眠る村のレビュー・感想・評価
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第9次再審請求後、息絶えた奥西勝
名張毒ぶどう酒事件が未解決というのは知っていましたが、この事件を扱った映画を見たの初めて。
想像以上に見入ってしまい、重苦しい空気に包まれながら、事件の真相はどうなのかと映画が終わったあとも、延々と考え込んでしまいました。
東海テレビ制作で、過去、何度もこの事件のドキュメンタリーを作り続けているらしいですが、事件の犯人とされた奥西勝がえん罪であるという立ち位置に基づいて作られています。
映画で見た感じ、奥西は口べたで、世渡りがうまい感じがしなく、孤独な感じがしました。(実際に友人は少なかったと説明があった) 真実は「神のみぞ知る」ですが、警察の強要によって自白させられたであろう感が強く、えん罪である可能性は非常に高いと感じました。
それにしても自白している奥西が普通に映っていましたが、今では考えられないのでは?? <重大な発言をしているにもかかわらず>、棒読みというか、あまり感情がこもっておらず、やはり、喋らされた感があるのではないかと思ってしまいました。
一度、死刑判決が出たら、それをくつがえすのは難しいことなのか。ワインの蓋の歯型の不一致、蓋の封かん紙の別種の糊、ワインに入れられた毒物が自白の「ニッカリンT」ではない可能性の出現、科学的根拠があるのに、「自白の信用性は動かしがたい」とされ、高裁では新証拠は相手にされず。泣いても叫んでも、どうにもならない、無念の涙で胸が熱くなりました。
何度かアップで出てくる裁判長の顔が印象的。身なりは小ぎれいな感じではあるけれど、机上で裁くだけの、これぞ恐ろしいモンスターだぞ、と番組は訴えているような気がしてなりませんでした。
<備忘録>
1961年3月28日・・・三重県名張市公民館で開かれた懇親会で事件発生。農薬入りのワインを飲んだ女性17人のうち、5人が死亡
1964年12月・・・・・・一審津地裁で無罪判決
1969年9月・・・・・・・二審名古屋高裁で逆転死刑判決
1972年6月・・・・・・・死刑確定
名張の毒入り葡萄酒事件のファイナル
一審無罪、高裁と最高裁で死刑判決、再審請求、執行されることなく獄死した奥西勝。
物的証拠の疑問点を明らかにしてきた弁護団だったが、自白を偏重する司法の前では無力だった。
さて、村人はどう思っていたのか、どうして供述を一斉に変えたのか、などに迫るが、遅すぎたと思う。
題名は眠る司法の意。
絶望の裁判所 その1
以前、「絶望の裁判所」という本を読んだが、裁判官の世界は期待される姿とは異なり、公明正大・中立とは言いがたい現場のようだ。
司法の“腐敗”は、法が国家・国民の拠りどころであるがゆえに、三権力(立法・司法・行政)の中では、ある意味、最もタチが悪い。
この事件では、物証は極めて少ないのであるが、(1)歯型の画像分析、(2)毒物の成分分析、(3)接着剤の赤外成分分析という、新たな科学分析結果が出る毎に、物証の不備を指摘した再審請求がなされている。
にもかかわらず、裁判所は、被疑者本人が半世紀前に否定している「自白」に、「信用性がある」として再審請求を退けるのだ。
しかし、「松川事件」を挙げるまでもなく、昔の捜査の自白強要に、大きな問題と虚偽があることは周知のことである。
このドキュメンタリーを信じれば、“物的証拠のない死刑判決”となる。
しかも、自白の前後で、村人の証言が変わっているという異常さ。
“文系”裁判官の“科学オンチ”では説明がつかない、“作為”を考えざるを得ない。
一番の問題は、事件当時ならばともかく、2015年においてさえこの状況がまかり通っていることであり、慄然とせざるを得ない。
村人たちも、“発言力も、地位も、金も、学歴も、友達もいない”男が犯人ならば、好都合とばかりに幕引きを歓迎し、沈黙する。
「村八分」ということの、“本当の意味”を理解できた気がする。
これが最後かも
名張毒ぶどう酒事件を扱うドキュメントをつくり続けてきた東海テレビ。
すでに犯人とおぼしき奥西は死亡し、縁者も絶えようとしているいま、これがこの事件を扱うドキュメントの見納めかもしれないと思いました。
帝銀事件のようにこの事件そのものが眠りつくのもそう遠くはあるまい。
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