劇場公開日 2019年11月8日

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「こなたが娘を愛しいほどに・・・」シネマ歌舞伎 女殺油地獄 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0こなたが娘を愛しいほどに・・・

2019年11月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

この演目、とくに文楽での公演が好き。人形に見えてくる表情と義太夫のもの悲しい語りの芸の見事さ。じつは、歌舞伎はちょっと苦手。何度みても、結局、ストーリーでなく役者個人に興味がある空気が僕の居場所ではない。
まあ、映画でやるなら、くらいの気持ちで見てみた。

鑑賞前の先入観一新だった。
生身の人間ならでは迫力あり。特に、油ねちょねちょは、人間でこその迫真さ。カメラアングルが多彩で、役者の表情をいい角度から盗みとる。そして、与兵衛の衝動殺人の場面でクライマックス。これまで、愛嬌、小狡さ、ヘタレの感情を見事に見せていた幸四郎の顔に狂気が宿り、逃げ惑うお吉を取っ捕まえて刺し殺したのちに、自分のしでかした過ちに身震いする性根の弱さ卑しさを見せる姿が上手い。ろくでなしだが、演技として惚れ惚れするというもの。

さてそれとは別に、気になるセリフがあった。
子供を残す未練から命乞いするお吉を追い回しながら、たしか、「こなたが娘を可愛いほどに俺も俺を可愛い」と聞こえた。まさしく自己愛の権化のような身勝手さだ。
おや?はたして、文楽でもそうだったっけ?
帰ってきてから、本棚にある床本で確かめると、「こなたの娘が可愛いほど、俺も俺を可愛がる親父がいとしい。」とあった。文楽では、自分が可愛いではなく、親父が気の毒と言っている。だけど僕は、これでこそ納得ができる。計算高い狡猾さは微塵もなく、その場しのぎの感情による行き当たりばったりである与兵衛には、そのエゴイズムこそがお似合いだからだ。(もし聞き違いだったらすいません)

映画ではこうして殺しの場面でラストを締めるが、歌舞伎でも文楽でも、本編ではこのあと逮夜の段が続く。だか、実際その幕は野暮だと思ってる。すぐに容疑をかけられるような殺しをしておいて無事で済むわけもなく、その先の結末は見える。与兵衛がお縄になる姿を見なけりゃ気が済まぬというのは単なる底の浅い下世話な自己満足だ。ローアングルから捉えた、油まみれで血走った与兵衛の顔を目に焼き付けてエンドロール、という流れのなんと美しいことか。

善人を殺めた与兵衛は裁かれて当然ながら、彼のこすっからい本性のどこかに、我が身の醜さを見つけてしまった自分はいないだろうか。その感情は憎しみではなく、愛しさではないだろうか。そう思えたとき、俺は俺が愛しいとぬけぬけとほざいた与兵衛が自分とシンクロし、哀れで仕方なくなってくる。

栗太郎