「「The(マイ)」とはそういうことか!」マイ・ブックショップ しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
「The(マイ)」とはそういうことか!
戦争で夫を亡くしたフローレンス(エミリー・モーティマー)は、イギリスの小さな漁港の町に格好の物件を見付け、長年の夢だった書店を開く。
ところが、その物件はオールドハウスと呼ばれる歴史的な建物だった。町の有力者ガマート夫人もまた、オールドハウスを別の用途で使いたいと目を付けていた。
ガマート夫人の嫌がらせが始まるが、何とか書店は開業した。
映画はそこから、フローレンスの、ついに念願の「マイ・ブックショップ」を手に入れたという喜びや、書店という仕事の楽しさを綴っていく。
ガマート夫人の妨害は続くが、すぐに本の配達を引き受けてくれる少年や、店を手伝ってくれる少女クリスティーンが現れて、フローレンスの書店は動き出す。また、徐々に町の人々も足を運んでくれるようになっていった。
このような中、丘の上の古い屋敷に独りで住む老人ブランディッシュ(ビル・ナイ)とフローレンスの交流が始まる。彼は読書好きで、彼女に選書を頼むのだった。
この2人の本を介したやり取りが楽しい。フローレンスはまず、ブラッドベリの「華氏451度」を送る。どうなることかと思っていたら、これがブランディッシュに受ける!続けて「火星年代記」を送るのを見て、にやにやしてしまう。
さらに登場するのはナボコフの「ロリータ」。この本を売るべきかどうか悩んだフローレンスは、本をブランディッシュに送り、相談する。
このエピソードは小さな町の本屋が「どんな本を売るか」ということが、地域に与える影響を描いていて、印象深い。
つまり、本を通じて、地域に知的なものをもたらすのが、書店の存在意義。
現代社会では本は読まれなくなり、書店という存在がこの世から消えつつあることについて、考えさせられる。
そうしている間にも、彼女の書店を潰そうとする画策は進行する。
観る側としては、主人公に勝ってほしいのだが、本作はそうはならない。
ガマート夫人の企みは着々と進み、フローレンスは追い詰められていく。
あるとき、ブランディッシュはフローレンスに言う。
「本の素晴らしさは、そこから勇気を得ることだ」と。そして彼は、妨害に抵抗し続けるフローレンスの勇気を讃える。
ブランディッシュもまた、町の人々から奇異な目で見られ、人付き合いを絶っていた。そのような中、フローレンスと本を通じて心がつながったのである。
ガマート夫人の嫌がらせは、やがて政治家も巻き込んだ大掛かりなものになっていく。ついに
ブランディッシュもまた、ガマート夫人に立ち向かうことを決意する。
そのことをフローレンスに告げる場面。ブランディッシュはフローレンスの手を取り、そっとキスをする。素晴らしいシーン。年齢差ゆえ、素直に想いを伝えることは出来ない。それでも、溢れる想いを抑えることが出来ない。フローレンスも、その気持ちを十分すぎるほど分かっている。
孤立を恐れず、正しいと信じることを貫く勇気。同じ心を持つ2人の想いが重なった美しい瞬間だった。
フローレンスの抵抗空しく、オールドハウスを明け渡さなければならなくなり、ついに彼女の書店は閉店が決まる。ガマート夫人に、フローレンスは敗れるのだ。
こうした経緯を見ていたのはクリスティーンだ。本は好きではないと言っていたが、フローレンスと意気投合し、彼女の書店という場所を愛した。
クリスティーンは、フローレンスの勇気や信念と共に、町の大人たちの汚さも同時に見ていた。失意の中、町を去るフローレンス。このとき、クリスティーンは彼女なりの復讐を企てる。なんと、オールドハウスに火をつけるのだ。
「華氏451度」という小説は本が禁止され、見つかれば所持者は逮捕され、本は即燃やされる世界が舞台。結果、人類は思考力や記憶力が退化し、無気力な愚民となってしまっている。タイトルの「華氏451度」とは、本が(つまり紙が)自然発火する温度のことだ。
オールドハウスには、書店の在庫が残っていた(在庫ごと差し押さえられたのか)。
小さな町を、知的に照らしていたフローレンスの書店は、そこにあった本もろとも炎に包まれる。まさに「華氏451度」の世界のように、だ。
ラストに仕掛けがある。
最後のシークエンスの舞台は現代、大人になったクリスティーンは書店を営んでいる。
本作のナレーションはクリスティーンだ。
原題は「The Bookshop」。「The」は特定のものに付ける冠詞だ。
そう、この映画は、現代のクリスティーンが語る、フローレンスのブックショップをきっかけに、彼女が「The」ブックショップを持つに至った、という物語だったのである。
いつの時代も、女性が仕事をしていくのは大変だ。クリスティーンの書店経営にも、さまざまな苦労があったことだろう。フローレンスとクリスティーンが「勇気」について話した場面はなかった。しかし、それは確かにクリスティーンに受け継げられたはず、そう思わせる結末だ。
そうして、自分の書店を持つという夢もまた、フローレンスからクリスティーンに受け継げられたのである。
僕は、この「仕掛け」に気付いた瞬間、涙が止まらなかった。
最後に。
この映画、宣伝の仕方に問題がある。本作は、決して「田舎の可愛い本屋さんの物語」ではない。
信念のために、孤立を恐れない「勇気」を持ち続けた人たちの闘いの物語なのである。
役者たちの演技、背景となるイギリスの海辺の町の風景、舞台となるオールドハウスの建物も素晴らしい。
味わい深い傑作である。
ありがとうございます!
ほんとうに。
崇高さと強い心を持つ者たちの美しいシーンでした。
そして、(はっきりとは描かれないものの)そういう心と、そして書店をクリスティーンが受け継いだ、というラストも素晴らしかったです。
フローレンスの勇気に触発されたブランディッシュの崇高な意思表示。
ヒーロー映画とは違う人間世界の現実における人としての在り方を問う素晴らしい作品でしたね。