THE UPSIDE 最強のふたりのレビュー・感想・評価
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文化の翻訳可能性と不可能性
元の仏映画「最強のふたり」の原題はIntouchables。仏語で「触れ合わない、触れられない」の意味だそう。全身麻痺で外の世界との接触をほぼ断っている富豪フィリップと、底辺のアフリカ系移民で疎外された存在のドリス。そんな二人が出会い、壁を乗り越えて心が触れ合う関係になるという反転が面白さと感動の核になっていた。
リメイク版の「The Upside」はどうか。介護人役のケヴィン・ハートは、成功した黒人コメディアンというパブリックイメージがあり、触れられない、疎外された存在からは離れてしまった印象だ。米仏の社会における黒人の立ち位置の違いがあり、単純に置き換えただけではニュアンスが変わってしまう。仏映画で米国の黒人バンドであるEW&Fの曲が流れて踊るという文化的ギャップで楽しめる要素も、やはり翻訳しづらい要素だっただろう。
丁寧なリメイクだが、魅力の核があいまいになったように感じた。
2人の間に芽生えるケミストリーは。。。
最近のフランス映画で興行的に最も成功した作品を、果たして、ハリウッドがどう作り直したか?全身麻痺の富豪と、介護人に選ばれた貧しいけれど、型破りな青年の間に育まれる友情は、舞台をパリからニューヨークへ、介護人役をオマール・シーからケビン・ハートに変えたことで、移民問題という世知辛さはほぼ消滅。また、秘書役に大女優ニコール・キッドマンを迎えたことで、後半の展開が大きく変わった。しかし、つくづく実話の力は大きいと思う。ともすると出来過ぎにも思える感動物語が、国籍が変わっても観客の心を繋ぎ止めるのは、友情はどこにでも芽生えることを身を以て証明した男たちが現に実在しているからだ。惜しむらくは、ハートと富豪役のブライアン・クランストンの間に、オマールとフランソワ・クリュゼが育んだようなケミストリーが、最後まで漂ってこないこと。これはもしかして、俳優の個性や演出の問題ではなく、今のアメリカの空気を図らずも映した結果なのだろうか。
重いテーマだったがデルの気さくな演技で気楽に観れる
かなり前にオリジナルを見てよかったので、今回も鑑賞した。
手足麻痺してる大富豪(フィリップ)が無職の黒人(デル)を介護士として雇って、二人が心を通じ合わせるお話。
デルのポシティブさがよかった。どんな場面でも自由奔放でにくめない。自分はくよくよネガティブ人間だからこんな人にあこがれる。パンフレットみたらケヴィン・ハートってコメディ映画俳優だったのね。通りで終始明るさがにじみ出てたわけだ。逆にフィリップは人生に絶望しているネガティブの塊人間、対比がよかった。
それにデルはフィリップに同情もせずに、障害者でなく健常者として扱う。これもなかなか難しいと思った。俺は障害者を見てしまうと心のどこかで同情してしまうし、こんなに気さくに接することはできないだろう。誰にでも平等に接する、この気質を見習いたいものだ。
「想像を遥かに超えてた」
文通相手といざ対面してフィリップはこう告げられる。胸が痛くなった。フィリップについた服のシミを見つめる文通相手の表情がなんだか胸が痛くなった。ゴミを見るような目をしていたから。哀れみの目なのか、それとも絶望しているのか。まあでもデート相手が実は全身麻痺人間でした、なんて誰でも驚くよね。俺でも同様を隠せないと思う。あの表情1カットだけで健常者が障害者に対する目を表現したのはすごかった。
重いテーマだったがデルの気さくな演技と、ハッピーエンドってこともあり気楽に見れた。
デルみたいなポシティブな人間になりたいし、障害者にも同情せず同じ一人の人間として接せられるようになりたい。
2011年のフランス映画『最強のふたり』のハリウッドリメイク版。...
2011年のフランス映画『最強のふたり』のハリウッドリメイク版。
世間的にはフランス版オリジナルに軍配が上がっているが、自分はハリウッドリメイク版の方が好きである。
現実世界を表現したドキュメンタリー『最強のふたり(2011年・仏)』も視聴したが、オリジナルの主人公アブデル・セローの雰囲気により近いのはハリウッド版の方と思う。
オリジナル版で目に付いた障害者を侮辱するブラックユーモアの数々は最小限に抑えられ、再婚相手もよりドラマチックとなるシナリオに変えられている。結果、ハリウッド版はより丸くなり視聴層の幅が広がっているとも言える。刺激性が損なわれてしまっているとも言えるのだが・・・。
酷評ほど酷く感じなかった
リメイクという事で酷評が多かったけど、ストーリーの色濃さも在ってか、いつまでも観ていたい気分になる作品だった。
お金では解決出来ない事象やお金をいくら積んでも築けないモノを見せつけられる一方。
デルを追い出した家族に新居を与えるとデルの気持ちを受け容れてくれる、といったお金の力もまた見せられる。
オリジナルを超えてはいないかもしれないけど、決して劣化もしてないと感じた。
劣化版と言えば劣化版だが
まぁまぁ楽しめた。
画はちょっと・・・・高値で売れますかね?
ぼく、しょうがくせい 的な雰囲気だったが・・・・
一応、障碍者なんだから、介護車両の1台くらいは、あっても良かったのでは。
(ORG版はルノーカングー2だったが・・・アメリカなら何?)
ご主人様を乗せていないのに、いいクルマで息子に会いに行っちゃダメでしょう・・・
最後が、ああなるとは・・・
全体的に作りが軽い。
独逸ヒゲおじさんネタさえも・・・
(祖国が蹂躙された国と同じ反応も期待できないだろうが)
そもそも登場人物の存在感も軽い感じがしたような。
まぁ、リメイク版だからしょうがない?
四肢麻痺の大金持ちとスラム育ちの黒人の友情
2011年の「最強のふたり」のハリウッドリメイク版です。
多少のアレンジはありますが、本筋は殆ど同じです。
オリジナルほどの感動作とは言えないけれど、気持ちよく見て笑えて、
元気を貰いました。
リメイクとしては成功してる方だと思います。
生きることに絶望していたフィリップ(ブレイキング・バッドやトランボ役の
ブライアン・クランストン)。
フィリップは、次々と気に入らない介護人を
解雇していた。
そして新しい介護人の募集に現れた黒人のデル(ケビン・ハート)
フィリップの心には自殺願望が宿るほど、気持ちが弱っている。
ガサツで介護の経験もないデルを雇ったフィリップの内心は、
「この男なら、誤嚥で呼吸麻痺を起こしたりして、死ねるんじゃないか?」
と、思っていた・・・なぜなら、
「緊急措置は断る!!」「してはならぬ!」
と、何度も念を押すフィリップです。
命令をなんでも聞く介護人もしない掟破りをデルはやる。
その一、
フィリップのコレクションを盗む。
その二、
勝手に自家用車を運転して息子を乗せる。
その三、
排泄の世話は御免だと、逃げ回る。
四肢麻痺の大金持ちにとって、
生きる意欲ってなんだろう?
そうだ!デルは考える。
《良い女だ》
フィリップの性感帯が耳(笑)だと知ったデルは、
女友達をフィリップのペントハウスに出張させて、
性感帯を刺激させる。
フィリップは男性機能が残ってたらしいんですよ・・・・。
(これは立派に生きる目的になったみたいです!!)
スポーツカーをぶっ飛ばす!!
ドラッグでハイになる(・・・痛み止めにもなる)
幸せそうなフィリップ。
しかし、ある悲しい出会いのアクシデントがあり、フィリップは深く傷つきます。
デルを遠くへ遠ざけます。
そして、それはフィリップを死ぬほどの悲しみの底へと沈めることに・・・
デルの存在・・・彼でなければ出来ないこと。
フィリップを前向きにすること。
ベッドと車椅子だけに縛られて生きないこと。
オスカー女優のニコール・キッドマンが出演しています。
秘書役だけでは修まらなかったようですよ。
フランス版のオマール・シーの美しさには及ばないけれど、
ペントハウスの豪華さと、現代美術の数々。
オペラシーンにも癒されました。
過去鑑賞
陳腐化した劣化版「最強のふたり」
流石はハリウッドと言う事で、リメイク元にはなかった“感動的な演出”をするのは非常に上手いです。
しかし、これが実に陳腐。
原作ではドリス(今作ではデル)が、フィリップの事を徹頭徹尾障害者として扱いながらも一切容赦なく“対等の人間”として扱うので、そこに障碍者への憐れみや同情が存在せず、だからこそドリスという人間の公平さと、そんなドリスにだからこそ心を許したフィリップの関係性が静かな感動を呼び起こしました。
映画として、フィリップは可愛そうな障害者ではなかったのです。
だからこそ、五体満足ではあるものの教養の無い犯罪者予備軍と、金持ちで教養人だが障害者という全く正反対に存在する二人が当たり前のように共にある日常がそれだけで感動的だった訳です。
ところが今作ではフィリップとデルが心を通じ合わせた事等を感動的に演出する為に、フィリップやデルの生い立ちや過去などを感動的な演出で紹介し、“フィリップ可愛そうだよね”“その境遇に怒るデルいい人だよね”という実に陳腐極まりない『お涙頂戴シーン』が盛り込まれてしまいました。
原作レイプとはこの事ではないでしょうか?「最強のふたり」はそういう陳腐なお涙頂戴映画では無かったのに。
こんな陳腐なリメイクをするくらいなら、障害者を題材にした全く別のお話でも作ればよかったのにと思わざるを得ません。
結局、監督が自分では面白い話を作り出せないからリメイクという体で原作を借りて自分流の映画を作ったという事なんでしょう。許し難い映画です。
ブラックマンだ。名前はオンナスキー」(女好き)
映画「THE UPSIDE 最強のふたり」(ニール・バーガー監督)から。
フランス映画「最強のふたり」のハリウッドリメイク版として観たからか、
どうしても、比較したくなってしまうのは私の悪い癖。
当時、メモした台詞もひっばりだして・・(笑)
ストーリーはあまり変化なかったし、申し訳ないが、
今回は「日本語訳」が気になって仕方がなかった。
字幕で見る私にとって、これ、無理矢理訳したな・・という
やや違和感のあるフレーズが多かった。
「もうすぐ死後校長が始まる」「硬直だろ」
「校長だ。特別な専門用語さ」から始まり、
「理学療法士のマギーよ」「ドギマギーするぜ」
「ライフ解除の仕事じゃねぇ」「ライフ介助の仕事よ」など。
さらに「好きなものは?」の質問に対して「女、寝ること、女と寝ること」、
そんな回答をした彼を他人に「彼の名前は・・」紹介しようとしたら、
本人が「ブラックマンだ。名前はオンナスキー」(女好き)と自己紹介。
面白いんだけど、ちょっとやりすぎかな・・という感覚が残った。
英語では、どんな単語を使っていたのか、もう一度、確かめてみたい。
この場面で笑いをとるシーンなのか、そんな視点で。
なんとも生暖かいだけの映画ですこと。
主人公は超・大金持ちで、もとはパラグライダーの愛好家でした。
極限を試すように次々にリスク・ジャンキー的なフライトを繰り返したあげく、ある日、気象条件を甘く見て事故に遭い、首から下が完全にマヒしてしまった人です。
愛する奥さんにも先立たれ、生きる望みも見つけられない、そんな偏屈の極致で、彼は一人の落ちこぼれを専属の介護人として採用します。
社会の底辺でコソ泥として刑務所とシャバを行き来していた男。
この対照的な二人のあいだの交流を楽しむという趣向の映画です。
いくつものエピソードが並んでいますので、そういうものを生暖かく味わいたい人向きの映画でした。
もっとも、疑問が一点。
これだけの事故に遭いながら、なぜまだ彼はフライトを楽しめたのだろうか、と、根本的に違和感が。
しかも彼が求め続けていたリスクに満ちた危険なフライトではなく、初心者向けの安全なフライトであったにも関わらず。
名作から芸術的要素を取り除いたら
オリジナルであるフランス映画版が素晴らし過ぎたので、すぐにこのアメリカ版リメイク作を観てみました。丁度アマプラで観ることが出来ました。
結論から先にいうとオリジナルを観た方は本作を観る必要は全くありません。何故ならかなりの劣化バージョンだからです。
それでも本作はオリジナルに敬意を持って製作されているようで、ストーリー以外でもオリジナルを意識した造りにはなっています。でも脚本・演出・演技・音楽・撮影・編集などのあらゆる面で、オリジナルを超えた部分は皆無です。
オリジナルの流れるような編集が、本作ではハリウッド流の短いカットにされて、安っぽいリズム感にされています。演技も特に黒人俳優の表情に深みがなく、軽いコメディ映画のようです。残念ながらニコール・キッドマンは全く役に合っていません。
音楽に関してもオリジナルに準じた静かな物になっているのですが、全く印象的なフレーズはありません。
中でもオリジナルとの最大の違いは映像です。オリジナルはフジフィルムで撮られていて、芸術品ともいえる美しさなのですが、本作は普通にデジタルで粒子感などどこにもありません。一応4K撮影なんですが・・・。
脚本もアメリカ映画特有のご都合主義が多くて辟易してしまいます。例えば主人公が首にされた後、何故か電動車いすメーカの社長になっていて、人を雇っているのです。そして貧しい家族に新居を買い与えるなどというあり得ない設定が出てきて呆れてしまいます。それも僅か数か月で・・・。
主人公には絵画的才能があって、その絵画を高く売る場面があるのですが、オリジナルではポロック的な絵画で、これなら騙されて買う人もいるかもと思わせますが、本作では小学生以下の落書きで、流石にこれに騙される者はいないでしょう。見てるこちらが馬鹿にされている気分になります。
何故こういう劣化バージョンのリメイク版が製作されるのか、不思議に思われる方も多いでしょう。普通にオリジナル作を上映すれば良いのではないかと誰もが考えるでしょう。しかし映画を字幕で鑑賞するというのは、世界的にみると余り一般的ではないのです。
「洋画は字幕だろ」って言っているのは日本人位で、非常に珍しいのです。アメリカ人で自国以外の作品を字幕で見ている人はインテリ階級なのです。ちょっと驚きですが、そういう物らしいです。だから海外の名作映画をアメリカ映画としてリメイクするということには一定の需要があるのです。
でもそんなこと普通に洋画を字幕で見る日本人には全く関係のないことですね。
本作は名作から芸術的要素を取り除いたらこうなりました、と比較対象として見るべき教材なのかも知れません。
オリジナルVSリメイクはオリジナルに軍配が上がった。
「最強のふたり」のハリウッドリメイク版。だいたい同じストーリーだが、何かが足りない、もの足りない。
豪華キャストで笑いあり涙ありで感動するが・・・。「最強の二人」が良すぎたのかも。
2作品を見比べてみて、どっち派(どちらが好み)か?を知るのも良いかも。
アメリカナイズ&忖度が効いたハリウッドリメイク
有名なフランスのオリジナル版があるにもかかわらず、それでもハリウッドリメイクを作ったのだから、まんま同じなワケないよなとは思っていたが、要所要所でアメリカナイズされている。
オリジナル版で重きを置いていた介護人が移民という設定から(そもそもモデルとなった人物がアルジェリア移民)、スラム街の黒人というベタな設定に変えたのもそうだが、一番の変更点はニコール・キッドマン扮する秘書の描写か。
オリジナル版も小さな役どころではなかったとはいえ、わざわざオスカー女優をキャスティングするほどのものかと思っていたが、ラストでなるほどそうきたか、という感じ。まぁこのあたりは彼女への忖度だろう。
ちなみに、宣伝文句で「オリジナル版の200倍の大ヒット」とあるけど、これは北米オープニング成績の比較。裏を返せば、それだけオリジナル版を観ているアメリカ人が少ないという事。だからこそハリウッドリメイクが作られたわけだが…
大まかなあらすじはオリジナル版と同じなので、オリジナル版を未見の人はこれから観てもいいし、両作品を比較してニュアンスの違いを確認するのもいいかも。
個人的には、オリジナル版を観ていて一番テンションが上がった“あの曲”が、こちらでは流れない点で物足りなさを感じなくもない。
望みすぎなのは承知の上だが、『最強のふたり』といえばやっぱり“あの曲”でしょう!
フランスのオリジナルヴァージョンには敵わないかな!
フランス映画「最強のふたり-Intouchables-」を観た後に観ると…どうしてもショボく感じてしまう。
流石にオリジナル版を丸々コピーとはいかないので、そこはアメリカなりのオリジナリティーを入れていたけれど、やっぱり“あの2人”には到底敵わないかなと(笑)。
それと、現代的にしたせいで 凄く軽々しく見えてしまって勿体ないかなと思った。
ラストは、元々(恐らく)フィリップが好意を抱いていたであろう秘書?と結ばれる…?みたいな感じでしたけど、それも悪くはないかも。
だって、ニコール・キッドマンがキュート過ぎて///
人の繋がり
職場の人に勧められた作品
私に人の繋がりを伝えたかったのかもしれない。
初見が大事と言うが、
同じ人を見ても初見で何を思うかは見る側によって違う。
よく見られようとするより、
自分に合った人を見つける力をつけると、
人は強くなれると感じた作品だった。
リメイクの意味&必要性なし。オリジナルを何度も見るべし
オリジナルの仏映画を、米国でリメイクした意味は、
単に米国人が他言語の映画を見ない、だから英語で作ってしまえ、というだけ。
日本人としては、仏映画の字幕でOKなので、本当に意味なし。
内容としても、オリジナルを超えていない。
仕方ないんだけどね。オリジナルはスゴイ映画だから。
最強の2人の出逢い
限界に挑戦することを忘れてしまった人と
新たな人生に挑戦(限界に挑む)しようとする人が、出会う素敵なお話でした。
デルのユーモアと行動力は、見習うものがありました。
何事にも限界を決めず、時にはまず行動してみる事も大切だと思いました。
これはアレサ・フランクリンのための映画でしょ♪ Think!
EW&Fも流れないため前半はそれほど面白さを感じなかったのですが、徐々に面白くさせてくれました。最も違いを感じさせるのが音楽の面であり、オペラに連れていかれた介護人デルがオペラを好きになってしまうというところ。目立つのはプッチーニ作トゥーランドット「誰も寝てはならぬ」だ。荒川静香のスケートも思い出してしまいます。
相違点は皆さんが挙げているのにわざわざ再掲することもないと思いつつ、まずタイトルや登場人物名が違う!という点に尽きるのじゃないでしょうか(冗談です)。
・フィリップがDNR(蘇生処置拒否指示)について語っている
・イヴォンヌ(仏版はマガリー)がレズビアンではなさそう
・フィリップが養子にした女の子が登場しない
・デル(仏版はドリス)は妻子持ち。弟が息子に代わった感じ
・リリー(仏版はエレノア)に振られた
・そのためクビにした理由が違う(仏版では義弟に会ったためという不自然な理由、このリメイク版の方が辻褄があう)
・フィリップがストーマケア?うんこ処理が違ってた。レストランデートでの汚れもこれによるものじゃないでしょうか?誰か看護師さん教えてください。
そんなこんなで終盤に入り、フィリップがデルにお気に入りのオペラを聴かせるシーンがあるのですが、それを歌ってるのが何とアレサ・フランクリン!こんな貴重な音源もあるのですね。亡くなってから作られた脚本なのかどうかはわかりかねますが、オペラとブラックミュージックを融合させる手腕は大したものです。これによって評価も上がってしまいます。そして最後には「アレサ・フランクリンに捧ぐ」というテロップも・・・ちょっと涙が・・・
また、デルが独り言で「考えろ、考えろ」とか言ってたシーンもありますが、エンドクレジットにはしっかりアレサ・フランクリンの歌「Think」と載せてあり、performed by Kevin Hartって出てました。歌ってたのね・・・一応。Thinkについて知らない方はぜひ『ブルース・ブラザース』をご覧ください。
仏版の最後に「実話としてはフィリップが再婚した」とあるが、誰と結婚したかはわからずじまい。う~む、イヴォンヌだったらいいのにね。
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