サタンタンゴのレビュー・感想・評価
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少女終末旅行♥
1956年10月のハンガリー動乱の話。
さて、ハンガリーは9割以上マジャル人であり、東欧に於いては、数少ない単一民族国家と言えるかもしれない。だが、このマジャル人はそもそも混血色が強くとも、混血の歴史を長く保っている。その為、政治体制が変わってもナショナリズムの歴史は深いと言う事だ。唯一60万人位のロマ族が居住していて、どんな政治体制になっても虐げられた民族であったようだ。
この映画に登場する人物を使って、色々な時代の人々を表現していると思うが、はっきり言い切れない。一つだけはっきりしている事は主人公の『イリミアーシュ』が動乱後の社会主義指導者か、若しくはソ連当局ということだけ。
大きな政治体制の変化の歴史を、短い一瞬の出来事として表している。7時間以上の鑑賞になるが、何故か時間の経過が感じられない。一瞬にして彼らの生活が変化したと言った臨場感が醸し出されている。
ハンガリー動乱をソ連の横暴と西側諸国は捉えていると思う。しかし、この演出家はその点を重視して演出していると思う。何故なら、ハンガリー動乱前のハンガリー王国は、親ナチスドイツ政権のアロン政権(?)だった事を見逃していない。その親ナチス政権下でもハンガリー国民は翻弄されてきたんだと言っている。私はその点を大いに評価したい。傑作だと思う。この映画は新生ハンガリー共和国建国二年目に制作開始された話だ。ナショナリズムが謳歌されらるのは当たり前と思う。
遠近感を中央に置き、その道が真っ直ぐ伸びる。だだっ広い地平線でも、何故か狭く感じる。そして、白と黒であってもコントラストは弱い。また、雨ばかり降る憂鬱さは心に伝わって来る。
『旅芸人の記録』にリスペクトされているのは直ぐに実感するが、長回しの使い方は『旅芸人記録』から進化している。また、雨は『タルコフスキー』の『アンドレイ・リブリョフ』の『優しい雨』でもなく、『七人の侍』の『怒りの雨』でもない。生活を感じながらも憂鬱さを伴う『日本の梅雨』の様な感覚。違うのはこれから訪れる季節が冬と言う事。『続・荒野の用心棒』の泥を歩む『ジャンゴ』を思い浮かべ、その後の季節では『殺しが静かにやって来る』の雪深い道なき道を想像した。私にとってこの映画は傑作だ。
ブルックナーの交響曲第9番を聞いている様だ。
追記
『旅芸人の記録』は三回見たのだが、三回とも途中で寝てしまった。4kリストアされないものだろうか?
【”陰鬱な空の下、ハンガリーの寒村に雨は降り続く。”人を欺き、自由を求め、幻想を抱き、未来を信じ、けれど総てに幻滅し、諦観する根源的な人間の姿を描いた作品。】
ー 経済的に行き詰まり、終末的な様相をまとうハンガリーの村。
降り続く雨と泥に覆われ、村人同士が疑心暗鬼になり、活気のないこの村に死んだはずの男・イリミアーシュが帰ってくる。
彼は救世主なのか、それとも…。
イリミアーシュの帰還に村人たちは動揺する。(フライヤーより)ー
◆感想になっていません・・。
1.手元には2019年、4Kデジタル・レストア版で劇場公開された時のフライヤーがある。
それに記載されている言葉
・映画の極北に屹立する、伝説の7時間18分
・雨が降り始めた。もう、春が来るまで、降りやまないー。驚異的な長回しで描かれる、美しき映像黙示録
・タンゴのステップ(6歩前に、6歩後へ)に呼応した12章で構成される・・。
・ジム・ジャームッシュのコメント:タル・ベーラの映画は、ありきたりのしきたりや形式の陰に隠れている、映画が語り得る美しく奇妙な可能性を思い出させる。
- 良い事、言うなあ・・。-
・マーティン・スコセッシのコメント:タル・ベーラは、最も勇気のある映画作家の一人であり、「サタン・タンゴ」は心の中で反芻し続けることのできる、真の映画体験である。
- 実感したなあ・・。-
2.本作のストーリーは、いたってシンプルである。
そのシンプルな物語をモノクロームの陰鬱な描写で、延々と見せつけられる作品。
だが、途中で見るのを辞めよう、とは決して思わない魅力的な作品でもある。
<フライヤーには、一日一回の上映。本作は2度のインターミッションがあります・・。と書いてある。
それは、そうだろう・・、と思いつつ、鐘の音が頭の中で鳴り響く中、漆黒のラストを見ている時分が居た・・。>
雨ニズブ濡レ、傘アラズ
無類の映画好き、タル・ベーラ作品のファンでも猫好きの人が観たら目を覆い隠さずにはいられない、執拗に不必要に描写される動物虐待の残酷さ。
ワンカット長回しで撮る必要性、そこまで拘らなかったらこんなにも長時間に至る作品にはならない、しっかりとした物語がある中で難解にも取れる場面毎の演出と話題性になるのは長い上映時間ばかりか、力強く感じられる映像と世界観にハマって夢中になり、大げさにも退屈になる場面は皆無で気付いたら時間が過ぎてゆく不思議な感覚に陥る。
村人たちはイリミアーシュの何を恐れながらも希望を持ち、イリミアーシュの目的よりも存在自体が謎になり、ラストは引き篭もりがちな医者で締め括る、描かないことによる物語の難解さ、壮大にも思われるこの長尺である映画から話は終わらずに続いている終幕。
原作を読むべきなのか??
とーっても長い映像の綺麗な普通の作品
その一言に尽きると思いました
物語が今ひとつ展開しない感じで
場面転換など同じシーンを長回しで観せられる感じ
7時間余りを費やして観る程の内容ではないかな
場面提示だけして物語として解決していかない感じに
ちょっとなぁって感じた
映像、構図はいいしどうやって撮ったんだろう?
って思わせるシーンもあっていいんだけど
いかんせん物語が弱い印象
解釈の仕方によっては詩的、抽象的表現とも取れるが
それにしては具体的な事象が出てくるし
流石にそれを7時間やるのは映画としてどうなの?って思う
いっその事美術館でインスタレーションとしてやった方が
良かったんじゃないかなぁ?
映画としては編集でリズムを変えることもなく
延々と同じシーンを観せられる感じで
途中からパターン読めるよね
メリハリのある使い方で長回し使ってくれたら
もっと良かったかも
結局感想としては映像の綺麗なまぁまぁな映画を物凄く長く
観せられたっていう印象でした
ちなみに途中の猫の虐待シーンは要らない
必然性を感じないシーン
全くもって観てて不愉快だった
あれはダメだろ〜って思いましたわ
修行の先に得られる「悟り」の様な心境と業な作品です。
昨年秋の日本での劇場公開から一部の映画ファンの間で話題となっていた作品で、面白い・面白くないを置いといたとしても映画ファンなら“観てみようかなぁ”と心擽る作品かと思い、気にはなってましたが、秋の劇場公開での観賞機会を逃して軽く後悔。
この回「下高井戸シネマ」で5日間の期間限定公開を知り、休みを1日潰す覚悟で鑑賞しました。
で、感想はと言うと…う~ん。
面白い・面白くないと言うよりかは限りなく観る人を選ぶ作品で、観た事で1つの修行を終えた様な達成感w
映画を観ると言うよりも、作品を体感するみたいな感じです。
いろんな映画作品を鑑賞した中で確実に1つのターニングポイントになりそうな作品かと思います。
「ケツの肉が取れる映画」
「観賞した事が履歴書に書ける映画」
「高級な椅子で観賞すると睡魔が襲ってきて、安価な固い椅子で観賞すると膝と腰に痛みが襲ってくる。どちらにしても観賞中は何かに襲われる映画」
「観賞前に必要な物は忍耐力と好奇心と根性。それに十分な睡眠。十分な食事。トイレに行っておく事。観賞中にお腹が減った時のおやつ(音の鳴らないモノ)と飲み物は必須」
といろいろと言われている作品で、これを劇場で鑑賞した事は確かに誇っても良いかもw
とにかく、長い!
上映時間7時間18分は映画館で観た作品の最長記録。
途中インターミッション(休憩)を約10分づつ入れるので、なんだかんだで8時間程映画館に居る事になります。
全編モノクロで、驚異の長回しでの撮影で7時間18分を約150カットでまとめたと言うのはもう狂気の沙汰としか言い様が無い感じ。
加えてアート系の作品でいろんな思想と言うか、難解なメッセージも入っている。
公開は1990年代で舞台となっているのは1980年代。
社会主義圏崩壊前のハンガリーの田舎町を舞台にしていて、とにかく閉鎖感が半端無い。
道路が舗装されて無い事から、雨でぬかるみ、冬場は都会への行来が困難になる。
それでいて、町は仕事も無いからお金も無い。
住民の顔は疲弊感と焦燥感。虚無感が漂っている。
そんな町にある男が帰って来る事が話題となり、その男が事件と言うか騒動の発端となると言うのが簡単な荒筋ですが、2回目のインターミッションまではもう単調な映像が淡々と流れていて、正直かなり苦痛でしたw
まぁそれを期待してた面もあったんですが、スローパンチが効きすぎていてノックアウト寸前w
作品としてやっと動き出したと感じたのは2回目のインターミッション後から。
ここまでに約4時間を費やした訳ですわw
搾取されると言うか、立場的に弱い人のやるせなさが長回しで訴えかけてきて、いろんな人の日常の業が描かれてます。
なので、思ったよりもハードメッセージな部分も多くて、爽やかさとかエンタメ感は個人的には殆ど感じられませんでした。
それでも何か凄いモノを観た様な感じで、モノクロの世界には希望や未来が感じられず、何処までも続く道を歩く様は人生の虚ろを感じさせ、風がビュービューと吹き、落ち葉や紙クズがこれでもかと吹き荒んでいる。
皆、雨に濡れる事を気にしないのか、傘をさす者は皆無。
それは人生の無情になすがままに翻弄されている様にも思える。
ラストのドクターが自身の家の窓を板で隠して、外からの光を入れないのは、この作品の圧倒的なやるせなさを描いている。
ここまで打ちのめすのかと思うくらいに強烈で、でもこの作品の凄まじいメッセージが妥協なく描いている。
やっぱり、凄い作品ですわ。
正直、人にはお薦めが出来ない作品で、これを観よう!と言うのは映画鑑賞を極めた、もしくは極めようとしている人か、ちょっと変な人w
自分は明らかに後者寄りなんですが、観た事で何か変わるかしら?と言う期待と“オレ、こんなの観たんだぜ~”と言う飲み屋トークのネタにはなるかと思った訳ですわw
日本語字幕のDVDは未発売なんですが、この作品は明らかに映画館で観るべき作品かなと思います。
他の方も言われてますが、普通なら10秒程で終わるのを1分ぐらい掛けて撮影していたりするシーンがてんこ盛り。
この映像余分かな?と思う部分をカットしたら、多分2時間ぐらいで十分に編集出来ると思うんですよねw
でも、その残り5時間がこの作品のウリでキモな訳でして、ここに意味と意義を見出ださなければお話にならない作品でもあります。
加えて、映画館と言う鑑賞以外の要素はバッサリカットした空間で観るからこそ挑める訳で、DVDなら早送りか、ストップして“…まっ、今度でいっか!”と途中で鑑賞を断念して、多分その後は見ない様な気がしますw
映画館で観る事によって、他の人達とこの思いを共有すると言うか、共犯意識的なのが高まる感じと、「24時間テレビ」の24時間マラソンでゴールをしたランナーを迎えて、皆で「サライ」を歌う様な達成感を得られるかなとw
でも、作品としては1つの出来事をいろんな視点かは観ると言う長尺作品ならではの構成が面白かったりするのと、やたら変な人が多いのも面白かったりします。
酒場で皆で盛り上がっていく中で頭にチーズロールを乗せたオヤジの描写はもう“病んでまんな~”的なんですが、飲んでて酔っ払ったら総じてこんなもんかとw
いろんな描写が独特でもう、観賞後は全てがサタンタンゴに見えて、世の中は全てサタンタンゴだと言う心境に陥ります。いや悟ります。洗脳されますw
いろんな作品がある中でエンタメ感が満載の作品もあれば、サタンタンゴみたいな作品もある。
でも、それらは全て「映画作品」な訳で、世の中の映画作品の中でも極地的な作品を鑑賞する事も映画を観る事に変わりはないので、個人的には難解と噂の1989年発表で日本未公開の「シルバー・グローブ 銀の惑星」と並んで、観たかった作品でしたので、とりあえず良かったかなとw
観る人を選ぶ作品で劇場公開の頻度は限りなく少なくなっていますが、機会がありましたら、如何でしょうか?
もの凄い作品でした
やっと観ることができました。
私が今まで観てきた作品で一番長かった作品は、ベルトルッチの「1900年」の5時間でした。
しかしそれを大きく上回る7時間18分の長尺作品。
二回のインターミッションを含めると、8時間という驚異的な上映時間。
そしてその長い尺に反してカット数は約150。
この時点でこの作品が尋常でないのがわかります。
舞台はハンガリーの貧しい村で、ひたすらに陰鬱な世界が広がります。
しかしながらスクリーンに映された映像は実に美しい、吸い込まれるようです。
そしてひたすらに長回しによって村人の生活が映し出されます。
それは物語を追うのではなく、観客を作品に同期させていくような感じでした。
驚異的な長回し、遠く聞こえるうねりのような音にいつまでも続く時計の音、吹きすさぶ風に雨。
いつしか思考する事が無くなり、何だか作品に潜っていくような感覚でした。
ひょっとしたら所々軽く意識が飛んでたのかもしれないです。
けど各章のタイトルやインターミッションの文字が出るとハッと我に返るので、寝ていた感じもなかったんですよね。
モノクロ作品なんで完全に錯覚なのですが、途中から空などに薄い色がついてるようにも見えていました。
説明するのが難しいのですが、そんな何とも言えない貴重な体験でした。
今まで自分が観てきた映画とは明らかに異質で、まさに作品に入り込んでいたよう。
劇場までの往復を考えると一日を使ってしまう事、公開するとソールドアウトが多い事、正直ハードルはかなり高い作品でしょう。
しかしリバイバルの機会があるのならば、私は必ずまた観に行くと思います。
囚われた円環の中で、永遠に悪魔とタンゴを踊り続ける。
私の映画観を塗り替える、もの凄い作品でした。
※あの猫。何でも獣医立会いの元撮影され、そのまま監督が飼ったらしいですね。
色々すごいです。
尻が痛い!
7時間18分、キッチリ見て来た。素晴らしい映像美の中にドップリのめり込んだ幸福な時間が過ごせた。この上映時間の長さに肉体的には尻の痛さに何度も座り替えたり、座り直したりで苦痛であったが、感覚的には言うほど長くは感じなかった。やはり、タル・ベーラ監督の天才が為せる技なのかと変に感心してしまった。風のシーン、雨のシーン、泥のシーン、撮られた自然現象と風景が非常に美しく、詩的である。モノクロでこれほど視覚的に美しく撮れるとは、映画の魅力は尽きないと新たな発見に感動を覚えた。監督は既に引退されたとのことだが、これだけの作品を撮ったのだから、もう自らの作品としては納得が行ったのだろう。監督の功績な対して、素直に拍手を送りたい。豊かな時間を直接手渡してもらった気分の余韻がまだ続いている。最後に一つだけ苦言を呈したい。演出上、必要不可欠なシーンであっても、白痴の少女が猫を虐待した上に殺すシーンは不愉快だった。
観て良かった
7時間を超える上映時間が苦にならなかった。ハンガリーまで日帰り旅行したと思えばラクなもんだ。
自由のない社会主義は奴隷と野蛮をあらわす。与えられた労働とわずかな配給の環境では「働くことは負け」である。
そうして何も思考せず、目の前のことに反応するだけでは真に生きているとは言えない。風が吹くたびに吹き飛ばされる紙クズに等しい。
あたかも自分勝手に自由意志で振る舞っているようで、実は富裕層に都合よく利用されていることに全く気付かない者たちを富裕層は「奴隷」と呼ぶ。
オープニングの牛たちは好き勝手に行動しているようで、自然と同じ方向に向かっていった。
ドストエフスキーの「悪霊」を思い出す。豚の群れに入り込んで、破滅をもたらそうとしているのは何か。それは誰なのか。これらの想像力と問いを持ち続けることは、現在だからこそ必要なのかもしれない。
誰もがサタンにタンゴを踊らされる危険があるのだから。
インチキ教祖まがいのリーダーがいたとしても、そんな者の軍門に屈服するくらいなら、むしろ苦悩を享受することによって世界を生き抜きたい。そして、そのような方法でしか人間の自由は獲得できないではないか。
足の不自由なフタキだけが立ち去ったところで見事なラストだと思ったが、そこで終わりではなかった。
廃村に残った医者は、外界を断ち切るように窓に板を打ち付けた。光を失うと同時に、ここにはサタンも入り込めない。
ただただ圧倒され、流される
長い映画オタクを自認する私だが、さすがに7時間18分はきつい。インターミッションは2回、特に2回目は30分あるので、そこでかなりの疲労がどっときた。最初から最後まで集中力を切らさぬ、とまではいかなかったものの、ものすごい精神力を削って映画を鑑賞したことが分かる。
まずはその、どこを、何分何秒の部分を写真にしたとしても全て構図が完璧に決まっている、という映像の圧倒的な美しさ。それにも関わらず、驚異の長回し。どんだけ長回しなんだってくらい長い。それなのに一切画面が弛緩しないのだ。ここまで映画を「完璧だ」と思わせる映像は初めて観たと思う。
物語は...難解というより、何度も同じ時間軸を別の視点から繰り返してみせ、特に前半4時間ちょいは、それだけの時間をかけて、結局時間軸では1日の経過なので、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の前半くらい怠い。大審問官の辺りくらい怠い。冒頭の牛で不安に駆られてから、「いけそう」「怠い」の繰り返しなのだが、それでも不思議と目が離せない。
前半に比べれば、後半は約3時間に前半の倍の6章分詰めてあるので、多少の動きがある(実際後半が短いのかもしれないが)。救世主かペテン師か...いや私には何をどう見たってペテン師のアレにしか見えないのだが...と思いながらも、突き放したように見つめる時間。
最後の章で「えっ」と「ああ...」が自分の中で交錯した。
少女と猫の、ある種静かな狂気の光景が頭から離れない。彼女の目。正面から見るより圧倒的に大人びて寂寥感溢れる横顔。
あとダンスのシーンの長回し、こっちの頭がどうにかなりそうな光景だった...。頭にチーズロール...。
あと、お昼をろくに食べずに飲みものだけで耐えたので豆スープ(豚足入り)がめっちゃ食べたくなった。
一度観ると圧倒されて、色々考えたり調べたりしたくなる。知りたくなるけれども、もういちど観ますかと聞かれたらさすがに躊躇う。それくらい心身を持っていかれる映画体験であった。
そして鑑賞後、パンフレットの解説を読んで「そんな話だったの?! 」と案の定なっている私がいたので、パンフレットは読むといいと思う。
このような映画体験は初めてのことで、この長回しを観てると当事者的に...
このような映画体験は初めてのことで、この長回しを観てると当事者的に画面の中に入り込んでいた。残念ながら、最後30分で睡魔に襲われ肝心な場面は未だに解らないままだ
もう一度劇場で見たい!
実は以前から英語字幕のDVDを持っていたのですが、長回しで睡魔が襲いかかって来ていつも1時間から2時間でダウン。でも、ベルクマイスターハーモニーもDVDではそうだったけど映画館では一睡もしないどころか全シーンが興味深かったように、サタンタンゴも目を惹きつけて眠らせませんでした。劇場効果ですね。筋がないようなレビューがありますがきちんとありますし、時間軸が複雑だからわかりにくいだけですよ。
本当の傑作です。
4年に一回でいいから上映して欲しいものです。
これを傑作と言える素養が私にはない。。
映像美、構図は素晴らしいと思います。
ワンカットは黒澤監督並の計算された構図の
繋がり。白黒故にですかね、
そんな印象を受けました。
しかし、これを映画史上、最高傑作と呼べますかね。
映画製作者の教養作品としてなら分かりますが。
映画ってそもそも娯楽芸術ではないですか?
完全に娯楽部分がない事はないですが、
7時間って長さは芸術作品として、
教養としてでしか観る価値はないように感じます。
文学作品としてなら納得ですが。m(_ _)m
まあしかし、役者陣の成り切りっぷりは
すごいものがありましたね。
動物陣も監督の言葉を理解して演技してるように
監督の狙いどおりに動いているようにしか見えない。
この長回しでそんな事が出来ますか?って。
これは奇跡としか言えないですよ。
全くどうやって撮ったの???ほんと!
庶民の悲劇
438分は、やはり長かった。しかし、即位の儀式では、テレビで、繰り返し流される場面を、飽きることなく7時間も、見続ける視聴者も多いのだろうなと思いながら。騙す側は何度でも騙し、騙される側は同じ回数だけ騙され続ける。台詞の中で、「創世記」でなく、「黙示録」と言っていたのは、どの場面だったか?長回しは、背景が見惚れるほど美しさがなく、漫然と見ている間、人物の心理を思い巡らすことができて有意義だが、映画の内容は、時間に比例するものでもなく、長回しを1/3にしたと変わりないのではないか?「地獄の黙示録」の様にdevil を追い求めるのではなく、彼は、向こうからやってくる。投網に掛かるのは、小市民だけ。彼らも、密偵としての金銭は、補償されるだろう。現代社会にも通底する小市民の悲劇。
映画人生において最重要作のひとつとなった
ハンガリーのタル・ベーラ監督の1994年作。7時間18分という上映時間はこれまで観た作品の中で最長。1991年から4年かけて撮ったとのこと。
観進めるにつれ映画における時間の概念が崩壊していく。
舞台はハンガリーの田舎にある小さな村。村人たちは私欲は強いが自立できず、依存しないと生きていけない。ペテン師イリミアーシュの口車に乗り、持ち金をすべて渡して村を出た。自分たちの農場を持つことを夢見て……。
降り続く雨、吹き荒ぶ風、太陽が失われたのかと思うほど薄暗い世界、そして何より愚かで理不尽過ぎる村人たちの行動に陰鬱になる。何の救いもない悲劇だった。絶望があった。
ロシアの影響下にあった時代の光が見えない閉塞感を自由化後まもなくこの作品にぶちまけたタル・ベーラ。彼の思いに打ちのめされ続ける破格の傑作。
我が映画人生における最重要作のひとつとして在り続けることだろう。
スクリーンに、釘付けされる7時間。
50年以上スクリーンで映画を観てきたが、サタンタンゴは唯一無二の存在であり、極めて上質な映画体験である。人は歩きながら人生を刻む。人間の愚かさと野蛮さを静かに美しく描き、観る者の魂を揺さぶる。文学の至宝がカラマーゾフの兄弟なら、サタンタンゴは映画の至宝。
7時間を体験して
「ニーチェの馬」との比較で言えば、やはり作りが粗いところは否めない。タルコフスキーとも比較されるが、緻密さは劣る。
ほぼ全編を貫いて降り続けるバケツをひっくり返したような雨、吹き続ける立っていられないほどの風。
映画全体の陰鬱なムードをBGMのように表現する演出だが、土砂降りの次の日のシーンなのに地面がカサカサに乾いていたり、登場人物周辺はビュンビュン風が吹いているのに並木が全く風に揺れていなかったり、少し興醒めなところはある。
しかし、圧巻なのは、少しずつ、ほんの少しずつ、不条理に崩れていく世界。
回収されない伏線(爆弾の話はどうなった?)やあまりにも安易に村人が騙される筋書き、医師の唐突な怒りなど、整合性のないストーリー。論理的に破綻しているイリミアーシュの演説。そもそもイリミアーシュはかつて村で何をしでかしたのか、何ゆえに村人に恐れられているのかすら、明らかでない。
人が人生を生きているこの世界に整合性などなく、生じて滅びるだけ。
聖書の、パロディとも言えるし、再現とも言える。
愚鈍な村人はいとも簡単に全財産を騙し取られスパイとして生きていく。おそらく自分がスパイになっていることにも気付かずに。これは共産主義のカリカチュアか。
男が立ち小便をするシーンが2回あるが、初めから終わりまで見せて、何もない。ストーリーに何の関係もないし、何も起きない。女が近所に住む男と寝る。誰とでも寝る。しかし、何も起きない。数十頭の馬が広場を駆け抜ける。ハッとするようなシーン。しかし、馬は話の進行とは無関係であり、風景としても強い違和感がある。延々と続くダンスシーン、いや乱痴気騒ぎ。それをじっと覗き見る少女。退廃。ソドムとゴモラか。これは美ではなく、グロである。
7時間の間に、小さなほころびが積み重なり、少し世界が壊れたことだけがわかる。
すさまじい体験。
カフカ的な悪夢的リアリズムに打ちのめされる
まずは彼の長回しの手法を理解する必要がある。
キュアロンのような表現美や構造美、
タルコフスキーやアンゲロプロスのような映像美、
そのような長回しではない。
確かに構図としてはどのショットも配置や動きは言葉では表しがたい素晴らしさがあるが、それは美しさというよりも、悪夢的な現実に打ちのめされるような、頽廃的なものなのだ。
反吐がでるほど執拗に退屈な生活風景(これは後にニーチェの馬で洗練される)、終わることのない貧しさから無力感に支配される登場人物たち、ひたすら攻撃的な豪雨、暴風に常に晒され、あてもなく家畜が彷徨う果てない泥濘みの世界、微かな希望に縋るも、進めど進めど何処にもたどり着かない、霧に包まれた明日(ここから分かると通り、カフカ的な不条理感が濃厚)。
上記から分かる通り、この映画を視聴するには相当な覚悟が強いられる、と思いきや、キツイのは序盤だけで、この世界観を把握できると中盤からはこの世界感に没入できる、誠に不思議だが。
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