プライベート・ウォーのレビュー・感想・評価
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命がけの限界・・
碧眼の女性戦場記者、メリー・コルビンの実話を基にしたヒューマン・ドラマ。
紛争取材を専門とし、リビアのカダフィ大佐に単独インタビューするなど辣腕記者であることは間違いないし数々の賞を受けている。彼女のレポートは内戦の犠牲になる民間人、弱者にスポットを当てた人道主義に基づいている、シリアの内戦で民間人が犠牲になっている様をCNNなどに生中継した為にアサド政権の特殊部隊により暗殺されてしまった悲劇のジャーナリストである。
信念に命を懸けるヒロイン像としてだけでなく裏にある生の人間臭さを描きたかったのだろうがプライドだけは高く、過度の喫煙や飲酒、セックスなどに逃避する様をみるのは気持ちの良いものではなかった。
ジャーナリスト仲間からは映画の彼女の私生活は事実と異なるとか、ルパード・マードックの傘下に組み入れられたサンデータイムズはセンセーショナルな記事を好み、記者の命を軽視していたのではないかとの批判もあるようだ。
実際の彼女の人物像については知る由もないがオフの生活よりも戦場でのサバイバル術、プロなりの凄さが観たかったのだが、ただの気の強さに頼った運任せの行動にしか見えなかったのが残念だ。恐れを克服するのではなく正しく恐れることが彼女には欠けていたのだろう。
とは言っても、もはや戦場報道は民間人のジャーナリストの命がけでは手におえないレベルになってしまった、戦場報道の意義を語ろうにも、軍やCIAですら衛星やドローンに情報収集を頼る時代なのだからジャーナリズムは新たな枠組みを編み出すしかないのだろう。
メリー・コルビンは碧眼で真実を伝えたが民主主義が権力をウォッチできる目が失われる時代に入ってしまったのかも知れないと思うと戦慄を覚えます・・。
使命感に駆られた人!
何という人だろう? 紛争地帯にいる弱者たちの姿を世界中に知らせようと走り続けたのだ。それも、健康な身体ではない。PTSDに悩まされ、片眼も失っている。それでも、彼女は出かけて行く。男の人でも、怯みそうな現場へ。すごい。強い。私だったら、片眼になった時点で辞めていたかもしれない。特にシリアのホムスのシーンは悲惨だった。戦場というより廃虚といった方がふさわしいほど荒れ果てている。そこでも、居場所がわかってしまうのに発信し続けた彼女の踏ん張りには頭が下がる思いで一杯だ。最後は残念ながら、私の想像通りになってしまい悲しかった。
記事を読んだ人々が関心を持つと信じること
映画「プライベート・ウォー」(マシュー・ハイネマン監督)から。
舞台は、世界中の戦地だけれど、実は「戦場報道」だけでなく、
日常の事件・事故を報道する「マスコミ」関係者に見て欲しい、
そんな気持ちを抱いて、作品を観終わった。
「戦場報道で現状を変えることができるか?」の質問に、
「真の困難は人間性を信頼し、記事を読んだ人々が
関心を持つと信じること」と言い切り、
「戦っている全ての勢力が真実を曖昧にする時、
本当には何が起こっているかを人々に伝えなければ
取材は失敗だ」と、その役割を明確にしている。
記事が単なる文章として読まれるのではなく、
その記事に関心を持ってもらい、その記事をきっかけに、
誰かが行動し、現状を変えることになる。
それこそが「記者のミッション」と言いたげな、
彼女の決意みたいなものを強く感じた作品である。
「老いた記者と大胆な記者がいる。老いて大胆な記者はいない」
このフレーズの意味はなんだったのだろうか。
老いても大胆な記者がいてもいいのになぁ、気になる。(汗)
ロザムンド・パイクの圧倒的存在感。
メリー・コルヴィンと言う実在する記者の話だったが、私はほとんど彼女の詳細を知らずに観た。
紛争、内戦系の映画は興味あるので、何となしに観ようとYoutubeでレンタル。
観終わった後は感嘆の一言。
圧倒的な臨場感、演技じゃないだろうと思わせるリアリティ(特にホムスシーン)、
そして何といってもメリー・コルヴィンを演じたロザムンド・パイクの存在感が凄かった。
戦場へ赴く記者としての苦悩と、生活を苛ませるPTSD、そしてそれでも駆り立てる好奇心、
ロザムンド・パイクはその全てを演出していた。
特にあの廃れた感じの表情と体は、これまでのロザムンド・パイクを一掃させるものだった。
これで、主要な映画祭の女優賞を取っていないのが不思議。
彼女の演技を観るだけでも価値のある作品。
あともう一点は、最後にメリーがホムスの現状を生配信で報告するのだが、
葛藤の末、最後メリーの情熱に押され、主要メディアで彼女の声を届けるシーンは
報道の自由を感じた。
秀逸な作品だった。
I see it, you don’t have to
老け役であるが、それを感じさせない。ロザムンド・パイクの演技というか、なりきりぶりが圧巻。細かい仕草まで漏らさず再現しようとする。メリー・コルヴィンに対するリスペクトが伝わる。 自己責任論で片付けようとする軽薄な論を吹き飛ばす説得力。誰かが見ないと決して伝わらない事実がある。 PTSDについて主人公のトラウマを表現しているが、やはり伝えることが難しい。映画にしても報道にしても見ている側に映像を通して伝わる限り、現場での感覚と乖離は出てしまう。その課題の困難さを認識してしまう。
フェイクニュースへのアンチテーゼ
実在する女性ジャーナリストの生涯を追った映画に『ヴェロニカ・ゲリン』があるが、こちらのメリー・コルヴィンは戦場ジャーナリストとして危険地帯にもバンバン足を踏み入れていく、昨今話題のフェイクニュースへのアンチテーゼとして描いている。 生前の彼女の映像と比較しても、ロザムンド・パイクは過剰すぎと錯覚するほど特徴を良く捉えて演じている。 今や“強い女”のアイコン的存在となったシャーリーズ・セロンがプロデューサーで参加しているのは、元々は彼女自身が主演したかったんだろうなという事が伺えて面白い。 アメリカ公開時にメリーの関係者から、スタンリー・トゥッチ演じるメリーの最期の恋人が、実際はかなり問題ある人物だったのにイイ人に描きすぎだという指摘があったらしいが、あのキャラクターは彼女が交際してきた恋人たちを組み合わせて創作した人物だと後で知り納得。 結末が分かっているため、鑑賞後どんよりとした気分になるのは致し方ないものの、9月に『荒野の誓い』、10月に『エンデベ空港の7日間』とロザムンド出演映画が連続公開されるので、まとめて観たいところ。
_φ(・_・ジャーナリスト魂を見た
コロナのせいで映画館に行けず。上映館が少なくて見れなかったこの映画をAppleTVで借りて見ました。
戦場ジャーナリストのメリーコルビンという女性の半生を描いた映画。
戦場を渡り歩きPTSDになりながらそのレポートに奮闘する。リビアのカダフィのレポートやシリア内戦のCNNへの実況はあまりに有名なのでしょう。
シリアの惨状をリアル感を持って伝えて、そこで命を落とすことになる。
シリア内戦の状況はとてもリアルで、爆撃が激しくなる中彼女が住民が残っているから戻ると言った場面は泣けました。しかしなんでこんな危険をおかしてまで何度も戦場へ行くのだろうか?ジャーナリストという使命感?名声?マネー?いろんなジャーナリストがいるんでしょうが彼女は戦場を嫌いながらもそこでしか生きれなかったのでは?
エピローグでシリアでの彼女のレポートの後に一般人がシリアでの50万人死亡したとの事が書かれていた。何気に無力さを感じました。
ジャーナリズム批評、戦争批評ではない。観客、つまり、お前らが批評されてんだZO!
戦場ジャーナリスト、メリー・コルビンの伝記映画。映画のテンポが速く、観客を飽きさせないように、エンターテインメント寄り。グロシーンもなく、戦場シーンもそんなに怖くない。ただし、そのせいで、この映画からは軽い印象を受けてしまいます。まあ仕方ないか。 この映画の特筆すべき点は、「戦争に行きすぎてPTSDになって、それが彼女にとっての不幸だった。」とか「現在のジャーナリズムに一石を投じる!」と主張していないところ。そうじゃないの。この映画にあるのは、そんなありきたりなメッセージではありません。我々観客に対する明確で鋭い社会的メッセージがあるのです。 この社会的メッセージとは、先進国に住む一般人に対する批判。つまり、我々観客のことを批判してる(笑)。ジャーナリズム批評、戦争批評ではない(これらも含まれてると思いますが、主ではない)。 映画に登場する(1)メリー・コルビンの元夫との関係の描き方(2)映像編集の仕方から、それは感じ取れる。 映画の中では、メリー・コルビンの元夫が凄く糞悪い男として描かれている(結構脚色したんちゃうかな?)。このクソ男、彼女への共感も尊敬も全くない。彼女から浮気のことを問われると、「お前が戦場から帰ってこないから、僕ちゃん寂しいから、他に女作って当然だろ!」みたいなこと言い出す始末。クソでしょ?www。それだけじゃなくて、彼女が「子供を作りたい」と伝えると、このクソ男は「お前、むかし流産してるし、もう歳だから無理」みたいなことを平気で言い出す。うーん。虫も殺さないような顔して、よくそんな残酷なこと言えるね。てゆーか・・・こいつアホなの? この映画、ロンドンと戦場のシーンが交互に繰り返される。明らかに、ロンドンと戦場の人間を対比してる。製作者の意図は「戦場にいる奴らも酷いけどさ。ロンドンにいるヒルのような奴らも酷くね?」と、思わせること。ロンドンにいる彼女の友達は、皆、人間味のないクソ男、クソ女ばかり。この辺りの描き方がうまかった。多分、観てる人は、自分たちが批判されるべき対象にあるとは、そんなに意識しない。しかし、この映画の真の主張は、先進国の中産階級に対する批判。 映画の中で彼女が言うセリフが印象的。 「世界中に飢えている子供たちがいるのに、私たちは痩せるためにトレーニングジムに行く。」 皮肉が効いている、とても好きなセリフです。 追伸 あのさー。ちゃんと映画みようぜwww。「苦しみは全てが終わった後に来る」の真の意味は「戦場から帰って来て、アホ面下げてるお前ら見てると吐き気がしてくる。だから私は苦しい。」ということでしょうが。
リアルな戦地なう
これは、どこまでが作り物なんだろう? そのくらい引き込まれる背景と、あまりにリアルな戦地なうな人々の叫び。 戦争は痛い。 戦争は苦しい。 戦争は寒い。 意思を無視され、強制的に戦うことを強いられた人々の声を、 リアルに届けたいと、 ただ、それだけのために火の中の蛾だと恋人に罵られても向かった、 メリーコルヴィンの実話に基づいた作品。 かなり凝った作りの美術に驚き、 メリーの普段のイギリスでの生活と、戦地の明暗が当初くっきりはっきりしていたものが、 重度のPTSDに苦しめられることで、 その感覚が怪しくなっていく表現も素晴らしかった。 レビューを読むと、なんでそこまでして戦地に行くのか理解出来ないとありましたが、 ちゃんとフツーの女としての生活を諦めたことによると表現されています。 これ、ちょっと解りにくいのかもな。 実感ある人には、痛いほど共感出来るのだけれど。 にしても、ロザムント・パイクの見事な演技に脱帽ですよ! ゴーンガールの時は、美しい妻を演じたのに、今度は初老の女性で、 かつ、全裸シーンも披露ってすげーなおい! 垂れた乳房が美しい。 割れた腹筋が美しい。 彼女の生き様とメリーの生き様が、ちょっとダブって見えもします。 先進国では報道の自由最下位の日本にも、 もしかしてこういうジャーナリストがいるんだろうな…。 そんなことを思いながらエンドロールを見ていました。
弱者に寄り添うと言う事。
政府軍の無差別攻撃に曝される市街地に取り残された非戦闘員の為に、ホムスにとどまったと言うのが事実だとすれば。結局は、そう言うことなんですよね。彼女は、戦場ジャーナリストと言う職業を選んだ、ってだけ。彼女が貫いたのは「弱者の姿を伝える事」。何故ならば、それが戦場と言う狂気と悲劇の現場の真実だから。 色々と思う事はあったけど、全て飲み込んで。 メリー・キャサリン・コルヴィン記者に、心からの敬意と追悼を。 心を打たれた。とっても。
真実の記録と疑問
中村さんが亡くなった直後だけに、リアルに感じました。 中東諸国の現実と、それを伝える欧米諸国との距離感を感じました。 彼らの武器や資金を供給してるのは誰なのか? 素朴な疑問を感じてしまいました。 エンディングロールでは、誰も立ち上がりませんでした。
夫や娘を置いて前線に乗り込むの記者の 崇高な使命だけでは割り切れないもの
ISにさらわれた息子を奪還するクルド人女性戦闘員を描いた「バハールの涙」の戦場記者が 黒い眼帯をしていたのでこの映画のメリー・コルヴィンと同一人物だと勝手に解釈して見たのだが 休養を取れば出てこいと言われ 報道の使命に燃えて前線に行こうとすると 危険だからと引き止められ とにかく新聞社にとっては唯一頼りになる優秀な女性記者を 大事にしているかのように扱いながら 実際は消耗品でしかない 知る権利の最先端で働く戦場記者の実態を描いた映画だ コルヴィンは 女性や子供が大量虐殺された痕跡を見て使命に燃える訳だが 書くのが専門の彼女 行き当たりばったりで雇った男性カメラマンが 陰ひなた無くサポートする姿に心打たれる 戦場の臨場感が生々しい
戦争の悲惨さ
改めて戦争ではなにもプラスな事は生み出さないことを実感させられた。
戦争は当事者同士が武力で争うならともかく全く関係ない市民を巻き込むから悪でしかない。
それが戦争の恐ろしさである。この辺りはもちろん誰もが分かってる事だと思うが、この作品ではさらに正義感の強いメリーが、正義感が強いが故に、罪なき市民の現状を世界に知らせる事に捉われ過ぎてしまったようにも思える。
もちろん彼女の行動は何一つ間違った事はしていない。彼女が命がけで、戦争地域の現実、事実を知らせてくれるから戦争を無くそうという動きや考えが芽生え、平和につながる一つのピースだと思う。
しかし彼女は正義感が人一倍強かったが故に、一線を超えた取材が多かったようにも思える。もちろんそのおかげで事実を僕たちは知り得る事ができるのだが、彼女の命を第一に考えると彼女の行動はいき過ぎて恐怖を覚えてしまった。
劇中で彼女が語ってたように、恐怖の先には終わりしかない。まさにその通りだ。
戦争というものをこうやって映画作品としてしか見ることができない僕にとっても、彼女の行動には恐怖を覚える。恐怖を覚えるからこそその先に期待するのではなく、肯定的な意味で彼女の終わり(行動的なもの)を望んでしまうのである。
上でも書いたように、戦争は罪なき市民の命を奪うとどうじに、メリーのような正義感(ジャーナリストだけではなく、兵士もそうだ)が強いものの多くの命も奪ってきてるのであろう。
まさに戦争とは何も生み出さない。悪しか残らないのである。
メリーは命がけでその事実を伝えてくれても、死後彼女が命を落としたシリアだけで50万人以上がまだ亡くなってるそうだ。その無情さに悲しさと同時に悔しさも芽生えた。
この作品を見てふと思ったのが、今年に入って議員やら芸人が戦争で領土を守れ、取り返せといったニュアンスを口にして話題になっていた。(鼻から馬鹿馬鹿しくて詳細を追ってないが)
彼らにも是非観てほしいと思った。改めて戦争なんていうものは肯定されるものではなく、簡単に口に出して良いものだと学ぶ事ができた。
現実を描くための熱演
劇映画ではあるが、限りなくリアルな戦場を次々と描く。戦場は時代を追う毎に悲惨になり、最後のシリア内戦の現実は正視に耐えるものではない。どうやって撮影したのか想像もつかないが、現実にどうやって生き残るかについてはもっと想像が出来ない。 そうした現実を世界に伝えるために命を賭けたジャーナリスト役に挑むロザムンド・パイクは、体当たりで鬼気迫る熱演。彼女がどういう想いで戦場に向かったのかを伝えている。
自らを犠牲にしても戦地に赴く女性記者
スリランカ、イラク、シリア……戦地を取材する女性記者メリー・コルヴィンの半生を描いた。「ゴーン・ガール」のロザムンド・パイクがまさに体当りの熱演。 そして観た後に知ったのだが、監督は「ラッカは静かに虐殺されている」を撮ったマシュー・ハイネマンだった。ドキュメンタリーな映像やシリアへの思いを含め全てが腑に落ちた。 PTSDに苦しみアル中になりながらもなお戦地へ赴くコルヴィン。平和ボケしてチキンな私に彼女の行動は理解しがたいが、戦争の真実を世界に伝えた彼女の偉業を否定することはできない。
後味の悪い
しんどい映画でした。 気持ちわかるのですが、精神的な病気になった時点で辞めるべきです。 職業が職業なので。 周りを危険に追い込んだり、危険を呼んでしまう事にも。 正義感が強いのはわかりますが、エゴにしかならないので。
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