「前時代的な価値観に居心地が悪い」パリ、嘘つきな恋 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
前時代的な価値観に居心地が悪い
何から何まで「前時代感」で覆いつくされているようだと思った。
まず主人公の恋愛や女性に対する価値観など、バブルを経験した60歳前後の男性のそれのようでまったく現代的ではないし、仮に現代の49歳男性(主人公の設定年齢)に置き換えたとしても前時代感が色濃く残る。そしてそれは映画が扱う「障害」に対する価値観もまったく同様であり、現代社会における障害の捉え方とそこかしこにズレがある。そのことに気づかないまま、強引にコメディを押し通していく様子に、私は最後まで違和感を拭い去ることが出来なかった。こういうことを言うと「障害者をコメディで取り上げてはいけないのか、それこそ差別だ」というようなことを思う人がいそうだが、むしろ逆である。障害者の取り上げ方自体が、前時代的で古いということを指摘しているのだ。
なんとなくだけれど作り手の身近に障害者はいなかっただろうなぁ、この映画の制作の現場にきっと障害者はいなかっただろうなぁというのが透けて見えるよう。そしてエンドクレジットで、監督と脚本と主演男優が同一人物であると知って、妙に納得してしまった。この映画の視野の狭さが急に解せる気がしたのだ。と同時に、彼のプロフィールを見て彼の実年齢が55歳であると知って尚更合点がいった。この価値観はこの世代の価値観だ。現代にアップデートし忘れた旧モデルの価値観。
そもそも私には、嘘をついた主人公にどうしても好感を抱けず、相手役のアレクサンドラ・ラミーがチャーミングで魅力的であればあるほど、二人が不似合いに見えてしまう。「嘘をついてばかりの男が正直になる」という点がテーマなので、根本を否定するようなコメントだが、50歳近い男がくだらない嘘をついて、それを馴れ合いの友人に相談して・・・みたいなのがとにかく幼稚で見ていられなかった。全体的にやっていることが幼稚。そして幼稚とピュアはまったく別物だし、幼稚と笑いも別物だと思う。
これ、マラソンが趣味で有名なスニーカーブランドで役職に就く男が不慮の事故でが不自由になり、車いす生活になったことを未だ受け入れられずにいるところ、同じく車いすの女性と知り合い惹かれ、健常者ではない障害者としての「初めての恋」をする・・・ぐらいの設定じゃだめだったのかなぁ?フランク・デュボスクがやりたい喜劇が「嘘」と「ドタバタ」だったのならそれは仕方のないことだけれど。私の個人的な感覚では、どうしてのこの映画の「嘘」がまったく楽しめなくてだめだった。決して「嘘」がいけないわけではなく、「嘘のつき方」が私には合わなかった。
フランスのロマンティック・コメディが大好きで、この映画もかなり楽しみにしていただけに楽しめなくて残念だった。嘘をついた主人公がチャーミングに感じられず、内容全体における価値観の旧さが最後まで引っかかって仕方がなかった。どう見たって60歳なのに無理やり40代の設定に押し込んだ図々しさも含め、終始きまりの悪い映画だった。