ある少年の告白のレビュー・感想・評価
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LBGTよりも気になってしまったある種の人達の振る舞い
たぶん多くの日本人にとって、この種の矯正(強制⁈)施設があること自体が尋常なこととは思えないのではないだろうか。
そもそもビジネスとして成り立っていることが理解出来ない。信心深い篤志家の寄付だったり、そのような人が経営する会社が資金の出し手となっているのか。
宗教上の懲罰や魔女狩りの名の下に、美術絵画の世界にも描かれているような拷問道具(ギロチンは即死出来るので、かなり人道的らしい)をあれほども生み出してきたキリスト教文化の負の側面が今も形を変えて色濃く残っているということなのか。血こそ流れていないが、宗旨替えを迫る拷問と実質は変わらないのではないか。
自分たちが宗教上の正統だと思い込んでいる人たちにとって受け入れがたいことは、悪魔の仕業(しわざ)なのでどんな方法であろうと矯正しなければならないことになる。
悪魔を追い出すことが目的である、そのような背景を持つ人には〝人権〟や〝人権に基づく個人の尊厳〟という概念も存在しないから、あのような振る舞いができるのかもしれない。
いきなり〝悪魔〟などというと唐突感があると思いますが、昨年来公開されたリグレッション、ヘレディタリー継承、サスペリアなどを見てると、割りと自然に浮かんできてしまいました。
恐ろしい
自分としてはあまり馴染みのない同性愛強制施設の話だが、これって怪しいセミナーとか宗教とかに洗脳されるプロセスと同じなんじゃないか。あの場の雰囲気とか圧力を感じて恐ろしかった。ジャレットは自身の勇気と母親の理解もあって抜け出すことができたが、納得できない気持ちを持ちながら圧に抵抗しきれなかったキャメロンを思うと悲しい。こういうのって、虐待する側も正義と信じているところが恐ろしいよね。なんか最近の世の中にも同じ匂いを感じてイヤになる。
【自らの性癖を、苦悩しながらも受入れ、魂を再生していく青年の姿に心打たれる。ルーカス・ヘッジズの抑制した演技に魅入られた作品でもある。】
ー 原題 ”BOY ERASED” 消された少年とでも訳すのであろうか? ー
・LGBTをテーマにした映画は数多くあるが、今作は、それに保守的宗教感を絡ませることで、更にテーマに重み付けがされている。
・愛する息子がゲイであることに苦悩する牧師でもある父親をラッセル・クロウ 息子への愛を貫く母親をニコール・キッドマン 主人公はルーカス・ヘッジズ
主人公に決定的な自覚をさせた青年を注目株のジョー・アルウィン
監督・脚本・矯正治療士をジョエル・エドガートン とくれば観ないわけにはいかない。
・それにしても(狂的な)矯正治療を行う矯正士を自ら演じた所に、ジョエル・エドガートンの役者魂を感じる。
・レットホットチリペッパーズのベーシスト、フリーがあのような役を演じていた事にも驚いた。 (嬉しいサプライズであった。映画で観たのはベイビー・ドライバー以来だったよな・・)
<映画ラストのエンドロールで流れたテロップで書かれた矯正士の、その後についてのコメントには驚いた。
彼も又、被害者だったのだ・・。
深い余韻を齎された映画であった。>
<2019年4月19日 劇場にて鑑賞>
容易には変われない。
持って生まれたものは容易には変えられない。
(一般的に)普通ではない。だから変われではなく近親者や周囲の人々が理解し受け入れる事ができたらきっと皆、幸せになる。
ジャレットの父・マーシャルの最後の言葉が切なかった。
そして母はやはり強い。
Shame on you ! ファグのお話
All right. You want me to stop with the game?
I'll stop with them.
I broke up with Chloe........because.
We broke up because I think it's true
about me.
God help me.
I think about men.
監督もオーストラリア出身なら俳優もオーストラリア出身の映画、ニコール・キッドマンについてこの前、インタビューを聞いているとハワイで生まれたらしい。オーストラリアで初めてのオスカー俳優にして、オーストラリアの勲章を受章しているが、過去には、個人的に思っていることなのだが、人種差別映画「Bangkok Hilton」にご出演なされているのに現在ではユニセフの親善大使を何食わぬ顔でなさっている。
なぜこんなことを言うかって....!オーストラリアにはかつてタスマニア人が数万人から数百万人暮らしていたのだが、イギリス系オーストラリア人に最後の一人まで"マンハンティング"にあい、子供の指はパイプの栓代わりにされ、最後の一人が、息を引き取るときの最後の言葉「あの山のところに埋めてくれ」なんていう言葉なんて耳を貸さず、わざわざ埋まっているのを掘り返し、その挙句には、博物館に展示している。その証拠にアボリジニが市民権をえたのは、1967年で歴史ではつい最近のことで、彼らをお猿さんと考えていたオーストラリア人はアボリジニの人口統計すら執っていなかった。その残虐性は、ハーバート・ジョージ・ウェルズの小説の序文にも記載されている。
話がそれたが、今更ファグの映画か?暗すぎる。つまらない話でありふれていて面白みの欠く内容で寝るのにはちょうどいい感じである。しかし、批評家からは、受け入れられていてアメリカのアマゾンでは、早々に配信されている。それもプライム・ビデオで....
それとニコール・キッドマンのいつもの鼻をつんとあげて話す姿は健在でその鍛え上げられた体や主婦には似つかわしくない、丁寧にしかもきれいに研ぎあげられたネールは、まるで高級売春婦のような役作りをしていてらっしゃる。ラッセル・クロウは逆にこれ以上太ることのできないような体で普段しゃべっているオーストラリアなまりの英語は控えている。
昔オーストラリアのブリスベンで体育館のようなスペースで音楽を演奏しているところに恐る恐る覗くと小さい子から大人まで楽器を使いながら歌っていた。話を聞くと快く引き受けてくれたのが、それもそのはずで宗教がらみであった。同じようなシーンが出てきたのでオーストラリアがらみとして思い出した。
それと主演の人は、何とかバイザシーという映画に出ていたそうだが、ハリウッドの人非人が、たしかオスカーを獲っている。
それと日本人のマラソンランナーのパートナーが、"I was a gay."とインタビューで答えた時は腰を抜かしそうになったのを思い出した。
豪華な俳優陣
2018年という時代に繊細なテーマを大胆に描いた作品。
キリスト教という宗教と、LGBTQという難しいテーマに正面から向かっていった作品。主観で見るにはあまりにも知識と経験がないのですが、宗教やLGBTQに深く入らずとも青年期で自分を探し、初めて死というものを身近に感じる時期というものを描いた作品として観ることができました。
まずこのメンツ。興奮せずには観られませんよね。ジョエル・エドガートン、ルーカス・ヘッジス、二コール・キッドマン、ラッセル・クロウ、グザヴィエ・ドラン。演技派を豪華に集めた本気度が伝わってきます。
今作では、やはりテーマというものに驚かされました。数百本も映画を観れば、観たことのないテーマを扱った作品に出会うことはあまりないと思います。個人的に本作のテーマは初見でした。同性愛を罪として扱う宗教的価値観と、その矛盾さを正面から扱った本作には、製作側の誠実さ、本気感が伝わってきました。どちらも否定するにはあまりにも大きすぎる概念。しかし、本作は事実に基づき、果敢にスポットライトを当てています。
例えば、ラッセル・クロウ演じる主人公の父親マーシャル。彼は牧師であり、キリスト教のバプテスト教会の説教師です。その息子ジャレッド(ルーカス・ヘッジス)が同性愛かもしれないという疑念を抱いたマーシャルは、息子を同性愛を更生させる転換プログラムに入れることを決めます。その転換プログラムでは、外界との関係を断ち、同性愛を罪と捉える教えをもとに、その罪を償うという形で更生していくことを強制する。
我々日本人にはとても疎いテーマで、半ば信じられないようなことですが、世界では少なからず現実に信じられていることです。しかし、あまり否定的には扱われなかっただけに、私にはかなり衝撃的に感じました。どちらが正しくて、度地rが間違っているかなんていうのは、愚問ですが、序盤で医者の女性がいう「あなたはどこも悪くない。だから自分に正直にこれから生きなさい。」という言葉には私は100%賛成できました。
親も時には間違うし、先生や偉人も間違える。答えや正解というものは自分が信じるかどうかなのだろう。
役者たちに見入りすぎて、映画の要素に注目する余裕はなかった。
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