「顔デカ」MANRIKI いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
顔デカ
芸人永野の持ちネタと言えば『ラッセン』というのは浸透しているだろうが、実はそれ程彼自身の芸風やそれこそコントやしゃべり芸は全く存じ上げていない。いわゆる“音楽ネタ”でバズったという認識で、後はその特異なキャラクターで世間的には一種の“キモさ”みたいなものがフィーチャーされているのではないだろうか。そんな彼の原作に、これまた或る意味オルタナティヴな立ち位置にいる斉藤工や金子ノブアキといった俳優が混ざり合う作品なのだから、一筋縄ではいかない内容かと思い鑑賞。
確かに、想像通りのシュールレアリスム的、且つオーバーフローのホラーとゴア表現に埋め尽くされた内容であった。多分、永野の頭の中の抽象概念を具現化した際の映像なのだろうが、この男の狂気を映像化したら、品のないデヴィッド・リンチが「こんなんでましたけど」的と表現したらよいか。だから粗筋も何も解読するだけ無駄であろう。全てが正解で全てが誤解なのだろうから。なので自分の印象での感想しか述べられないので悪しからず(と、予防線を張ってみる)
そもそもがラストのネタバレである、死刑囚の妄想が今作の繰広げられるストーリーであり、テーマとすれば『自分らしさ』、自己肯定ということだろうか。まぁ、それさえも解釈できていないピントズレと思われるだろうが。だからその辺りの説明はもっと頭脳明晰な人がどこかで評論してくれるだろう。シークエンスは、初めの美容整形の話、そしてそれが罪になり急転直下、逃亡犯としてヤサグれ、彷徨うストーリー展開となる。そしてそれが結局、男の妄想であり、電気椅子に送られるというオチだ。エピローグに巨大な万力を拾った男(暴威)が映っているカットが現れるので続編希望的な匂いもプンプンだ。
まぁ、それは置いておいて、前半、後半ともおどろおどろしい女の執念がステレオタイプ的に描かれていて、その辺りのシュールさを狙った画作りであることは理解できる。尚且つ、やもするとチープさが窺える特殊造形の使用も又一役買っている効果なのであろう。ナンセンス感を大量に浴びせることで観客の平常心を根こそぎ奪う戦略は面白い。正常に評価させない力業がそこには存在している。それがいいかどうかは別にして。万力で潰した顔とか、笑わせようとしているギャグもここまで来ると凄みさえ印象づける。本来、怖さと笑いは同じ引き出しに入っている脳の働きを再確認させる事を意識づける内容であろう。
かといって、今作品のセンスを問われれば、自分には解らないが・・・。劣化版リンチ作品としてのイメージだけは付け加えておく。