「終盤の問題点。」アス ウシダトモユキ(無人島キネマ)さんの映画レビュー(感想・評価)
終盤の問題点。
序盤中盤のゾワゾワ・ハラハラ・ドキドキ感はとっても楽しかった!!
加えて「コワいニヤニヤ感」も良かったし、それがいちばん良かった。
「コワいニヤニヤ感」っていうのは、ホラー映画のオバケなりモンスターなりが、「ちょっとヘンで、間抜けな感じでニヤニヤしちゃうけど、それがかえって不気味でコワいという感覚」っていう感じかな。
例えば『イット・フォローズ』で追いかけてくる奴は、全裸でどことなく間抜けなのが気味悪かったし、『へレディタリー継承』のヤマ場の諸々も、テンション高すぎなのがちょっと面白くて、それが異様なコワさだった。
死霊館シリーズに出てくるような「いかにも悪霊!」というオバケとか、数多のゾンビ映画とかに出てくるような「いかにもグログロ!」というコワさは、“慣れと工夫のイタチごっこ”なところもあるような気がするので、そういうショック演出やゴア描写のインフレでない方向での「異様なコワさ、不可思議な不気味さ」みたいのを追求するホラー映画は好感。
本作については↑このカットの異様さ、不気味さだけでもう充分満足。
夜、家の外で、自分たちにそっくりな家族連れが、無言で並んで立ってる。
イヤー!!コワいコワい!!!
いったん家の中に戻って、家族と対策を話す。お父さんはちょっと状況をナメてる。キツく注意すれば追い払えるだろうと思ってる。で、もう一回家の外に出る。そしたらその家族連れはまだ同じ体勢で、無言で並んで立ってる。
いやぁ、この感じ。この感じがいちばん不気味でコワくて、つまりこの映画のいちばん楽しいところだった。
ホラー映画って、敵役の目的や能力の「わからなさ」がいちばんコワいんだよね。
白ニョンゴ家族と赤ニョンゴ家族が対面して、本作の敵役「赤い人たち」の目的なりスペック(強さや残虐さ等)が理解できてくると、ホラー映画としてのコワさが減っていく代わりに、サバイバルアクションとか、バトル映画としての面白さに移行していくのはお約束。
赤ニョンゴのギョロ目でカクカクした動きの演技とか観てて楽しかったし、その他の「赤い人たち」も、そこはかとなく頭悪くて、白ニョンゴ家族からのヤラレっぷりが面白かったし、物悲しかったりもした。
明らかに笑っちゃうところもあるし、赤ニョンゴVS白ニョンゴの対決も、赤ニョンゴの動きが面白くて良かった。
終盤は、「赤い人たち」についての設定や説明が雑すぎて、それくらいだったら語らないでわからないままの方が不気味で良かったと思う。
ラストの大オチというか、「どんでん返し」としての仕掛けも、僕個人的には「びっくり」がなかった。
途中でだいたいわかっちゃうということとは別にしても、その「どんでん返し」が別にどんでん返しになってない気がする。
「実は白ニョンゴこそが、クローンなのでした!!」
ということなんだけど、そのことが別に不都合じゃない。
白ニョンゴは「生まれ」は荒んだ地下のクローンなんだけど、「育ち」は、ちゃんと人としての人生を生き、結婚をし、子を産み、育ててる。白ニョンゴ家族にとってはこれまでもこれからも実の母親だし、良き妻だ。自分がクローン生まれだと知ったことによって、今後「闇落ち」するなんて予感させる演出もなかった。
物語上、白ニョンゴに感情移入してきた観客が、白ニョンゴの「生まれ」がクローンだったからといって裏切られた気持ちにはならないと思うし、赤ニョンゴに対して「ホントはちゃんとした地上人の家庭に生まれてきたのに、人生を奪われて地下に閉じ込められてかわいそう!」と観客に思わせるほど赤ニョンゴを繊細に描写もしていない。
「もしかしたら地上人であるあなたの人生も、子供の頃クローンと入れ替わられているかもよ?」という怖い話だとしても、今この僕や観客は地上人として生きている側なので不都合がないし、
「もしかしたらいつかドッペルゲンガーが現れて、あなたの人生を奪われてしまうかもよ?」という怖い話だったとしても、だったらそれにしては「赤い人たち」が弱くて恐怖にならない。
ロジックだけがどんでん返っているに過ぎない。
そういう終盤だったように思う。
とはいえ、ホラーエンタメ映画としては充分楽しめた。
「赤い人たち」が現実社会に対して何を象徴しているのか?とか考える余地はありそうだけど、そこまで深堀りしたい気持ちにはならなかった。