「青い鳥とグランブルー」アド・アストラ R41さんの映画レビュー(感想・評価)
青い鳥とグランブルー
アメリカ人らしい発想が随所に散らばっていた。
いい悪いではなく、彼らが考える世界観がこの作品だと感じた。
SF 近未来世界
ロイは宇宙軍に所属し絶対的命令のもとで、自分自身が何者なのかを明確な意図のないままに手繰っていくのがこの物語なのだろう。
誰も知らない宇宙のはるか彼方の先を見続けた父
「目の前のものを見なかった」
この言葉に従来のアメリカという国そのものが象徴されているように思った。
そこに、アメリカが突き進んできた戦争という政策の先には、答えなどなかったのだ。そう解釈した。
リマ計画の失敗は、宇宙軍のメンツにかかわる。
だから父を処分する。
宇宙でも起こる資源の奪い合いは、「西部劇時代と同じ構図」で、アメリカ人が認識している人類だ。
「犠牲」を、宇宙でもロイの目的に向けても普通のことのように描いている。
さて、
物語の中で頻繁に出てくる「感情チェック・心理検査」
物語上の設定は、任務達成に関する成功率を導き出しているものと推測するが、このSF世界での最もコントロールが難しいのが「人の感情」だということがわかる。
任務に対する感情の変化 動揺…
ロイは常に平常時を崩さない人物として設定されているが、実は彼の思考にあるのは父であり、別れた妻だ。
一緒にいても遠くにいるロイに、妻は耐えきれなくなった。
ロイにとってこのミッションは自分の尊厳にかかわることで、 自分こそが父の真実を知るべき立場にあることを強く認識し、エレンの助けもあってケフェウスに乗り込む。
このロイの一大決心は、彼の人生を大きく左右する。
それと対比しているのが命令に対する絶対服従だ。
ここは特にアメリカ人らしい描き方だと感じた。
彼はついにリマに行って父を発見するが、父は「遥か彼方先ばかりを見続けて、目の前のものを見れない」人だった。
父は従来のアメリカの象徴なのかもしれない。
ロイは父の意思に従いハーネスを切る。
父の信じるグランブルーの世界に彼をリリースしたのだ。
父との決別はまぎれもなくロイが下した判断で、ロイの新し生き方を示唆するものだった。
タイトルの意味は、ラテン語からきているようで「困難を乗り越えて星々へ」という格言を意味しているようだ。
この困難とは、父という存在と過去、軍という絶対服従世界において「自分で考え答えを出す」ことを意味していると思った。
どんな状況でも命令に従うのではなく、自分で考えて答えを出すということだろう。
「知的生命体を発見する」
この大きな目標はまさに「青い鳥」と同じ構造で、探し求めていたものは、「自分たちだった」ことになるのだろう。
ホモサピエンス = 知恵のある人 賢い人
我々は本当に賢いのだろうか?
この「消えゆく種族」の未来は、「私たち」にかかっているのだろう。
宇宙人が我々の未来を何とかしてくれるはずはないのだ。
最後にロイは軍の心理検査で話す。
「重要なことだけに集中して、他は顧みない」
この言葉は一見、軍の意思に従うように思う。
しかし、
「将来のことはわからない。でも心配はしていない。身近な人と苦しみを分かち合ってゆく。私は生きて、愛する」
この言葉は、今回の出来事で彼が導き出した答えだろう。
この「生きて、愛する」ことこそ、知的生命体の根本的思想だとこの作品は言いたいのだろう。
さて、
宇宙の果てと目の前のものという対比
宇宙に答えを求め続けた父と、いまこの目の前の幸せを感じたかった妻
その両方に挟まれたまま宇宙へと行ったロイは、人類の答えは「目の前」にあることに気づいた。
この作品は、
このことを言葉ではなく、日本的な表現を用いて描いたのではないかと思った。
ロイの心境は、心理検査の中に隠されている。
このあたりが当時の新しさだったのだろう。
ただ、
設定のわかりにくさと問題の根本のわかりにくさがあって、多少間延びする感じになってしまったことが惜しかった。