「「人間は滅ぼす側と滅ぼされる側に分かれている」」マイ・ブックショップ Teiranさんの映画レビュー(感想・評価)
「人間は滅ぼす側と滅ぼされる側に分かれている」
スペイン、イギリス、ドイツ合作
映像や映画の雰囲気がイギリス映画っぽいと思った
(原作や舞台はイギリスですし)監督はスペイン人の女性なんですね
どことなく清潔感漂う、品の良い作風は原作、脚本家も女性である事
からくるのかもしれません
主人公フローレンスは特に魅力的でもなく特別本好きにも見えず
書店経営に対する熱意のようなものもあまり感じられなかった
そのせいか、ラストの、この映画で伝えたかったことは「勇気」だと
いうナレーションも心に響かず
そのナレーションは、書店でアルバイトするこまっしゃくれた
知的な少女クリスティーンの言葉
この子役は非常に良かった
自分の役どころをよく理解していたように思える
地で、演技っぽくなく振舞っていただけかもしれませんが
「やられっぱなし」の書店側の登場人物たちの中で
それなりに効果のある抵抗らしい事をしたのは
事の是非はともかくクリスティーンだけだったように思える
そういう意味では確かにあれ(書店を「ガマート夫人(権力)の
思いのままにさせない為に」燃やすこと)は
「勇気」と言えなくはないかも
ひきこもりの読書家の老人ブランデッシュも勇気を振り絞って
ガマート夫人に抗議に行ったのかもしれないが、
行く前から結果は見えていたので「やられ役」のようにしか
思えない(死ぬとまでは思わなかったけど)
フローレンスを招待しての「お茶の時間」はイギリスらしく、
でも微妙な空気に、ハラハラしながら見ました
(フローレンスにとっては歳の差を別にしても、
恋愛対象にはならないだろうと思えて)
彼がフローレンスの書店経営のアドバイス役で
興味を持ったのが、ブラッドベリの「華氏451度」で、
すっかりファンになってしまったのが面白かった
文学小説好きな人ってSFを軽視しがちですからね
ナボコフの「ロリータ」は、途中までしか読んでいないけれど
エキセントリックな話で物議を醸したという事なので
(日本で使われる「ロリータ」という言葉とは随分趣が違うようです)
書店経営が困難になるきっかけとして、相応しいなと思った
しかし、一書店でいきなり250部も注文するのは現実的ではないと思う・・・
女性監督らしいキャスティングと思ったのが、ガマート夫人
恐らく男性脚本・監督だったらわかりやすい高慢ちきで嫌みな女に
したであろうガマート夫人を、見た目も立ち居振る舞いも品の良い、
高貴な印象の老女にした
そして、白い顔+きりっと結ばれた薄い唇に鮮やかに引かれた、
異様にはっきりと、濃い口紅の色
これが、じわじわと滲み出る嫌な(権力の)圧力や
驕りのようなものを言外に匂わせていて効果的
この作品の中で印象的だった言葉
「人間は滅ぼす側と滅ぼされる側に分かれている」
私は「滅ぼす側」は、自身が滅ぼされる事に怯えながら生きなければ
ならないし、「滅ぼされる側」になる事も多いと思う
ラストで書店を「抵抗」の為に燃やし(炎上する書店=クリスティーンの
権力へ、されるがままのフローレンス達への怒り)
本好きではないと言いながら、長じて書店を開くクリスティーンにとっての
「マイ・ブックショップ」は「抵抗」と「勇気」の象徴なのかもしれない