』も同じ。
再びスコセッシとタッグを組んだ脚本作品の『救命士』も、死と隣り合わせの状況に苦悩する話だった。
『魂のゆくえ』の主人公は聖職者=神に近い人物…では在るが、脚本作品の『モスキート・コースト』は。未開の土地で在るアマゾンで、理想郷を築こうとする男の狂気で、或る意味(強引に言えば)神に近づこうとする話。
それらの過去の諸作品を感じながらの鑑賞だっただけに。「きっと最後は、狂気性が爆発して!」…そう思いながらいただけに、最後の最後に訪れた結末には、正直驚いた∑(゚Д゚)
自分の頭の中でどう消化してよいのか?ちょっと思い悩んでしまったのは事実。
まるで…。
神からの御心が届かないのなら、自分から神に近づいて行き答えを得たい…かの様な(強引に解釈して)
2019年4月22日 シネマート新宿/スクリーン1
とても面白かった
牧師がオブセッションに取り憑かれていくさまを、息を呑んで見続けた。スタンダードサイズの映像と、主人公の心象に沿うように進むストーリーがしっくりと合う。また、しばらく生活音に集中させて置いて、ここぞ!という時に鳴り響く劇伴音楽が凄かった。
イーサン・ホークのいかにも具合悪そうな演技が絶品。対照的にアマンダ・セイフライドは未来への希望を感じさせる美しさで良かった。
謎の暖かさ
ラジオで町山さんの話を聞いて
背景を知ってから見たので話の迷子にならなかったのがよかった。
政治と宗教と環境と…
どうすればいいの…っとモヤモヤするけれども、主人公もモヤモヤしていてどんどん行動がやばくなる姿はみていてなんだか安心した。
話のなかで
死ぬ前の瞬間何を思うか、の問いや
エレベーターの1Fと2Fは聖域だ、という話
そこからの終盤の熱いキッスは
彼は聖域にいったんだなあと後からハッと思ったのでモヤモヤしつつもよくわからない救いを感じた。心は謎の暖かさに包まれた。
2019年ベストムービー!
極々私的な愛を信じた彼は最後に救われたのです…ラストシーンが美しい。
*今年観ておくべき作品です。オススメ!
*イーサン・ホークの出演作は見逃せません。
現代版タクシードライバーだからこそ
タクシードライバーは今、という感じでなかなか面白いキャラクターを選んでるな、ずばり牧師。画面はスタンダード。静謐に静謐に進んでいくが、この世の膿を無視できなくなって背負いこむ牧師はさあ、というとこでまさかのラストシーン。それでいい、と思いますよ。たとえ地球が滅ぶとも。
信仰とは
彼の行動に狂気が無かったかというと、それは明確に否定されるでしょう。 しかし私がもし彼と同じ運命を辿ったとしたら、熟慮の上で彼と同じ選択をしたかも知れません。
それくらい彼の行動には説得力がありました。
信仰の中で、自然に生まれ膨らんでゆく狂気がとても重要な要素だと思います。その描き方も素晴らしく気持ち悪かったです。
彼がそこまで歪んだ原因を、信仰のみに求めるのは苦がありましょう。同じ信仰で救われる人も確かにいるはずです。周りの環境といえばそれまでで、彼の牧師という立場も不運だったと思います。
「牧師にも牧師が必要だ」という発言がありました。それは彼の忌むべき強欲な(視点を変えれば現実的な)牧師からの発言で、彼は鼻で笑ったかもしれません。しかし、その後の展開から考えたら彼にとって、とても重要な言葉だったと思います。
気になったのは登場人物たちがみんな神の言葉を知ろうと、神の言葉を語ろうとしていることです。キリスト教(特にプロテスタントにおいて)は、聖書が究極の答えだと思っていました。(少し福音主義に寄りすぎ?) 彼らが悩み壁に当たった時、一向に聖書を開いたり引用しようとする素振りがなかったので、少し疑問に思いました。まあ監督は非常にキリスト教に精通された方らしいので、それが今の現実のプロテスタントの在り方を描いているのだと思います。
キリスト教の過激派に、自傷行為を推奨する一派がいることは知識として知っていましたが、現実としてみると本当に恐怖そのものです。
ラストシーンは当然 物語としては不完全ですが、そこで監督の描きたいことはもう十分描けたという解釈を私はしました。個人的にはあのあと計画は実行されたと思っています。しかし監督の描きたかったのは惨劇ではなく、そこに至る過程で、事件そのものを写さないことでそれを強調していると感じました。
と同時に、観客に与えるインパクトも大変大きいものでした。この作品は陰鬱でテンポの悪いようですが、意外と随所随所に描写や台詞で、インパクトを与えてくれるので退屈しません。
本当に面白かったです。
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