「「忘れてはないけど思い出すこともない」」火口のふたり いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「忘れてはないけど思い出すこともない」
原作は未読。印象的なキービジュアルがそそり、鑑賞意欲が湧いた。鑑賞前に付近で開催している関連写真展を覗く。出典数は少なく、内容もこれといって気を惹く印象は薄い。かなり振れた画像もあり、この辺りも何か意味付けしているのだろうと予想はつく。
二人劇で進行する本作は、一言で言えば“ダメな男女の爛れた5日間の会話と性愛”という事に凝縮される。従兄妹という関係性、羞恥プレイ、野外プレイ、そしてハメ撮りと、セクシャリティの度キツさが目立ち、そしてオチがあまりにも素っ頓狂な、富士山爆発という設定の乱暴な飛び方が風味を濃くしているが、実は話す内容は明け透け無い本音の気持のぶつけ合いである。他人ではなく、一時期は兄妹同然に育ち、きっかけは分らないが男女の関係に陥る。その中で感じてきたお互いの思いを、その後のそれぞれのついてない人生を経てやっと語ることができたというストーリーなのである。通常モードならば、5日間若い頃の自分達を振り返りながら、諦めながら、そして期間限定の恋愛というか労り合う行為を享受しながら、けじめをつけるラストなのだが、突然の状況変換に於いて、自分達が一番自然でいられる居場所がお互いの隣だった事に覚悟を決める展開はかなり斬新であり、原作に於いてもレビューでその辺りは相当叩かれているのを調べると出てくる。確かに今作品は、真面目で誠実な性質の保守系からすれば決して赦される人物ではない。そこには感情移入も共感性も微塵もない。スクリーンで描かれているのは官能的とは言い難いリアルを表現しようと努力している俳優達だけである。恋人通しの肌の重ね合いというより、兄妹での悪戯が度を超してしまい、人間にとって通常備わっている生殖本能、それを補完する“快楽”機能の扉を開いてしまった雰囲気を漂わせているのである。いわゆる“立ちバック”での挿入シーンのオーバー演技(あんなまるで銛で魚を突き刺すようなリアクションならばお互い怪我するだろうw)の真意も多分、同意を基での近親相姦ならばこうなのではないかという表現なのだと思う。すっかり歳を取ってお互いが空気みたいな存在の倦怠期の夫婦の枯れ方に相似していると感じる。それより遙かに若いのだから、性欲に対してはどん欲であることのバランスの悪さがこの作品の居心地の悪さに由来しているかもしれない。そう、この作品は観客に敢えて負のイメージを投げかけることでそのアンバランスさを印象付けるアトラクションなのである。メッセージが強烈な程、印象度も又高い。一種の炎上演出とまでは言わないが、表現の自由を保つにはこれも又総合芸術なのである。兄妹ではなく従兄妹という絶妙な立ち位置の中で起きる奇妙な“繋がり”はそれでも家族としての“繋がり”を大事にしたいこの二人にとって自然な成り行きなのであろう。東北大震災の際にそれ程天災を被らずに済んだ“秋田”、富士山が爆発しても火山灰の被害は最小限で済む“秋田”、そんな微妙な立ち位置の地元住民達は、そんな中途半端さに苛まれつつ、それでもうらはらであるその隠さねばならぬ“幸福”を密かに愉しんでいる逞しさを感じさせる、そんな作品であった。ちなみに原作での舞台は九州とのことなので、また意味合いも違ってくるのであろう。自分は舞台設定の変更は正解だと強く思った次第である。