「People, they want some of that victory ! FADDY DADDYより。」フォードvsフェラーリ Naakiさんの映画レビュー(感想・評価)
People, they want some of that victory ! FADDY DADDYより。
ある悲しみを抱えた女性が、尋ねる。
What is so important about driving faster than anyone else?
男は答える。大抵の人は、惨めに人生を過ごている。しかし、ドライビングテクニックがあれば物事は違う....そして、レイサーの有名な台詞へと
"When you're racing, it's life. Anything that happens before or after is
just waiting."......と
映画「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道(2005)」では名だたる映画賞を受賞をし、また「LOGAN/ローガン(2017)」では、ある意味、個人的に言えるなら反感を買いそうなシナリオに対して、監督が、世界の自動車産業界の雄としてだけでなくアメリカ”ソノモノ”と言えるフォード社の一大ロマンを’下手’に映画化しようものなら人から何を言われるかわからず、それだけでも映画化は無理と考えて、まして普通の神経の持ち主なら、二の足三の足を踏んでしまいそうになるはずが、彼はやってのけている。
アメリカのデトロイト生まれで、大戦中は、海軍に所属し、父親が残した負の遺産をその手腕から、建て直した男ヘンリー・フォードⅡ。彼の人柄と精神構造を垣間見ることができるのが、フェラーリの買収にまつわるこの映画のスタートと言ってもよいエピソードに続く。日本の本田も映画「Grand Prix(1966) 」では”ヤムラ”という名前で登場し、自分たち自ら、F1の事を称して”走る実験室”なんて呼んでいた当時の”モナコグランプリ’66”の記録映像が残っていて、半世紀以上前に、フォードがル・マンに本格的に参戦したのと同じように1964年に本田もF1レーシングシーンに参戦している。
-James Bond "doesn’t" drive a Ford-
フォード車の総支配人兼副社長であるリー・アイアコッカ(のちにフォード社社長)の提言によると、たぶん彼自身の天性の察知能力から、すぐそこまで来ているモータリゼーションをにらみ、高出力・高排気量のマッスルカーの誕生と需要が必ず来ると予見し、是が非でもル・マンで勝つ必要があると考え、手っ取り早くアメリカ流・”金が全て”という思考からフェラーリの買収に金を積んで臨んだと思われる。映画でもそのことは語られているが、フェラーリはフェラーリでタヌキをだます狐らしく、”コメンダトーレ” と呼ばれたエンツォ・フェラーリによって天下のフォード社が当て馬にされ、フィアットから提示される買収金額を上げさせるためにだけフォードは利用されたとされる。端的に言うと、フェラーリ側が最初に自尊心を傷つけられたと思わせておいて、実はヘンリー・フォードⅡ側の方がより自尊心を傷つけられているように描かれている。フォードの重役の一人が、「彼らが1年かけて生産することができる台数を我々フォードでは1日で生産出来る。」と豪語していたが、いざ'ル・マン'のこととなると、車自体の性能が.....
企業理念を超えた”アメリカで最も有名で強力なCEO”の意地と”地球を歩く最もナルシシズム的な男”の意地が、あたかもエゴイスト同士の意地と意地が真正面からぶつかり合うように物語は始まる。
最初の頃は、それほどまでル・マンに関しては、社主であるフォードⅡは、あまり乗り気ではなかったようだが、エンツォ・フェラーリのおかげでモーターサイクルという世界が面白くなったのかもしれない。
”You are not Henry Ford, you are Henry FordⅡ.” なんて言われた上に
He said Ford makes ugly little cars in ugly factories.
He called you ”fat”, sir. 怒り心頭のヘンリー・フォードⅡ
We're gonna bury Ferrari at Le Mans. 本格的に参戦する意思を固める。
(He:エンツォ・フェラーリ)
本編はこのように始まる。実際の本人も患っていた心臓病が原因でレイサーを諦めたシェルビー。ル・マンで黄金時代を築いていたフェラーリの’鼻を明かす’為に技術屋として召集され、ある競技会で偶然にもイギリス人レイサーのマイルズとの出会があり、羽陽曲折しながらも、二人の友情が作り上げられ、それと同時にV-8 engine搭載のFord GT40 Mark IIも2人の努力で日の目を見る。
-World’s most brutal, tortuous automobile race.-
そして、映画もラストに近づくとお待ちかねの”1966 24 Hours of Le Mans”のレースの見せ場の佳境に入ってゆく。フェラーリとの血で血を洗う、息をもつかせない、手に汗握る攻防戦を鮮やかなカット割りの撮影手法で映像化をしている。付け加えると画面と爆音が融合することで”BP"の広告看板をしり目にフォードGT-40がターンとターンを通るたびに飛んでしまうかのようにボディーがガタガタと....耳障りなサウンドスケープ と怒号が創り出す純粋な音による暴力となり見ている者を釘付けにしてしまっている。
最初から映画が幕を閉じるまで、うっとうしくなりがちな生臭い会社内外の軋轢や対立という問題も含めているのに、よどみのない分かりやすい演出があり、その中にさらに人間ドラマも加えることの出来る天才脚本家の存在。それを裏付けるようにシナリオのテンポがすごくよく、レースの様子をテレビの前で観戦しているマイルズの妻子やレーススタジアムにいる観客がGT-40を応援している姿から見ている者も感情移入がしやすい。...ただし、シェルビーがフェラーリのブースにちょっかいを出すところは...(笑?)レースの結果は映画とクリソツで、実際のレース展開は、真逆ですので悪しからず。
重箱の隅をつつく者として、この映画では、GT-40 MarkⅡをいかにもシェルビーとマイルズと少人数のスタッフが作った手作り感や達成感あふれる演出にしたかったのは、わかる気もするけれどもそれは、過剰演出という意見もある。何故なら、この監督自ら、それを裏付ける映像を流している。競技中のMarkⅡのピットインのワンシーンで炎上しているブレーキシステムを総取り換えをフェラーリチームから’競技違反’と強く抗議されている場面。走行中フロントブレーキが摂氏800℃を超えて焼き切れてしまう対策として、クイックチェンジブレーキシステムを考案したり、エンジンの耐久性を図るためのプログラムによるダイナモシュミレーターシステムも開発している。1965年に就任して1年ですべてのことは無理がある。…実際のところ多くのフォード技術者の長年培ってきた賜物となる結晶がGT-40 MarkⅡが生まれたと記載されている記事を目にする。嫌味でした。それなら書くなってか?このことは、日本でも確か’80年代に出版されていたPopular Mechanicsの今年の11月の社説にそのことについて詳しく述べられている。
映画上で、二人の水と油と言えばいいのか、180度異なる経営方針の2社が車に対する考え方や真摯な物作りの姿勢の違いを見せたかったのかもしれないけれど、レース会場にエンツォ・フェラーリは行っていませんから、念のため。また嫌味か?自分でも最初は、フォード社のPV映画と思っていたが.....そうでもなさそうな描き方をされている。いい大人がそんなことを言わないで映画を単純に楽しみさいと言われそうだが........
悪態ばかりではなく、オープニング・クレジットの名前の登場順からすると大方の人は、マット・デイモンが主演とされるかもしれないが、この映画の肝となる役者さんは、はっきり言ってクリスチャン・ベール。今回も実在の人物に風貌を似せるあまりポスター写真からでも直ぐわかるような減量をかなりしている。あまり追い込むと完璧主義者が陥りやすい、自分の考えが正しいと信じ込み、周りのスタッフに対して反動が起こるのではないかとふと心配になったが、今回は、ヤンキー語(失礼?)ではなくて、イギリス出身の彼が、イギリス人役なので、力が抜けたようにのびのびと演技ができているように見えたのでひと安心。その点を踏まえて、多くの批評家が、彼の演技に惚れ込み、好感度を上げている。終いには、またオスカーを手にするとまで言われている。
ヘンリー・フォードⅡは第二次大戦中、敵である日本に対して思いがあるのはわかる。しかし、1970年中期、マッスルカーが衰退するとともに日本車の様な軽量低燃費車の時代が到来しようとしたときの言葉…!?
Henry Ford II stated:
"No car with my name on the hood is going to have
a ’Jap’ engine inside."
と今だったら、”問題あり” 即、レッドカードとなりそうな発言がまかり通る激動の時代を描いた娯楽作品です。知らんけど。
この映画のベースとなるのが1966年公開のドキュメンタリー「This Time Tomorrow (1966)」で監督はフィリップ・ボンド。制作会社はFord Film Unit とPhilip Bond and Partnersという過去に数本映画を世に送り出している会社が制作している。ピットインの時にジャッキアップする道具が電動でも油圧でもない人力で車体の前部を持ち上げている場面が、この映画にも登場し、印象に残っている。イギリスの映画情報サイトThe BFI より参考。
映画製作が原因で中皮腫にかかり、自身の制作会社Solar Productionsを手放す原因となった映画を作ったレイサー。冒頭に登場した彼であり有名な台詞を残した彼。また "The King of Cool" と呼ばれた男。その彼がレース後、手の甲を向けて”Two-finger salute” 。その意味がわかる大人となれたのか?意味不明か?
この映画以外、レース映画でないという”変人”がいる。