「男なんだよ!女ですもの!」宮本から君へ 野々原 ポコタさんの映画レビュー(感想・評価)
男なんだよ!女ですもの!
男だから、こうしなければいけない
女なのに、そういうことしてはダメ
そんな男女観を押し付けることはナンセンスだと
世間に認知されるようになった昨今ですが
わたしは、だからこそ、あえて言いたい。
男と女、それぞれでしか請け負うことのできない義務と
産まれながら生きている意味を… あえて、問いたい。
そんな論議の焦点を一手に引き受けた作品
『宮本から君へ』は、賛否の矛先をも
真利子 哲也 監督は請け負うことも
覚悟の上の製作だったのでしょう。
そう、ドラマ製作当初から、この最後を見据えて…
宮本の「俺が守る。俺が引き受ける。俺が結婚する。」
…という男の信念
靖子の「あたしが産む。あたしが育てる。」
…という女の意地
そんな男女が半ば自己中心的に主張する姿は
まるで、人間が日頃まとっている“理論武装”を解除して
生き物本来の“丸裸の行動原理”の下で繰り広げられる
こころの取っ組み合いのようでした!
だからだろうか?
惨めで、無様で、不器用で、
でもがむしゃらで、一途で、まっすぐな気持ちが
理屈抜きに、鑑賞者のこころに突き刺さるのは…
パンフレットも原作漫画も見てないけど映画版のエンドロールには「男なんだよ女ですもの」だった気がしたのは思い違いだったか?
あと揚げ足取りみたいだけど「一人称から二人称」じゃなくて二人称もしくは三人称からじゃないか?
まあ、主人公に肩入れして見てしまうのも分かる。
作り物のお話とは言え他人事には終わらせない強度を持つのも確か。
「君へ」の部分もそのままヒロインに向けられた物かもしれないし、映画を見た人に向けられた物にも思える。
つまりは一人称・二人称・三人称が混同するぐらい凄い映画だと言う事を付け加えておきたい。
よこやり失礼した。
たびたび失礼します。
完全に後付けの理屈なんですが
わたしはこう考えました…
「男ですもの 女なんだよ」という言葉は
男性の意外な“しおらしさ” 女性の意外な“強情さ”
を言い宛てた言葉かと思いました。
現代でしたら性別によってパーソナルを決め付けたり
するようなことはないのですが、
昔だったら性別における決め付けがパーソナルの枠から
はみ出す事を憚れるような時代でしたら
「男(なのに)ですもの 女(だけど)なんだよ」
というようなニュアンスが含まれたことでしょう…
それを踏まえると「男ですもの 女なんだよ」という言葉は
お互いの立場を入れ替える事によって、
またお互いを照らし合わせて同等の立場、
ひとつの共同体をも言い宛てた言葉〈ふたりで一人称〉
のようでもあると思いました。
本作『宮本から君へ』っと、改めてタイトルを呼んでみると
一人称から二人称へ向けられた言葉だと気付く…
日頃、男と女は完全な別個体という感覚を抱いているわたしが
「男なんだよ 女ですもの」と見出しを切ったのは
わたし自身が一人称でしか成していないから…かな?
natsumi_kimuさん
ご指摘ありがとうございます。
パンフレットの真ん中にどーんと書いてあるのも
認識済みだったんですが…
個人的にはこっちの方がしっくりきたもんですから
わたしの“脳内補正”だと、ご理解願います(笑)