劇場公開日 2019年9月20日

  • 予告編を見る

「心の宇宙を旅する」アド・アストラ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0心の宇宙を旅する

2019年9月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

難しい

 ブラッド・ピットはレオナルド・デカプリオと共演したタランティーノ監督の「Once upon a time in Hollywood」でも落ち着いた存在感のある演技を見せたが、本作品の演技は更に存在感を増し、これまでに観たブラッド・ピット出演作品の中で一番重厚だったと思う。タランティーノ作品が行きあたりばったりの展開だったのに比べ、本作品は起承転結がしっかりとして、登場人物の行動も解りやすくて合理的な動機に基づいている。そして舞台は地球から遠く離れた太陽系の端という極限状況である。

 父と子の関係は、母と子の関係に比べると曖昧であり、フィジカルよりもメンタルな関係であると言っていい。人間を馬と比べるなと言われるかもしれないが、サラブレッドは父馬が同じでも兄弟とは言わない。母馬が同じときだけ兄弟と言われる。母馬が年に1頭の仔馬しか産まないのに対して、人気の種牡馬は100頭以上の牝馬に種付けするからである。
 母親は子の世話をし乳を飲ませるが、父親は専ら見守るだけだ。動物の場合は見守りもしないから父と子の関係は遺伝だけとなる。種付けが終わったら個体同士の有機的なつながりはなくなるのだ。従って子にとっての親は基本的に母親だけである。
 共同体の中ではどうかというと、封建時代の家父長制度の時代は一定の価値観で家を守り家名を存続させていくのがならいであり、父親は主人と呼ばれ家の長であったが、現代では家名の存続や家柄に価値を置く考え方は衰退している。代わって多様な価値観が認められ、必然的に父と子の関係は父が子に一方的に価値観を押し付ける関係ではなくなり、子は父の生き方をひとつの例として相対的に見ることになった。
 このあたりから父と子の関係性は多種多様となり、父と子のつながりもあやふやなものになる。物分りのいい父親ほど子に干渉しないから、人間同士としての関係も希薄である。子は早い時期から将来進む道を自分で考えなければならなくなる。多くの親はその手助けをするのだが、中には何もしない親もいる。

 トミー・リー・ジョーンズ演じる父親が、ブラッド・ピット演じる主人公ロイにとってどのような父であったのか、それがこの作品の芯である。既に死んだはずの父親の意志は、息子にとってすなわち遺志であったが、父が生きているという情報によって、それは現実に存在する意思として心に蘇る。心の中の父が現実の父であることを確かめるためにロイは43億キロの彼方に向かう。それは宇宙の彼方への旅であると同時に、自分の心の中に向かう旅でもあった。
 正気を保つのが難しい極限状況に主人公を放り込むにあたり、映画は主人公が心拍数さえも管理できるほどに訓練されていることを前提にする。このシーンがなければ、極限状況で落ち着き払った主人公に違和感を感じたに違いない。そういう意味でもよく考えられたプロットである。
 ブラッド・ピットはひとり芝居においても高いポテンシャルを見せた。長い旅の中で弱さと強さを併せ持ちながら、魂の深みを探るように自問自答を繰り返す。死ぬまで孤独に耐え抜く強さはまだ得られていない。だから運が悪かったときのために誰かにメッセージを残そうとする。しかし父はどうか。
 宇宙の彼方にあっても任務をきっちりと果たす宇宙飛行士としての生き方は、父の遺伝子を色濃く感じさせるものだ。父と子は同じような運命を辿ってきた。本来的には宇宙で生きるように出来ていない人間が、宇宙空間の閉ざされた乗物の中で他人と共同作業をする。目的が同じ間はいいが、命令系統が異なったり、意志が分かれたりするとどうなるのか。悲劇をともに経験した父と子は、父と子の関係性を超えて同じ方向を向いて遠くを眺める同志だ。任務の違いによって方角を分かつ父と子だが、少ない言葉を交わすだけで互いのすべてを理解する。
 本作品はアメリカ映画と思えないほど哲学的な作品である。宇宙を描いたからこそ地球を客観的に見ることができるのかもしれない。ブルーマーブルと呼ばれる、宇宙から見た美しい地球には70億の人類が生きている。人類は、人間は何処へ行くのか。父と子が見ている先には人類の不安な未来があるのだろうか。人間の不幸な結末があるのだろうか。

 太陽系が存在する銀河系は天の川銀河と呼ばれる。銀河系はいわゆる星雲である。天の川銀河の倍以上の大きさを持つアンドロメダ銀河も星雲である。星雲が互いの重力場を影響し合いながら集まっているのを星雲団とよび、宇宙には数多くの星雲団が存在する。宇宙には曲率が存在して空間的には閉じられていると言われても、その広大さは人智の及ぶところではない。
 相対性理論によれば光速Cを超える速度は存在しないから、たとえ地球外生命体が存在すると仮定しても、地球上の観測者がそれを確認することはない。確認できないものは存在しないと同じで、宇宙人はいないし、UFOは単に未確認であるに過ぎないと結論される。おそらくその結論は正しいのだが、それでも宇宙の広大な空間に想像力を広げたとき、人類にも文通できる相手がいたら楽しいだろうと思う。なんだか笑えてくる。
 本作品は人間が旅をするだけの話だが、それが宇宙空間の旅となると想像力の針が振り切って、逆に平安をもたらしてくれる。宇宙に行く旅は、やはり自分の心の中の宇宙の旅でもあるのだ。

耶馬英彦