劇場版おっさんずラブ LOVE or DEADのレビュー・感想・評価
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まぁこんなものでしょ
何も考えないで見れてこれはこれでありでしょう!
もともと深夜ドラマだし。コメディー要素ほそのままで涙あり、ラブありまとまってた感じ。
私的にはドラマの最終回のラブシーンが最高だったから、牧とはるたんのラブシーンに期待しちゃいましたが映画だからか、かえって抑え気味でした。
牧の心情をおざなりにした公式の罪
今回の映画では、牧がどう思っているかという事がほとんど描かれていなかった様に思います。夢を追いたい、頑張りたい、なのはわかりましたが、映画を見た印象では春田への気持ちや葛藤が「言わなくてもわかって欲しい」という事しかなかった。
ここで疑問なのは、映画の牧が、春田との夢と家族(結婚)というテーマにおいて、ノンケとゲイであるという葛藤を持ち合わせていないのは何故かという事です。
ドラマでは男女カップルでなければいけないという概念をとっぱらったみたいなニュアンスの事を言っていたような気がします。男女カップルの云々を男男カップルで描くというのが主題。ドラマではそれに付随して当然起こるノンケとしての春田の葛藤と、ゲイとしての牧の葛藤がちゃんと描かれていました。だからこそ、それを乗り越えた2人が純愛に見え、尊いと言えたと思います。
しかし、今回の映画において、公式が2人はもうそこを1回乗り越えたから、あとは牧が男であり、ゲイであるという設定を完全に切り落としてしまっていると思えるのです。それこそ、本当に男女カップルの女を牧にすげ替えただけのドラマ。映画の牧は、仕事(夢)を頑張りたい事を恋人に理解してもらえず苦しんでる「女性」の設定に思えます。そこしか描かれていないので、結局牧の乗り越えるべきテーマが「ちゃんと伝える事、向き合う事」になっていました。
牧がゲイであるという事に対する葛藤が、セリフででてきたのは春田の炎の中の仲直りシーンにおける「俺なんにもわかってなかった」からの台詞と、かろうじて春田と牧のお母さんが会話するシーンにおける春田の発言(牧の父が「男同士なのが気になるのかな」と推測する)のみです。牧側に至っては全くありませんでした。驚愕。ドラマにおけるゲイとしての牧の葛藤(ノンケの春田さんは本当に俺でいいのか的な)はいくら乗り越えた様に思えても、一生抱えていくものだと思います。そこが映画で一切描かれていないのに、仲直りの春田の台詞だけで解決させようとする事に強い違和感を感じます。
そう思うと公式は「人間愛」という言葉を使って、そのゲイとしての葛藤を描かない言い訳をしているようにしか思えません。「夢と家族」をテーマに掲げ、結婚するしないの描写をいれるなら、当然男男カップルがそのテーマに置いて直面する問題をちゃんと描くのは、牧をゲイという設定にした公式の最低限の責任だと思います。それなのに、映画においてこの部分がバッサリと切り落とされている上に、たった1つの春田の台詞のみで乗り越えた様に思わせようとしている。これが『おっさんずラブ』というタイトルを冠したこの映画の最大の失敗だと思います。逆に言えばこの部分をさえちゃんと誰が見てもわかる形で表現されていれば、それを乗り越えて再び結ばれた2人の絆は強く印象に残る筈で、酷評もここまで出なかったように思います。
そして脚本家と監督は林さんの芝居に頼りすぎじゃないですか?確かに素晴らしいですし、見ている方にその「感情」は伝わります。でも、やっぱり言葉として聞いたりしないと、それはあくまで見ている側の推測にしかならないと思うんですよね。喧嘩して一人花火を涙目で見るシーン。絵的には素晴らしいです。でも牧くんは何が悲しかったんですかね?もちろん想像すれば、春田に言われた言葉、疑われた事、どれもこれも悲しいですよね。でもここで、この映画における牧の最大の葛藤、つまり一番辛かった事が見ている側に伝わってないと、牧君可哀想、で終わりじゃないですか? ドラマ6話のラストを思い出してみて欲しいんですけど、あのシーンで泣けるのは、牧君可哀想、っていう感情ではなく、「牧くんの心情を思うと辛い」だと思うんですよね。つまり
牧君可哀想=客観
牧君の心情を思うと辛い=主観、共感
なんだと思うんです。ドラマ(映画)作品なので、シーンごとに別キャラに共感するのが当たり前なので、この喧嘩のシーンでは例えば春田も辛いよね、でも牧も辛い~、う~~~~!!って思えなければ、ラブストーリーとしては失敗だと思います。そうやって辛い部分に共感したからこそ、そこを乗り越えてハピエンになったときに、本当に良かった!!という多幸感が得られると思うので。
そして喧嘩のシーンの春田ですが、嫉妬による暴言が酷くないですか?もう私にはなんて酷いことを言うのだろうとしか思えなかったです。「一生ひとりで抱えてろ」というセリフはある意味ずっと一人で抱えて生きて来たのではと思われる牧に対する冒涜の様でした。
しかし、制作側はそんな風には絶対に思っていない。それは何故かと考えたら、きっとただ男女カップルの女を牧にすげ替えただけだから。そう思えば、春田や牧にノンケとゲイカップルである葛藤が1ミリもなくても納得できます。ひとりで抱えて何も言わない牧に「ギャーギャー言うな」みたい言われて、売り言葉に買い言葉で「一生ひとりで抱えてろ」と言う。たしかに感情的になったら、争っている内容について挙げ足を取ってゆくのは当たり前とも言えます。でももし、牧のゲイというバックグラウンドを考えた時に、そうやって言わない、言いたくないという性質は簡単に変えられるかという事なのです。言えない、言いたくない理由がゲイという事に起因するのではないかな、と考えざるをえないのです。もし単純に牧を女性と仮定するとその言葉もそこまでショックではないと思います。だからこそ、この言葉は映画においても重要な事に捉えられていない。牧の中のゲイとしての葛藤が一切描かれていないから、映画の牧もただの喧嘩としか認識していないんだと思います。そんなに深く考えなくても~って言われるかもしれません。でも私からしてみれば、そんなことも想像できないのか、とあきれるばかりなのです。男女カップルの様にとにかく好きであればいい、嫉妬もする、それが人間、そして人間愛、それで乗り越えられる。そんな風に思っている様にしか考えられない。あのタキシードの広告の春田が「どうして好きだけじゃダメなんだろう」と言ってるくせに、結局好きだけで乗り越えてるじゃねーか!!と突っ込まざるを得ないのです。
牧がゲイである事を切り落としていると思われるところは、春田が狸穴と牧の仲を疑う所にも表れています。牧と狸穴を疑うという事は、狸穴がゲイかもしれないという思考があるはずなんですよね。しかしそういった描写もセリフも一切ありません。でも春田は自然にそう思っている。もしも、狸穴でもだれでも男も女も平等に愛する世界を設定しているならば、こんどは逆に、春田の「俺わかってなかったわ」が矛盾した考えになってしまうと思います。確かにドラマにおけるちずが「男も女も関係ない」と言っていますが、本当にそれが実現している世界ではない事はドラマをみれば明らかです。だからその続きである映画もその世界観のはず。でも、映画はゲイだなんだという部分はバッサリと切られている。でも牧の中にゲイだという葛藤が既にないとはどう考えても考えられません。じゃあなんでそうなったか、を推察してみると、やはり先ほどの男女カップルの女を牧にすげ替えただけ、という説になるのです。
もし狸穴がゲイだと思ったら、なんだかいい雰囲気になっている牧と狸穴を見てどう思いますかね?もし自分がノンケで相手がゲイであることに少なからず葛藤があった場合、
自分より狸穴との方が幸せになれるのでは?という感情が生まれてもおかしくないと思うのです。それはドラマのバックハグのシーンにおける元彼の「武川さんにお世話になる」と牧が言った時もそうでしたが、あの時はまだ、春田自身、自分の気持ちには気付いていません。そもそも相手の事を思いやる段階には達していなかったので、武川さんに嫉妬して、牧を単純に行かせたくないという事は十分に理解できます。でも、でもですよ?映画の春田はその牧の葛藤を2人で一度乗り越えているはずなのでその牧の不安や葛藤がわからないはずはないと思うんです。でもそこは一切描かれない。と言う事は映画の春田には牧の幸せよりも、結局自分の感情しかないように見えてしまうのです。
私は春田がドラマの時から少し苦手なんですけど、映画で更に酷く作られているようで、同情する部分もあります。それもこれも、映画化を「興業的に」成功させなければならないと面白コントシーンばかりを優先させてしまった結果にも思えます。そしてまたその映画の興業的成功の為に、より万人受けを目指して男男カップルが直面する問題自体を排除してしまったのではないかとも思えます。
もし、ドラマおっさんずラブの続きというのなら、春田の心情も牧の心情も男同士であるが故の葛藤もそれぞれしっかりと描く必要があったと思います。それこそがおっさんずラブという作品の肝であり、それを乗り越えて繋がれた絆こそ、見ている人の心を動かすと思うので。
今回映画に納得されていない方々は、ここに一番引っかかっているのではないでしょうか。その葛藤も描かれず、勢いだけで仲直りしたように見える。最後は絆(指輪)はあるようですが、別々の道を歩むような描写。そりゃ、役者さんたちはしっかりとそこに至る心情を持って演じられていますから、その表情に想像する事はできます。でも、見てる方はセリフなり映像なりできっちり表現されなきゃ、つまり言われなきゃわからないんですよね。こういう事が多すぎて、本当に見る人によって受け取り方が違うし、答えが示される訳でもないので、モヤモヤ感が凄いです。
私は、ドラマ未視聴の方の感想を得たいので、見て欲しいという気持ちがありますけど、この映画を見たからと言って、ドラマのおっさんずラブの良さは1ミリも伝わらないと思っています。例え、ドラマ未視聴の方におもしろかった!すばらしかったと言われても、そうじゃない、そこじゃない感を強く感じます。
まあもちろん映画を入口としてドラマを見て頂けたら、全く違う印象に驚かれるんじゃないかと思います。リアルな事を言えば、興行成績が黒になり、それによって更にドラマなどを見る人が増え、そのファン層が広がり、利益に繋がればそれだけで、ある意味成功といえるので、映画を制作した意味はあると思います。
こうやってレビューに書き込む理由は、制作陣に、
【興業的に成功したからって内容的に成功したと思わないでくれ】
と言いたいからです。もうなんなら深夜ドラマのスペシャルで派手なシーンを全部とっぱらって作り直して欲しい位です。
最後にこの考察はレビューにはふさわしくないと思います。しかし、酷評派が何故そういう評価をするのかという所を推測してみた内容になっていますので、こちらに上げさせて頂きました。また、内容にマイノリティに言及する発言があり、知識も浅い為、当事者の方に不快な思いをさせてしまったかもしれません。お詫び申し上げます。申し訳ございません。
軸がブレまくった残念な作品(※追記あり)
そもそも、『おっさんずラブ』というドラマの続編・完結を、一般受けするファミリー映画として描こうと決めた時点で何もかもが間違っていたと思わざるを得ません。
視聴率が低かった深夜ドラマがどうしてこれほど話題を集めたのか、ファンがドラマに何を求めていたのかを精査したのならば、こうなってしまうことはまず考えにくいです。
映画だからインパクトのあるシーンが必要だ、というのは分かります。しかし、一般受けを狙おうとして、ドラマとは違う方向に舵を切ってしまった。
興行成績など、大人の事情が絡んだことは容易に想像できますが、はたしてドラマで作られた世界観を壊してまでやる事だったのかどうか、理解に苦しみます。
そして、インパクトのあるシーンありきで物語が作られたため、肝心なストーリーは中身が薄いものになってしまっています。ドラマでは存在した丁寧な心理描写がほとんど見られないため、登場人物たち(特に春田と牧)が何を思ってそのような行動に出たのかが分かりにくい。ドラマをよく知り、事前にインタビュー記事を読んで予備知識を得ていたなら「これはそういう事なのか」と、なんとか想像しながら観ることができますが…
映画だからそうなってしまうのは仕方がない、と割り切れるレベルではありません。
ドラマファンであるならば、たとえ映画化となってもドラマと同様の世界観を期待します。それが至極当然の流れだと思うし、悪いことだとは思いません。
また、ドラマの時と軸がブレていると感じる部分は、ラストシーンでも見られます。
このシーンについては、シナリオ本の対談の中でプロデューサーがこんな事を話しています。
「誰かの恋人である前に、ひとりの人として、ふたりがそれぞれ自分の道を見つけていく物語だと考えていたので(以下略)」
たしかに、人は誰かの恋人である前に一人の人間です。それは私達もよく分かっています。
そもそも、おっさんずラブは「人が人を好きになるというのはどういうことか」を真っ直ぐ描いた作品だったはず。だからこそ、他人同士である二人が家族になりたいと願い、ともに生きていくという展開を期待していたのだけれど、なぜ敢えて離れ離れにする必要があったのか?仕事人として生きる彼らを描きたかったのであれば、それは既にドラマとはテーマがすり替わってしまっています。
劇中ではシンガポール行きの話が出てから結婚に至るまでの話が省略されているし、別れ際の春田の表情が明るいものではないため、観る側からすると納得がいかない部分が多いのです。
どうしても仕事人としての彼らを描きたかったのであれば、まずは結婚に至るまでのプロセスを丁寧に描き、さらにその先の続編でそうなる姿を描いても良かったと思うのです。
とにかく、2時間の尺の中に派手なシーンやらエピソードやらをたくさん詰め込んでしまったが故に、結局何を伝えたかったのかが分かりにくい作品になってしまったと思います。
話題にもなったし、熱心なファンが足繁く映画館に通うため、興行成績の数字だけ見れば大成功だと思います。しかし、観た人の心を掴んだかどうかは疑問です。
ちょっと興味があっただけの人ならば「面白いコメディ映画だったなー」程度の感想しか持たないでしょうし、ドラマからのファンならば、今回の映画に絶望し、離れていってしまう人もいるでしょう。
そして、この映画をもって「おっさんずラブ」の完結編としてしまうのは、本当に寂しいし、悲しいです。
もう一度、連続ドラマとして続編を作り直すことを希望します。
(2019.9.3 追記)
「はたして、制作陣は同性婚を作品の中で取り扱うつもりがあったのだろうか」というのが一つの疑問として思い浮かびました。
“大衆向け映画として続編を作る”という事が内容より先に決まったが故に、題材として取り扱うのが難しくなったのか。あるいは、最初から制作陣の中に同性婚に対する明確な答えが無かったのか。
どちらにせよ、この題材を真正面から扱うことを意図的に避けたのではないかと考えます。
そう考えると、結婚までの経緯が省略されたこと、さらには、作品のテーマがドラマの時からすり替わっている事にも合点がいきます。
しかし、私個人としては、そういう難しい問題を乗り越えて家族になる春田と牧を見たかったんです。
ドラマでは親の問題を出し、プロポーズまでしておきながら、続編では具体的な回収をせず、テーマをうやむやにして着地点を別の所にする。
そういうやり方には納得がいかないし、無責任だと思うのです。
タイトルなし
記憶喪失でまたはるたを好きになっちゃうっていうのは、設定としておぉ……ってなっちゃったけど(笑)周りもけっこう笑ってたけど、個人的には、ギャグとして笑えたところもあるけど、登場人物のやりとりがかわいかったり、唐突だったりという笑いって感じも多かったように思えて好感が持てた。ドラマよりはるたとまきのキュンキュンするシーン少なかったのは悲しいけど、2人があの状況だし、尺的にも厳しいよね……。まきのたまにくるドSな感じがたまらない!
てか沢村さん出てきたときのうわぁぁぁ!が……いやあんなのいるだけで嫉妬するでしょ!!っていう破壊力!
レビューは低評価だらけだけど、実際☆は3.8あるわけで、酷評してる人と同じくらい☆4とか5をつけてる人がいるということで。
確かにラストはすっきり終わらせてほしかった気もするし、だけど最後にまた照れ合う2人のシーンがあったのでいいです(笑)映画だからこその雑さ?おい!ってところはあったと思うけど、個人的には面白かったし、花火のシーンとかサウナのシーンとかとても好き。そこまで酷評並べるのかって思っちゃいます。
なんか切なさが離れない。
う、薄い、、、
レビュー欄を見ると酷評がズラリ並んでいて安心した。やっぱそうだよね。ドラマもちょっとツッコミどころ多かったけどまだ可愛げがあった。でも、映画はもう、雑、雑すぎる。リアリティがなさすぎるし、展開に必然性がなさすぎるので、なにもかも不自然で大げさでうるさい。ハルタが全編とおしてギャーギャー騒いでる声がほんっとにうるさくて、眉間にしわ寄せながら「うるさっ」と呟いてしまった。大げさなだけのあの演技は残念だった。プロポーズのシーンもとってつけた感すごくて感動ゼロ。ハルタと牧の関係も、あまりにも未熟で、つきあっているとは呼べないと思ってしまった、だからなにが起きても共感できず。唯一よかったことをあげるとしたら牧のお母さんのセリフだけよかった。
一度だと伝わりきらない
連ドラ放送時からのファンです。
映画の公開とても楽しみにしており、いままでに4回見ました。
好きなところもたくさんあるけれど、モヤモヤするところもあったというのが正直な感想です。
ドラマ未見の方や、ドラマをラブ要素のあるコメディとして見ていた方はとても楽しめると思います。
でもドラマの熱心なファンや、春田と牧のラブストーリー部分が好きだった方には物足りないところもあるのではないでしょうか。
初見のときは、笑ったし泣けたし最後は寂しさもありつつ幸せに終わったけど、あまりにもキャラクターの気持ちがわからなかったことが多くて、見終わったあとはモヤモヤが残りました。
お互いぶつかったり傷つけたりすることもあるけれど、そこに悪意はなくて、好きという気持ちゆえであるというのが、おっさんずラブのいちばん好きなところでした。
映画の中で春田と牧はすれ違っているけど、それはお互いを大事に思ってるからこそで、それはドラマのときと変わっていません。
でも、初見のときはそれがわかりませんでした。
映画では牧にはドラマでは一切出てこなかった夢があって、ずっと想い続けてきた春田より唐突に出てきた(ように見える)夢のことが大事になってしまったように見えて、なんで???と思ってしまいました。
繰り返し見ていると、牧に夢があったのもおかしなことではないし、春田より夢を大事にしているわけではないことも、疑問に思った行動の理由もだんだんとわかってきます。
でもその大事なところが伝わりにくいのは惜しいと思います。
伝わりにくさの原因は心理的にも時間的にも空白の多いことが原因だと思いますが、演技はその空白を埋めてくれるほどすばらしいです。
たとえば春田が海外赴任中の一年間、どうやって過ごしていたのかほとんど説明はありません。
でも映画でのふたりの様子を見れば、恋人としてそれなりに仲良くやっていたんだなということは十分伝わってきます。
ただそうやって毎回表情や雰囲気から察して理解していくのは、何度も繰り返して見ないと難しいと思うんです。
私の理解力が足りないところもあるかもしれませんが、もう少し説明があったらよかった。
限られた時間の中でそれは難しかったのかもしれません。
とはいえ他に削るべきところがあったとも思えません。
コメディ部分も声を出して笑ったし、スケールの大きい爆発も私はすごく楽しめました。
笑いあり涙あり切なさありで、いろいろ詰め込んだ目まぐるしい展開もおっさんずラブの好きなところだったので、そこを削られたら違和感があった気がします。
たくさんの人に見てもらうためには、こういうバランスがベストだったのだとも思います。
だから「夢と家族」という大きなテーマをやるなら、連ドラでもう少し時間をかけてやってくれればよかったのに、と思わざるをえません。
ただ実現するかわからないその機会を待つより、映画で春田や牧、他のみんなの未来を描いてしっかり終わらせてくれたのは製作側の愛なのだと感じています。
いままでいろいろと書きましたが、やっぱりおっさんずラブもこの映画も好きです。
スタッフさんキャストさん方がこの作品を熱い思いで作ってくれたこと、とても伝わってきますし、感謝しています。
ラストシーン、素敵でした。
でもこれで完結というのはやっぱり寂しいので、続編期待しています。
アンサー映画
大いなる前振りだと信じています。
連続ドラマからのファンなので期待値も高かったのですが、あっという間の2時間でした!
「おっさんずラブ」という作品は、何というかテーマパークのような。
非現実的な設定の中で、その中にいる人たちは本当にリアルな感情を持ってその役を生きてくれているので、素直にその非現実世界に浸れる。幸せな気持ちでいっぱいになる。そしてまたすぐ戻りたくなる。とても中毒性のある作品だと感じます。
連続ドラマではジェットコースターのような単純に面白くて笑えるコメディー要素と、ロマンチックな恋愛要素が綿密に入り混じっていることで、軽すぎず重すぎず、幸せな気持ちでいっぱいになる作品になっていましたが、
映画版はそのコメディー要素が主体で、恋愛要素はあまりにも少なかったので、ドラマファンの方々が物足りなさを感じるのはすごく良く分かります(実際私も消化不良な感じが否めません)。
しかしその中でも、恋愛要素も実にリアルに、付き合って1年以上たっている恋人の感情を描いていていると感じました。
付き合いたての大好き!だけの感情の他に、
牧の、20代後半の仕事にも慣れてきて大きい仕事を任させて、仕事が楽しいって心から思えている感じ。恋人の手料理はすごい嬉しいけど疲れている中で後片付けのことも考えてしまう感じ。
春田の、恋人が自分のいない所でいきいき楽しそうにしているのをみて思う焦燥感。メールの返信とかも少なくなってく寂しさとか。自分の仕事はうまくいってないし…。
みたいなところが、ほんと「あるある!」と思って感情移入して観ていました。
付き合いたては本当に相手のことだけ、相手の幸せだけ考えられていたのに…。みたいな自分の気持ちの変化への戸惑いとかもすごいリアルな感情だなと。
それをあれだけコメディー要素満載の映画の中に入れ込めて、ちゃんと感動させられる役者の方々、制作の方々の力量!すごいです!
でも映画版のラストは、本当にこれで完結?と思ってしまう終わり方でした。
映画でも触れていましたが、2人が結婚までいくにはまだまだ乗り越えなきゃならない壁も沢山ありますし、連ドラから観ていたファンとしては、親とか周りの人みんなに祝福されて、本当に幸せなラストまで見届けたい気持ちでいっぱいです。
映画は老若男女沢山の人に観てもらう前提なので、その中で笑って泣けてまた観たいと思えるおっさんずラブの世界観を2時間で詰め込めたすごい作品だと思います。
それとは別に、ちゃんと恋愛としても完結させてほしい!また連ドラで続編、待っています。
「ラブ」はどこにあるのか
劇場版のあまりにも杜撰な内容に驚愕し、twitterで感想を検索したところ、絶賛の嵐で二度驚愕。どこかに感想を吐き出したくて、衝動的にこのアカウントを取得してしまった。
「映画」への愛も、LGBTQに寄り添うという姿勢も、あまりにも希薄な映画だった。
必然性の薄い設定に杜撰なストーリー展開、一貫性のない心理描写、それらの物語の致命的な欠落を埋めるようにこれでもかと詰め込まれる単純な笑いと萌え要素。これがテレビの深夜番組やネット配信の動画ならば、違和感はない。自宅のソファに寝転んで、時々再生を止めて休憩したり、あるいはお気に入りの箇所を何度も見直したり、そんな風に観るにはうってつけの内容かもしれない。でも、この断片化された笑いと萌えの集積を「映画」として消費している事態に、猛烈な居心地の悪さを覚えた。
「映画」というコンテンツに特別なものを求める感性が、時代遅れなのだろうか。外界から閉ざされた暗闇の中で、一定時間、連続して、偶発的に同席した他者とともに共有する、非日常的な世界。そうした性質を持つメディア芸術に見合う完成度の映像であるとは、私には到底思えなかった。
そして、嫉妬とキャットファイトによって表現される男性たちの関係性には、「同性愛者」へと向けられた異性愛社会のステレオタイプが見事に具現化されている。
「同性愛者」だからといって、常に、嫉妬に狂って裸で水を掛け合ったり、業火に焼かれて涙ながらに愛を告白したり、あるいは遠く引き離されたり、そんな風に喜劇と悲劇ばかりを行ったり来たりしているわけじゃない。「同性愛者」にも、かけがえのない日常がある。現実のLGBTQの多くは、そのかけがえのない日常を守るために、法的に、社会的に、様々な形で格闘し、また一方では多くのシスジェンダーの異性愛者と同様、親密な関係性を維持するために日々心を砕いている。この「映画」には、そうした闘いや日々の営みに対する、些かの敬意も見られない。
笑いを含んだニュアンスとは言え、タイトルに「ラブ」を掲げているにもかかわらず、愛が希薄なのだ。「映画」に対しても。セクシュアル・マイノリティに対しても。
劇場版を観て、自分が思っていた以上に「おっさんずラブ」というコンテンツに愛着を持っていたことに気付かされた。多くの方が書かれているとおり、キャストの皆さんは素晴らしい。だからこそ、彼らが生きる世界の土台となる部分をないがしろにするような内容に、心底がっかりしてしまった。
ドラマ見てなくても面白いと思います!
不安だったけど納得・満足!
ツイッターやレビューでネタバレしてから鑑賞しました。
グッズや関連商品を集めるほどではないですが、ドラマは録画分を何度も見返すくらいに好きです。
大絶賛・辛口評どちらもある中、あらすじを知った上でみなさんの感想を読むと、辛口のコメントに「自分もこんな気持ちになりそう…」と感じるものが多く、早く観たいけどめちゃくちゃ不安で変な緊張でいっぱいでした。
いざ鑑賞し、結果から言うと、私としては満足!観終わったあとはこれまた変な安堵感でいっぱいでした。
粗を探せば、冒頭のカンフーアクションちょっと観てて照れ臭い…や、牧勘違いしたまま帰っちゃった…そのあとフォローナシ⁉︎や、花火大会のジャスの唐突な登場や、春田いきなり重役たちに面会できてるや、火事場のオマージュ多、それどころじゃないんじゃなど…
いろいろありはしました笑
その度にネタバレてた私は冷めてしまう自分を危惧しましたが、辛くて観てられない、ということはなかったです。むしろトータルすれば100点でだから星5つです。
力業感は否めないけれど、どのシーンにも伝わるものがあって、春田の人柄みたいに「完璧じゃないけど誠意がある」作りだったと思います。
爆破やドラッグ絡みがありながら、ドラマの世界観からそう逸脱したようにも感じませんでした。そこは素直に映画として楽しめました。相変わらずのメンバーがいてホッとしたし嬉しかった。
ジャスと狸穴さんがいてくれたことで物語に幅が出て良かったです。二人とも好きになれました。
ゆいPも演技上手、花嫁姿も可愛かった。
結婚式は部長も可愛くて幸せな気持ちになれて好きな場面の一つです。映画で初めてちゃんと部長可愛いって心から思いました笑
吉田鋼太郎さん凄い。ともすればバラバラになりそうな危うさも引き締めてくれていました。
そして一番好きだったのは自分でも意外な牧と春田がすれ違ったりケンカするシーン。
リアルで切なくて、仲良ししてるだけより個人的にキュンキュンしました。お二人とも切ない表情と演技がまあお上手で引き込まれました。
最後のキスシーンも甘過ぎず、いいキスだなあと。拒否じゃない、ただ幸せでもない、ドラマとはまた違うパターンの切ないけど前向きなキスシーンでジーンとしました。
ネタバレしてたのにいい意味で思ってたのと違って得した気持ちです。
だれかを貶めたりいたずらに身勝手に傷つける人がいない世界がおっさんずの特徴ですが、ただ優しいだけじゃなく、ぶつかり苦しみながらも人と出会って何か関係性を築くっていいなと映画を観て改めて思いました。
恋したくなる人が多くいるのも納得です。
恋じゃなくても日頃少なからず人間関係で疲弊する心が癒されたし、大丈夫ってリセットできました。笑って元気出ます。
そんな訳で観てよかった!
蛇足ですが、ドラマはあまり興味ないまま一緒に行った旦那さんは少し泣いたそうで聞いてびっくりしました。私は泣きはしなかったので「どの辺で」とたずねると、あるシーンで最近大怪我をしたお兄さんを思い出して涙が出たそうです。察せず安易に驚いてしまって申し訳なかった。
一見お祭りムービーなこの映画ですが、私たちのようにそれぞれの形で込められたものが伝わる作品だと思います。
まぁしょうがないのかな…と。
役者さんに助かれてる作品
春田と牧の関係性が好きでドラマにハマった私ですが、告知を見た時、正直期待は全くありませんでした。牧があんまり登場しなかったり、牧と春田の関係が他のライバルによってあんまり描かれなかったり…そう思ってたのでこの二人が中心に描かれている作品だった事で変に満足しまっている自分がいます。
でもやっぱり脚本が…うーん、やっぱりイマイチでした。ツッコミどころが多すぎる (もう警察沙汰!命がかかってんだから警察呼んで!喧嘩すな!早く春田を助けろ!炎の中よく喋れるな!火災現場から出てきたのに服あまりにも綺麗すぎ-脚本関係ない!)この程度のツッコミだと無視できます、でもキャラクターの行動や心情にツッコんでしまうと、中々無視できません。私は特に牧が好きなのですが、牧の行動がよくわからなかった。夢と言いながら、夢がハッキリとしてなく、何を成し遂げたいのかがよくわからない。特に町の人たちの声を無視して新しい街の計画に関わる牧があまりにも違和感を感じて、「牧は自分の夢の為に他人を無視する子じゃないでしょ!」とずっと考えてました。その事について語る場面があるのかなと思いましたが、全くなく、ただ無視して終わりました。
でもホッコリする場面が思ったより多くて、それで満足しちゃっている自分です。やっぱり役者さん達のやり取りが素晴らしく、胸がホッとするシーンがいっぱいありました。
それで満足しまってはダメだと思いレビューを書かせてもらいましたが、本当にいい作品だったからこそ脚本とダイレクションに力を入れて欲しいです。ドラマの二期で続きますが、期待して待っています!
役者の素晴らしさが製作陣を過信させた?
元々このドラマの最大の勝因はキャスティングにあると思っていました。ドラマシナリオブック読みましたが、大したことない、昔のよくある王道ラブストーリー。だからこそ、あれほど素晴らしいドラマに仕上がっていたことに改めて驚いた。セリフもかなり違うし、田中圭、林遣都、吉田鋼太郎が役を生きた姿が多くの人の琴線に触れた、そんなドラマだったんだと思う(ハッキリ言って、シナリオ読んでも春田も牧も全然愛しくならない。愛しいキャラに育て上げたのは間違いなく田中圭と林遣都)。
その役者に依存した評価を、製作陣(特に脚本家)が自分達の力と過信したとしか思えない映画。自分達の企画は、脚本は凄いと思ったの?そもそも、映画だから派手なことやりたいから始まる企画って何?描きたいテーマ、ゴールを決めて、それを伝えるために必要な要素を洗い出して、そのなかに派手な演出でもコメディでも入れていくんじゃないの?
明らかにそのステップを踏んでいない、俺らイケるでしょの自己満ストーリー。あの役者たちの力を持ってしても、ここまで切り貼りじゃ限界がある。林遣都がインタビューで、牧には変化があって、でも根底には春田さんへの想いがあると言っていたけど、なんとかそう思うことで役を成り立たせていたのでは?牧は特に、この破綻した本の一番の犠牲者。
忙しいのか知らんけど勝手に笑顔で出ていき、出ていった後に恋人に対し「今が一番生きてるって感じする」と最低発言、かと思えば飲んだあとご機嫌でイチャイチャ甘え、何も説明しないくせに「分かってくれないから一緒に暮らすビジョンが見えない」、その癖ほかの男が春田に触っているのを見るとブチギレる、恋人が倒れたことを知らされず傷ついた春田に「あんたみたいにいちいちギャーギャー言いたくない」???
大体、街のひとたちと向き合う春田の姿に惹かれ、そして2年間営業所で大切に仕事してきたはずの牧の、あれがずっとやりたかった仕事?あんな短期間での地上げに疑問ないの?春田の言うとおり「本社行った途端上から目線」の典型的なエリート。なぜこんな酷い役にした?
もっともっと、牧も苦しんでいると、春田が大好きでカッコ悪いところ見せたくなくて家を出ただけだと、花火をずっと楽しみにしていたとか、ほんの数分、実家での牧の姿を例えば入れることで描けた。林遣都なら、セリフがなくても目だけで春田への想いを表現できた。ただ一言、狸穴さんに「少し急ぎすぎじゃありませんか」と進言させるだけで、牧の葛藤を描けた。尺の問題?いやいや、牧の想いの描写より、香港の追っかけごっこ大事ですか?サウナもうどん屋もコメディとしては面白いけど、軸を犠牲するのは本末転倒。
牧の不器用で一途な想いはこの世界の軸だった、林遣都が丁寧に真摯に、演技を超えて作り上げきてくれた牧という人物を、映画で壊された気分です。ドラマの世界から変化していてもいい、でもそれならなぜ変化したのか、描写がほしかった。更に言えばコメディだらけでも爆発でもいい、でも春田と牧のラブストーリーだという軸だけは蔑ろにしてほしくなかった。脚本に大した期待はしていません。でも、申し訳ないけどドラマのあの本であれだけ素晴らしい出来になったのだから、余計なことしなければ、役者陣が素晴らしい作品に仕上げてくれたはず。
この役者陣でも補えないレベルの企画を押し進めたこと、製作側は本気で反省したほうがいい。もう牧と春田が幸せに暮らすイメージは持てず(明らかに牧の気持ちの温度が低く、確実に別れる)、悲しくなりました。
楽しみに前売券も沢山買ったので5回見たけど、正直キツイ。でも残り2枚一応消化するか・・もう割りきって役者の演技とコメディの場所だけ見に行こう。そんな気分です。
星2つは、こんな企画でも全身全霊で役を生きてくれた皆さん、特に田中圭、林遣都、吉田鋼太郎のお三方へ。俳優陣に一切非はなく、むしろあの本でよくぞここまでプロの仕事を見せてくれました。
願わくば、脚本家変えて監督も変えて、貴島Pはじめ女性陣の意見をベースに、映画はなかったこと(番外編てことでいいわ、もう)にして、ドラマの続きを、同じく深夜ドラマで描いてほしい。映画で壊された世界は忘れて、ドラマの世界線のふたりが幸せになる姿を見たい。
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