テリー・ギリアムのドン・キホーテのレビュー・感想・評価
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「ロスト・イン・ラマンチャ」未見なら合わせてぜひ
構想30年頓挫9回との触れ込みを見聞きした方も多いはず。ギリアムの長年のファンなら2000年頃製作が進められ挫折した過程を収めたドキュメント「ロスト・イン・ラマンチャ」も観ているだろう。もし未見なら、今作を観る前でも後でもいいのでぜひご覧あれ。この壮大な奇作がよくぞ完成したものだとの思いを一層強めるに違いない。
騎士道物語の読み過ぎで自らを騎士だと信じたドン・キホーテ。トビーの学生映画でドン・キホーテを演じたことで、自らがキホーテだと思い込んだ老人ハビエル。ハビエルに従者サンチョだと勘違いされ共に旅するうち狂気と妄想の世界に飲み込まれていくトビー。現実と虚構、正気と狂気がメタに入り混じって展開する物語と映像世界はまさにギリアム節!アダム・ドライバーはトビーみたいに少々ポンコツな感じのキャラが似合う。ジョナサン・プライスは「2人のローマ教皇」と見比べるとその演技の幅に改めて感嘆させられる。
劇中劇なのか、錯視なのか、よくわかりません
唯単にドン・キホーテに取りつかれた人の話というわけではなさそうです。
ピグマリオン効果とラベリング効果についてのメッセージもあるように感じます。
風車が巨人に見えるシーン、傍から風車にしか見えないパターンと本人が巨人にしか見えないパターンの両方の映像があって良かったです。
その他にも傍から見たものと、思い込んでる本人から見えるものの違いが多々あって印象に残りました。
~~~ 余談 ~~~
人の目は非常に優秀な機能を持っています。
視覚で捉えた情報(色を感じる錐体細胞と明るさを感じる桿体細胞)に写った像を大脳の働きによって組み立てなおしているため、ときとして錯視という状況が生まれます。
鼓膜で捉えた音(人の可聴域は20ヘルツ~2万ヘルツ)の信号も大脳の働きによってさまざまに編集して認識しているため、人の聴覚は、視覚と同様に完全無欠ではありません。
人は聞こえるはずのない音までを感じることもあります。
ドン・キホーテ goes on
笑えそうで、笑えなかったです。
アダム・ドライバーとジョナサン・プライス主演。
2018年。テリー・ギリアム監督作品。
ドン・キホーテの映画としてみると、観たような映像に、ダラダラ締まりのない脚本。
構想30年で、頓挫9回。そんな触れ込みも広告のうちでしょう。
残念ながら新鮮味もソーダの泡のように消え去った・・・、
そんな虚しさを感じる映画でした。
ただ見所は、アダム・ドライバーとジョナサン・プライスの諧謔とユーモアと品格なのです。
ふたりは本当に素晴らしい!!
カイロ・レンのアダム・ドライバーは、高所から落ちて泥まみれになりながらも、
CM監督そして従者サンチョ&ドン・キホーテの三役を、仏頂面ながらも、
色気たっぷり、かなり複雑な演技で唸らせてくれます。
ジョナサン・プライスは靴屋から、ドン・キホーテに抜擢されるうちに、現実にドン・キホーテと思い込む老人。
(もともと騎士道物語の読みすぎで、現実と物語の区別の付かなくなったドン・キホーテに、うってつけです。上手いですねー。見た目がそのままドン・キホーテ)
映像は凝ってます。
険しい山道から、洞窟からの水辺、貴族の館。
貴族の宴会シーン、ジプシーの村の喧嘩やお取り込み・・
現実に還ると、警官がパトカーで追いかけたり、現実と物語が慌ただしく転換します。
残念ながら、みんなどっかの映画で観たシーンばかり・・・
『フィッシャー・キング』の瑞々しさはどこへ行ってしまったのでしょう!!
(本当に大好きな映画です)
アダム・ドライバーとオリガ・キュリレンコの忍耐。
仕上げるまで投げ出さなかったのは、彼らのお陰なのでは・・・。
得体の知れない《粘り》
自然体のアダム・ドライバーは男を上げたと思います。
なんで、今更『ドン・キホーテ』
原題は『ドン・キホーテを殺した男』・・・意味深ですね。
テリー・ギリアムの監督の自嘲が聞こえてくるようです。
この映画も
思ってたのと違うけど🙆♀️
ドンキホーテ
変わらないドン・キホーテもカワル
CM監督のトビーはスペインの田舎で撮影中、以前自身が撮った「ドン・キホーテを殺した男」という学生映画のロケ地の街が近いことを知り、バイクを走らせる。
しかし街は変わっており、ヒロインを演じた少女アンジェリカは女優を目指して街を飛び出し、ドン・キホーテを演じた靴職人のハビエルは自身をドン・キホーテと信じ込んでいた。
ハビエルはトビーを従者のサンチョだと思い込み、トビーを連れて姫を探す旅へと出かけるが…
誰もが一度は耳にしたことのあるセルバンテスの名作「ドン・キホーテ」を、テリー・ギリアム監督が自分なりに焼き直し。
構想15年、第1次クランクインから18年という難航ぶりから「映画史上最も呪われた映画」の異名を持つ本作。
監督の作品は2本目ですが、やっぱりわけわからんけど面白い。
映画の中の映画、ドン・キホーテの中のドン・キホーテという入れ子構造。
何処からが夢で何処からが現実か?
これは愛なのか?凶気なのか?
この映画は「わけがわからない」でいいんだと思う。
監督がドン・キホーテに自身を投影して、夢の継承や自身の反省、大切な人の形を描いていく。
複雑なようで、伝えたいことの描き方は至ってシンプル。
きっとそれが受け入れやすくも解釈しづらい面白さになっているんだと思う。
ドン・キホーテを知らなくても十分楽しめるモノとなっているが、予備知識をつけてから観ればより楽しめると思う。
実際、風車を巨人と思い突撃するシーンはあるらしいし、原作では騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の境目がわからなくなるが、今作は騎士道物語をドン・キホーテ映画に置き換えている。
自分も小説を読んでから再鑑賞してみたいと思う。
まず、完成したことを祝いたい。
不思議な世界
妄想と現実の間
終わりよければ
老いて尚、輝き続ける…
構想30年。
挫折を繰り返しながら、晩年のギリアムが創作意欲のままに作った怪作。
ギリアム作品の王道にして集大成。それでいて現代の大衆映画の型に全く当てはまらない魅力に溢れていた。
映画監督を目指したかつての青年。
映画でドン・キホーテを演じ、その役にのめり込み人生を狂わされた老人。
2人の現実と虚構が入り混じり、その境界が曖昧になる程に心地良い。
フィクションにおける麻薬のようなこの中毒性こそ、映画のマジックにして最大の"快楽"なのかもしれない。
だからこそ我々はもう1度それをを味わうべく何度も映画の世界に浸るのだろう。
それはテリー・ギリアム監督自身の人生も同じだったに違いない。映画に人生を狂わされ振り回され、それでも創らずにはいられない。
周りから見たらそれは狂人に他ならないのかもしれない。ドン・キホーテと同じだ。
それでも構わない。映画という作品を生み、そこで生きる事こそ全て。興行収入も他人の評価もここでは関係ない。
自分の衝動のままに創作する。それで良い。
ビジネス先行のシリーズ続編が乱立する中、ギリアムは魂を映像に込めた。
その創作意欲は老いて尚衰えを知らない。
いや晩年を迎えたからこそ、誰にも気を使わず自分に向き合った作品を伸び伸びと創れたのかもしれない。
それが本作の心地良さなのだろう。
虚構の中で永遠に生き続けられたら人はどんなに幸せか。
ドン・キホーテのクライマックスは、そんな想像をせずにはいられないものになっている。
いつの時代にも人には夢が必要なのだ。
夢か現か…テリー・ギリアムの世界へようこそ
モンティーパイソン
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