「実写でやれることをアニメでやる意味は?」天気の子 Zさんの映画レビュー(感想・評価)
実写でやれることをアニメでやる意味は?
さっき観てきた。
関東が梅雨明けという日に観れたのはよかったとおもった。しかも、明日から2泊3日で東京に行くという日だった。時間があったのでたまたま観たのだが、いいタイミングだった。
ウィキを見ると、2021年という設定みたいだけど、7月の終わりまで梅雨が明けず、最後は台風が東京を直撃するという今年が映画の設定に似ていると思った。
しかも、漫画喫茶で流れていたCMがどんキツネだったし、ラブホでのカラオケの選曲からも2021年より今年というせっていのほうが自然だな。
令和元年から東京が水没し、それが3年も続くとしたら、オリンピックは中止だな。東京オリンピックへの呪いを込めた映画なのか。東京オリンピック、僕も中止になって欲しいと思っているわ。8月の東京でスポーツの祭典なんて、何を考えているか、わからないわ。
いつも新海アニメは実写のほうがいいのではないかと思っていたが。今回も実写のほうがいいのではと思った。主人公やヒロインにいい役者を起用できれぱ゛、スターを誕生させることがてぎる映画だとおもった。
というか、実写でできることをアニメでやる意味って、何? 実写でやれることは実写でいいじゃない。 もちろん今回の作品を実写でやるには特撮技術を活用することにはなると思うけど。
こういう作品をアニメでやるのって、アニメのほうが安上がりだからということなのかなと思ってしまう。
警察からオートバイで逃れるシーンや、雲海上で2人か出会うシーンなどには、パヤオが入っている思った。
観客に想像させたいのだろうが、主人公やヒロインにとっては天気を操れる能力は現実なのだろうが、大人にとってはそれは妄想で単なる温暖化による異常気象ということなのだろうか。
伯父に怒られていたが、天気の子が生け贄というのは、数ある取材の中の一つの仮設に過ぎないのに、それを本人に行ってしまうのは?? そういうことを吹き込まれた少年少女の妄想というのが全体像なのか。
主人公の出身地は小笠原諸島か、伊豆大島ということかな。「本当は問題だ」だと言っていたけど、母と死別したヒロイン姉弟が2人で生活していたのは不自然。その時点で、親戚か児童相談所が動くはず。
ヒロインがスカウトに絡まれていたのは最初はAVかと思ったけど、キャバクラなのかな。いずれにせよ、15歳を使ったら、摘発されたら言い訳できないな。