「戦場の、普遍的な真実を追い求めて」プライベート・ウォー りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
戦場の、普遍的な真実を追い求めて
英国サンデー・タイムズ紙の女性特派員記者のメリー・コルヴィン(ロザムンド・パイク)。
彼女の取材先は常に戦場。
21世紀に入って、世界各地で紛争は多発した。
彼女の信条は、「戦場の小さな物語」を伝えること。
「小さな物語」が示す真実が、大きな紛争の真実につながると信じている・・・
といったところから始まる物語で、実話の映画化。
不勉強ながら、メリー・コルヴィンのことは知らなかった。
映画は、2012年の内戦が続くシリアの街・ホムスの廃墟同然の街の空撮から始まり、そこへ彼女が語る、戦場での危機についてのモノローグが被さってくる。
伝記映画なのだから、この時点で彼女がここで死んだことは容易に予想がつくが、映画の焦点は、彼女の生死ではない。
映画はそこから時を遡り、2001年、彼女が左目を失明し、トレードマークともいえるアイパッチをつけることになった、スリランカでのエピソードとなる。
この後の映画は、戦場の彼女と、非戦場の彼女との様子を交互に織り交ぜ、かつ、彼女のトラウマとなったいくつかの出来事をフラッシュバックでみせる手法を採ります。
この語り口は、かなり巧い。
戦場での緊張感もさることながら、非戦場の彼女は、戦場体験によるストレスからくる苛立ちや無力感を常に抱えており、PTSDからさらにはアルコール依存症へとなっていくのですが、主演のロザムンド・パイクはそれを(まさに)鬼気迫る演技で我々に魅せていきます。
そして、絶えず、視力を失った左目に手を当てて・・・
なお、この動作は、終盤、シリア・ホムスでのエピソードへの演出的伏線になっています。
左目の視力を失った彼女は記事を書くことはできても、現場の写真を撮ることはできないず、結果、彼女よりもかなり若い相棒のカメラマン・ポール(ジェイミー・ドーナン)と行動をともにすることになります。
このポールの立ち位置もかなりよく、彼女は戦場でも非戦場でもベッドを共にする相手を見つけ得るのですが、ポールとはそうはならない。
いくつかの戦場を経、数多の死体を見、同僚の死をみた彼女の最期は、冒頭に示されたシリア・ホムス。
政府軍からの爆撃が続く中での生中継(音声だけだが)を行い、戦争の大義と実相が異なることを世界に伝えます。
そう、ここで(というか、ここまでの積み重ねで)気づくのです。
歴史は大局でなく、小さな物語(=真実)の積み重ねで出来ている、ということ。
その小さな物語に目を瞑ってはならない、ということ。
小さな物語を、「いまそこにいない者たち」は、知り、感じ、つなぎ合わせて全体をみなければならない、ということ。
原作は、マリー・ブレナーによるノンフィクション「Marie Colvin's Private War」だが、映画の原題は「A Private War」と不定冠詞の「a」がついている。
特定の戦争ではない、誰しもが経験する(した、もしくは経験しうる)戦争の「小さな物語(=普遍的な真実)」を映画製作者たちは表しているのだろう。
なお、冒頭のモノローグ、それはメリー・コルヴィン自身のものだったことが最後にわかり、さらに鳥肌が立ちました。