アスのレビュー・感想・評価
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んー。ちょっと思ってるのと違った。
そうだなぁ。なんか作りが雑で勿体ない。
とりあえずあんなに恐ろしいクローン空相手とあんな正々堂々戦えるのが驚いた!
お父さんあんなに足殴られてもうズタボロだったやんwよく勝てたなw泳ぎまくってたし。キャラもちょいうざかったなw
それはとりあえず置いといて、
勝手な私の解釈なんだが、
監督が一番伝えたかったのは、今の世の中何でもかんでも製造してしまう世の中に対してもっと物や環境を大事に扱えと言いたかったのかもしれない。
クローンを作ったけど実験は失敗となり必要ないから地下に部屋を作りそこに閉じ込めた。
主人公は入れ替わりクローンが自由を掴む。
本物は復讐したいがために神と崇められ信仰を作る。
もし、本物が勝っていたらクローンの頂点に立ち日の光を浴びながら生活を送れると思っていた。
そしてきっと、あの手を繋ぐサークルもほどけて世の中がクローンだらけの世界に出来たのだろう!
しかし失敗に終わる。
残念。
最後のシーンで息子だけは気づいていた。
お母さんが、クローンの方だと。
しかし気づかないふりをしてEND
まぁ、オチ作りのためそのあとの展開は監督も考えていないだろう笑
とりあえずなんだ。
前触れが長かった。
ぶっちゃけテーブルに手錠をかけてもらった地点で速攻で殺せたのになぁwwと思ったw
クローンの方は何年も計画を立ててきたはずなのにみんなやられるというドンマイな件w
見た感じ絶対クローンの方が強いのにな、、。
いきなり本物たちの戦闘能力が上がってて笑ってしまった。
うん。
おしい映画だった!
壮大な話にしすぎたか
前作が素晴らしかっただけに、今作をとても楽しみにしていたけど、残念ながらかなり消化不良感が残ったかも。
自分の家に、自分たちとそっくりな家族がやってくるという冒頭の部分や、その実際のビジュアル(ぞわ~っと来た)という発想はとても面白い。なんだけど、壮大な話にしすぎて収拾つかなくなっちゃった感じ。ラストシーンでスクリーンに映し出される自然の中にずっと連なっていく赤い線を見た時に、あーはいはい、そういう終わり方ね、と思ってしまった。
逃げ惑ううちにいきなり戦い方がうまくなった感のある家族。この人たちも、もしかして只者ではないのか?と思いきや、そんなこともないし。ラストで母を見つめる子どもの表情もとてもいいけど、でも途中でお母さんが入れ替わったわけでもないと考えると、よくわからなくなる。
それにしても、アメリカはかなり治安が悪いのに、日本の家みたいに雨戸やシャッターがなくて危なくないのだろうか?と常々思っていたけれど、この映画を観て、やっぱり危ないと確信。って、映画とは直接関係ないか…。
車移動したらどうなる
地上の人々と同じ動きをする地下空間の人々。
遊園地の地下の人達が同じ行動をしてるのは面白いけど地上で車に乗ったら地下はどうするの?
地上でドームで野球観戦したら地下はどうなるの?
リアリティを追求したら映画なんて観れないのは分かりますが、疑問がたくさんある映画でした。
あとあんな日本の地下鉄みたいな深さの地下空間なら、迷い込む人たくさんいそうだなと思いました。
でも発想が面白かったし演技力も凄かったので観といて良かったです。
ただのホラー映画ではない
よかったところ
突然大きな音を立ててびっくりさせる安っぽい手法が使われていなかった。
ところどころに笑えるポイントがあり、緊張と緩和のバランスが取れていて観ていてしんどくなかった。
エンタメ映画でありながらメッセージ性もあるジョーダンピール監督らしい仕上がりになっていた。
音響によって上手く緊張感を感じさせていた。
よくないところ
もともと地下に住んでいた主人公が記憶を無くしていたことにはあまり納得ができなかった。記憶を無くしたことをもし認めたとすれば伏線を回収したラストは素晴らしかったと思う。
メッセージ性について
この映画のテーマの1つに貧富の差がある。同じ人間であっても育つ環境によっては全くの別人になってしまう。また、貧しい人々は治療を受けられず、教育も受けられないことが描かれている。映画の中で地上に住む人々は貧困層ではないがその中にも格差がある。富裕層の白人家族はシャドウになすすべなく殺されており、皮肉を感じられる。エレミア11章11節には「それゆえ、主はこう仰せられる。「見よ。私はかれらに災いを下す。彼らはそれから逃れることはできない。彼らは私に叫ぶだろうが私はかれらに聞かない。」」とある。これは地下の人々が苦痛で叫んでも地上の人々には声が聞こえないことを指している。これは現実は貧困層の意見はなかなか受け入れられず、富裕層の都合がいいように作られているというメッセージを感じる。
つっこみどころはあるけど
つっこみどころはあるけれど楽しめました。
見る前は、トラウマを抱えながら実家に戻り自分の妄想でもう一人の自分が現れてトラウマを克服する話かと思いましたが全然違いました!
ゲットアウトの監督と同じということで、雰囲気はすごくゲットアウトと同じ感じで、何だか気味の悪いけど陽気で不思議な感覚でした。
気になるところを上げれば、
・うさぎはどうやって生産されていたのか
・地下の施設?は捨てられたと言っているのになぜあんなに綺麗に整備されているのか
・どうしてあのビーチと繋がっていたのか
・全人類の影なる存在はいるのか
ということでしょうか...
なんか回り回ってギャグのような、でも不気味でホラーアクションのような不思議な作品でした。
気になるところ、突っ込みどころはあるにせよとても楽しめる作品でした。
ダメでしょ。ふつうに
なんでこんな評価高いの?
話むちゃくちゃで、ホラーやサスペンス要素もほとんど無し。 あの地下世界は何ですか? 説明しろとは言わないですけど、全く納得できないあのネタバレ感。はあ?
そして、デタラメなスプラッター感。あのお化け屋敷くらい適当に作られた映画かと
良好な上下関係を希望
昔々あるところに少女がいました。少女には影がいました。二人はつながっていました。
上に生きる人の影が下に繋げられて、真似っこ劣化版の人生を送り狂気に徹するしかない世界。
突然の襲来、異様な表情と奇声、謎の"パフォーマンスアート"、起きることのどれもこれもが恐ろしく、どんどん見えてくる闇の形も面白い。
それなのに、どうしてこうもモヤモヤが止まらず乗り切れないんだろう。
同じ顔の家族が襲ってくる。
赤い服を纏い庭バサミを振りかざして来るその姿の気持ち悪さに、最初はかなりゾクゾクしていた。
家族とその分身が別行動を始めると途端に薄れる緊張感。
バリエーション豊かな追いかけっこを楽しめるはずなのに、切り貼りの仕方が雑なのか何なのか。
そして妙な間にイラついてしまう。
四人もメインがいて誰も死なないことが地味に嫌だった。
分身たちは相当凶暴だし明確な殺意がある分強いはずなのに、バカスカ倒しちゃうウィルソン家。
誰か一人でも無残に殺されてくれると程よい絶望がアクセントになるのに。
何と言っても気になる奴らの正体、その説明がかなり中途半端で、逆にノイズだった。
いや非常に興味深い。
興味深いのに、変なところで現実味を出そうとしてくるのでどうしても無理がある。
むしろ何も説明が無い方が理不尽で怖いし、オカルトの方向に振ってくれればすぐ受け入れるし色々補完して楽しめるのに。
上に生きる者の行動を映すしかない分身たち、その気味の悪い生態をずっと見ていたい。
しかし考えて掘り下げるほど気になってしまうアレコレ。
昔からあのクローン制度は続いていたみたいだけど、小綺麗な施設は誰かが整備して作り変えたりしていたのかな。
地上に出て目的を果たそうとする、その切り替えはどう行ったんだろう。
ラストに入るどストレートな捻りは好き。
頑張れ分身!地獄を抜け出せ!殺しを楽しめ!とにかく生きろ!
あの時の記憶は閉じ込めて今まで生きていたのかな。
そうじゃないと分身家族の襲来への反応が不自然でしょう。
蘇った記憶、なんとなく察した息子、これから先が楽しみだこと。
ずっと監視していなきゃね。それかどこかで見切りをつけなきゃね。
そして突然下に置き去りにされてしまった幼いアディの可哀想なこと。
ブチ切れて殺戮に走るのも当たり前。
でも彼女もあの時の記憶は曖昧だったのかな。しっかり覚えていたら、まずあんな説明はしないでしょう。
生きる世界が捻れた二人の力関係は、その後どう変化したんだろう。
それでもなお下で生きる本物アディの行動が上のクローンアディに影響していたんだろうか。
でもバレエは誰かに習わないと無理だし、下の人々が自主的な行動ができないなら誰かに教わるのも無理な話。
社会的、もしくは宗教的な意味やメッセージも大いに込められているんだろうけど、正直それを掘って受け止めたいという意欲は無い。
もともと直球で受け取る方が好きだし、考察するほどの引力はどうしても感じられなかった。
そんなことよりも、無数にいる上下の二人の関係を考えて耽るほうが面白い。
のめり込んで楽しむことはできなかったけど、ダントツな不気味さと後引く世界観はやっぱり好き。
殺される恐怖はいつだって大きい。
もし私の分身が下の方にいるなら、映画観てばっかで座りっぱなしで嫌だろうな…。
不気味な演出は健在!
地下トンネルに潜む謎のクローン達 ネタは色々と良かったと思います。ただ前回の『ゲット・アウト』と比べると地下人間の行動など意味が解らない点(手つなぎによる人間鎖等)が多かったりストーリーのテンポが悪いのか、すごく観辛く感じました。
劇伴の音楽は今回も不気味さがよく出てて良かったです。
終盤の問題点。
序盤中盤のゾワゾワ・ハラハラ・ドキドキ感はとっても楽しかった!!
加えて「コワいニヤニヤ感」も良かったし、それがいちばん良かった。
「コワいニヤニヤ感」っていうのは、ホラー映画のオバケなりモンスターなりが、「ちょっとヘンで、間抜けな感じでニヤニヤしちゃうけど、それがかえって不気味でコワいという感覚」っていう感じかな。
例えば『イット・フォローズ』で追いかけてくる奴は、全裸でどことなく間抜けなのが気味悪かったし、『へレディタリー継承』のヤマ場の諸々も、テンション高すぎなのがちょっと面白くて、それが異様なコワさだった。
死霊館シリーズに出てくるような「いかにも悪霊!」というオバケとか、数多のゾンビ映画とかに出てくるような「いかにもグログロ!」というコワさは、“慣れと工夫のイタチごっこ”なところもあるような気がするので、そういうショック演出やゴア描写のインフレでない方向での「異様なコワさ、不可思議な不気味さ」みたいのを追求するホラー映画は好感。
本作については↑このカットの異様さ、不気味さだけでもう充分満足。
夜、家の外で、自分たちにそっくりな家族連れが、無言で並んで立ってる。
イヤー!!コワいコワい!!!
いったん家の中に戻って、家族と対策を話す。お父さんはちょっと状況をナメてる。キツく注意すれば追い払えるだろうと思ってる。で、もう一回家の外に出る。そしたらその家族連れはまだ同じ体勢で、無言で並んで立ってる。
いやぁ、この感じ。この感じがいちばん不気味でコワくて、つまりこの映画のいちばん楽しいところだった。
ホラー映画って、敵役の目的や能力の「わからなさ」がいちばんコワいんだよね。
白ニョンゴ家族と赤ニョンゴ家族が対面して、本作の敵役「赤い人たち」の目的なりスペック(強さや残虐さ等)が理解できてくると、ホラー映画としてのコワさが減っていく代わりに、サバイバルアクションとか、バトル映画としての面白さに移行していくのはお約束。
赤ニョンゴのギョロ目でカクカクした動きの演技とか観てて楽しかったし、その他の「赤い人たち」も、そこはかとなく頭悪くて、白ニョンゴ家族からのヤラレっぷりが面白かったし、物悲しかったりもした。
明らかに笑っちゃうところもあるし、赤ニョンゴVS白ニョンゴの対決も、赤ニョンゴの動きが面白くて良かった。
終盤は、「赤い人たち」についての設定や説明が雑すぎて、それくらいだったら語らないでわからないままの方が不気味で良かったと思う。
ラストの大オチというか、「どんでん返し」としての仕掛けも、僕個人的には「びっくり」がなかった。
途中でだいたいわかっちゃうということとは別にしても、その「どんでん返し」が別にどんでん返しになってない気がする。
「実は白ニョンゴこそが、クローンなのでした!!」
ということなんだけど、そのことが別に不都合じゃない。
白ニョンゴは「生まれ」は荒んだ地下のクローンなんだけど、「育ち」は、ちゃんと人としての人生を生き、結婚をし、子を産み、育ててる。白ニョンゴ家族にとってはこれまでもこれからも実の母親だし、良き妻だ。自分がクローン生まれだと知ったことによって、今後「闇落ち」するなんて予感させる演出もなかった。
物語上、白ニョンゴに感情移入してきた観客が、白ニョンゴの「生まれ」がクローンだったからといって裏切られた気持ちにはならないと思うし、赤ニョンゴに対して「ホントはちゃんとした地上人の家庭に生まれてきたのに、人生を奪われて地下に閉じ込められてかわいそう!」と観客に思わせるほど赤ニョンゴを繊細に描写もしていない。
「もしかしたら地上人であるあなたの人生も、子供の頃クローンと入れ替わられているかもよ?」という怖い話だとしても、今この僕や観客は地上人として生きている側なので不都合がないし、
「もしかしたらいつかドッペルゲンガーが現れて、あなたの人生を奪われてしまうかもよ?」という怖い話だったとしても、だったらそれにしては「赤い人たち」が弱くて恐怖にならない。
ロジックだけがどんでん返っているに過ぎない。
そういう終盤だったように思う。
とはいえ、ホラーエンタメ映画としては充分楽しめた。
「赤い人たち」が現実社会に対して何を象徴しているのか?とか考える余地はありそうだけど、そこまで深堀りしたい気持ちにはならなかった。
雰囲気で乗り切った
ジョーダンピールの好きそうな設定。これから窓の外見るとき勇気いるよね。ルピタの演技もうまいし、ちょっととぼけた旦那も◎ (ブラックパンサーチーム) ゲットアウトみたいに何度も見たら、あー!みたいな伏線があるのかも。実は他にもシャドーが⁈ 考えすぎ⁇
星が少ないのは、やはりゲットアウトと比べると…ってことで。
建前と本音の話?(自己解釈)
面白い映画でした。伝えたいこと、表現したいことなど様々なものが織り込まれているのだろうとも感じました。エレミヤ書といったキリスト教やアメリカの過去の貧困問題がでてきたり、それらに疎い日本人はどこまでこの映画について理解できるのでしょうか。
見ていて気になったところ、自分でかってに考えたことを箇条書で書きます。
長くなりました。一番書きたいのは最後の「建前と本音」なので、飛ばして読んで下さい。
■レッド(アデレードのドッペルゲンガー)の知能性
他の赤い服をきたドッペルゲンガーと比べて、言語になっていないうめき声だったり無口であるためかジェスチャーで行動を指示されていたのに対して、しっかりとした言語をレッドだけが話すことができていました。また、下の世界と上の世界の現状を比較できていたりなど、一人だけ高い知能を持っていたことがわかります。アデレードがレッドを追い詰めていく終盤の場面で、アデレードはまるで獣みたいな人間的でない動きになっていくが、レッドは、ロボットのような規正のとれた動きやたまにバレエのような動きをし続けているため、互いの役割が入れ違ったような印象をうけます。これらはオチを予想する手がかりにもなるし、実際オチを見れば、なぜ、他のドッペルゲンガと違うのか分かると思います。
■エレミヤ書11章11節
「それゆえ主はこう言われる、見よ、わたしは災を彼らの上に下す。彼らはそれを免れることはできない。彼らがわたしを呼んでも、わたしは聞かない。」というのが、内容らしく キリスト教徒でないわたしは映画を見終わっても何が言いたいのかよく分かりません。
■貧困
この映画は、貧困問題について描かれていると感じました。そもそも、下とか上とかいっている時点でヒエラルキーが存在していると考えることができます。映画内でも、貧困層を救済のための「ハンズ・アクロス・アメリカ」が序盤に流れ、嫌でもその考えになると思います。下の世界と上の世界を貧困層と富裕層に分けることができると思います。また、アデレードのいる世界でもヒエラルキーが存在していて友人のタイラー一家が上位でアデレードの家族が下位であることが分かります。簡単にまとめると上からタイラー一家、アデレードの家族、そしてレッド率いるドッペルゲンガーの順になり、アデレードは中間層にいることが分かります。
ここからは、偏見混じりになります。富裕層は、寄付やチャリティーなどは行うが実際の下層の現状を理解していない層だと思います。アグネス・チャンが寄付した時に撮られた豪邸の写真などがいい例だと思います。中間層は好んで貧困になろうとはせず、むしろより上位になりたいか同じ層にいても他人よりも上位にいたい層だと思います。貧困層について、日本の場合、声にならない声で救済を求めていたり、教育を受けていないから助けを求める方法を知らなかったり、そういう立場にいる人は障害者が多いというイメージが私自身勝手にあります。
アメリカでの貧困に対してのイメージがどのようなものか知りませんが、私自身のイメージが映画内では良くマッチされている表現になっていると思います。例えば、声にならない声で救済を求める行為をドッペルゲンガーの言語になっていないうめき声や無口で表現したり、障害者の一種である聴覚障害に対しては指示するジェスチャーを手話とも捉えることができます。また、教育を受けていないことについては、うめき声が言語になっていないことや、息子のドッペルゲンガーであるプルートが本能のまま生きる動物のような4足歩行であったり、炎による口元のやけど(炎は危ないと動物、人間ともに知っているが人間は自在に使うことができる)などで表現できていると感じました。
ここで、都合よくカイジの映画ででてきEカード(トランプゲームの大富豪でも可)を思い出してみましょう。登場するのは、王様、民衆、大貧民です。パワーバランスはそのままですが、大貧民は失うものがないから権力や富をもつ王様より強いというものです。「us」でもこのパワーバランスをうまいこと取り入れているように感じました。タイラー一家の奥さんは目を整形したことをアデレードに褒めてくれましたが、アデレードには整形は必要ないと本意なのか馬鹿にしているのかわかりませんが言いました。また、新車を見せてけてくるとアデレードの夫が言うなどタイラー一家があでアデレードの家族よりも上でしたがドッペルゲンガーに抵抗すらできずに殺されていました。アデレードの家族は、タイラー一家と仲良くしますがドッペルゲンガーに対して対抗し、最後にはレッドを殺しました。
■建て前と本音
もしかすると、この映画はアデレード対レッド、つまりは建て前と本音のようなものを描いた作品かもしれないとその対立だけでみるとそう感じました。よくある話で、自分の心の奥深くにはどす黒いもう一人の自分がいて、それと仲良くなり、パワーアップしたり成長したりなどいったものがあると思います。しかし、今回はこの映画では仲良く出来なかった話なのではないでしょうか。よくある話では、もう一人の自分は自分と瓜二つの姿(ドッペルゲンガー)が多いということは言うまでもないと思います。
では、その建て前と本音とはなにかになりますが、それはエゴと人を救おうとする心だと思います。アデレードはレッドを殺してしまいますが、先ほどの貧困に絡めて言い換えれば中間層による貧困層への誹謗中傷になると思います。私たちは建て前か本音かは知りませんが弱者を救うことが正しいことだとわかっています。しかし、私たちは手を差し伸べる側にいても、そうしないことがあるとおもいます。あなたは、ホームレス全員に対して食料や住居を提供することができますか?むしろ、その逆で、建て前は「かわいそうだな、助けないといけない」と感じていも、本音は「ホームレスじゃなくてよかった」と思っていませんか。そして、自分は弱者と思われたくないから弱者を無理やり見つけ出して誹謗中傷にしていませんか。レッド率いる貧困の人々を救う心をもつ本音側であるドッペルゲンガー集団は「ハンズ・アクロス・アメリカ」をします。
私は、クリスチャンでも人権について活動しているわけでもないですが、キング牧師の好きな言葉に「最大の悲劇は悪人の圧制や暴力ではなく、善人の沈黙である」があります。これをもとに言い換えると「最大の悲劇はエゴによる弱者への誹謗中傷ではなく、人を救おうとする心の沈黙である」になります。アデレードはレッドを殺しますが、それはエゴが本音を凌駕することを意味し、人々の助け合いによる美徳の崩壊という恐怖をも描いた映画だと過大解釈のしすぎかもしれませんが思いました。そして、現在ではそれが普遍化していると思います。エゴが本音を凌駕することを当たり前だと思っている集団こそが私達(us)であり、その恐怖を描こうとしたのではないでしょうか。
まだ、考えればまだまだ出てきそうですが長くなりそうなのでここで終わりたいと思います。今でも結構長いと思います。過大解釈がほとんどですが、読んで下さってありがとうございます。
どうしてこうなった??
予告編の内容から踏み出した瞬間がこの映画最大の山場。そこから先は、、、
補足的説明が散見されるこの作品。本人(ジョーダン ピール)も脚本の穴は自覚してるはず。
次回作は他人の脚本で、ホラーに拘らずに一級品の演出を観せて欲しい。
持たざる者は赤くなる
『ゲットアウト』が大ヒットを飛ばした
コメディアン出身の監督兼脚本家
ジョーダン・ピールの新作スリラー。
...
『ゲットアウト』は黒人差別がテーマと思わせて
実は……というスマートなスリラーだったが
(レビュー書いてないが個人判定3.5くらい)、
今回は前作よりスケールも不条理性もアップ。
ガリガリと壊れたように喋る“裏”主人公
(1人2役のルピタ・ニョンゴが見事)
と、色々と壊れた“裏”家族たちが不気味。
手を繋いだ顔の見えない4人の姿や、いたぶる
ように淡々と主人公一家を責め立てる様が怖い。
エリザベス・モスの、作り物のような笑顔
のまま自分の顔を切り裂く様も気味悪かった。
ジャンプスケア(突然の出現や音でビビらす演出)
に安直に頼らず、場違いな表情や姿勢で異様さを
与えることで観客を恐怖させようとする演出も好み。
密室型のミニマムなスリラーかと思いきや、
舞台を次々変えながら展開していき、後半からは
終末SFスリラーみたいなスケールの話にシフト。
そのため全体的にちょっと散漫な印象は受けたが、
終盤の無機質で広大な地下空間やたくさんのウサギ、
バレエなど、奇妙に組み合わせた舞台やアイテムに
よって最後まで不条理な怖さが持続する。
...
『ゲットアウト』がテーマ性の高いスリラーだった
こともあり、今回のタイトル『Us』も初めから
額面通りの“Us(我々自身)”では無さそうだと
踏んで鑑賞していたが、果たして多分に含みを
持たせた内容だったと思う。
幸せな主人公一家VS不遇な侵略者一家。
本質的に全く同じ人間だとしても、育つ環境が
違えば人間としての性質は変わってくるはずで、
特に最初から入れ替えられていた主人公2人は
『劣悪な環境に置かれ続ければ出自がどうあれ
心が壊れてしまう/元から心が壊れていても
恵まれた環境で育てば人間性を取り戻せる』
ということを分かり易く示したものだろう。
“持たざる者”が“持つ者”に敵愾心を抱くのは世の常で、
おまけに“持つ者”が自分と姿形の似た人間ならば、
「私はこんなに不幸なのにどうしてお前だけ」
と真っ赤な憎悪を抱くのはなお不思議ではない。
一方、劣悪な地下世界とそこにいる自分自身の存在
を知りつつもその事実を忘れることで逃げ続けた
“表”の主人公は、自分の幸せを守るため、他者の
不幸を見て見ぬふりし続けていたということになる。
貧困層が抱く憎悪。
富裕層・中流層の無関心あるいは逃避。
『US』とは『これがUS(United States)
の現状だ』という主張なのかと思ったが、
日本に住む自分にも無縁な話でないのが悲しい。
自分の今の生活を守るのに手一杯で、他人の不幸
から目を背けたいと考えてしまう後ろめたさ。
また、映画の中で象徴的に描かれていた、
米西海岸から東海岸までをつなぐ赤い侵略者だが、
冒頭のアトラクションにでかでかと描かれた先住民
との連想から、『他者から奪うことで繋がってきた
国家』としてのUS(United States)という
イメージが浮かぶのは短絡的過ぎるかしら。
...
不条理なスリラーとして楽しませつつ、
「“地下層”の人々は我々と本質的に同じ人間だ、
人間同士助け合うのが真のUSじゃないのか?」
というメッセージも感じ取れる作品でした。
ただ、メッセージ性先行で考えながら
観ちゃったせいか、どうもスマートに
作り込まれ過ぎた映画と感じてしまい、
今一歩物語に入り込みきれなかった自分も
いる……(レビューにあんまり熱がこもって
ないと感じられたなら多分その辺が理由です)。
観て損ナシの作品だとは思います。3.5判定で。
.
.
.
.
長い余談:
以下はレビュー後に見つけた、パンフレット
内の情報やその他関連しそうな情報の抜粋。
・映画冒頭で流れる『ハンズ・アクロス・アメリカ』
は、ホームレス等の社会的弱者を救済する目的で
実際に行われた慈善イベントだそうな。
15ドルを団体に支払って自分が立つ場所を指定
してもらい、集まった人々どうしで手を繋いで
米西海岸から東海岸までを繋ぐというもの。
結果的にラインは繋がらなかったそうだが、
『参加者が平均1.2m離れてルートに沿って広がって
いれば、48州で切れ目なくラインが完成したはず』
ともされているので結構な参加者はいたらしい。
集金額3400万ドル、運用コストを差っ引いて
実際に支給された額は1500万ドル。
映画の赤いラインは与える者ではなく奪う者が
形成したラインという皮肉になってた訳かしら。
・監督いわく、ウサギは『不思議の国のアリス』
からの地下のイメージとイースターエッグ
(救世主の復活=“裏”主人公)のイメージ
から来ているとのこと。
・監督いわく、ハサミは日常品/凶器の対比。
2つの部品で成り立つものという連想から。
・旧約聖書エレミヤ書11章11節は、
自分の信仰に背き続けたユダ王国の民に対して
「国を滅ぼすぞ」と激おこ状態の神様の言葉。
”それゆえ主はこう言われる
見よ、わたしは彼らに災いを下す
彼らはこれを逃れることはできない
わたしに助けを求めて叫んでも、
わたしはそれを聞き入れない”
エレミヤが広めようとしたその神の預言を
ユダ王国の人々は楽観視し続け、エレミヤを
非難したが、王国はその後、北方の国バビロニア
に征服され、多くの民がバビロニアに捕囚された
(バビロン捕囚)。
本作との関連は僕にはイマイチ読めないが、
『神の教えに従って善良に生きねばいずれ
国が滅ぶぞ』ということを言いたかったとかかね。
シーンの1つ1つに意味がある
ホラー映画苦手だけどゲットアウトの監督なら!と見に行きました。
単なるホラーではなく前作のようにメッセージ性のある作品でした。映画を見終わった後周りで思ってたのと違ったという声がちらほら聞こえてきました。自分は何が伝えたかったのか四分の一程度しか理解出来ず、考察を読みなるほどと思いました。まあ、聖書の11章の部分と言われぱっと思いつく人はいないと思いますw
ラストの部分をみて今まで見てきて引っかかっていた点に納得がいき、初めから見直したいと思いました。
あの後息子はどんな思いで生活していくんですかね?w
監督は映画を作るときに何か伝えたいものが必ずあります。それが映画に全面的に出ると、比喩表現の多いわかりづらい作品ができ、ストーリー的にも意味不明な作品になります。(キルオフという映画を見たときに感じたことです)このストーリーとメッセージ性のバランスとれた映画を作った監督は天才だと思いました。
エレミヤ書11章11節
『エレミヤ書』は旧約聖書の一書であり、三大預言書の一つであり、その第11章は『それゆえ、主はこう仰せられる。「見よ。わたしは彼らにわざわいを下す。彼らはそれからのがれることはできない。彼らはわたしに叫ぶだろうが、わたしは彼らに聞かない。』という言葉が書かれているとのこと。宗教的な暗示ということだろうが、作中には何も説明もないから意味深な演出ばかりで恐怖感を誘う手法であろう。アメリカでは誰でも知ってるのだろうかねぇ。
破綻というところの周辺まで今作品は辿り着いてしまっているのだが、アイデアは面白いのにそれを巧く辻褄合せが出来ておらず、唐突な後出しジャンケンみたいな説明がついて回るので、恐怖を抱く前に疑問符ばかりである。特にラストのオチは、何となく実は入れ替わっていたんじゃないかなぁと推理していたので、そこには驚きはない。それよりも最大の謎は、クローン人間がアメリカ中の沢山の地下壕に居て、地上の人間と同じ動きをあの天井のある部屋の中で行なっているのかの意味不明な設定である。
そもそものストーリー設定として、主人公の妻が実はそのクローン人間であるのは分るが、あのビックリハウスで地下に連れ去り、監禁した後に、一時期失語症に陥るのは、オリジナルが地下の世界の異質さにそうなってしまったからなのか?そしてバレエも、地下でオリジナルが舞っていたからということは誰が教えていたのか?と、まぁ余りにもディティールの解釈がきちんと作中にはっきりと示していないのでクエスチョンマークが頭の中でラインダンスを踊っているかのような状態である。そもそもクローン人間からすれば、あのサンタクルーズのボードウォークは禁忌であった筈なのにノコノコと現れるその必要性も希薄だし、オリジナルが襲ってきたとき、驚きはしても恐怖におののくリアクションはおかしいのではないだろうか?まぁ、後半に展開していくにつれ、その殺人を愉しむ姿勢において、徐々にネタバレを意識させているんだろうけど、それは徐々に隠していた本来の性質が表面化してきたということなのだろうか?もっと根源的に言えば、クローン人間製造の説明の件が余りにもアッサリしすぎていて、印象を深く観客に植え付けていないから、凶暴なのが兎を生で食べるという理由なのかとか勝手に解釈してしまったりしまうのである。同じ動きをする理由もよく分らないし、そもそもアメリカ人全員分のクローン人間がいるのか、そしてあの東海岸から西海岸までの手繋ぎのパフォーマンスは、宗教的儀式として何の意味があるのか、しっくりこない展開に頭が追いついていけない。細かいアイデアとしての、末息子が自分が後すざりすることで、クローンも同じ行動を真似し、バックで燃えている車の中に入ってしまうシーンはその設定を巧く利用しているのだが、そんな諸々の些末が本作のキモではあるまい。結局、末息子だけは母親の正体が感覚で気付いてしまった、しかし地上ではクローンによる粛清が始まろうとしているところで作品が終わる。結局、伏線回収の中途半端さと、ホラーとしての驚かせ方の昔からのパターンの踏襲のみで、何も目新しさは感じられなかった。前作での練られた傑作度合いに比べると、残念ながら嘆く他はない。
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