テリー・ギリアムのドン・キホーテのレビュー・感想・評価
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現実と幻想を行ったり来たり ではない。全部が幻想と見れば良いのだ。...
現実と幻想を行ったり来たり ではない。全部が幻想と見れば良いのだ。
『ドン・キホーテ』に捧げる話なのだ。
『バンズラビリンス』と類似する。
アンヘリカに会いに来たトビーは、かつてドンキホーテを演じたハビエルと出会い、幻想の世界へと引き釣りこまれる。アンヘリカを愛していたが、15歳と年齢の隔たりもあって、愛を打ち明けずにいた。暫く振りに訪れ、彼女の消息をきくと、どうやら、幸せではないようだ。それを取り戻す旅にトビーはドンキホーテになって足を踏み入れる。
ただの温故知新じゃないのが共管できる。傑作だ。。
摩訶不思議…
ドン・キホーテの知識があれば、理解できたのか、あってもできなかったのかわからない。今はCMの監督であるアダム・ドライバーが学生時代に撮った映画のロケ地に再訪する。その映画でドン・キホーテ役だったジョナサン・プライスに再会すると、すっかりドン・キホーテになりきっており、ヒロイン役だったアンジェリカはロシアの富豪の娼婦となっていた。どこまでなりきっているのか、ボケているのかわからないプライスは結局死んでしまう、殺してしまうし?本当は知っていたのか不明だし、ロシア富豪からアンジェリカを救出するストーリーに変化したのかと思いきや、全ては富豪のショーだったのか、意外と簡単に解放するし、どこまでが現実なのか、よく理解できなかった。笑えなかったのでコメディとも言えず。オルガ・キュリレンコは小悪魔的な感じで出演しており、出番もそれほどなく、勿体無かった。
冒険家の中にドン・キホーテは生きている
苦節30年、9度の頓挫を経て。
度重なるトラブル、災難、キャストの病気の様などを収めたドキュメンタリー『ロスト・イン・ラ・マンチャ』も不謹慎ながら面白かったが、鬼才テリー・ギリアム長年の企画がやっと!
これもある意味、“事件”だろう。
そもそもの『ドン・キホーテ』の話を何となく知ってるような、あまり知らないような、というのが本音。
ちょいと調べてみたら、作品は基の小説に沿っている。自分を騎士だと信じ込む老人の奇想天外な冒険譚。
そこに本作は、さらに一捻りも二捻りも加えた、THEギリアム・ワールド!
スペインの村でドン・キホーテのCMを撮影中の監督トビー。が、会社やら代理店やら現場やらの問題で行き詰まりを感じていた。
宿泊ホテルで、学生時代に監督した映画『ドン・キホーテを殺した男』のDVDを見つける。撮影舞台の村も近くで、久々に再訪すると…
活気に満ちていた村は寂れ…。でも何より衝撃だったのは、映画でドン・キホーテ役に抜擢した平凡な靴職人だったハビエルが10年経った今も、劇中さながら自分をドン・キホーテと思い込み…!
そしてとんだ事が起きて、彼と冒険に出る!…って、何処に?
過去の撮影風景と現在のドタバタが交錯。
それはいいがそこに、一応現実の物語なのに、ファンタスティックな場面も挿入。現実と虚構も入り交じる。
旅が続くにつれ、何だか本当に中世映画を見ているような不思議。
風刺ネタやブラック・ユーモア、冒頭の映画製作のうんざりあれこれ、傲慢な奴ら、これらを痛烈に皮肉りつつ、
風変わりな冒険コメディとしても楽しめるし、シリアスや情熱的なラブストーリーの面もあるし、トビー=サンチョとハビエル=ドンのバディ・ムービー。勿論ここは、王道でもある。
30年分の、ギリアムのやりたい放題。ごった煮!
キャスティングもその都度変わったが、最終的にメインはこの二人に落ち着いた。
アダム・ドライヴァーのコメディ熱演。パンツ一枚になったり、ゴミ捨て場に隠れたり、服も顔もボロボロ、ヤギと○○し、歌まで歌う! よくやったよ、アダム!
お騒がせなハビエル爺さん。行く先々でトラブルを起こす。トビーの気持ちも分からんではないが、何故か何処か憎めない。ジョナサン・プライスが演じた事で滑稽さの中にも、崇高な騎士道精神や格言が説得力あり。
良い意味で一本の映画でも世界や人の人生の変えると信じているが、劇中では悪い意味で。
あの映画のせいで、村は変わり、ハビエルはずっと狂人のまま。
トビーがハビエルに振り回され苛々しつつ、旅を続けるのも、自分がそうさせてしまった責任と、彼を助けようとする気持ちがあったからではないか。
終盤、見るからに傲慢な奴らの何とも酷い仕打ち。ここは見てて辛かった…。
偉大なる騎士と言っておきながら、それは単なる冷笑する為の余興。言葉はアレだが、こいつら皆、○ね!
夢想人かもしれないが、ハビエルのような誇り高き騎士道精神を持った人たちはもう居ないのか…?
一体どういう冒険の終わりになるか予想出来なかったが、まさかの悲劇的な…。
ずっとバカバカしい夢の中で生き続けるのは愚かな事なのか…?
否!
夢や冒険を見続ける者は必ず後を絶たない。
どんなに苦難の冒険に見舞われようとも、ギリアムは実現の夢を諦めなかったように。
老いてもまだまだ!
テリー・ギリアムこそドン・キホーテ。
後に続く冒険家(映画監督たち)だって。
冒険家の中に、ドン・キホーテは生きている。
ミイラになったミイラ取りの話
「従者(Squire)」を「業者」と間違い続けますが、原語は"Squirrel"で「リス」の意。米英語の俗語で「変人」。これは和訳が難しいっすね。
さてさて。ジョニデが主役を務める計画もあったドン・キホーテ。「19年間の間に9回映画化に挑戦してその都度失敗した」と言う、この映画。「映画史に刻まれる呪われた企画」だそうです。なんとなく、分かる。企画の初期では、トビーは21世紀から中世にタイムスリップする構想だったらしく。そういう安易な方向に逃げる設定より、この映画の方が面白いと思う。
いずれにせよ、テリー・ギリアムは大御所です。主役は今をときめくアダム・ドライバー。キャストは地味に豪華。実力派のベテラン男優人もさることながら、ロッシ・デ・パルマがチョイ役で出て来るところとか拍手したくなります。
ひょんな事から、ちょっとづつ階段を踏み外して転落していくトビーは、狂人と化したハビエルと再会。彼は、自らをドン・キホーテと思い込んでいる様子(最後、彼は全てを承知の上で演じていたことが明らかになります)。そこから始まる二人の珍道中。結構楽しかった。お城に入る前後から、理性が邪魔して、置いてけぼりになったけどw
まぁ、緩く色んなものをぶッ込んだ、こんな冥作に19年の歳月を掛け、五カ国から資金を集め、世界中の劇場で公開した変人ぶりに敬意を表したいと思います。マジで、ミイラ取りがミイラになるまでの白昼夢、みたいな現実離れしたコメディ。主人と従者の新たな関係。この最後のセリフが、妙にエロくてw トビー、何考えてんの?
で、思うんですよ。これ、北米では酷評らしいけど。アメリカで酷評される映画は一見の価値あり。これが俺的な21世紀の定義ですw
愉しかった。ソコソコ。
不思議な世界へようこそするのは…
自分をドン・キホーテと信じてやまない男と、業界人風を吹かせるいけ好かない男の物語。
アリスの時計うさぎを担うのは不思議とだんだん可愛く見えてくるジプシー。
村に行ったあたりから、
現実と夢(悪夢)がどんどんぼやけていってその境目は最後には消えている。
映画館を出た後、自分は何の世界にいるのか分からなくなる脳のふわふわを味わえる。
おかしいと分かっていたはずなのに、何度も繰り返されることで何を基準にそんなことを…のループ。
もうテリーギリアムの世界に引き込まれている。
繰り返される「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」はまるで呪文のよう。
見えているものは真実か、まやかしか、気がつきたくない現実なのか。
あのムーンライトショー(と勝手に名付ける)では、現実よりも夢のほうが真っ当に思えた。
ものを作るということ。
作り手は思い描いた世界を実現することに必死だ。
鑑賞者は目の前で起きていることのエンターテイメント性を、
ビジネスマンは成功したかそうでないかを。
でも作品の背後にはそれだけでは推し量れない関わるものたちの感情や事件が隠れている。
それらを無視することもできない。
しかし全てに汎用であろうとすると作りたかった世界には到底辿り着けない、どうすりゃいいのよ、という苦悩が伝わってきた。
ギリアムの悪夢に追い付いてしまった現実世界
スペインで「ドン・キホーテ」の映画を監督中のトビー(アダム・ドライヴァー)。
トラブル続出で製作に行き詰った感がある。
出資者(ステラン・スカルスガルド)から、「他の映画からアイデアをいただけばいい」と助言され、酒場の物売りの籠から手にしたDVDは『ドン・キホーテを殺した男』。
この作品は、自分が学生時代の卒業制作で撮った作品で、小さな賞ももらった・・・と思いだしたトビーは、現在のロケ地からほど近い、件の映画を撮影した村へと向かう。
村にたどり着いたトビーは、ドン・キホーテを演じた靴屋の老人(ジョナサン・プライス)はその後自分をドン・キホーテと思い込み人里離れて暮らしていると聞き、また、ヒロイン・ドルシネア姫を演じた娘(ジョアナ・ヒベイロ)はスターの座を目指して大都会へ出ていったしまったと聞く。
そして、再会した靴屋の老人は、すっかりドン・キホーテになりきっており、トビーを従者サンチョ・パンサと思い込む・・・
といったところからはじまる物語。
その後、ドン・"靴屋の老人"・キホーテとサンチョ・"映画監督トビー"・パンサが遭遇する悪夢のような事柄が描かれていくわけだが、現実と悪夢とが混然一体となった物語はテリー・ギリアム監督の過去作品『未来世紀ブラジル』と同じような趣向。
だが、あちらは、管理社会(=現実)下での日本風な夢想、と切れ目切れ目はわかりやすかったが、本作では、現実と悪夢との境目がわかりづらい。
わかりづらい、というと難解なように思えるかもしれないが、現実も悪夢もそれほど大差ない、といえばいいかもしれない。
米国CM監督によるスペインでの大規模映画の撮影、出資者のボスがさらに出資を請う大物はロシア人、スペインの片田舎にはモロッコから難を逃れてきたイスラム教の難民たち・・・
国というボーダーは消え失せていながらも、それぞれのナショナリズム意識は高い。
その上、個人はいつでも「俺、俺、俺」と言っている(と、これは、ドン・"靴屋の老人"がサンチョ・"映画監督トビー"に対して言う台詞だが)。
なんだか秩序は消えてしまい、現実が悪夢なのか、悪夢が現実なのかが判然としない・・・そんな世の中になってしまったわけだ。
そんな物語の中で、悪夢をみるのは、常に、サンチョ・"映画監督トビー"であり、ドン・"靴屋の老人"は悪夢なんぞはみない。
この構図がおもしろい。
正気を失ったものには普通に見える世界・・・
最後に、ドン・"靴屋の老人"は、自分が「靴屋の老人」であることに気が付くのだが、これがあまりにも虚しく、哀しい。
そしてその代わりに、サンチョ・"映画監督トビー"がドン・キホーテになってしまうわけだが、普通であるためにはしかたがない必然、と感じられる。
幾度も、製作と中断・中止を繰り返した本作、完成するときには、あっさり完成する。
それは、テリー・ギリアムが悪夢と思っていた世界に、現実の世界が追いついてしまったからではありますまいか。
想像をいくつも超えた
・単純にドン・キホーテの世界で話が展開していくなんて浅はかな想像を大きく超えていった。映画撮影現場から色々すぎる世界への展開が凄かった。
・映画の撮影が原因で自らをドン・キホーテと思い込んでしまった靴修理のお爺さんというのが怖かったけど、発想が面白かった。加えて主人公を好きになった女の子が女優になれると村を飛び出すも、まったく成功できず娼婦になっていたりしていたのが辛かった。映画製作を含めた創作に関する闇部分が切なかったけど、そういう側面ももちろんあるわなと思った。
・どこから空想でどこから現実でっていうのが徐々にわからなくなっていくのが夢を見ているような感覚になっていくのが良かった。終始、主人公である監督がドン・キホーテの思い込みを解きたいと良心の呵責による行動があるためシーンで混乱はするも動機はわかるから大きく展開から離れなかったのかなと思った。思ったよりまとまった形で驚いた。
・ラストで主人公がドン・キホーテと思い込む末路が面白かった。悲惨といえば悲惨な末路と思えるけど、どこか幸せに見えた。女の子にとってはこれから不幸っぽいけど。
・前半で初監督の卒業制作のDVDを販売していた男は一体どこで手に入れたのだろう。意外と後半まで出てきて驚いた。それと、どうしてドン・キホーテを初監督作に選んだんだろう。
ジョアナリベイロ可愛い
あー、アダムの役がジョニデなんですか。ジョニデ番見たかったなぁ。オルガキュレンコって何かこー悪女役やっても似合わないですね。
自虐教とか業者の言い間違えとか騎士とか、エリックぽいジプシー(ロマ)とか空飛ぶ遊戯団見たいなネタと、ボスズワイ~フ~~は笑えた。
公開に感謝
『ロスト・イン・ラ・マンチャ』でこの未完の作品を知った身としては、その後稀に上がってくる情報に一喜一憂しつつ、遂にこの日を迎えられたことに感謝しています。
勿論当時とのプロット、出演者も変わり、ギリアム自体も歳を重ねた今、本来の作品ではないのだろうなと心の中で思いつつ、その相変わらずの映像美を堪能し、ツッコミどころもあるストーリーを愛おしく感じていました。
主人公のトビーは天才CM監督ながら、リアルへの拘りが半端ない、これはギリアムそのものかと思わされ、ドン・キホーテを殺したのはあなただったのねと。
途中、二人が立ち去った後にパトカーがやってくる展開を見て、まさかホーリーグレイルオチなのか?とか、中盤虚空と現実が入り混じる様を見て、夢落ちはやめてよ!などと思ってましたが(あの展開が現実というのもすごい。まさに、おそロシア!)最後はアダム・ドライバー繋がりではないですが、スカイウォーカーの夜明け的な終わりとなり、ドン・キホーテの話しは永遠に続いて行くのだなと変に納得させられ劇場を後にしました。
『そして遂に挫折を超えて・・・』
テリー・ギリアム監督と言えば、鑑賞済作品としては『12モンキーズ』、『ゼロの未来』、そして一番の印象作『未来世紀ブラジル』であろう。ディストピアSFの面白さを教えてくれた“エヴァンジェリスト”である監督の作品には“権力への抵抗”というメッセージを発信していると信じている自分がいる。
しかし、そんな監督が祟られている作品に悩まされていた事には詳しくは知らなかった。構想から30年という途方もない因縁の作品がこうして令和の時代に完成したという自体に、その執念の凄みを感じ震えてしまう。映画化の企画等はそれこそ泡沫のようにパチパチと破裂するものが殆どであろう。その中にある表現したい内容に強い固執があればある程、執念が宿るのが映画監督の本分なのかもしれない。それは不肖の子供程、溺愛することと同じなのか・・・
キャスティングにも救われた面も大きい。やはりここにもアダム・ドライバー。元々ジョニデが演ずる筈だった役を、若手注目株に代えたことは大きい。まるでNBAの選手のようなガタイとそれに呼応するかのおとぼけ顔の馬面は、圧倒的にスクリーンに映える。
モンティパイソン節(スペイン語の字幕を手で払いのけることや、電流ビリビリのVFX等)も差し込みながらのギャグセンスは、とまれ古くささも感じながらもノスタルジーに浸れる面も否定できない。ファン目線だがトータルでよく練られているのではないだろうか。
ストーリーそのものが、小説“ドンキホーテ”自体の世界観をトレースしているので、こういう境界線が溶け合ってるような話が好事家は堪らない展開だと思う。後半は破綻状態になっている流れでも、小説からの引用シーンを繫ぎ合せたようなDJMIXだと思えば面白さも感じる。現実がどんどん小説に喰われ始める展開は監督の十八番通りの作りで、その脳内“ユワンユワン”感に浸れればシメたものである。女性登場人物二人も、そのファムファタール振りが妖艶で、狂言回しとしての機能もしっかり果たしている。
虚実入り交じった世界観、まるで白日夢を浴びせられたような構築は、もしかしたら昔の映画作品のパターンの一つとして、ノスタルジックに語られることがありこそすれ、評価的には薄い印象を与えるかも知れない。証拠に後半の失速感は、自分も疲労感を感じてしまった程である。ラストのオチも、侵蝕されてしまったCMディレクターが終わらない小説の続きを受け継いでしまうという流れに、ある種の“逃げ”を思わすのも理解出来る。しかしこういう“巻き込まれ劇・偶然のアクシデント展開コント”をベースにした、曖昧模糊とした物語の映画も又総合芸術としての使命なのだと思う。これだけのビッグバジェットな“世にも奇妙な物語”は、避けず腐らずに脈々と受け継いでいって欲しい、それはラストのオチのように誰かがそれを引き継ぐように・・・。
オチが謎
ストーリーはどこかの解説を読んでもらうとして…
普通、うぬぼれ屋が変人に振り回されるのなら、変人ならではの世界観に打ちのめされて本当に大切なものに気づく…というプロットになるはずだが、どうもそうではない。
しかし途中まではそんな雰囲気を纏っていて、娯楽映画としてとても面白かった。ずっと飽きずに観ることができる。問題なのはオチにかけての最後の数十分だ。
うぬぼれ屋(あるいは自分勝手)のトビーは打ちのめされはするが、自ら世界観を変えることはなく、何とも後味の悪い目に合って終わる。
自身をドン・キホーテと勘違いした老人ハビエルは…最期に正気を取り戻したんだから元から正気だったんだかよくわからない。
ヒロインのアンジェリカも、行動原理や思考がよくわからない。
そして、オチだ。
頭を打ち、ハビエルを死なせてしまったトビーはアンジェリカとどこかへ旅立つ途中でドン・キホーテになってしまう。
風車を巨人に取り違え、アンジェリカを従者のサンチョと呼んでしまうのだ。アンジェリカはそれを微笑みながら受け入れて、それで劇終。
なんで???どういうオチ???全然わからん!!
予備知識は必要
鑑賞前にある程度ドンキホーテというのはどういう空想の人物なのか予備知識が必要に感じた。
浅いレベルで知ってる自分にとってもさっぱりわからないシーンがちょくちょくあっただけに、全く知らない人からするともしかしたら退屈に感じてしまう作品にも思える。
一応予備知識がなくても笑える場面はそれなりにある。
ただそれでもドンキホーテとはどういう存在か分からないとポカンとしてしまうシーンは多々あるのも否めない。終始ドンキホーテネタで続く為分からないとやはり長く退屈に感じてしまうだろう。
まぁ現代社会においてドンキホーテのような存在がいたらこうなるだろうという視点では面白くできた作品かもしれないが、好みは大きく分かれる作品のように感じた。
気になる人はあまり大きな期待はせず、良くも悪くも楽な気持ちで映画館に足を運ぶ事がいいように思えた。
ちゃんとドンキホーテだった
公開中のSWでもカイロ・レンとして印象的な演技を披露した
アダム・ドライバー出演作と言うことで興味を持ち鑑賞
テリー・ギリアムはモンティ・パイソン
ドン・キホーテは人並みに知ってる程度です
未来世紀ブラジルは深夜映画で観た覚えが遠い昔に
あったかどうかと言う感じ
感想としては
まあなんともアッサリドンキホーテだったと思います
難解なイメージのある監督ですが定番古典が下敷き
なのもありすんなり理解していたと思います
英雄譚の読み過ぎで突然騎士道に目覚めてしまった
ドンキホーテと従者サンチョパンサのドタバタ大冒険ですが
懐かしの地で撮影をしている映像監督のトビーが
その学生時代に撮ったショートフィルムをふとしたきっかけ再び手にし
その地を懐かしんで訪ねると当時ドンキホーテに無理矢理仕立てて
撮影した靴職人のハビエルじいさんが未だその気になったままで
トビーを強制的にサンチョと思い込み巻き込まれます
世界観は中世感と現代感がゴチャゴチャになっていき
社長夫人とベッドインしかけたり謎の集落で捕まったり
ムスリム教徒が現れたりハビエルはギリアム作品らしい
イカれっぷりでいるのかどうかもわからんドルシネアを慕い
狂言回し的役割のトビーはだんだんまともな精神をやられていきます
ただトビーにはそのハビエルと知り合った村で知り合った
娘アンジェリカが思い出の女性と再開しるなどハビエルが
思い浮かべるドンキホーテや思い人の要素が段々集まってきます
まあこのゴチャゴチャ世界観には理由があるのですが…
結局現代社会の所属している会社の都合や上の命令で
信念を曲げに曲げられ自分らしさを失っていないか
といったメッセージ性はあるのかなぁという感じですが
やっぱりテリー・ギリアムのおふざけ感や不可思議感は
残りつつフワフワ話が進んでいく感じでした
展開はダラダラしてるんですが不思議と集中力が途切れる
事無くスクリーンを見ていられたのはやはりアダム・ドライバーや
ジョナサン・プライスの怪演でしょうか
とりわけアダムはいかんせん堅物カイロ・レンのイメージが
残っているので新たな印象が新鮮
ヒロインのアンジェリカや社長夫人のジャッキなど
女性キャラも可愛くて、ビッチで良かったです
どちらかというと完成するまでに30年かかったとか
そっちのエピソードに関心が集まりそれに対すると
作品自体はフツーになっているかもしれません
でもその30年の間に現代CGを駆使するなど
様変わりしたんじゃないでしょうか
頓挫エピソード自体も映像作品になっている今作
こんなキワモノも面白いかもしれません
ただ内容はちゃんとドンキホーテです
ラ・マンチャで迷子
変てこな映画を作ることでは人語に落ちない監督だし、苦節ン十年の末完成した作品ということなので大期待していたのだが、何か終始だらだらしていてこれはという印象に残るシーンもない映画だった。
そもそもセルバンテスの「ドン・キホーテ」自体がひと昔前の騎士道物語に魅入られた主人公が自らドン・キホーテだと妄想するお話なので、その映画化作品の役者がドン・キホーテと思い込むとなると、屋上屋を重ねるだけになってしまう。メタメタフィクションというか。
テリー・ギリアムが長年熱望していた映画の完成形が本当にこれだったのだろうか。撮れないまま過ぎ去った歳月の間に、何かが失われてしまったのだろうか。おそらくこの企画はギリアムにとって、スタンリー・キューブリックの「ナポレオン」、小林正樹の「敦煌」のようなものだったのだろう。“見果てぬ夢”のままにしておいた方が美しかったのかもしれない。
【テリー・ギリアム御大 30年という積年の想いを炸裂させたファンタジー大作。アダム・ドライバーのコメディアンとしての資質に驚いた作品でもある。】
- 冒頭、流れるテロップが少し笑える。-
テリー・ギリアム御大の今作品に対する複雑な思いが容易に伺えるからである。
スペインで映画制作中、スランプに嵌まった映画監督トビー(アダム・ドライバー)は学生時代に撮った作品の舞台が近くにある事を知り、バイクでその田舎村を訪ねるが・・・・。
靴職人で、トビーが口説いてドン・キホーテを演じたハビエル(ジョナサン・プライス)は、今や自分をドン・キホーテと信じ込んでいた・・。
又、可憐な少女アンジェリカ(ジョアナ・リベイロ)はかつてのトビーの言葉を信じ都会に出たが、今は強欲で、サディストのウォッカ王の情婦になっていた。
後悔の念に駆られるトビーがドン・キホーテに取り付かれたハビエルに”業者”サンチョと勘違いされ、摩訶不思議な冒険の旅に出る事に。
前半は、荒涼としたスペインの田舎の広大な風景を背景にドン・キホーテとと”業者”サンチョのアドベンチャー要素も少し盛り込まれた行脚シーン
そして後半は、アルハンブラ宮殿か!と思うような豪華絢爛な宮殿の中で繰り広げられる可笑しくも恐ろしくもある不可思議なシーンの数々に
呆けた表情でついつい引き込まれてしまう・・。
アダム・ドライバーのコメディアンとしての資質に驚き、
ジョナサン・プライスの虚構の夢を生きる老人の姿に敬服し、
強かなスポンサー、ボスを演じるステラン・スカルスガルドと男好きジャッキを演じたオルガ・キュルリレンコの不思議カップルに呆れ、
サディストのウォッカ王を演じるジョルディ・モリャの悪人面に”納得”し
ロッシ・デ・パルマの見事な鷲鼻に惹きつけられる・・。
今作に対しては色々な意見が渦巻いているようであるが、
私はテリー・ギリアム御大ワールド満開で、破綻しかけながらもしっかりと繋がる荒唐無稽なストーリーの、”映画館の大スクリーンでの見応えある作品”を堪能した。
〈ドン・キホーテに取り付かれた二人の男の壮大なファンタジー世界に魅了される。この二人の男の姿がテリー・ギリアム御大の姿とだぶって見えた作品でもある。〉
まあまあよかった
積年の悲願でとうとう完成したのかと期待して見たのだけど、ちょっと思ったほどではなく、虚構と現実を行き来するような物語もこれまでさんざん見てきて、もはや飽きてしまった。『バロン』の方がずっとよかったみたいな、でも10年以上見ていないからなんとも言えないけど、『未来世紀ブラジル』は近年見直したらセットが安っぽくて驚いた。若い時は一番あこがれた時期もある監督なので、期待しすぎてしまったのかもしれない。
ちょうど現在、松江哲明監督と加賀賢三さんの事件がかなりのクライマックスを迎えていて、この映画も映画で人生が壊された人々が描かれており、映画は危険なシステムをはらんでいる。漫画家でよかったし、自主映画にもどっぷりはまらなくてよかった。
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